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プルチックの瞳①

last update publish date: 2026-07-02 17:00:21

 全くもって非日常的な存在である観測者の存在に一歩近づけたとはいえ、日常に何かしら劇的な変化が起きるわけでもなく、日々は淡々と過ぎていった。

 気がつけば、あっという間に四月も終わり、五月になっていた。

 体力テストや開校記念日といった学校行事を終え、中間考査を翌週に控えた日の昼休み。

 俺は購買でパンを買い、教室に戻って昼食を摂ろうと、校舎内を歩いていた。

 一年の教室がある三階への階段を登ろうとしていた矢先、ばったりと朝山先輩と遭遇する。

「あれー、岩倉君だー。やほー。これからお昼かな?」

 声を掛けて来た朝山先輩の手には、同じ購買で買ったと思われるパン数個と飲み物があった。

 俺は先輩に一度頭を下げた後、言葉を返す。

「はい、これから教室に戻って、お昼にしようかと」

「そっかそっかー。もし他に約束がなければ、一緒に食べない? ちょーっと、話したい事もあるし」

 先輩の誘いを、無下に断ることもできない。

 それに、朝山先輩が話したい事というのが何なのかも気になった。

 俺は朝山先輩の誘いに頷いて答えると、その後に付いていく事にした。

 辿り着いた先は、体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下、その横に位置する屋外ベンチだった。

 朝山先輩はベンチに腰かけ、その隣に腰かけるよう、ポンポンとベンチを叩いて俺に促してくる。

 誘われるがまま、俺は朝山先輩の隣に腰かけた。

「えっとね、実はお昼一緒に食べようって言うのは口実なんだ。私ね、ずっと前から岩倉君のこと……」

「え?」

「なーんて、冗談! ここを進んだ先の校舎裏ってねー、人が来ないからたまに告白する場所とかになってたりするんだよねー」

 悪戯な笑みでニコニコしたまま、朝山先輩は手に持ったメロンパンの袋を開け始める。

 最初こそかなりドギマギとさせられたが、朝山先輩とのこういったやり取りにも、少しずつ耐性がついてきたように思う。

 俺は「そうなんですね」と返事をしながら、購入したコロッケパンの袋を開けて、それに噛り付いた。

 ふと、気づいた。朝山先輩が脇に起いたパンの種類は全て菓子パンだった。

 そして、持っている飲み物は紙パックのイチゴ牛乳。

 俺はその組み合わせを見ているだけで、胸焼けしてくるように感じた。

「ん? どうしたの?」

「あー、その……朝山先輩は甘いものが好きですよね」

「うん、大好きだよー」

 満面の笑みを見せながら、朝山先輩がメロンパンを口にする。

 あんまり人の食べている姿をジロジロと見るのは悪いと思いつつも、嬉しそうにパンを食べる朝山先輩の姿が小動物のようで可愛らしく、少しの間だけ目が離せなかった。

 そんなだから、勘違いされてしまったようだ。

 朝山先輩は俺の目を見て首を傾げた後、手に持ったメロンパンを俺の口元に寄せてきた。

「一口、食べたいのかな?」

「え、いや、そういう訳では……」

「遠慮しなくて良いよー。あ、もしかして、私が口付けたから嫌なのー?」

「いや、そんな事はないんですが……」

「じゃあほら、ガブっといっちゃって?」

 そう言われても、困った。

 どうしたら良いのだろうか。

 ガブっといっちゃって良いのだろうか。

 いや待て、しかし、それは……。

「もうー、岩倉君って、本当可愛いよねー」

 そう言って、俺に差し出していたメロンパンを自分の口元に戻した朝山先輩は、再びそれを口に入れて咀嚼する。

 どうやら朝山先輩は、また俺の反応を見て楽しんでいたようだ。

 耐性がついてきたと思っていたのだが……。

 どうやらそれは、俺の勘違いだったらしい。

 この魔性の女め……と心の中で呟いたのが、先輩に対する俺のせめてもの反抗だった。

「それで話なんだけどねー、小夜子の様子がちょっと変だなーって思ってるの」

 人しきり俺の反応を楽しんで、満足したらしい。朝山先輩は、本題の方に話題を転換させてきた。

 香月先輩の様子が変というのは、どういうことだろうか。

 俺が香月先輩と最後に会ったのは、先週の金曜日。万物研究会の部室だ。

 その時には、特にそんな感想は抱かなかったのだが。

「変っていうのは、どういう感じにですか?」

「昨日の日曜日にね、小夜子とまた買い物に出かけたんだけど、なんか……ずっと心ここにあらずって感じでね。元気もないし、いつもと違う様子だったからどうしたのーって聞いたんだけど、何でもないって答えるだけなんだよね。何でもない筈、ないと思うんだけどなー」

