Chapter: 21話 王女の如き威厳と、仕返しの部屋「――それから、最後にひとつ」漆黒のマナが渦巻く謁見の間で、ルシエラは青ざめた公爵夫妻を見下ろしながら、まるで鈴を転がすような冷ややかな声で付け加えた。「今日の出来事、そして私の存在について……外へ口外しないと約束してちょうだい。もし変な噂を立てたり、私を害しようと他国の刺客や教会を利用しようとしたら……その時は、この屋敷ごとヴァルハイトの血脈を跡形もなく消し去ってあげるわ」「ひ、ひぃぃっ……! や、約束する! 誓う、誓うから命だけは……っ!」アレクシスは床に頭を擦り付け、惨めに命乞いをした。エレノア夫人も泡を吹かんばかりに恐怖し、ただガタガタと震えることしかできない。自分たちを脅し、屈服させたルシエラは、何事もなかったかのようにすっと翼を収めると、マルタの手を優しく取った。倒れ伏す騎士たちと恐怖に震える公爵夫妻を置き去りにし、二人は悠然と謁見の間を後にしたのだった。◇これまで「離れ」に隔離されていたルシエラが、堂々と本邸の廊下を歩く姿は、屋敷の使用人たちにあまりにも大きな衝撃を与えた。本邸で働く若いメイドたちの多くは、これまで噂でしか「忌み子」の存在を知らなかった。不吉な悪魔、化け物、呪われた子供――大人たちからそう聞かされて育った彼女たちの前に現れたのは、その想像をあまりにも鮮やかに裏切る少女であった。廊下の光を吸い込んで艶やかに輝く、夜空のように深い美しい黒髪。透き通るような白い肌と、夕焼けの宝石を閉じ込めたかのように高貴で澄み渡る深紅の瞳。その姿は、忌むべき化け物などではなく、まるでどこかの国の高貴な王女そのものだった。「……ねえ、あのお方が『離れ』のルシエラ様……?」「なんて綺麗なお方なの……! あんなに美しい黒髪、見たことがないわ」「瞳の赤さも、まるでおとぎ話に出てくる宝石みたい……」すれ違う若いメイドたちが、思わず足を止めて頬を染め、ルシエラの見とれるような美しさに見惚れて吐息を漏らす。恐怖や嫌悪ではなく、純粋な憧憬と賛美の視線が、ルシエラへと向けられていた。その様子を隣で歩くマルタは、誇らしげに胸を張って見つめていた。(ふふ……どうかしら! ルシエラ様はこんなにも美しくて、賢くて、気高いお方なのよ!)これまで自分の娘のように慈しみ、愛情を注いで育ててきた少女。冷たい陰口に晒さ
Última actualización: 2026-08-12
Chapter: 21話 12歳の叫動と、絶対の生存権謁見の間には、重苦しく不快な緊張感が立ち込めていた。ヴァルハイト公爵アレクシスは、豪奢な玉座の上でイライラと貧乏揺すりを続けていた。彼の胸を焦がしていたのは、焦燥と、そして何よりも浅ましい「保身」であった。(なぜだ……なぜ、あのお方たちが揃いも揃って、あの『忌み子』のことを知っているのだ……!?)ここ数年、アレクシスの元には聖教会のオーガスト枢機卿から、そして第一王子であるライネルから、遠回しにルシエラの安否や近況を尋ねる不快な書簡がしつこく届いていたのだ。隠し通してきたはずの忌み子の存在が、なぜ外部の要人に察知されているのか。もし今さらルシエラの存在やその価値を正式に認めてしまえば、これまで自分が実の娘に対して行ってきた冷酷な仕打ち、地下保管庫への隔離や不当な放置が明るみに出てしまう。公爵としての地位も名誉も失墜しかねない。(あの女の瞳……あんな『無』の瞳で透視されるような感覚、思い出すだけでも虫唾が走る……! あの生まれた瞬間の暴走……あの化け物の悪夢を、忘れてなるものか!)赤ん坊の頃に見た、邸宅を揺るがした漆黒のマナの暴走。それがアレクシスの深いトラウマとなっていた。