Chapter: 第11話 洗濯物はなぜ乾く? いつものように洗濯物を干そうとベランダに出た時だった。 ほとんど同じタイミングでお隣の|木井《きい》さんもベランダに出てきた。 手にはライターと線香。 日課の一服の時間だったようだ。「こんばんは。偶然ですね」 見なかったことにはできないので、先手を取って挨拶する。 木井さんは私がいるのに気付いていなかったのか、小さく飛び跳ねた。 それから私と洗濯物が入ったかごを交互に眺め、困り顔をした。「こんばんはー……。タイミング失敗しちゃったなぁ」「吸われるんでしたらお気になさらずどうぞ!」「いやいや、臭いが付いちゃいますよ」 言いながら大げさに手をぶんぶんと振る木井さん。 マイペース具合と言い、どこか結城ちゃんに似ている気がする。「まだ干す前ですし。木井さんさえ良ければ吸ってる間にちょっとお喋りしましょうよ!」 私の申し出に木井さんは子供の用に目を輝かせる。「本当に吸っちゃって大丈夫ですか?」「嫌いな臭いじゃないし、気にしませんよ」 私が応えると、彼はポケットからライターと線香を一本取り出して慣れた手つきで火をつけた。 真っ白なケムリが風に揺られながら緩やかに夜空へ昇っていく。 それをぱくりと口に含んで、木井さんは幸せそうに笑った。「いやぁ、実は僕禁煙しようと思ってたんですけどね。失敗しちゃったんです」「禁煙? 健康診断で引っかかったりしたんですか?」「いや、うちの家内が嫌だって言ってまして。仏壇もないのに部屋が線香臭いのは耐えられないって」 木井さんは寂しそうに零して、細くケムリを吐き出した。 龍のようにくねくねと身をよじらせながらこちらへ向かってきたケムリを捕まえようと手を伸ばしたけれど、触れた所から崩れて逃げられてしまう。「次吸ったら出て行くって言われてるんですけど、どうしてもやめられなくて。こうやって家内がお風呂に入ってる隙に吸いに出てるんですよ」「えっ、それって大丈夫なんですか
آخر تحديث: 2026-08-15
Chapter: 第10話 怪奇レポート004.今日は笑顔の記念写真「|香塚《こうづか》先輩おはようございま~す」「おはよ~」「ゆーきちゃんご機嫌っスね」 いつも通りの朝。 ……のはずなんだけど|結城《ゆうき》ちゃんのテンションがいつもより高い。「何かいいことでもあったの?」 私が問いかけると、結城ちゃんはコクリと頷いた。「今日は全員が笑顔だったんですよ。占いで言うならハッピーウルトラ大吉? 一等賞? みたいな感じですね!」 結城ちゃん、さてはちゃんと占いを見たことがないな? とりあえず言いたいことはわかったけど。「みんな……? みんなって誰?」 私たちのことかと考えもしたけれど、私が勤め始めた頃からずっと伏木分室のみんなが朝から不機嫌だったことはない。 むしろ笑顔なのが通常運転だ。 それなら、通勤途中に出会った人たち? だとしたら嬉しいじゃなくて気味が悪いって感想になりそうだよね。「ワタシの家族です」「あ、御家族?」「ゆーきちゃんの家族っていっつも機嫌悪いんスか?」 |真藤《しんどう》くんが心配そうに結城ちゃんの顔を覗き込んだ。「ううん、機嫌が悪いわけじゃないと思う」「じゃあどういうことっス?」「ワタシが大学三年の頃だから……、もう三年か。三年前にみんな事故で死んじゃったんです」 突然の結城ちゃんの告白に私は言葉を失う。 それは真藤くんも同じで、重い沈黙が私たちの間に立ち込めた。「事故の直前に撮った写真のデータが奇跡的に残ってたから、遺影の代わりに写真立てに入れて飾ってるんですよね」「その写真の表情が変わる、と?」 私たちの話に興味を引かれたのか、|小津骨《おつほね》さんも話の輪に入ってきた。 結城ちゃんはにこっと笑って頷いて見せる。「いいことがある日は笑顔ですし、悪いことがある日は怖い顔になるんです。だから朝の占いみたいな感じで毎日見るのを楽しみにして
آخر تحديث: 2026-08-12