 俺より香月先輩との付き合いが長い朝山先輩がそう感じたのであれば、事実そうなのかもしれない。

「でねー、何か悩み事でもあるのかーって、岩倉君からも聞いてみてもらえないかな?」

 期待の眼差しを俺に向ける朝山先輩だが、香月先輩が本当に何か悩み事のようなものを抱えていたとして、彼女にさえ話さない事を俺になんか話すだろうか。

「良いですけど、何も聞けないと思いますよ」

「えー、そうかなー? 私は岩倉君になら、小夜子は話しちゃうと思うなー」

 何とも、自信あり気な言い回しだった。

 その自信の根拠が、俺には分からない。

「何で、そう思うんですか?」

「だってねー、岩倉君って凄く優しい目をしてるんだもん。そういう目をしている人には何でも話したくなっちゃうもんなんだよ、女の子は」

 そう言って、笑顔を見せる朝山先輩。

 俺はその顔を、照れくさくて直視する事が出来なかった。

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  • プルチックの瞳   エピローグ

     プルチックの感情の輪について知ったのは、俺が共感覚についての研究を初めてから、数か月が過ぎた頃の事だった。 俺が感じ取れる感情と色についての説明を受けた香月先輩が、思い当たる節があると調べてくれたのが、それを知れるキッカケとなった。 あの人の知識の深さには、いつも驚かされるばかりだ。 説明によると、プルチックの感情の輪というのはアメリカの心理学者であるロバート・プルチックが提唱した、感情の理論に基づく視覚的なモデルの事らしい。 八つの基本感情に基づいていて、それらの感情がそれぞれ色で示されている。 その感情モデルを図解した画像を見たとき、俺はそれを初めて見た気がしなかった。 小さい頃に、どこかで見たことがあるような。 そんな、デジャブのような感覚に陥ったのだ。 もしかしたら、その感情モデルが俺の共感覚という現象の、ルーツとなっているのかもしれない。 なぜなら、俺が共感覚で感じ取る目の色と、プルチックが提唱した感情モデルが指し示している感情の色は、その全てが一致していたからだ。 それは、もし俺が万物研究会に入っていなかったら、絶対に知りえなかった事だろう。 こんな感じで、俺の研究に対する進捗については周りの助けもあり、悪くはないと言った所だった。 俺以外のメンバーが進めている研究についても、俺が分かっている範囲で少し触れて置こうと思う。 朝山先輩は、幽体離脱に対しての理解をもっと深めていこうと思っているらしい。 この前聞いた話では、変性意識と呼ばれる状態について調べているということだった。 変性意識は通常の意識状態とは異なる、意識の変化した状態を言うらしい。 なんでも、幽体離脱中はこの変性意識の状態にあるという事が分かったので、変性意識についての知識を足がかりに、幽体離脱への理解を深めていくと話していた。 いつか、彼女が宇宙の果てへと辿り着ける日は来るのだろうか。 それは、正直分からない。 だが、彼女が幽体離脱を用いて宇宙の果てへの到達を望み続ける限り、俺はこれ

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  • プルチックの瞳   観測者③

     観測者について話している内に、気付けば辺りは夕暮れに染まっていた。 研究会で過ごす時間は、妙に短く感じられてしまう。 香月先輩と朝山先輩は隣町から通学しているため、活動後はバス停方面へ向かう。  一方で、俺と神崎は徒歩圏内だ。 だから自然と、帰り道は二人になることが多かった。 校門を出ると、夕日が街全体を橙色へ染めていた。「皆には感謝してる。あの実験のおかげで、観測者の正体を解明するという私の目的に、かなり近づけたんじゃないかなって思うから」 確かに、観測者について判明した事実は多いだろう。 今回の実験結果は、その正体を解明するための足がかりとするには、及第点といった所ではないだろうか。 とりあえずは、一歩前進したと言える。 神崎もそう思っているから、満足そうにしているのだろう。 俺は今回の結果を受け研究会のメンバーで考察を重ねていけば、やがて観測者の正体を解明出来る日が本当にくるのではないかと、そんな気持ちにさえなっていた。  しかし、現時点においては、その存在の正体は未だ分からぬままだ。「考えれば考える程に、訳の分からない存在だよな。この観測者ってやつは」 隣を歩きながら、俺の言葉にコクリと頷く神崎。 俺の言葉には全くもって同意だと、その目が告げていた。「見ているのに、視覚から情報を得ていないっていうのが、一番意味が分からん。じゃあ、何で見ているんだよって話だろ」「岩倉君の顕在意識を読み取れるのであれば、そもそも見る必要はない。視覚から得た情報の処理については、岩倉君に任せれば良い。だというのに、観測者はこちらを見ている」「……観測者は、窓越しに香月先輩の姿を見たんだよな?」「うん。あの日は外が暗かったから、反射した姿は私達にもハッキリと視認できた」「うーん……そもそも、人間とは構造が違うって可能性はないか?」「というと?」「つまり、《《人間の目は窓に反射した姿を視認で

