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Romances de あるて

ハワード王国の王子様

ハワード王国の王子様

 思想、戦術、政治に切り込んだ軍記ファンタジー。  混迷を極め、国内の安定が失われたリンゼン帝国。  乱れた世を安定させるため、義勇軍を率いて立ち上がったカイゼル・ハワード。やがて彼は大陸の西方を統治し、ハワード王国を築き上げた。  戦乱の世においてはかけがえのない貴重な十年の平和の後、徐々に力を取り戻しつつあった帝国は新皇帝の即位と共に悲願の大陸再統一を成し遂げるため、兵力を結集。  大軍を迎え撃つ羽目になった王国の軍議は紛糾し、カイゼル王も悲壮な決意を固めることに。  その時、カイゼルの八歳になる息子、アウグスト王子の発言により事態は大きく動き出し……
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Chapter: 第30話 武力なき宣戦布告
 ――リンゼン帝国 帝都セント・レグナス 皇帝廟謁見室――「なんだと!」 偵察の報告を聞き、玉座に座るローゼンベルクは声を荒げました。 彼が皇帝の所在を確認したのは、イストリアとハワード王国の同盟が締結され、帝国全土に皇帝勅令が発布された後だったのです。「よりによって敵国と同盟を結ぶとは! これでは皇帝自ら国を売ったも同然ではないか!」 予想だにしていなかった展開に激高する現在の実質的最高権力者に対し、反論する者も今後の展開を冷静に忠告する者もいません。 抵抗する力もなくし、本拠地を捨てて逃げ出した皇帝など何の力も持たないと思い、帝都に籠って自派の強化と反対派の追放に権力を行使している間に、気が付けば自分たちが帝都内に閉じ込められていたのです。 帝都内で唯一の最高権力者となり、勝利の美酒に酔っている間にイストリアは一本の矢を放つこともなく、一個軍団すら派遣することなく、事実上の宣戦布告をローゼンベルクに突きつけました。 こうして「第二次西方戦役」は、帝国側の誰ひとりとしていつ始まったかを明確に答えることが出来ないうちに始まったのです。 帝国の心臓部である帝都を握っている以上、ハワード王国にいる皇帝の勅令と言えど絶対的な強制力を発揮するわけではありませんが、覇権国家と違い自国の生存戦略を第一と考える中小の王国は大義名分や法の正当性よりも力の論理に従います。 確かに帝国は強大な軍事力を誇ってはいますが、それも周辺の中小王国との協定による派兵に大きく依存しており、帝国が直接統治する地域のみに限ると兵力は大きく削減されます。まして今回皇帝が拠り所としたのは、ほんの数年前に圧倒的な大軍勢を相手にして完璧な勝利を見せつけた、強大なハワード王国です。 すでに多数の国が皇帝の勅令に応じて兵と兵糧の供出を承諾したという報告も入っており、まだ勅令に応じていない王国もローゼンベルク側につくと態度をはっきりさせたわけではなく、様子見といったところ。「どうして……こんなことに」 ローゼンベルクは玉座で天を仰ぎます。「しかし、わしはまだ負けたわけではない&hell
Última atualização: 2026-06-13
Chapter: 第29話 皇帝の要請
「そこまで全部見透かされているなら、余計な前置きは不要ね」 そこまで言うとイストリアはそれまでの平民然とした態度を改め、姿勢を正しました。その姿は先ほどまでとはうってかわって威厳に満ちており、この人物が確かに皇帝の血筋を引く者だということを再認識させられます。 カイゼル王とアウグストはもう一度頭を垂れました。「第十二代皇帝イストリア・フォン・リンゼンとして申します。ハワード王国カイゼル・ハワードに正式な同盟関係の強化と、国内の反乱勢力に対する助力を要請します」 この一言により、元老院議員の王太子に対する表敬訪問は姿を変え、リンゼン帝国とハワード王国の同盟強化と軍事協力の首脳会談へと変貌しました。会話の主役を変更するだけで、亡命という図式を排除し、皇帝としての職務遂行にステージを上げたのです。 これはローゼンベルクが使う『国家緊急特別対策宣言』という脱法的暫定措置に反して、正式な法的根拠のある措置であり、法律闘争において今度は皇帝側が勝利を得たということなのです。法的にはローゼンベルク率いる帝都そのものが『反逆者』になった瞬間でした。 国王カイゼル・ハワードは頭を下げたまま、恭しく答えます。「皇帝陛下に地位を認められた臣下として、直々の要請は勅令と同義。帝国に忠誠を誓う我が王国は、今後皇帝陛下の剣となり盾となり、その力を存分に発揮すると誓いましょう」 カイゼル王は皇帝イストリアの手を取ると、その手の甲にキスをします。 アウグストはその様子をまんじりともせず眺めていました。 イストリアはその視線に気が付き、顔を向けましたが、彼は何も言わず目を逸らします。「くすっ」 イストリアは微笑み、アウグストの方へと向き直りました。「殿下は忠誠を誓ってはくれないの?」「私ごときの身分で陛下に触れること自体が畏れ多いと存じます」 アウグストは頭を下げたまま、目を合わせようともしません。 その様子を見ていたカイゼルは思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、息子に対して言いました。「王族の一員が陛下の手を取ることの何が畏れ多いものか。お前も
