Mag-log in「金目当ての最低な女」――八年ぶりに再会した初恋の彼・黒瀬理玖は、冷酷なCEOとなって私を蔑んだ。 家が没落し、父の治療費のため泥水をすする白鳥凜。 理玖は知らない。あの別れが彼を守る嘘だったこと、凜がその後、家族の暴力、失われた命、消えない傷、終わらない搾取に耐えてきたことを。 「お前は俺の所有物だ」 復讐の契約結婚。冷たく支配するはずが、真実を知った瞬間、彼の世界は崩れ落ちる。 激しい後悔と執着溺愛、そして容赦ない復讐劇。誤解から始まる契約結婚ラブストーリー!
view more 銀座の夜は、欲望を隠すように暗く、底知れなく
キャストの一人が合図を送る。
それを見た白鳥美容院に行くお金を惜しんで伸び切った黒髪を後ろで無造作に纏め、客の落とした灰を拾い、汚れたグラスを黙々と下げる。
頭上でだが、今夜は事情が違った。
人気キャストの「なぁ、凜。玲奈の強い希望なんだよ。今夜だけキャストとして入ってくれ」
店長が凜の前に両手を合わせ、『その顔なら客取れるって』
凜が『club断ることはできる。いつも通りホールスタッフをすればいい。
けれど、今月は足りない。臨時の出費が、まだ埋まっていなかった。「……やります」
絞り出した声は、思った以上に「分かってるって。お前のそういう真面目なところは信用してるよ。それに、ここは風俗じゃないんだ。身体を売る必要なんてない。
お得意さんがな、特別なVIPを連れてきてくれるらしいんだ。海外帰りの若手CEOで、とんでもない金持ちだし、とにかく顔がいいらしい。「それなら、私なんかじゃなく、他の方のほうが……」
「今日は金曜だ。皆接客中だし、そういう目が肥えた金持ちは、控え室に入り、手渡された華やかなドレスを広げる。ざらついた化学繊維が指先のささくれにひっかかる。
「――あの時、全て投げ捨てて逃げなければ、今の自分はどうなっていたんやろう……。
そんな思いが頭を駆け巡る。ドレスに足を通し、背中のファスナーを上げる。
姿見に映る自分を見つめた。目の下には色濃い 凜は安物のファンデーションを手に取り、
緩くうねる豊かな髪を、これでもかと左側の頬へと撫で下ろす。
鏡の中にいるのは、かつて最高級の絹を纏っていた令嬢の* * *
『山下様、お待ちしておりました』
レセプションで、店長が山下と呼ばれた、深いグレーのスーツに身を包んだ男性に深々と頭を下げる。凜も見覚えがあった。よく玲奈が接客している男だ。
そして、その背後にいた黒スーツの男へ目配せしたとき、凜は目を見開いた。 口が意思に反して、酸素を求めるように小さく開閉を繰り返す。 黒瀬
理玖の切れ長の目が凜を認めて、一瞬だけ大きく揺れた。
だが、次の瞬間には何事もなかったかのように、感情の読めない表情に戻る。 凜は左手で髪の跳ねを引っ張り、
「本日、玲奈は休みをいただいておりまして――」
歩きながら、店長が山下に向かって話し続けている。 だがその言葉は、凜自身の鼓動の高鳴りに――なんで……なんで、ここにおるん……?
