Chapter: 矜持(3)「…リリーナ」 涙の止まらない彼女をディードリヒがそっと抱きしめる。 「っやめ…やめて…っ」 それを彼女は押し除けようとするが、彼はその腕ごと、まるで壊れ物を扱うように包み込んでしまう。 「ごめん、リリーナ」 「…なんです、急に」 「僕が君を傷つけるなんて、あってはいけないのに」 「…そう思うなら離して下さらないかしら」 リリーナは反抗するが、ディードリヒが離れる気配はない。 「辛かったんだね、リリーナ」 「…貴方には、理解し得ないことでしてよ」 「うん…確かに僕はリリーナが今持ってない全部を持ってるから」 「…」 「でもね、僕は今リリーナが話してくれたみたいに、立場の向こうの君が知りたいし、君にもそういう僕を知ってほしい」 少しだけ、抱擁が強くなる。リリーナはそれを黙って受け入れた。 「僕は本当に情けなくて狡くて…今だってリリーナが辛かったって聞いて不謹慎なのに喜んでる。そういう君が見たかったんだって」 「…失礼ですわ」 「ごめんね。でも僕にはそういうこともっと言って欲しいな。そして知って欲しい、君がいないと生きていけない情けない僕を」 「…」 罰が悪いように黙ってしまったリリーナをディードリヒが責めることはない。しかし体を離すと、今度は彼女の額に自分の額を当てた。 「僕は絶対、リリーナの冤罪を晴らしてみせるよ。僕なら、君を元いた家に返してあげることもできる」 そして、 「!」 リリーナの頬にキスが一つ落ちた。 「だからリリーナ、全部終わったら僕と結婚して?」 「は…?」 飛んできた言葉にリリーナは開いた口が塞がらない。正直あまりに急な話についていけなくなっている。 「貴族なんだから、普通だと思うけど」
最終更新日: 2026-10-13
Chapter: 矜持(2) 彼女が彼と出会ったのは、少なくとも記憶では社交デビューの後だったはず。考えうる限りそこで衝撃的な出会いをした記憶はないし、挨拶程度の仲でしかない。どこにそんな要素があるというのだろうか。 「覚えてないよね。そのまま忘れていて」 その言い草も気になるが、どちらにせよ今の論点はそういうことではない。 「…それは、できませんわ。ですが今は目の前の問題を解決するべきでしてよ。貴方は今一度ご自身のお立場を思い出すべきです、ディードリヒ・シュタイト・フレーメン王太子殿下」 リリーナはディードリヒを強く睨みつける。 それを虚な目で見つめているはずの相手は、相変わらずとてもこちらを見ていると思えない。それでも彼女は睨むことをやめなかった。 王太子、何度でも言うがそれは国王の子息の中でも既に王位継承が決まっている立場の者を指す。 その重みのなんたるかを、リリーナは少なからず推し量れるつもりだ。王位継承の決まっていない王子という立場を見ただけでさえ、常に重圧と陰謀の最中に身を置かなければいけなかったのだから。それが隣に座ることが決められていた人間の立場だったし、そう教え込まれてきた。 それがどうだ、この王太子ときたら。何度でも言うが自分はとっくの昔に落ちぶれた罪人でしかないというのに現を抜かして。娼婦のように慰み者にも使えやしないというのに。何をもって自分を好きだと宣う以前にこの遊びは危険なのだと気づいてもらわなくては。 だからと言って慰み者になろうという気もない。どこまで落ちぶれようが心まで堕落するのであれば舌を噛み切ったほうが、同じ死でも余程納得できる。 「それは…」 ふと、ディードリヒの顔から落胆したように表情が消えた。その姿に身構えると、空虚で悲しい感情が溢れでてくる。 「リリーナも、僕の立場しか見てないってこと?」 「…?」 「リリーナはあの日、“僕”を助けてくれたのに。“僕”はリリーナの中でも“僕”じゃないの?」 「急に何を…」 思わ
最終更新日: 2026-10-12