Última atualização: 2026-06-12
Chapter: 第28話 表敬訪問
「何事だ、騒がしい」 カイゼル王は息子との重要な会話を中断させられ、少し不機嫌な様子で応じます。「父上、恐らく本当に緊急事態だと思われます」 すかさず口を挟んできた息子の真剣な表情を見て、カイゼルは何かを感じ取り、真剣な表情に戻ります。息子にはもう結果が見えているのだということを察したのです。「報告を聞こう。入れ」 国王の許しを得て、伝令役の見張り兵が逸る気持ちを抑え、ゆっくりと執務室の扉を開きます。 兵士は国王と王子の前に跪き、少し急いだ様子で話し始めました。「報告いたします。ただいま城門に、リンゼン帝国の前法務官ヴィルヘルム・フォン・ハッツフェルト閣下率いる十数名の集団が参られ、アウグスト王太子殿下への表敬訪問を申し出ております」「アウグストに?」 カイゼル王は怪訝な顔をしますが、当のアウグストは眉ひとつ動かしません。「私への表敬訪問ということは既に応接室へとお通ししてあるのですか?」 どこか確信に似たものを感じさせる王太子の質問に、兵士は委縮して平伏してしまいます。 兵士はその質問に対し、少しバツが悪そうに言い淀みました。 「は、それが……。身分を証明するものを持っておられないうえに、その、身なりが平民のそれでありまして」「ということはまだ城門の前で足止めされているのですね」 少しきつめの口調に兵士はすっかり恐縮し、返事も忘れて平伏します。「大至急人をやって、従者ともども全員を応接室にお通ししてください。いいですか、全員ですよ」 通常、身分の高い人物が訪問した場合、側近の数名だけを通して残りの者は控室で待機させるのが普通なので、アウグストが今回出した指示は異例なものでした。兵士は驚いて王子の顔を見ましたが、その毅然とした態度の前では反論することも|憚《はばか》られ、短く返事をするとそのまま執務室から出て行ってしまいました。 兵士の退室を見送ると、代わってカイゼルが息子に質問します。「全員を応接室に通すとは随分異例なことを申すではない
Última atualização: 2026-06-11
Chapter: 第27話 帝都脱出
 ――リンゼン帝国 帝都セント・レグナス 城門――「陛下、お急ぎください」 ヴィルヘルムが先導し、人の目を避けて城門をくぐる皇帝一行。 たたき上げの軍人である彼は見張り兵の交代時間がどのような手順で行われるかは熟知していることであり、その隙を突くなど容易いことです。 彼の手引きでイストリアとその従者十数名は、皇帝の帝都脱出という前代未聞の強硬策の第一段階をどうにか突破しました。「城門を抜けたからと言って気を抜いてはいけません。各地には治安維持部隊を展開していますし、街道を外れれば野盗山賊の類も|跋扈《ばっこ》しています。くれぐれも身分がバレることのないよう細心の注意をお願いします」 いつもの皇帝装束では一見しただけで素性が露呈してしまうので、急遽皇帝付きの下男に準備させた町人の服を着てはいますが、育ちの良さからくる気品はどうしても滲み出てしまいます。ヴィルヘルムは立ち居振る舞いから高貴な身分であることが露見するのではないかと心配しました。しかし、亡命という雰囲気にそぐわない、イストリアの明るい声がそれに答えます。「大丈夫ですよ、大旦那様! わたくしめごとき小間使いにまで左様なお気遣い、もったいのうございます!」 忠臣の心配を余所に、当のイストリア本人は決死の逃避行にも関わらず落ち着いており、普段の自分とは違う非日常感を楽しんでいるようでもあります。 常日頃から心を傾けてきた市民の生活。例え服装と口調だけとはいえ、その一端に触れることが出来るのは彼女にはとても新鮮な事であり、庶民に近い目線で世間を見ることが出来る貴重な機会なのでした。 市民の生活に心を砕いてきた彼女にとって、それはとても心躍る出来事であり、このような状況であるにも関わらず生来の旺盛な好奇心を隠すことが出来ない様子。しかし、それは決して悪い事ばかりではなく、このような事態へ陥った時に漂いがちな悲壮感を打ち消すことが出来ました。 結果として皇帝一行は旅の途中で身分を|訝《いぶか》しがられることなく、堂々と街道を進むことが出来たのです。「どうですか? 大旦那様。わたくしもやる時はやるでしょう?」 機嫌よくヴィルヘルム
Última atualização: 2026-06-10
Chapter: 第26話 崩壊の足音