ルシエラが良い子であるはずがない。価値などあるはずがない。すべてを揉み消し、己の身を守るためには、今すぐ彼女を「マナが暴走して手に負えなくなった」とでも言い訳し、辺境へ永久追放するしかなかったのだ。「……ルシエラ。お前を『黒の修道院』へ移送する。今日限りでヴァルハイトの名を捨て、二度と我らの前に姿を現すな」冷酷な宣言に、マルタが思わずルシエラの前に躍り出た。「公爵様! あまりにも酷すぎます! ルシエラ様は何も悪いことをしていらっしゃいません! 12歳の少女をそんな恐ろしい場所へ追いやるなんて……!」「黙れ、下賤な使用人が!」必死に言葉で抵抗するマルタに対し、追い詰められたアレクシスは顔を真っ赤にして叫んだ。「これ以上の抵抗をするならば、容赦はせん! 騎士たちよ、その生意気なメイドごと制圧せよ!」騎士長たちが一斉に鞘から剣を抜き放ち、ギラリと光る刃がマルタへと向けられる。マルタは恐怖に身体を震わせながらも、両手を大きく広げ、ルシエラの盾となるように庇い立った。「ルシエラ様には……指一本触れさせません……!」その健気な背中を見つめ、
Última actualización: 2026-08-11
Chapter: 19話 小さな部屋のティータイムと、広がる世界の約束木漏れ日が窓からやわらかく差し込む離れの小さな部屋。テーブルの上には、マルタが手際よく淹れた温かいハーブティーの湯気が立ち上り、甘く爽やかな香りが広がっていた。「……う、美味い……っ」木製の安っぽいカップに口をつけたライネルは、素直な感嘆の声を漏らした。王宮で最高級の茶葉ばかりを嗜んできた王子であったが、マルタの淹れたハーブティーには、心を芯から解きほぐすような不思議な温もりと優しさが満ちていたのだ。「ふふ、お口に合って良かったです、ライネル殿下」マルタが温かく微笑むと、向かいに座るルシエラも嬉しそうに目を細めた。「でしょう? マルタの淹れるお茶は世界一なのよ」昨夜の幻想的で恐ろしいまでの神聖さはどこへやら、今のルシエラはごく普通の、可憐で賢い8歳の少女そのものだった。自分の知る貴族の令嬢たちのような高慢さや気取った仕草は一切なく、かといって世間知らずの幼さもない。その自然体な佇まいに、ライネルの緊張も少しずつ解けていった。「……昨夜は、その……いきなり押し掛けたりして、本当にすまなかった」ライネルが耳まで真っ赤にしながらカップを見つめて謝罪すると、ルシエラは少しだけ申し訳なさそうな顔をして、小さな首を横に振った。「ううん、私の方こそごめんなさい、ライネル君。実はね……私もすごくびっくりしていたのよ。まさかあんな時間に、あんな場所に人が来るなんて思っていなかったから」「えっ……びっくり、していたのか……? あんなに落ち着いていたのに……?」「顔に出なかっただけよ」ルシエラは悪戯っぽく笑うと、隣に立つマルタと視線を交わした。「それにね……昨日のあなたの様子がなんだかあまりにも一生懸命で、面白かったものだから……仕事から帰ってきたマルタに、面白おかしくお話ししてしまったの。二人で笑い話にしてしまって……ごめんなさいね。いけないことだわ」「なっ……! いや、いい! いいんだ!」ルシエラから素直に謝られ、さらに「面白かった」と微笑まれたライネルは、恥ずかしさで爆発しそうになりながらも、ぶんぶんと手を振った。「僕があまりにも不躾で情けなかったんだから、笑われて当然だ! それに……君に嫌われていないと分かっただけで、僕は……すごく嬉しい」安堵から胸を撫で下ろすライネルの姿に、マルタもルシエラも思わずクス
Última actualización: 2026-08-11