Chapter: 矜持(1) ******** 「ん…」 目が開いた時、初めに映り込んだのは光。おそらくそれは人工的なもので、温かさは感じられない。 次に見えたのは、見覚えのある天井。その景色にはっとした。 「…!」 勢いをつけて起き上がる。 その時に金属の擦れる音がして、息を呑んだ。 慌てて髪に触れる。そこで雨に濡れて軋んだ様子などかけらもないことに気づく。 自分のすぐ下を見れば着ている服が違う。膝も、よく見れば肘も腕も、擦りむいたと思われる場所には包帯がしてあって、治療がされたことなど明白で。 ——手首にはまた、手錠がかけられていた。 「…あ、あぁ…」 言葉もでない、出せるわけがない。 強い後悔が、脳をめぐる。 どうして、自分はここに。 (こんな、はずでは) 「!」 不意に入ってきた扉の開く音に目が向いて、そして眺めたそれは静かに閉まった。こちらに歩いてくる革靴の音が静かに、部屋の中に響く。 「あぁ、起きたんだね」 “彼”の声がする。 革靴の音がやけに大きくて、息ができない。 心臓が今にも止まりそうになっている。 背筋が凍って、手が。 手の震えが、止まらない。 「…」 彼がベッドの淵に腰掛ける姿を見開いた目が追っている。そのまま彼はこちらを向いて、滞ることなく口を開いた。 「どうして?」 最初に彼からそう言葉が出る。 「僕がわからないって思ったの?」 だけど自分は声が出ない。 「どうして離れたりしたの?」
最終更新日: 2026-10-11
Chapter: このままではいけない(2) *** ディードリヒにも避けられない予定はある。というか、避けられない予定ばかりのはずなのだが、とにかく四六時中この屋敷にいるわけではない。 月に一度、一週間…長いと二週間ほど彼は必ず城へ帰る。この国の情勢がわかるようなものは一切この屋敷に無いので外の状況がどうなっているのかはわからないが、これは確かにチャンスと言えた。 手錠が外れてしばらく、すっかりこの屋敷の敷地は間取りは覚えている。さすれば、このタイミングを逃す手はない。 「じゃあ行ってくるね、リリーナ」 「…はい、行ってらっしゃいませ」 屋敷の玄関前で交わされる挨拶に少しだけ緊張した。相手は自分を抱き寄せて頬に挨拶程度のキスをすると、雨降る中の外へ出かけていくのを見送る。 脱出は、今日にしようと決めていた。閉まるドアに向かって静かに手を振りながら、まだ慌ただしい屋敷の中を確認する。 普段の静かな屋敷では誰かに見つかってしまいかねないが、この慌ただしさであれば多少監視の目も薄れるはず。正直手錠もなければ玄関まで見送れるなど幸運であるというよりなく、それでも思惑がバレないよう普段通りのフリをして部屋に帰った。 「荷物は…これだけ、ですわね」 そう言って机に置かれたままだった香水を手に取る。 そのあと部屋をぐるりと見渡して、改めて自分のものなどないと気づき、それもそうかと納得した。身の回りのものは全て与えられたもので、ここに来た時のドレスも捨てられてしまったと聞いたし本当に自分のものなど何もない。この香水を除けば。 それにしても、と脳に余計な思考が過ぎる。 「縛られなくなりましたわね、私」 縛ってほしいというわけではないが、そこまで信頼を勝ち取ってきた証明でもあると思うと、誇らしいような、少しだけ寂しいような。 ともあれこの機会だけは逃せない。リリーナは部屋の小窓に手をかけた。 この部屋に大きな窓はないが、彼女が頑張ればぎ
最終更新日: 2026-10-10
Chapter: このままではいけない(1) ******** 「もう、このままではいけませんわね…」 就寝前のベッドの上で、やはり考えてしまう。 このベッドに横になるようになってなんだかんだと三ヶ月は経ってしまった。 三ヶ月…経ってみて起きた変化と言えば、自分にとってよくない変化ばかりに思う。変わってほしいところは変わらないし、変わって欲しくない部分が変わってしまった。 そう、主にディードリヒに対して。 ディードリヒがこちらに向けてくる過剰な行動は変わらない。何一つ変わらないというのに、自分がそれに慣れつつある。ふと向こうがこちらを見つけた拍子に抱きついてくるのをスルーできるようになってきてしまっていることも、変態発言を放置できるようになってきてしまっていることも、全ては警戒心が薄れている故の行動としか言いようがない。これではいずれ相手の行き過ぎた行動に対して“そういう人だから”と諦めがついてしまうのも時間の問題だ。これからも警戒は怠らず、向こうの過剰な接触は阻止しなくてはならないと固く心に誓う。 