 民衆の耳にはっきりと届いた、皇帝自らが発した『拒否権』という言葉。 それは人々の耳には届いても、心にまでは届いていませんでした。 市民たちと議員、全ての瞳が皇帝イストリアの姿を捉えます。 その中でローゼンベルクとヴィルヘルムだけが静かに目を閉じていました。 静寂が市民集会を支配したのも束の間、市民たちのある一角から大きな声が上がります。「我々はまだあの屈辱を忘れてはいない!」「ハワード王国は我々の敵だ!」「あの雪辱を果たすには、もう一度戦って勝つしかない! 傷つけられた帝国の威信を取り戻すのはそれしかないのだ!」「施された平和に安住して何が覇者だ! 帝国臣民の誇りを取り戻せ!」 それはハワード王国との一度目の戦闘で捕虜となり、二度目で盾となり、三度目で最後まで奮闘した二万の兵士の生き残りたちでした。総勢で一万足らずの人数でしかない、涙交じりの彼らの声は理屈を超えて人々の心に染み入ります。それはまるで紙に落としたインクのように、着実に市民集会全体の空気に浸透していきました。 そこで法務官マーカスが追撃をかけます。「皇帝陛下! あなたは民意を確認することなく独断専行で屈辱的な講和条約を結んでおきながら、この期に及んでなおかつ自身の未熟さを露呈した軍事に対し、絶対指揮権という権力に固執するおつもりか!」 ここでイストリアが発動した『拒否権』が完全に失策だったことが決定的になってしまいます。 実際にはハワード王国が軍備を増強したわけでもなく、敵対行動を取ったわけでもありません。しかし、人々の間に根付いた敗北という『屈辱』と敵から与えられた平和という『眠っていた不満』が、マーカスとウェインの演説によって『心配』から『疑惑』へと昇華し、イストリアがそれに反対したことによって明確に『皇帝への不信』へと変化してしまったのです。「市民諸君! 皇帝陛下は帝国臣民の怒りや悲しみ、そして誇りよりも施された一時的な安寧を選択した! このような軟弱さを持つ幼き皇帝にこれ以上帝国の命脈たる軍事権を預けていてよいものか! 今こそ先の英雄たるローゼンベルク議員を中心に思想を一致させ、外患を排除して真
Última atualização: 2026-06-09
Chapter: 第25話 市民集会
「市民諸君! 今日は帝国の未来を左右しかねない、重大な法案の決議である! 平和とは何か、帝国とはどうあるべきか。それらを真摯に考え、是非とも冷静な判断を下してもらいたい!」 法務官マーカスの呼びかけに応え、民衆から大きな声が上がります。 この瞬間、市民の負担を抑えるための軍備縮小案は、帝国としての在り方、威信や覇権に対するものへと変貌したのです。 これを見てローゼンベルクは目を細めます。「昨日、皇帝陛下は市民諸君の兵役負担を憂い、軍備縮小の法案を議会に提出してくれた。心優しい皇帝陛下の温情に感謝し、我々はここに敬意を表する!」 またしても民衆から声が上がりますが、集会所後方に建てられた議会所のテラスから見るイストリアには、その声が先ほどより少し小さく聞こえていました。「陛下! いつもありがとうございます!」「常に我々の事を考えてくださっていること、ちゃんと伝わっています!」 その声の中には皇帝を応援するものもあり、それに対してイストリアは笑顔で手を振って応えます。しかし、違う声も彼女の耳には届いていました。「簡単に軍隊を減らして、緊急の際にはどうするつもりだ!」「それで帝国の覇権を維持することが出来るのか!」「戦場で散った兵士たちの事は考えているのか!」 心無い言葉で笑顔を曇らせるイストリアに対し、ヴィルヘルムはそっと肩に手を置くだけ。 そこに言葉はありませんが、何があっても支え続けるという意思だけは彼女に伝わりました。 そして引き続き壇上に立っているマーカスは手を上げて民衆を静かにさせると、演説を続けました。「皇帝陛下の英断に臣民を愛する心がある。その慈悲深さには心から賞賛を贈るが、国家というものは慈悲だけで運営していけるものではないということだけは補足しておく」 そしてマーカスは議事進行役として、まずは執政官、続いて役職順、そして元老院議員へと順番にこの法案への賛否を問うていきました。それぞれ簡単な意見を述べた後に賛成か否かを答えていきますが、今のところ意見は半々といったところで、民衆もそれを黙って見守っています。 
Última atualização: 2026-06-08
雪の精霊~命のきらめき~

雪の精霊~命のきらめき~

容姿端麗、文武両道と完璧を絵に描いたような美少女。ゆき。 だけど中身はれっきとした男の娘! 完璧すぎる才能(ギフト)を与えられたゆきは「人々を幸せにする」使命を忠実に果たすことだけを考え、接する人に優しさと愛を伝える。 プロローグの重い展開から一転し、天真爛漫に育ったゆきがクラスメートや家族と過ごすほのぼの日常。 そして使命達成のひとつの手段として選んだ配信者活動。 家族愛弾けるゆきがあらゆる人に愛し愛され心温まる日常を過ごし、転生なしで無双しちゃいます。
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Chapter: 第193話 水の精霊~命のきらめき~