Chapter: 第9話 ケムリを喰らう 洗濯物を干そうとベランダを覗き見た時だった。 白いケムリがたなびきながら流れ込んでくるのが目に入る。 そちらの方へ視線を向けると、ベランダから身を乗り出すようにして夜の街を眺めている隣の部屋の住人がいた。 |木井《きい》さんの旦那さんだ。 下の名前は知らない。 年は三十代の半ばって聞いたんだっけ。 背の高い彼は体を丸めて外気を遮るようにしてケムリを抱え込もうとしていた。 ――ああ、部屋で吸うのを禁止されているんだ。 木井さんの様子を見てすぐにわかった。 彼はほんのわずかなケムリでさえ惜しいようで、ケムリを追ってこちらのベランダへ身を乗り出してくる。「こんばんは」 私は偶然を装って洗濯物を抱えたままベランダに出た。「|香塚《こうづか》さん。こんばんは」 木井さんはこちらに身を乗り出したまま大きく口を開けると、ぱくり、とケムリを口に含んだ。 喉を大きく動かしてケムリを飲み下す。 至福、とでも言うかのようにメガネの奥の瞳を細め、|蕩《とろ》けるような笑みを浮かべている。「寒くないですか?」「ええ。もう四月も半ばですし」 柔和な笑みを浮かべながら応対してくれる木井さんだけれど、メガネの奥には獲物を狙うような鋭い目がある。 木井さんはしばらくの間ケムリを追いかけては呑み込んでいた。「そういえば、聞きましたよ。今月から図書館で働かれているとか」「えっ……」 私は一瞬返答に詰まってしまった。 先月、図書館への異動を通知する辞令を受け取ってから伏木分室が図書館ではないことを知るまでの間に喜びのあまりいろいろな人に自慢して回ってしまったせいだ。 たしか、その中にはゴミ捨ての時に顔を合わせた木井さんの奥さんもいた気がする。「い、一応図書館の分室って扱いなんですけど、一般公開はしてないところらしくって……」「そうなんですか? でも、香塚さんは先月までより生き生きしてる
آخر تحديث: 2026-08-08
Chapter: 第8話 怪奇レポート003.蠢く見慣れた壁のシミ・参 私が駐車場に向かうと、真藤くんはすでに車のエンジンをかけており、今にも走り出したそうにしていた。「真藤くんってすごいんだね。あのシミを取っちゃうなんて」「おつぼねさんが言ってたんス。聖水ぶっかけて紙に写し取って来いって。でも、あのシミも聖水はヤベェって気付いてたのか逃げ回って大変だったっス」「え? あの間も動いてたの!?」 見たかった。 動くシミなんてそうそう見れるものじゃないだろうし。「紙見たらまだ動いてるんじゃないっスか?」「そうかな?」 ワクワクしながら足元に置いてあったアタッシュケースに手を伸ばす。 たかが紙一枚、と思う反面、それだけ厳重にしまい込んでおかなければいけないほど危険なのかなという緊張感も覚える。 ゆっくりとアタッシュケースの蓋を開けると、中にはひとつの瓶が入っていた。 よく砂浜に打ちあがっているボトルメールのような状態で中にあの紙が詰められている。 ひとつ違っているのは、その瓶の中になみなみと液体が注がれていることだろう。「あとの処理はゴールデンウイーク明けに来る人がやってくれるらしいっス。それまでコルクは外しちゃダメっスよ~」 中の液体はさっき使ったという聖水なのだろうか。 私が瓶の中の紙を覗き込むと、それに反応するようにもぞもぞと紙に移ったシミが動いた。「うわっ」 覚悟はしていたつもりだったけど、シミの一部が触手のように伸びて迫ってきたので驚いて瓶を取り落としてしまった。 その弾みできちんと閉まりきっていなかったらしいコルクが抜ける。「わあああああああああ!!!!」 足元に広がる聖水。 それと共に瓶から出てきたシミを閉じ込めた紙。 逃げられる! パニックになった私は反射的にハイヒールのかかとでその紙を踏みつけてしまった。 次の瞬間だった。 耳をつんざくような低いうめき声と共に、車内に煙が立ち込めた。 車を走らせていた真藤くんが急ブレーキをかける。 このまま私た
آخر تحديث: 2026-08-05