「…」 そしてもう一つ、このままというわけにはいかないことがある。 今後の身の振り方だ。 己の罪が覆ることはない。王国、というのはある種究極の独裁を指す。それ故に王として求められるのは公平性と誠実さ、知能、知識、統率力にカリスマと…多岐に渡るわけだが。それでも王の発言が、その息子の発言が早々簡単に覆ることなどない。そうでなくても、公爵家として名高い家名に恥を塗るためならその場で協力するような家だってあっただろう。どう見たところで、自分があの家の門をもう一度潜ることはない。 ならここにいても良いと言う自分がいないわけではないが、それが一番悪手だと言っていいだろう。 相手は王太子なのだ。はっきり言って現状は綱渡りであると言える。 国の顔として示しをつけなければいけない立場の人間が、一ヶ月の半分はこんなところで惨めな女に現を抜かしているなど、ス
最終更新日: 2026-10-10
Chapter: 誰がなんと言おうと秘密基地(2)「…好きだよ、リリーナ」 「!? な、なんですの急に…」 「君の気高さも、聡明さも、強く美しい瞳も、ピンクブロンドの髪も…全て、君を成す爪の先から魂の端まで全部愛してる」 「ひっ…」 リリーナはまた変態発言が飛んでくるのかと身構えた。しかし彼が彼女に向けるその瞳に曇りはない。 「本当に、ここに閉じ込めてしまいたいよ。君はどこにでも行けてしまうから、一緒にいるには…それしかないって思い知らされる」 「…」 ディードリヒは視線を下げる。 「本当に君を愛しているから、だからそばにいて笑っていてほしいのに。どうして君の自由を奪わなければそれは叶わないんだろう」 どこを見ているのか窺い知れないその瞳から、少しずつ光が奪われていく。その視線が彼女を見た時、変態と彼女が恐れるはずの視線がひどく寂し気に、見えた。 「…」 だからすこし、ほんの少しのはずだ、自分の感情が揺れたのは。本当に愛されているのかもしれないと、ほんの少しだけ考えてしまったから。 「…貴方、私をなんだと思っていますの?」 「え?」 「貴方には私が、そんなに薄情な女に見えるのかしら」 「違う、それは」 「何もなくなってしまったただのリリーナになったとしても、私の気高さは失われませんが、たとえルーベンシュタインの私であったとしても、恩を仇で返すようなことは致しません」 「リリーナ…」 「私が今すぐにでもここを飛び立つと思わないで。ここから先の身の振り方は確かに考えなくてはいけませんが、貴方には、貴方がくれたこの温かい場所には感謝しています」 「…本当に?」 強い瞳のリリーナに、ディードリヒは震える声を返した。それでも彼女は揺れたりなどせず、もっと真っ直ぐに相手を見る。 「嘘をつくにも場所が必要ですわ。私は貴方の変態行動をに目をつぶれませんし、とても良しとは言えませんが、それでも私に気を遣っ
最終更新日: 2026-10-09
Chapter: ちょっとヤマカンが当たるなんて思ってなくてですね…(3) 私がルカさんにリストを渡すと、彼も流し見るような感じで紙束に目を通していく。そしてそのまま納得したように一度それを閉じた。 「あぁ、これだ。棚の上にあったのか…」 「よかった! お役に立てまして光栄です」 呆れてものも言えないと言った様子のルカさんではあったけど、私としてはルカさんの役に立てて天にも昇る気持ち。んん〜〜〜嬉しい、神様ありがとう。 今日は良い日だ、このままだと時間的にお昼を食べ損ねそうだけど悔いはない。 なんてるんるんになって呑気なことを考えていたら、何やら視線を感じたのでそちらを見る。するとなぜかルカさんが不思議そうにこちらを見ていた。 「如何なさいましたか?」 「あ、いや…すまない。失礼だった」 しかも彼は私の言葉に対して気まずそうに視線を逸らす。 …もしかした挙動不審でキモいと思われたかもしれない。浮かれすぎた。 「いえその…こちらこそ浮かれて変な動きしてたろうと…すみません…」 「特に動いてはなかったが…?」 「それはそれで怖くないですか…? 急に微動だにしないのは」 明かされる衝撃の事実。てっきり喜びでうねうねしてたのかと思ったけどそうではなかったらしい。 