 リスナーさんの前で復帰祝いの唄を披露し、失敗してしまったあの日から一年以上の月日が過ぎて、わたしは二十二歳になった。 そして今、わたしはある一室にいる。 「わたしはもっとみんなの近くで唄いたい!」 そう宣言してから半年以上、わたしはリハビリとボイトレに励み、そして自分の声を完全に取り戻した。いや超えた。 かつての音域からさらに半オクターブ、広げることができたのだ。 そしてわたしはボイトレに励みながら、ある計画を実現させるためにかつての自分の考えを覆す決断をしていた。「それではその時は全面的にプロデュースをお願いするということで。利益の取り分は書面通りで構いません。よろしくお願いします」 かつて大阪で琴音ちゃんを通じて知り合った女性プロデューサー、五代さんに向かって頭を下げる。「こちらとしてはどんな条件であれ、ゆきさんに来てもらえるなら大歓迎です。でも一体どういった理由で心変わりを?」 芸能界という世界を毛嫌いし、関連するようなところとは極力距離をおいてきたわたしが突然こんなことを言いだしたのだから、疑問に思うのも当然だろう。「確固たる目的のためです。わたしが以前、脳の障害で一年以上昏睡状態にあったのはご存知ですよね?」 黙って頷く五代さん。 ネットどころかオールドメディアでもニュースになったような出来事だから知っているのは当然だろう。いや、その仕事からしてたとえニュースにはなっていなくとも、彼女ならそのネットワークで情報を得ていただろうと思う。「元々わたしは幼いころから脳の障害を抱え、余命も宣告されていたことから生きることに対して諦めの気持ちがありました。だけどそれを変えてくれた人たちがいた」「お姉さん達ですね」 意外な人から突然核心をつかれてしまったことに驚き、わたしは目を見開いた。どうしてこの人がそのことを? わたしの疑問が顔に出ていたのか、五代さんはふっと笑うと以前は見せることのなかった柔和な表情を浮かべた。「ゆきさん、わたしは何も企業利益だけを考えてあなたに声をかけたわけじゃありませんよ。わたし
Última atualização: 2026-04-11
Chapter: 第192話 歌姫の帰還、そして決意
「みんなただいま!」 ようやく帰宅許可が下り、無事退院となったその日。 我が家では家族全員が休みを取って快気祝いのパーティーを準備してくれていた。「「「「おかえり!」」」」 声を聞くだけで分かる、心から待ちわびていた祝いの言葉。 お母さんから始まって、家族全員とハグをした。この辺はアメリカ生活をしていた名残なのかな。 お父さんは少し恥ずかしそうにしてたけど。息子相手なのになぁ。「それで、もう日常生活に支障はないのか?」 より姉が気づかわしげな視線で尋ねてきたので、わたしは元気をアピールするために腕をぐるぐる回してみせた。「この通り、すっかり元気だよ! まだ激しい運動は止められているけど、軽い筋トレくらいなら大丈夫。日常生活の筋力を取り戻すためにも家事は積極的にやってくださいだって。だから明日からはまたわたしがご飯を作るからね!」「……!」 みんな声にならないほどの衝撃を受けている。え、わたしがご飯を作るのってマズイ?「ま、またゆきのご飯が食べられる……」 両手で口を押さえたお母さんが感涙にむせぶ。えぇ、そんなに!? かの姉とあか姉は無言で両手を天高く突き上げている。一片の悔いなし? そしてより姉とひよりに両サイドから抱き着かれてしまった。「一年半ぶりのゆきちゃんの手料理! もう今からお腹が空いてきたよ!」 明日まで待ってたら餓死しそうだね。「いかん、よだれがとまらん」 本当によだれを垂らしてしまうより姉。乙女のする顔じゃないぞ。 でもこんなに待ち焦がれてくれていたとなれば腕が鳴るというもの。明日は目いっぱいご馳走を作ろう。「でも思ったよりも早く退院できましたね」 ようやく気分の落ち着いたかの姉がオードブルの並んだ食卓につきながら、感心したように言って来た。「そうだね。若さもあるけど、それ以上に頑張ったしね」 最初は半年の予定でリハビリプログラムを組
Última atualização: 2026-04-10
Chapter: 第191話 亀の歩み、されど堅実な一歩
 立てるようになってからのリハビリは、想像していた以上に大変だった。 平行棒、杖、歩行器を用いて転倒防止に注意しながら、重心移動や筋力向上、正しい歩行様式を取り戻していくのは一朝一夕にできるようなものではなく、なかなか思うように動いてくれない体に苛立ちを覚えつつも地道に筋力を蓄えていく作業。 下手に頑張りすぎると逆効果になると分かってはいるけど、一日も早い復帰を願う気持ちはなかなか抑えられるものでなく、遅々として進まないリハビリプログラムにヤキモキしていた。「さすが若いだけあって回復が早いですね」 歩行訓練後のマッサージをしてくれながら、理学療法士の飯島さんがそう言ってくれる。「自分では回復が遅く感じてしまい、どうしても焦ってしまうんですけどね」 どうしても頭をもたげてしまう焦りの心。 愚痴をこぼしたところでどうにもならないとは分かっているけど、ずっと優しく指導をしてくれる飯島さんにはつい甘えてしまう。「早くおうちに帰りたいですもんね。でもね、わたしもあなたのファンだから言うけれど、待っている側からすれば焦って戻ってきて取り返しのつかない後遺症が残るくらいなら、何年でも待つから万全な状態で戻ってきてほしいと願うものですよ」 優しい手つきでふくらはぎを揉み解しながら、それ以上に優しい笑顔を見せてくれる飯島さん。 リハビリが始まった当初からわたしのファンを公言していて、担当が決まった時には飛び上がって喜んだそうだ。 そんな熱心なファンをしてくれている彼女の言葉だから信じたいけれど、どうしても不安な気持ちは拭えない。「飯島さんはそうかもしれませんけど……」 八つ当たりにも似た発言だけど、飯島さんは気分を害した気配すらなく、穏やかに話を続けた。「不安になるのも分かりますけどね。ファンを信じるのもアーティストとしての務めじゃありませんか?」 ただの弱気の吐露にも関わらず、温かい表情で返ってきたその言葉に、わたしの中の何かが動いた。 今まで明確に意識したことはなかったけれど、わたしもアーティストの端くれな