  • プルチックの瞳   観測者②

     翌日の放課後、俺は早速、研究会の部室へと赴いた。 早く実験の結果を知りたいと気持ちが逸り、少し足早になったせいか、到着したのは俺が最初だった。 その後、香月先輩、神崎、朝山先輩の順番で研究会のメンバー全員が部室内に集まり、いつものように円卓を囲む形となる。 神崎からは、瞬きの合図を受け取った。 このタイミングで現れるという事は、お前も実験についての詳細を聞きたいという事なんだろうな。「さて、岩倉君も気になっている様子だからね。先ずは、実験の結果から話そう。君の提案のもと遂行した実験の結果は……成功だ」 正直な話、俺はこの実験から得られる成果はないだろうなと考えていた。 なので、成功という結果には内心かなり驚かされた。 俺が睡眠状態にある間、香月先輩が俺を演じた所で、観測者は現れないだろうと高を括っていた。 思い付きの実験が、成功するとは思っていなかったのだ。「観測者は、岩倉君を演じていた私の視点に移動した。そうだよね、怜菜」「はい。驚きましたが……確かにいつもは岩倉君から感じていた二重の視線を、あの時は小夜子先輩から感じました」 実験の成功。 つまり、それは新たに考えなければならない事が増えたという事だ。 その事実に俺は、つい考えこむ姿勢を見せてしまう。 そんな俺に一瞥をくれた後、香月先輩が話を続ける。「その結果を踏まえた上で、整理しつつ話を進めよう。まず発表の時に怜菜が言っていた視点の制約について、その制約は存在する前提で話を進めてしまっていいだろう。ただ、ここは正確な言葉で定義しておきたいのだが、その制約というのは観測者が岩倉優雨と認識した存在の視点でなければならないというものだ。つまり、その認識を狂わせてしまえば、岩倉君以外の人物に、その視点を動かすことも可能であるという事が実験によって証明された」 香月先輩の言う通りだ。 そして、そこから分かる事がある。 俺たちが思っているよりも、観測者が俺という人間

  • プルチックの瞳   岩倉優雨の研究②

     水曜日の放課後になった。 俺は緊張に弾む心臓の音を少しでも落ち着かせようと、一度だけ深呼吸をしてから、万物研究会への扉を開く。 部屋には既に、香月先輩の姿があった。 今日は俺が研究テーマを発表する日なのだが、彼女は機材の準備だけ既に進めてくれているようだった。「やあ、岩倉君。発表用のデータは持ってきてくれたかな?」「あ、はい。これです」 俺は学生鞄の中から、予め香月先輩から預かっていたSDカードを取り出し、それを彼女に渡す。 SDカードの中には発表用に使うスライドデータのテンプレ

  • プルチックの瞳   岩倉優雨の研究①

     日曜日の午後、俺は学校からタブレットPCを家に持ち帰り、そのキーボードを叩いては、頭を捻るという行動をひたすらに繰り返していた。 香月先輩と朝山先輩、万物研究会の既存メンバーである二人の発表が終わった。 そのため、次は新メンバーである俺と神崎が研究テーマについて発表する運びとなったのがその原因だ。 香月先輩からは、今週どこかのタイミングで、簡単に研究テーマについての発表をしてほしいと頼まれている。 しかし、その研究テーマというものが、中々決まらない。 研究対象は何でも良いとは言われているものの、そこまで自由

  • プルチックの瞳   朝山妃那美の研究④

     朝山先輩の発表が終わり、機材の片づけを皆で協力して完了させた後、俺たち万物研究会のメンバー四人は中央のテーブルに集まって一息ついていた。 発表を終えた朝山先輩は何だかんだ緊張していたようで、その糸がほぐれたかのように脱力している。 香月先輩は優雅に珈琲の入ったカップを啜っており、その視線はテーブルに突っ伏している朝山先輩へと向いている。 神崎はというと、前回と同様にスマートフォンで何かを調べているようだった。「妃那美、発表について質疑応答の時間を取りたいんだが、いけるかな?」 香月先輩の言葉に勢いよく体を起

  • プルチックの瞳   朝山妃那美の研究③

     そんなこんなで火曜、水曜、木曜日と日々は過ぎていき、あっという間に朝山先輩が発表する日である金曜日になった。 放課後に研究会へとやってきた俺は、既に三人揃っていた面々への挨拶を済ませた後、いつもの定位置へと腰かける。 今日の主役とも言える朝山先輩は「配線間違えたー」とか「あれー? スライドどこに格納したっけー」等と独り言を言いながら、準備を進めている途中だった。 そこから発表までの流れは、香月先輩の時とほとんど同じだった。 朝山先輩の「準備かんりょー」という言葉を合図に、香月先輩が室内灯のスイッチをオフにする。

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