いやでも、自分でも言ったけど急に動かなくなるのはどう考えても怖いよ。 「すまない、やはり失礼だったな」 「謝るようなことじゃ…私が勝手に浮かれてただけですし」 「浮かれたのか?」 「!」 また失言したと思った頃には遅かった。 何も考えないで本音なんて言うものじゃない。ただ貴方が謝るところなんてないと言いたかっただけなのに。 そんなことでなんか、恥ずかしいこと言いたくなかった。 「い、いやその、気持ち悪くてすみません! 目的のものも見つかりましたし私はこれにて!」 これ以上は気まずいと床に散らばる書類を踏まない
最終更新日: 2026-10-13
Chapter: ちょっとヤマカンが当たるなんて思ってなくてですね…(2) あはは、とぎこちない笑いで誤魔化す。噂なんてないってバレないといいけど。 ゲドー・ヴァルキンは勇者であるケントとその仲間が最初に訪れた村で戦う大きな盗賊団の首領。奴らは村の娘を何人か誘拐して村人たちに食べ物や金を貢がせていた。 それを知ったケントは一人村を飛び出してゲドーのところに行っちゃうんだよね。 それこそゲドーは最初のボスキャラって感じで、魔法は使えないけど狡賢くて保身的だからアジトのなかはトラップまみれ。ケントは何度も死にかけながらゲドーのところになんとか辿り着く。 でもゲドーは腕っぷしも強いからボコボコにされちゃって、途中でエルシィたちが来てくれたから勝てた感じだったなぁ。 序盤だからこその熱い展開なんだけど、時系列が合っている自信はない。いくら首都から次の村までは離れてるって言っても、二週間もかかるかって言われたらそんなことはない気がするし。 なのでこんなものは所詮ヤマカンだ。 「随分とよく吹く風だな」 「そ、そうですかね…? 私はたまたま聞いただけなので…」 そして訪れる沈黙。 でも、もしかして合ってるなんて言わないよね? まぁまだケントたち旅立ってそんなに時間てったないしな、くらいの軽い気持ちでしかないんだからきな臭いことに巻き込まれたくはない。 「と、とりあえず探すの再開しますね! 副団長はそろそろご休憩でも…」 「いや、いい。そんな暇はない」 ルカさんはそれだけ言うと作業を再開し始めた。私もそれに倣って書類を仕分けていると、ふと棚の上に紙束があることに気づく。 「んっ…」 なのでそれを取ろうと手を伸ばしているわけだけど、あと少し届かない。 「あとちょっと…!」 ぐっとつま先を伸ばして手を伸ばす。そしてなんとか指先が紙束を摘んだ時、 「きゃぁ!?」 そのまま後ろにずっこけた。背後に向かって倒れ込んだ体がほんの少し宙を舞う。
最終更新日: 2026-10-13
Chapter: ちょっとヤマカンが当たるなんて思ってなくてですね…(1) ******** 「君」 不意に呼ばれたのが自分のことなのかはわからないまま、とりあえずで声の方に振り向く。すると声の主は予想通りルカさんだった。 「私でしょうか?」 さも普通を装って相手に問う。心臓は喜びと緊張で高鳴ったまま。 相手に心音が聞こえたらどうしよう。だってこの間の、彼の真っ赤な顔を見てしまってからそう日は経ってない。彼の顔を見るだけで、あの光景が頭を過ぎる。 「あぁ。今手は空いているか?」 「はい」 「なら少し手伝ってくれないか」 「? わかりました」 *** よくわからないままルカさんに連れてこられた一室の中は、どうにも煩雑としていた。 スペースの空いた本棚があるのに入らないで床に放ってある本とか、雑に積み重ねられた紙で作られている何本もの柱とか、それこそ床に紙が散らばってて足の踏み場ないし。 「資料を一つ探しているんだが、何せこの状況だと一人でやるには骨が折れてな」 「確かにとんでもないことになってますね…」 どれだけ雑に扱ったらこんなことになるんだろ…暇があったら片付けないと気が済みそうにない。 「書類仕事となるとここでは嫌われ者なせいか、どうにもいかない。進んでこの状況をなんとかしたいと思う人間の方が稀だ」 「えぇ…? 私だったら片付けたいですよ、こんなの」 正直言って信じられないよ、こんな仕事しづらい状況なんて。書類仕事に求められる最もたるものは効率なんだから。 “面倒だから、効率的に”…私の信条である。 「なら任せていいか?」 「え?」 「片付けたいんだろう? こちらとしても助かる」 「構いませんが、時間が欲しいです」