Última atualização: 2026-04-09
Chapter: 第190話 表の顔と本音の心
 リハビリをやり始めてから比較的すぐに自力で立ち上がれるようになった。 だけど、そこからが過酷な日々の始まり。 最初は一歩二歩と歩くだけで滝のような汗をかき、心拍数も爆上がりしてしまったのでその時点でリハビリ中止。 その後も数日間はトライしては中止の繰り返しで一向に進まない。 そこで体力の回復が先決だと判断した先生の指示により、立って歩くよりも先に長時間座ることから始めることにした。 ただ座るだけと思って侮っていたけれど、すっかり体力の衰えてしまった体にはこれが存外キツイ。 スマホを触って気を紛らわせているとはいえ、最初は二時間程度で音を上げてしまった。 だけどそれも繰り返すうちにだんだん苦ではなくなっていき、半日座っていられるようになった頃にはかなり体力も回復していたようだ。 その後に始まった歩行訓練でも最初のように滝の汗をかくことはなくなり、ようやく日常生活に向けての第一歩が始まった。「今日はね、リハビリ室の端から端まで歩けたんだよ」 嬉しそうに報告するわたし。「ふーん」 なんだか気のなさそうな返事をするより姉。「あれ? なんか怒ってる? わたしのリハビリが進んでるのが嬉しくない?」「いや、そんなわけないんだけどな。ゆきがどんどん元気になっていってるのはそりゃ嬉しいさ。でもな」 なんだろう。リハビリとは関係なさそうだし、他に何か怒らせるようなことしたっけ?「ゆき、何か報告しておかないといけないことを忘れてないか?」 報告? ずっと病院にいるわたしがリハビリのこと以外で何を報告することがあると言うんだろう?「何のこと?」 本当にわからない。わたしがより姉を怒らせるようなことなんて皆目見当もつかないよ。「茜とのことだ」「ひうっ!」 突然あの日のことを突きつけられて、ビックリすると同時に思い出してしまったので変な声が出た。「なんだその奇声は。茜が自慢気に話してたのは本当だったのか……。てっきりあいつの作り話だと思ってたのに」 カマかけられた! でも本当のことだから嘘をつくのもなぁ。「それで、だ。ゆき」 改めてわたしの方へと向き直るより姉。対して被告人よろしく姿勢を正すわたし。「正妻の立場としてはだな。茜がしてもらった以上は同じことをしてもらう権利があると思うんだが」 いや、あれはわたしの方からやったわけじゃな
Última atualização: 2026-04-08
Chapter: 第189話 蹂躙
「みなさん、こんにちは。どうもご無沙汰してました。雪の精霊、YUKIが今日もみんなに幸せを届けるよ! とまぁかつてのテンプレ挨拶をぶちかましたわけですが。みなさん、本当に長い間お待たせしました! ゆきはこの通り見事復活を果たして今ではピンピンしていますよ。 眠りこけていたおかげですっかり体がなまってしまったので、しばらくリハビリが必要なんですけど、またみんなに歌声を届けられる日が来るのも近いです」 ひよりに撮影許可とノートパソコンを頼んだ次の日、今日の当番だったあか姉が許可を取れた情報と共に届けてくれた。 そのパソコンを使ってさっそく配信予約を取り、夕食後の十九時に配信を開始した。 配信の告知をしたのは昨日なのに、みんな余程待ちかねてくれていたのか同接は60万人オーバー。 倒れる前の50万人を大きく上回る結果となった。「たくさんの人が見に来てくれて、それだけわたしの歌声がみんなに求められているんだと思うと感無量です。変わらぬ応援にとても感謝しています」 あまりのありがたさに思わず涙ぐんでしまう。だって一年以上ものブランクがあって、それでもこれだけの人が集まってくれるのが嬉しくて、ありがたくて。【歌ももちろんだけど、ゆきちゃんの顔が見たかった】【元気そうで安心した】【ゆきちゃんの姿を見たら涙が出てきた】【ほんと、おかえりなさい!】 歌だけじゃなく、わたし自身をも待ってくれていたというコメントに、とうとう涙が溢れてしまった。 あーあ、本当にわたし涙もろくなったよなぁ。男のくせにみっともないとは思うけど、止められないものはしょうがない。「みんな本当にありがとうね。一日も早くみんなの前で唄って踊れるよう、毎日リハビリ頑張ってるんだ! だからほら、一週間でもう立てるようになったんだよ」 そう言ってノートパソコンをテーブルの上に置き、立ち上がろうとするわたし。 まだ安定性には欠けるけど、どうにか自分の足で立ち上がることが出来た。隣であか姉がハラハラしたような顔で見てるけど。【あんまり無理はしないで】【ワイらはいつまでも待ってるから】【生まれたての小鹿みたいになってるやん】【怪我する前に座って!】 うちの姉妹だけでなく、リスナーさん達もわたしには過保護だな。「これくらい大丈夫だって。なんならターンしてみようか?」 調子に乗ってターンをしよう
Última atualização: 2026-04-07
Chapter: 第188話 雪が溶けた後に残るもの