「――凜!」
急に名前を呼ばれ、凜の肩が小さく跳ねる。 「すいませんね。今日が初めてなもので」 店長に背中を押され、凜は慌てて頭を下げた。「は、初めまして。玲奈の代理の凜といいます。今日はよろしくお願いします」
緊張と混乱から、声が上擦る。 「ははは。凜ちゃんね、そんなに堅くならなくていいよ」「今夜は私とこの子で、おもてなしさせていただきますね」
先輩キャストである「ほら、凜ちゃん。早く座って」
彩の声に「……なんでこんなとこにいんだよ」
理玖がほんの小さくぼやき、指先がグラスの縁で一瞬止まる。――だが次の瞬間、その手は何事もなかったかのように動き出す。 凜の「……あれ? もしかして、お二人はお知り合いですか?」
一瞬、二人の間に流れた空気の異変に気付いた彩が 凜はヒュッと喉の奥で息を
「……知らない。赤の他人だ」
口を開いたのは、理玖だった。 冷たく、淡々と。まるで初対面の他人に――いや、「……金で人を選ぶ女なんてな」
小声で付け足された言葉に、凜の呼吸が止まった。 理玖が手にしたグラスの氷が、凜には聞こえないほど小さく、悲鳴のように鳴った。翌朝目を覚ますと、隣に理玖の姿はなかった。 凜がリビングに出ると、理玖はすでにソファに座り、タブレットを操作していた。 ローテーブルの上には、湯気の立つコーヒーが二つ並んでいる。「良さそうなものをピックアップしておいた。好きなのを選べ」「え……?」 理玖がタブレットを差し出してくる。 画面には、いくつものダイニングテーブルの写真が並んでいた。「昨日、飯を食べるにはローテーブルは低すぎるって、お前も思っただろ」「……うん」 理玖のことだから、きっと値札を見るだけで息が止まるようなものばかりに違いない。 そう思うと、頷くのにも少し勇気がいった。「ちょうどいい機会だ。テーブルを買うのも、悪くないと思ってな」 凜は改めてタブレットに視線を落とす。 ナチュラルな木製のもの。 白を基調として、流線型の金属フレームが組み合わされたもの。 天板を支える脚が複雑に組み合わされたもの。 だが、どれも金額が書かれていなかった。「あの、値段が……」「値段を見たら、お前は一番安いものを選ぼうとするだろ」「……選んだら、それを買うん?」「買う」「そんな簡単に……」「簡単だろ。必要なものを買うだけだ」 どうせ値段の目星なんてつかない。 凜はリビングを見渡した。 白い壁に黒革のソファ。全ての家具がモノトーンに揃えられ、統一感はあるが、あまりに無機質だ。 凜はタブレットの画面をリビングに重ねるように掲げ、そこに置かれた姿を想像した。「……これ」 明るい木目で、脚は黒。装飾も少なく、デザインも凝っていないように見えるダイニングテーブルを指差した。「この写真だけでそれを選ぶか。やはり、ものを見る目はあるな」「えっ&he
「堂島電気のパーティーに夫婦で招待されている」 理玖のその言葉に、凜の指先から熱が引いた。「……堂島」 名前を小さく口にした途端、左耳の奥できん、と細い音が鳴った。 あの男の名前が脳裏に蘇った。――堂島尊。 咄嗟に俯いて、耳を押さえる。「相手は仕事の一環だと言ってきた。顔を出すだけでいい。長居するつもりはない」 理玖はそこで言葉を切った。 凜の異変に気付いたらしい。「凜。無理なら断る」 理玖が肩を支えるようにして顔を覗き込む。――仕事って言ってた。断らせたら、迷惑かけてまう……。――大丈夫。あの人だって、あの日のことを表に出したいわけない。――あんなこと、忘れたことにしたいはずや。あの人だって。きっと。 だから、何も起きない。 理玖に迷惑をかけることも、きっとない。 そう自分に言い聞かせても、左耳の奥で鳴る音だけは消えない。「う、ううん。大丈夫。理玖の仕事関係の人に会うんやと思ったら、ちょっと緊張しただけ……」 凜は精一杯の笑顔を貼り付けて答えた。「何か隠してないか?」「そんなことないよ。本当に緊張してるだけ……」 理玖はなおも訝しげな顔をしていたが、小さく息を吐いて表情を緩める。「そこまで言うなら、これ以上聞かない。だが、今後も似たような場はある。無理なら、先に言え」 凜は小さく頷き、朝食の食パンに手を伸ばす。 さっきまで細く立っていた湯気は、もう消えていた。 食器を片付け、定食屋へ向かう。 それでも頭の中は堂島尊のことでいっぱいだった。 見ているだけで硬さを感じさせるほど糊の効いたシャツ。 見せびらかすような金の時計とカフス。 オールバックに固められた髪からは、ポマードの匂いがきつく漂っていた。