最終更新日: 2026-10-12
Chapter: 貴方のそんなところ、私は知らない ******** 「副団長、いらっしゃいますか?」 ある日、私は“副団長執務室”と書かれた看板が吊り下げられたドアをノックして、中にいる人物に呼びかけている。すぐに帰ってきた入室許可の返答を合図にドアを開けると、部屋の奥に置かれた執務机で書類作業を行なっているルカさんが目に入った。 ルカさんは私が目で追いかけているうちにしっかりと副団長の座まで上り詰めている。この六年以上という年月の中で、彼を見かけるたびについ視線で追ってしまうけど…なるべく視線は合わせないようにしているからバレてないと思いたい。 まぁルカさんの昇進に関しては、彼は槍使いのはずなのにどんな武器でも当たり前みたいに使いこなして風魔法は上級、他の四元素も中級程度なら公式設定通り簡単に使いこなしてしまうので…そこにあの頭脳が加われば何も不思議なことなんてないんだけど。 「…」 それにしても、と目の前で書類に集中しているルカさんにどうしても視線が釘付けにされてしまう。 いつも綺麗なプラチナブロンドの髪は相変わらず前髪が少し長くて目元が見えづらいから、書類を見ているせいで視線が下に向いている今ではその奥にある切長な垂れ目と新緑の瞳を拝むことはできない。 それに、私たち騎士は業務時間中は防具の装備が義務付けられていて、副団長ともなるともはやそれは甲冑なんだけど…それを着ていても彼は少し細身に見える。 だけど手の大きさに対して少し細い羽ペンを持て余しているその掌には、焼き付けられたように刻み込まれたタコが幾つも見て取れた。その硬く変わっていった、装甲のような皮膚の部分の数だけ彼が重ねた努力を証明している。 「どうした?」 「!」
最終更新日: 2026-10-11
Chapter: 勇者たちは旅だった、では私は? ******** 正式に騎士として昇格してから一年半が経ち、私は今まさに目の前で魔王アルバートの住まう城へと向かう勇者とその仲間たちを、式典の護衛の一人として眺めている。 勇者と仲間三人の旅立ちは盛大な式典として扱われ、聖女エルシィと同じように信託を受けたという他の巫女たちの祈りと共に彼らは見送られた。 見送られてるってことは原作一巻の最後半の話か…私が騎士に上がってからしばらく経つし、王城決戦は避けられるイベントだとも思わない。でも同時に、“その日”がいつになるのかが明確でないのも現実だ。 一ヶ月後かもしれないし、三ヶ月後、半年経ってからかもしれない。 王城での決戦は、魔王アルバートが魔界の入り口となる離れ小島の手前の港までやってきた勇者たちに対して行う入念な嫌がらせだ。 突如現れた魔族の大群に対して国王が苦渋の決断で国宝である魔法通信機を使い勇者たちの一時帰還を要請する。要請を聞いた勇者たちは慌てて帰ろうとするも、歩きでは何日かかるかわからないとなって地元の魔族が牛耳ってる瞬間移動装置を奪って帰ってくるんだよね。 でも作中にちょろっと出てきた地図を確認するに、首都からその港までがそもそも何ヶ月かかるかわからないところにあるし、途中滞在する村で事件が起きたりもするから本当に時間軸が掴めない。 ケントと魔法使いのネイサン、それに騎士のカトレアは歩くのが早いかもしれないけど、エルシィは聖女として教会に篭り切りだった描写から考えれば足の速さも体力もあるとは思えない…そうなれば当然歩行ペースはエルシィに合わせられたものになってく。 今回魔族と裏で繋がっていた官僚の顔は覚えてるけど、物語の中では拘束されるところまでしか描写がないから何か重要な情報を握っていて、それが後からフラグとして生かされる可能性もあるかもと考えると、暗殺なんてしたら後が大変なことになりかねない。 私が読んでいた段階だとアルバートが何故人間を敵視するのか、という点については考察ができる範疇しか描かれてなかったし…小さなヒントでも一つなくなるだけで根本が瓦解する恐れがある。 読んでいた流れ的にはハッピーエンドに行きつきそうな感じだったし、そこから