Chapter: 18話 秘密の離れと、幼き王子の訪問 必死な形相で給仕服の袖にしがみつき、半ば涙目で懇願してくる第一王子ライネル。マルタは困惑の汗を浮かべながら、必死に思考を巡らせていた。 (どうしましょう……。ここで突っぱねてしまったら、ライネル様は意地になって、今夜もまた一人でお忍びで湖や離れの周りを捜し回るかもしれないわ) そうなれば、本邸の護衛に見つかって大騒ぎになる危険性がある。何より、万が一にも公爵夫妻や他の貴族たちにルシエラの存在や、彼女が持つ恐ろしいほどに強大な「力」の秘密が漏れてしまっては元も子もない。 (ライネル様は我儘で感情的だけれど、根は一途で嘘をつくような方ではない……。ルシエラ様を化け物としてではなく、一人の特別な女の子として見ているのは確かだし、ここでしっかりお話しをして秘密を守ってもらう約束を交わした方が、今後のためにも安全かもしれないわね) 一通りのリスクを天秤にかけたマルタは、はぁと小さく優しく息を吐くと、しがみついてくる王子の手をそっと包み込んだ。 「……分かりました、ライネル殿下。ルシエラ様のもとへご案内いたします」 「ほ、本当か……!? 騙したりしないな!?」 「ええ、嘘などつきません。ただし、条件が一つございます。ルシエラ様のこと、そして昨夜見られたことの全てを、公爵様や他の大人たちには決して口外しないと……王家の名に誓っていただけますか?」 ライネルはゴクリと唾を飲み込むと、力強く何度も首を縦に振った。 「誓う! 王家……いや、僕自身の命と誇りに賭けて絶対に誰にも言わない! だから……会わせてくれ!」 「賢明なご判断です。では、私に続いて静かにお越しください」 ◇ 公爵邸の華やかな本館から少し離れた、木々に覆われた薄暗い森の奥。 そこにひっそりと佇む小さな古びた離れへと、マルタはライネルを導いた。 本邸の絢爛豪華な建築とは程遠い、あまりにも質素で手狭な建物。ライネルは驚きに目を見開いた。 (本当に……こんな寂しい場所に住んでいるのか……? 公爵家の血を引く娘だというのに……) 噂されていた「忌み子」「隔離」という言葉の真実が、その建物の佇まいだけで痛いほど伝わってきて、ライネルの胸はキュッと締め付けられた。 マルタが離れの重い木扉を静かに開け、室内へと声をかける。 「ルシエラ様、戻りましたよ。……お
Última actualización: 2026-08-11
Chapter: 17話 王子の焦燥と、庭園の懇願昨夜の出来事が嘘だったのではないか――そう思いたくなるほど、ライネルの頭の中は混乱と灼けつくような羞恥心で渦巻いていた。豪奢な天蓋付きのベッドの中で、ライネルは一晩中悶々とし、枕に顔を押し付けては転がり回っていた。自分の前に現れたあの美しくも恐ろしい漆黒の翼。この世のものとは思えない神聖な少女。そして、何を狂ったのか、まだ8歳であるはずの己が、裸身の少女へ向かって膝を震わせながら叫んだ怒涛の求婚――。(ああああっ……! 僕は何を言っているんだ! 妃になれだなんて、名前も知らない初対面の相手に……っ! しかも、あんなにも冷ややかにあしらわれて……!)あまりの恥ずかしさにのたうち回り、結局一分たりとも眠れぬまま、ライネルは朝を迎えていた。◇本邸の絢爛豪華な大食堂。ヴァルハイト公爵夫妻や王国の重臣たちと共に朝食の席についたライネルは、完璧なマナーでナイフとフォークを動かしつつも、その瞳は完全に虚空を彷徨っていた。(ルシエラ……ルシエラ……。昨夜、彼女は去り際に言っていた。『マルタのところへ帰る』と……)マルタ。その名に聞き覚えがあった。