凜は薄明かりの中で目を覚ました。 いつの間にかベッドに寝かされ、薄い掛け布団までかけられていた。 まだ腫れぼったい瞼を擦ると、指先に触れた髪がごわついている。――いつの間に寝てしもたんやろ。 昨夜の記憶がゆっくりと蘇ってくる。――せや、理玖が五十万円用意してくれて、それで……。 再び目頭が熱くなった。――ちゃんとお礼言わないと。――いつまでも、泣いてばかりいられへん。 小さく首を振って、隣で寝息を立てている理玖を見た。 昨夜、何も言わずに背中をさすってくれた手の温度が、まだ残っている。 今更になって、ようやく彼が傍にいることの実感が湧いてくる。 昨日の朝から着たままのパジャマから、自分の汗の臭いが漂っている気がした。――お風呂、入ろう。 音を立てぬよう、そっとベッドから抜け出す。 リビングの窓からは、ビルの稜線を越えた朝日が東京の街を照らし始めている。――ちょっとだけ。 凜の背丈よりも大きな二重窓に手を掛け、バルコニーへ出た。 まだ暖まりきらない風が、髪を静かに揺らした。 八年の間に、夜の街で染みついたアルコールと下水の臭いも、この高さまでは届かない。 凜は背筋を伸ばし、胸一杯に空気を吸い込んだ。――東京にも、こんな風が吹くんや。 しばらく眼下に広がる東京の街を眺めていた。 まだ眠りから醒めきらない街が、薄い灰色を纏って広がっている。 朝日に縁だけを灼かれた高層ビルの硝子が、淡い金色に滲んでいた。 遥か遠くで響いたクラクションの音に、はっとした。 後ろ髪を引かれる思いでリビングに戻る。 着替えを手に脱衣所へ向かい、着ていたパジャマを小さく畳んで洗濯籠に入れた。 壁際のパネルで回収依頼のボタンを押すと、専用スタッフが洗濯物を回収し、夕方には仕上げて戻してくれる。
その夜、凜と理玖はリビングのソファに並んで座っていた。「五十万、お前の口座に入れておいた。必要ならすぐ動かせる」 理玖はスマートフォンの画面を開き、ローテーブルの上に置いた。 画面には、凜の口座へ五十万円を送金した履歴が残っていた。 だが、凜は手を伸ばすことができなかった。「ありがとうございます。でもやっぱり、私、返す当てなんかないから……」 凜は膝の上で両手をぎゅっと握り締めた。 理玖が小さく息を吐き出す。「あのな、昼間も言っただろ。俺達は夫婦だろうが。これは、必要経費だ」 理玖に視線を送ってみても、相変わらず目は合わない。「これで義弟の分は足りるだろ」「けど、一回渡したら……」「ああ、また催促してくるだろうな」「だったら……!」「払うのは一度だけだ。これで引かないなら、別の手を使う」 その声は、凜へ向けたものではないと分かるほど、ひどく冷たかった。「別の手って?」「一つ確認なんだが、なんでお前が仕送りやら、義弟の小遣いの面倒まで見なきゃならん?」「そ、それは……」「父親を守りたかったんだろ?」 凜は俯いて、小さく頷く。「なら、父親の居場所をあいつらから切り離せばいい。別の病院に移す方法もある。必要なら、日本の外だって選択肢に入る」「でも、それだと……」「金か? それともお見舞いの心配か? どっちも心配するな。俺も、別に日本に居続ける必要はない。KWSは海外顧客の方が多いんだ。どこにいても回せる」 理玖の言葉に、迷いは一切なかった。 凜は返す言葉を失った。――そんなこと……。 できるわけない。 顔を上げ、否定しようとした。 けれど、理玖の眼差しに言葉を失った。 切れ長の目が