 日々続くリハビリは、思った以上に大変だった。  まずは寝返りや座ることから。最初の内はそれすらも大変で、どうにか寝返りを打てると言った状態だった。 それから座ることも難なく出来るようになったかと思ったら、息つく暇もなく自力で車いすに乗ることを特訓。 これが想像以上に困難なことで、立ち上がろうとしても膝が笑って上手くできない。看護師さんの介添えがあってようやくといったところ。「えへへ。密着出来て幸せぇ」 一部、邪な考えで介助してくれている人もいるけれど。  一度より姉に見つかって、ナースステーションで担当替えを真剣にお願いされていた。できればわたしも替えて欲しい。 でも決して手は出させませんという言質を得て、どうにか引き下がっていたようだ。そこで納得しちゃうのね。  わたしの不安な気持ちと、あの舐めるように見てくる気持ち悪い視線からは解放してくれないのだろうか。 病院も人手不足なのはわかるけど、あんなのを特別病棟に配置して評判に関わったりはしないんだろうかと心配になる。「今まではもうちょっとマシだったんですけどね」 他の看護師がそう言ってフォローしてたけど、正直何の慰めにもなってませんよ? むしろエスカレートしてるってことで余計不安になったわ。 だけど車いすに乗って久しぶりに外へ出たのは気持ちがよかった。すっかり忘れかけていた風の匂い。 そこには微かに草木の匂いが混じり、まもなく訪れる生命が謳歌する夏の気配を感じさせる。でも今日は少し湿っぽい匂いも混じっているから、雨でも降るのかな。 以前と違って色が見えるようになったわたしは、外の景色をいくら眺めていても飽きることがない。 目を凝らせば色というのはあちこちに散らばっていて、普通に暮らしていれば気づかないようなところにも鮮やかな色が潜んでいる。 例えばビルのひび割れから生えた生命力に溢れた雑草の緑。暗いアスファルトの隙間から顔を覗かせるたんぽぽの鮮やかな黄色。 普通の人なら気づくことなく通り過ぎてしまうその景色も、今まで違う世界を見ていたわたしには物珍しい。 部屋にいてもスマホやテレビを見ている時間より、窓の外を眺めている時間の方が長いくらいだ。「なぁに、また外を見てるの?」 今日はひよりの番なのか。「うん、今日も外の景色がキレイだからね」「やっと見えるようになっ
Última atualização: 2026-04-06
水の精霊 ~もっと光り輝いて~

水の精霊 ~もっと光り輝いて~

『雪の精霊 ~命のきらめき~』の続編 前作を読んでいないと、分からない点が多いかもしれません。 雪の精霊、ゆきの氷は溶けて、水の精霊へ。 ハッピーエンドのその後も、人生は続いていく。 命を燃やし続けるゆきの輝きはさらにいや増し、その光はどこまでも広がって、やがて世界を照らしていく。 その歌に救われるもの、ダンスを見て元気をもらうもの。憧れて同じ世界を目指すもの。 世界中に影響を与え続けるその姿はまさに精霊。 その終着点に待つものは。
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Chapter: 第38曲 精霊の正体
 あれからさらに一年が過ぎた。 残業続きでもうそろそろ解放してほしいんだけど、現世というブラック企業は簡単には逃がしてくれないものらしい。 最近は昔のことを思い出しながらボーっとすることが増えてきたと思う。 時間が突然飛んでしまうような感覚。 そういえばこの感覚って以前にも体験したことがあるような。 今日も一日が終わり、やや疲れた体をベッドに横たえて物思いにふける。「あぁ、そっか。若い頃、一度眠りについた時と同じ感覚だ」 忘れることが出来ないという全記憶障害で脳の容量が限界を迎えた時、わたしは一度倒れた。 記憶の整理に挑んでいたことと、たぶんもう一度精霊さんが手を貸してくれたことによってもう一度目を覚ますことが出来たけど、次はそういうことじゃないだろう。 今度はわたしの脳ではなく、寿命そのものが限界に来ていると思うから。 今の世の中、もっと長生きする人はたくさんいるけど、わたしは生きることに執着しているわけではない。自分が為すべきことを済ませた今、もういつ旅立ったとしても悔いはない。 ひよりとの間に男のが産まれ、他の三人との間にはそれぞれ女の子を授かった。みんなそれぞれが家庭を持ち、今では孫たちすらも成人するほどに大きくなった。 命をつなぐという生命としての役割は果たした。 歌手としても、懐メロと呼ばれるようにはなってしまったけど、今の若い子にも受け入れてもらえるような曲をたくさん残すことが出来たし、世代を超えた名曲ということでいまだにテレビなどでも流れることがある。「いろんな人に元気を届けること、できたかな」 芸能界に復帰したことによってたくさんのファンレターが贈られるようになり、その中には『元気をもらった』『小さな幸せの大切さを思い出した』などといった嬉しい言葉をもらった。歌手としてこれ以上ないほどの賛辞だと思う。「この老人ホームも、もう大丈夫だよね」 一年も経てばわたしが教えた料理のレシピもすっかり定着したし、いろいろ考えたレクリエーションも今では何も言わなくてもそれぞれが楽しんでくれている。わたしがいなくなっても暗い雰囲
Última atualização: 2026-05-24
Chapter: 第37曲 最後まで使命を全うするだけ