このヴァルハイト公爵邸で働くメイドの誰かだ。その時――「ライネル殿下、パンのおかわりでございます」静かで澄んだ声とともに、銀のトレイに乗せられた焼きたてのパンが、ライネルの目の前にそっと差し出された。ライネルがハッと顔を上げると、そこに立っていたのは、柔らかく整えられた褐色の髪と、温かな茶色の瞳を持つ若いメイド――マルタだった。(……っ! マルタ……!?)ライネルの視線と、マルタの視線がバチッと正面から交差した。マルタは一切動じることなく、完璧な給仕の礼を執りながら、どこかすべてを見透かしているかのような、悪戯っぽくも温かな笑みをふっと浮かべたのだ。その瞬間、ライネルの脳内で全てのピースが繋がった。(知っている……! このメイド、昨夜の出来事を全て……僕のあの情けない醜態を、ルシエラから全部聞いているんだ……!!)「――ッ!?」ライネルは勢いよくガタンッと椅子を蹴立てて立ち上がった。「で、殿下……!? 一体どうされました!?」突然立ち上がった第一王子に、公爵をはじめとする周囲の大人たちが驚愕して目を丸くする。ライネルは全身の血が頭に上り、顔を真っ赤に染め
Última actualización: 2026-08-11
Chapter: 16話 離れの夜話と、王子の素顔冷たい夜風が吹き抜ける本邸での深夜労働を終え、マルタは疲れた身体を引きずるようにして離れへと戻ってきた。扉をそっと開けると、室内にはカンテラの温かな光が広がっていた。そこには、すでにお風呂を済ませ、髪を綺麗に乾かした8歳のルシエラが、小さな机に頬杖をついてマルタの帰りを待っていた。「おかえりなさい、マルタ。お仕事、おつかれさま」「ただいま戻りました、ルシエラ様。遅くなってしまってごめんなさいね。……あら? 何か良いことでもありましたか?」マルタはルシエラの表情を見て、すぐに察した。普段のルシエラは、実の父母である公爵夫妻や屋敷の使用人たちに対して、大人すら射殺すような冷徹で静かな『無』の態度を貫いている。だが今夜の彼女は、どこか楽しそうに深紅の瞳を細め、薄い唇に悪戯っぽい笑みを浮かべていたのだ。マルタが手早く温かいハーブティーを二つのカップに注ぎ、テーブルに腰を下ろすと、ルシエラは待っていましたとばかりに小さな身を乗り出した。「ねえマルタ。さっき、湖でお風呂に入っていたらね、妙な男の子が迷い込んできたの」「えっ……? 男の子、ですか?」「うん。不吉な悪魔の落とし子を見に来たんだって。背中に翼を出して、一角獣さんも出たらすごく驚いちゃって……それでね、いきなり大きな声で『結婚してくれ!』って叫んで走っていったわ」「け、結婚……!?」マルタは思わず手にしたカップを倒しそうになった。ルシエラは一滴も恥ずかしがる様子もなく、まるで「今日、珍しい虫を見かけたの」とでも言うような軽やかな調子で話を続ける。「自分の名前は『ライネル』だって言ってたわ。この国の第一王子なんだって」「……えっ!? ライネル様……!? あの、ライネル王子殿下ですか!?」マルタは目を見開いた。本邸で給仕をしているマルタは、今回公爵邸に賓客として滞在しているライネル王子の評判を嫌というほど耳にしていたのだ。「ルシエラ様……ライネル様といえば、まだ8歳になられたばかりですが、国王陛下や王妃様からも大変甘やかされて育ち、非常にプライドが高く、気に入らないことがあればすぐに使用人を叱責するような……悪く言えば、大変我儘で傲慢なお方として有名なお方なんですよ」「まあ、そうなの?」ルシエラはくすくすと鈴を転がすように笑った。「でもね、さっ
Última actualización: 2026-08-11