最終更新日: 2026-10-11
Chapter: まだここはスタートラインだ(2) 今日は従士から騎士へと位を上げる昇級式なわけだけど、本当にここまで長かったなと話をしながら改めて考える。 前世の記憶を取り戻し、親を説得しきるまで四年。そこから従士として実質五年…その九年の歳月を私はルカさんを護れるようになりたくて捧げてきた。 でもなんの悔いもない。むしろこの程度でしか彼に恩は返せないと思ってる。 だって前世で一番苦しい時期の私に光をくれたのはルカさんだったもの。 前世の職場では人間関係がうまくいってなくて、奴隷のように扱われていた。化粧も上手くないから地味だなんだと揶揄されて…他人のやりたくない、地味で面倒だったり他人にものを教えては失敗に付き合わされるような仕事ばかりやっていた。 その上上司の苛立ちに付き合わされて、八つ当たりのように飛んでくる罵倒に何かを返すことも許されない日々。 本当に辛かった。生きていたくないというよりかは存在を根本から抹消したい人生。 大人になるというのは働くことでもあるし、家にお金もないからと高卒で就職したけど、そのせいで今があるなら奨学金の返済に首を絞められてでも大学でやりたいことをはっきりさせた方が良かったんじゃないか、なんてたらればばかりが頭をめぐって。 本当に限界ギリギリの時に親に勧められて勝手に送られてきたのが『神託の剣』。当時は何か気分転換にできるものを見つけるか、いっそ会社を辞めて実家に帰ってくるよう言われていたけど、そんな余裕はないと突っぱねていた時期でもあって。 かといって送られてきちゃったなら仕方ない…と読んでみるとわかりやすい導入とテンポの良いコマ割り、そして真っ直ぐなストーリーと時々少しだけ難しい設定に惹かれ読み進めるようになっていた。 寝る前に読む一冊が楽しみになっていった中で、私はそれを見る。 初登場時はレオの後ろに側近として仕えているような地味な登場で、でもモブにしてはキャラデザインが明確だなと思った程度だった。 でも勇者たちが旅立つその日、朝早くに出立の挨拶をするカトレアに向かって優しく微笑んだその姿を見た時、私の目は一
最終更新日: 2026-10-10
Chapter: 随分大層な「大義名分」ですこと(2) *** 朝礼が終わって、今日は何人かで窓掃除を指示された。 掃除と言っても濡れ雑巾で窓を磨き、サッシの汚れを取るのがメイン。定期的に行っていることではあるので一つ一つの作業はそこまで大変じゃない。数が多い方が問題だ。 窓掃除は毎週金曜と天気が悪かった翌日に行われる。貴族の屋敷は見栄えが大事、芸術品も大切だけど輝くような窓も欠かせない。 いつも内側から拭く人と外側から拭く人に分かれて作業を行い、高いところは梯子を使ってよくよく拭いていく。私は今日は内側担当だ。 「アニー」 「どうしたの?」 不意に声をかけられてそちらを見ると、先輩のケナンが色めきたった様子で私を見ている。その瞬間、なんだが背筋に悪寒が走ったような感覚になった。 最近、私を見ては色めき立っているメイドが多い。やはりこの間の“話し合い”を見られていたのだろうか。ロマンス小説の様に私とフィン様が“デキてる”と思っているのかもしれない。 そんな疑い溢れる状況で目の前の彼女を見ていると、先ほどの悪寒は絶対に気のせいじゃないと脳が訴えかけてくる。 おかげで私は目の前のケナンを見ながら、心の中で苦虫を噛み潰したような顔になった。 「フィン様が貴女を呼んでるの」 「………そう」 ほらきた、逃げたい。 見事予想が的中した私が最初に思ったのはその一言に尽きる。たった一言を返すのでさえ絞り出すようだった私の表情はいつにも増して死んでいることだろう。 しかし呼ばれたからには行くしかない。私はマデリンさんに呼ばれた事を伝えて、ケナンから聞いた部屋に向かった。 マデリンさんは呆れたようにため息をついて「行ってきな」とだけ…すごく申し訳ない。私が何かしたわけじゃないのに。 指示された部屋は三階の空き部屋で、珍しくまだ物置になってないから、と定期的に掃除される部屋だ。客室にもなるよう貴族が使う前提に作られているけど、中