Chapter: 第7話 怪奇レポート003.蠢く見慣れた壁のシミ・弐 改めて状況を整理すると、そもそもこの部屋に住んでいたのは目の前にいる赤い髪の男性ではなく、彼と一緒にバンドを組んでいた友人であったようだ。 友人がこのアパートに入居した時からリビングの壁にはシミがあった。 そのことは内見の時に大家からも説明を受けていたという。「ここに住み始めてすぐの時に来てるんですけど、タバコでも押し付けたのかなーってくらいのサイズのシミだったんですよ」 ところが、友人は半年ほど経った時にシミが大きくなっていることに気付いたらしい。 気になって濡らした雑巾でこすってみたけれどシミは消えない。 そうこうしている間にもシミはどんどん大きくなっていったので、友人はポスターを貼ることでシミを見えないようにしたそうだ。 ところが、壁のシミは友人をあざ笑うように、もぞもぞと動き回るようになったという。「自分たちは幻覚でも見たんじゃね? って軽く流してたんですけど、その怯えようが普通じゃなくて。でもクスリとかやるようなやつじゃなかったんで、シミのことを気にしすぎて精神的におかしくなったのかと思ったんです」 周囲は友人に精神科の受診をすすめ、彼も納得がいかないなりにバンドメンバーに連れられて病院へ行ったそうだ。 診断の結果は異状なし。 とりあえず、ということで不安感を取り除くような薬を処方されて終わりになった。「その頃だったと思います。ダチはライブハウスで一緒になった他のバンドのメンバーとかにもシミの話をして、不気味だから帰りたくない。泊めてくれ! って言って回るようになったんです」 周囲の人たちも彼のただならぬ様子を知っていたため生活に支障をきたさない範囲――二、三日ぐらい――ならという条件付きで彼を受け入れたという。 そうして知人の家を転々としていた友人だったが、ある時ライブで使う衣装やギターを持ち出すためどうしてもこの部屋に戻らなければいけなくなった。 その時に友人を泊めていたのが赤髪の彼で、アパートまで付き添ってくれるまでここから出て行かないぞという友人の強硬な態度に根負けして同行することにした。 およそ一ヶ月ぶりに一緒に部屋に
آخر تحديث: 2026-08-01
Chapter: 第6話 怪奇レポート003.蠢く見慣れた壁のシミ・壱 伏木分室で働き始めて最初の一週間は本当にあっという間だった。 町の人たちから持ち込まれた怪異の目撃情報を取捨選択する基準だとか、みんなが書いている怪奇レポートの書き方だとか、そういう基本的なことを教えてもらっているうちに一日が終わってしまうのだ。「本当に八時間も経ってるんでしょうか」 お昼休憩に入るよりも早く、体感三時間ほどで終業時間を知らせるチャイムが爆音で鳴り響いた日、私は思わず尋ねてしまった。 まだ午前中のはずなのに、空は夕焼けで赤く染まっている。「経ってないんじゃないかと思います」「経ってないでしょうね。でもいいのよ。終業の鐘が鳴ったんだから」 |小津骨《おつほね》さんは真面目で厳しい人かと思ったら割とゆるい雰囲気で働いているらしい。 |結城《ゆうき》ちゃんも|真藤《しんどう》くんも、私だってゆとりを持って働けるのは大歓迎だ。 けれど、これじゃあいくらなんでも時間が足りない。 かと言って家に持ち帰って作業を進めるのは小津骨さん的にNGらしい。「|香塚《こうづか》先輩って真面目なんですね」「外部の指導の人が来るのはゴールデンウイーク明けに決まったんだから、それまでは適当でいいのよ」 なんて言って小津骨さんは私の肩をポンと叩いた。 真藤くんは一人、部屋の片隅で虚空に向かって猫じゃらしを振っている。 姿は見えないけれど、猫じゃらしの先が不規則に揺れるのであの子がじゃれついているのだろうと思う。 猫はこの場所が気に入ったようで、最近はもっぱらここにいるようだ。 みぃみぃと鳴きながらみんなの足元に体を擦り付けては構ってくれアピールをするので余計に仕事が進まなくなっている。「スネコスリの正体って、じつはああいう子なんですかね」「かもしれないわね」「ワタシ、みぃちゃんみたいなスネコスリだったら大歓迎です!」 とろけるような表情で結城ちゃんが指を組む。 その様子はまさに恋する乙女。 猫は「みぃちゃん」という名前が気に入ったのか、呼ばれるとみぃみぃ鳴きながら飛んできてくれる。 結城ちゃんは姿の見えないはずのみぃちゃんをいとも簡単に捕まえて、その体に顔をうずめるようなしぐさをした。 そして、むふっ、むふっと含み笑いをしている。 ちょっぴり変態チックな後輩と連れ立って、私たちは公民館を出た。「そうそう、香塚さんにお願いした
آخر تحديث: 2026-07-29