「結局子供四人に恵まれて、幸せな家庭に恵まれたよなぁ」 年月が過ぎ、為すべきことを為したと胸を張って言えるようになった。 治安の関係でアフリカにだけは行くことが出来なかったけど、中東や東南アジア、南米でもコンサートを開くことが出来たし、チャンネル登録も世界中の人からしてもらえることが出来た。「でも残念ながらギネス記録を塗り替えることはできなかったんだよねぇ」 三億人を大きく超えることはできたものの、当時の世界記録四億三千万という数字には及ばなかった。 それでもわたしが理想として追い求めた、世界中の人々に歌声を届けるということは達成できたし、たくさんの人を元気にする楽曲を作り続けることはできたと思う。 今はもう以前のように体が動かなくなって、声もほとんど出なくなってしまったけど、鮮明に残る記憶をたどれば十分幸せな人生を歩んできた。 決して平坦な道ではなかったけれど、たくさんの人々の助力を得られて突き進んでくることが出来た人生。「愛する人と共に暮らして、家庭だけでなく仕事の面でも支えてもらって、わたしは本当に恵まれた人間だったと思うよ」 ベッドの上で声に出す。 だけど答えてくれる人はもう誰もいない。「わたし一人だけが残っちゃったな」 わたしが愛し、愛された四人は一足先に天国へと旅立った。 あれから半世紀以上の時が経ち、わたしの周囲からいろんな人が去っていった。それを見送り続けるのも、わたしに課された『使命』なんだろう。 生き物はすべからく、産まれた瞬間から死に向かって歩きだすもの。 わたしが関わった全ての人に最後まで、幸せを届けて見守り続けることは『水の精霊』として当然のことだろう。「それにしても……残業長くない?」 子供たちを自分の家庭を持って壮年になり、最後まで寄り添い続けてくれたひよりも五年前に旅立った。 わたしの役割はとっくに終わったはずなのに、わたしはいつまでこの世に取り残されているのだろう。「みんなに……会いたいなぁ」
Última atualização: 2026-05-23
Chapter: 第36曲 家族は計画的に
「やっぱりアメリカのノリは日本とは違うね。会場全体の温度がいつもより高かったような気がするよ」 前回渡米したときのセンセーショナルなデモンストレーションはしっかりとアメリカ国民の記憶に残っていたようで、初コンサートだというのにチケットは早々に完売していたそうだ。プレミアチケットとして高値で転売もされていたというのだから、注目度は相当高かったのだろう。 告知ポスターにもわたしが銃弾を弾いた時の、発射前に構えを取っている姿が印刷されており、エンタメ好きのアメリカンにとっては興味をそそられるものだったのだろう。「事前のインパクトと今日という本番での実力が完全にマッチしたが故の熱狂でしょうね。ゆきさんなら当然です」 なぜか一番鼻を高くしているのは五代さん。 この日のために忙しく働いて力を注いでくれただけに、大成功に終わったのが誰よりも嬉しいんだと思う。今にも小躍りしそうなほどに機嫌がいい。 それだけわたしのことを真剣にサポートしてくれているということでもあり、ありがたいことなんだけどね。「これで愛人一号としての面目躍如です!」 まだ言ってんのか、そのネタ。 もうわたしも一児の父だというのに、いつまでその話題を引っ張るんだろう。行き遅れるよ?「わたしの目標はゆきさんをこのまま世界的大スターにして、その優秀な遺伝子を体外受精させてもらうことですから!」 とんでもねーこと考えてやがった。「わたしの遺伝子は量産型じゃないです!」 まったく、我が子の事を思うならちゃんとした父親は必要でしょうに。「いいんじゃねーか? 遺伝子くらい」「浮気にはなりませんね」「社会貢献」「悠樹さんの子なら可愛い子が産まれるのは間違いないもんね。うちの子もめっちゃ可愛いし」 うちの嫁たちはなんでこんなに寛容なんだ? わたしの子種がばらまかれることに抵抗感はないのだろうか。 ひよりはしれっと親バカ発揮してるし。「正妻から許可もいただきましたし、子種提供お待ちしていますね」 おいおい、本気か。
Última atualização: 2026-05-22
Chapter: 第35曲 初心に帰り、果敢に挑む
「おめーらがうかうかしてる間にゆきの愛人は六号まで埋まっちまったぞ」 より姉にチクられた。「どういうことか」「説明してもらえる?」 聞くや否や詰め寄ってくる文香と穂香。 久しぶりに見たよ阿吽の呼吸。さすがはわたしの金剛力士様。 ちょちょ。表情が怖いよ。本当に仁王様になってるから。「なんかね、わたしが何も関与しないままにみんなが勝手に愛人を名乗っていって、気が付いたらそんな数字になってたの」 何を言ってるのかよく分からないけど、本当にそうなんだから他に言いようがない。「それですでに六人も」「さすがというかなんというか」 感心されても困ります。「それじゃ、七号は元副会長に譲るか」「穂香は八号でいいの?」「ラッキーセブンと末広がりで縁起がいいね。あははは」 もうこうなったら笑うしかない。 土砂災害で濁流にのみ込まれてしまったような気分だけど。「全員を孕ませたらサッカーチームが作れるな」 チクった本人が何を呑気なこと言ってるんだ。一人補欠じゃねーか。「え、愛人って子供を産む権利もついてくるの?」「その権利は是非行使したいね」 そんなわけねーだろ。 嫁だけでも四人いるのにその上愛人まで孕ませるとかどんなクズやろーだよ。「二人ずつ作れば対戦もできますね」 かの姉は何言ってんの?「主審と副審もつく」 あか姉まで。確かに人数的にはちょうど合うけどさ。「絶倫だとは思っていたけど、そこまでとはね」 いや、干からびるわ。 ひよりはなぜ昔からわたしを絶倫と決めつけているんだろう。「バカな事ばかり言ってると今度のコラボに二人も参加させるよ」 かつてわたしと三人でダンスを披露したこともある二人。 息も合ってて上出来だったんだし、もう一度あの感覚を味わうのも悪くない。いつも一人だからね。「もうあんな風に体が動か
