Chapter: 万物研究会② 入学式が終わり、配属された一年三組の教室。 五十音順に割り振られた座席に座り、HRの時間が始まった。 俺の苗字は岩倉なので、不幸な事に廊下側最前列の席となってしまった。 どうやらこのクラスに(あ)から始まる生徒はいないらしい。 そして、どうしても意識してしまう背後からの存在感。 このクラスの名簿は、最初に(い)から始まり、次は(か)が続くようだった。 担任の先生から今後のスケジュールについて記載されたプリントが手渡され、俺はそこから自分用のプリントを一枚だけ引き抜く。 それから背後を向き、手元に残ったプリントを後ろにいる生徒……神崎怜菜へと渡した。 プリントを受け取った神崎と目が合う。 お前はいつまでその異質な虹彩を俺に向けているのかと、つい言いたくなってしまったが、そこは堪えてすぐに俺は前に向き直った。 中学の間、神崎とは一度も同じクラスになったことがなかった。 俺としては同じクラスに神崎がいると気が休まらない気持ちになるので、別のクラスで良かったとさえ思っていたのだ。 それが高校入学を果たし、遂に同じクラスに配属されてしまった。 変なちょっかいを掛けられなければ良いなと願うばかりだった。 そんな俺の心配を他所に、入学式後のHRは滞りなく進んでいった。 自己紹介をしたり、先生の話を聞いたり、配られた提出物や配布物などに目を通している内に、特に大きな問題が起きることもなく本日の学校での活動は終了となった。 俺にとっての問題が起きたとすれば、後はもう家に帰るだけだと当てがわれた机の前で帰宅の準備を進めている最中でのことだった。「岩倉君」 後ろから、名前を呼ばれた。 それが神崎の声であることは、すぐに分かった。 振り返ると既に帰り支度を済ませたらしい、学生鞄を肩に掛けた状態でこちらを見つめる神崎の姿があった。「何か用か?」「このあと、何か予定ある?」 神崎とこうやって、まともに会話すること自体が珍しい出来事だった。 俺は少々面喰いながらも答える。「特に用はないけど」「用がないなら、付いてきてほしいところがある」「付いてきてほしいところ? どこだよ」「向かう途中に説明する」 すぐに目的地を教えて欲しい所だったが、神崎はHRが終わり騒々しさを増した教室内でそれを話すつもりは無いよう
Last Updated: 2026-06-11
Chapter: 万物研究会① 入学式の日。 体育館の壇上に立つ神崎怜菜を見ながら、俺は彼女と初めて出会った日のことを思い出していた。 彼女の瞳。 俺を見ているようで、俺ではない何かを見ていた、あの気味の悪い虹彩。 俺が神崎怜菜との過去を回想している間、件の人物は壇上で優等生であることを証明するかのような落ち着いた佇まいで、新入生代表挨拶の文章を読み上げていた。 今日は俺が入学する事になった、家から徒歩十分もかからない場所にある県立高校の入学式だった。 新入生たちが詰めかけた体育館は、春の陽光が差し込むにも関わらず少しだけ薄暗い。 高い天井からぶら下がる白い照明が、その場を照らしている。 体育館特有の床の匂いと、微かに混じるワックスの香りが鼻をくすぐる。 そんな場所に集められた百人以上の生徒や先生がいる中で、緊張したような素振りも見せずに新入生代表の務めをこなす神崎の姿は、立派だと言わざるを得ないだろう。 こうやってただ見ている分には、神崎は普通の女子生徒に見える。 いや、普通という表現は間違いかもしれない。 寡黙で冷静沈着。 黙ってその場に立っているだけでも、その存在を際立たせてしまうような美貌の持ち主なのだから。 壇上から聞こえる落ち着いた声音は、まるで遠くから聞こえる鈴の音のように耳心地が良い。 そんな事を考えていた矢先の出来事だった。 もうすぐ終わりを迎えるだろうと思われていた、新入生代表挨拶。 その途中で急に神崎がその目を見開き、言葉を止めたのだ。 不思議に思った俺と、壇上にいる神崎の視線が交差する。 これだけの人数がいる体育館の中が、静寂で満たされた。 まるで時が止まったかのような空間の中で、俺は壇上からの視線を受け止めながらも頭の中は疑問で一杯だった。 それは、こんな大事な時に新入生代表挨拶の言葉を中断してまで、なぜ神崎がこちらを見ているのかという当然の疑問だった。 ふいに、壇上にいる神崎が小さく笑ったような気がした。 その一瞬、神崎の唇がかすかに動いた。 ――見てる。 そう言ったように見えた。「……失礼しました」 一言の後、神崎は終盤に迫っていた新入生代表挨拶を、まるで何事もなかったかのように続けた。 体育館に集まっている生徒達の間に困惑の波が流れていたのを肌で感じていたが、神崎の言葉が再開されると
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Chapter: プロローグ 神崎怜菜《かんざきれいな》の瞳は、美しかった。 だからこそ、気味が悪かった。 眼球の外部構造の一つに、虹彩と呼ばれるものがある。 角膜の奥にあり、瞳孔を囲む、色を宿した輪状の筋肉。 人はそこに感情を読み取る。 怒り、喜び、悲しみ、驚き。あるいは恋慕。 目は口ほどに物を言う、なんて言葉があるくらいだ。 人間は他人の目から、相手の心を想像する。 けれど、神崎怜菜の目は違った。 あれは、誰かを見る目ではない。 誰かに見られていることを、知っている目だった。 彼女のことは前から知っていた。 同じ中学に通っていたのだから当然だ。 別のクラスだった俺でさえ、神崎怜菜という名前くらいは知っていた。 学校の中で、彼女を知らない人間はいなかったと思う。 それほどまでに、神崎怜菜は人目を惹く存在だった。 首元で切り揃えられた黒髪。 整った顔立ち。 透き通るような白い肌。 そして、光を閉じ込めたような虹彩。 遠目に見ているだけなら、ただ綺麗な女子生徒だった。 同じ学校にこんな人間がいるのかと、少し現実感が薄れるくらいの美しさ。 けれどそれは、あくまで遠くから眺めていた時の話だ。 中学一年の秋。 夕暮れ時、駅前にある本屋の前で、俺は初めて神崎怜菜と目を合わせた。 偶然、通りすがっただけだった。 何かに呼び止められたわけでもない。 それなのに突然、背筋に冷たいものが走った。 視線。 誰かが見ている。 そう感じて振り返った先に、彼女がいた。 神崎怜菜は、本屋の軒先に立ったまま、こちらを見ていた。 夕日に照らされたその姿は、現実よりも少しだけ輪郭が薄く見えた。 まるで夢の中の人物が、こちら側へ迷い込んできたようだった。 だが、俺を射竦めたのは彼女の美しさではない。 その瞳だった。 神崎の色鮮やかな虹彩は、確かに俺を向いていた。 けれど、彼女は俺だけを見ていなかった。 俺の向こう側。 背後。 あるいは、もっと遠い場所。 この世界の外側にいる何かを、同時に見ているような目だった。「君……」 透き通った声だった。 声量は大きくない。 それなのに、雑踏の中でその声だけが妙にはっきりと耳に届いた。「えっと……神崎さんだよね。一年三組の。何か用?」 何か言わなければならないと思って、口から出たのはそんな言葉だっ
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