Última atualização: 2026-05-21
Chapter: 第34曲 旧友たちもジョブチェンジ
 一年後にアメリカ横断ツアーをすることが正式に決定した。 その後にヨーロッパ遠征も決まり、今いくつかの国での交渉がすでに進んでいる。上手くいけばアメリカに続いてすぐにヨーロッパツアーを組むこと下出来そうだ。 人生という限られた時間の中で、できることなら早いうちにいろんなことを経験しておきたい。 それは生き急いでいるわけじゃなく、世界が広すぎるから。 アジアの各地も回りたいし、中東や南米なんかも行ってみたい。アフリカは治安の問題もあって未知数だけど。 まだ若くてわたしの商品価値が高いうちに世界を回ろうと思ったらスケジュールは詰めていかないと到底間に合わない。 まだまだ日本でもコンサートはやりたいし、アメリカやヨーロッパも一度だけで終わらせるのはもったいない。どちらも広いから一度で全土を回るなんて不可能だし。「今のところ日本の人気が高いフランス、イタリア、ドイツはほぼ決定ですね。でもどうせならあと何か国は回っておきたいでしょう」 五代さんがスマホでヨーロッパの地図を出しながら、開催国の目星をつけていく。「うーん、イギリスは外せないでしょ。あとギリシャにも行きたいし、スイスなんかもいいよね」「ヨーロッパと一言で言ってもかなりの国があるんだから、ある程度は絞らないと」 放っておいたらEU加盟国全部を回ってしまいそうな勢いに、ひよりが待ったをかける。 わたしは都合さえつくなら全部回ってもいいんだけどね。「さすがにEU全土を制覇しようと思ったら一年くらいかかりますよ。お子さんもいることですし、一か月程度で帰ってこようと思ったらあと三か国くらいが限度だと思いますよ」 一年もかかるなら子供は連れていくけどね。いっそ二年くらいあっちに住んでしまった方が速いかも。「今子供を連れて行くのもアリみたいなこと考えてるんでしょ。ダメだよ。日本にもファンはいっぱいいるんだから。一年も日本を留守にしたら日本のファンからクレームが来るよ」 それもそうか。海外進出ということで少し舞い上がっていたようだ。 ちょっと落ち着けわたし。「それじゃ、
Última atualização: 2026-05-20
Chapter: 第33曲 世界を駆ける精霊
 ひよりとの子供が産まれ、半年ほどは仕事量をセーブした。 四人もママがいるのだから必要ないとは言われたものの、わたしも育児に参加したかったから。 今までの五人にもう一人増えてずいぶん賑やかになったけど、以前と変わらず温かい家庭は続いている。 お父さんとお母さんはもうすでに孫馬鹿ぶりを発揮していて、休みの日に孫と一緒に散歩するのが趣味になってしまったようだ。あれだけ忙しく休日出勤もしていたのに、最近ではしっかり休日を取るようになったほどだ。その分普段の帰りは前より遅くなったけど。 今日も二人して休みを取って、ずっと孫にべったりだ。「ゆきさん、お仕事をセーブしてるところ悪いんですが、ちょっと大きなオファーが入ってしまったのでなんとか受けてもらえませんか」 ひよりが退院してから連日のようにうちを訪れていた五代さんがとても申し訳なさそうな顔をしながらお仕事の話をしてきた。 ほとんど毎日来てたのに、しっかり仕事はしてたんだな。いつの間に。 出来る女は努力してる姿を見せないものなのか。白鳥のように。いつかその足元を覗いてやりたいけれど。「そろそろ育児も落ち着いてきたし、お仕事を頑張ろうと思っていたタイミングだったので大丈夫ですよ。それで、どんなお仕事ですか?」 もう既に保育園の申し込みも済ませ、後は抽選結果を待つだけだ。 わたし達の住む市はそこまで待機児童が多いわけでもないので、さほど待つことなく入園させることが出来ると思う。 そしてもうひとつ、お母さんが仕事で第一線を退き、意見役というか相談役のようなポジションに代わり、パートタイマーのような時間制で働くことを決意したそうだ。 わたし達も全員手を離れ、今までのようにあくせくお金を稼ぐ必要もなくなったことと、一番は孫と一緒にいる時間を増やしたという理由かららしい。まったく。 うちの子はパパっ子ママっ子になってほしいんだからおばあちゃん子にはさせないでよね。 そんなわけで本格的に仕事の方をスタートさせようとしていたタイミングだったので、オファー自体はありがたかったんだけど、さすがにその依頼元には驚いた。 なんとア
Última atualização: 2026-05-19
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