最終更新日: 2026-10-13
Chapter: 随分大層な「大義名分」ですこと(1) ******** 真っ暗だ。 何もわからない。 足が冷たい、ここは…台所の地下室だから当然だけど。でも冷えて足が痛い、指が無くなりそう。 遠くで何か叫んでる声が聞こえる。知らない声が、私を呼んでる。 「…」 怖い。 そうだ、床に血が広がってた。 知ってる人が倒れてた。 「無事かな、サリー…」 サリーは私をここに入れて、助けを呼んでくると、そう言って行ってしまった。 「寒い…」 石造りの地下室は寒い。ただでさえ寒い時期なのに、地下なんて凍えて死んでしまいそう。 寒さのあまり垂れてきた鼻水をすん、と啜った時、嗅ぎ慣れない臭いがした。 「?」 そのまますんすん、と鼻を効かせると、確かに煙の臭いを感じる。 「!」 誰かが屋敷に火を放ったんだ。あの声の人たち? まずい、早く出なくちゃ。 地下室の上部にある扉を内側から開けようとする。だけど、上に何か乗ってるのかびくともしない。ここは内側からも開くはずなのに。 「だして!ここから出して!」 扉を叩いて誰かに知らせようとするけど、返事はない。 それでも精一杯力を込めて扉を叩く。心のどこかで助けは来ないとわかっていても。 「けっほ、けほっ…」 煙がもう隙間から中に入ってきてる。地下室にはむせ返る煙の匂いが広がっていった。 それでも扉を叩く。叩いて、叩いて、誰か助けてほしい。 「げほ、けっほ、うぇ」 咳き込みすぎて吐き戻しそうだ。頭もくらくらする。 やがて力を使いすぎて座り込んでしまった。 体が重い。頭も重い。眠くなってき
最終更新日: 2026-10-12
Chapter: 「夢じゃない」なら、なんだって言うんだ(2) *** 「うぅ…申し訳ありません」 ハンカチで残った涙を拭きながら言う。 涙はしばらくしたら落ち着いたけど、目が腫れてるだろうなこれは…まだ鼻も詰まってる気がする。 「落ち着いたみたいでよかったよ…」 フィン様は安堵したようにそう言った。 「いやほんっとに、ほんっとうに申し訳ありませんでした!」 私は速攻で頭と腰を九十度曲げて謝った。 何をしてるんだ私は、こんなことでは不敬すぎて物理的に死んでしまう。 「いや、良いんだ。頭を上げて」 「…?」 お召し物に鼻水は付けないぞと言う固い決意が届いたのか? いや多分そうじゃないだろうな。 こんなみっともない姿晒して「大丈夫」は貴方が大丈夫なのか? そんなに目下の人間に心が広いと、むしろ何かと騙されそうけど大丈夫なのかな…。 「…夢じゃないなら、か」 不意にそう言いながら、彼は困ったように笑った。確かに私はそう言ったけど彼の表情の真意までは掴めない。 「僕は思ったより、独りよがりだったみたいだ」 大きなため息をつきながら彼は床に座り込んだ。私はそれを眺めながら自分も座った方がいいのかについて考える。 主人より頭の位置が高いことを取って座るべきか、それとも許可がないので立ったままでいるべきか、どっちなんだこれは。 「君も座っていいよ、立ってたら疲れたろう?」 戸惑う私を見てか、彼はそう言って自分の隣をぽんぽんと叩く。 あれ、この光景どこかで見たような。 「…では、失礼して…」 一瞬やっぱり良いのか悩んだけど、ここまで立ちっぱなしで疲れてしまった気持ちが勝った。 彼の右隣にそっと座る。膝を立てて小さく収まる様に。 「「…」」 しばしの
最終更新日: 2026-10-11
Chapter: 「夢じゃない」なら、なんだって言うんだ(1) ******** 「今日の夕方から、アニーはダンスホールの床掃除ね」 「はい、わかりました」 なぜか、どこか呆れた様に私にそう指示を出すマデリンさんにほのかな疑問を覚えながらも、言われた事だし、と私は素直に引き受ける。 これが昼過ぎに遅番の人も含めて行われる昼礼のことだ。 そして夕方。まだ日のあるうちに掃除自体は終わらせないとまた先週のように見えない中掃除をする羽目になるので必死に床を磨いている。 せっせと掃除を済ませても、夕方から始めたんじゃ結局日は落ち切ってしまうんだけど。最後にバケツでモップを洗う頃には、もう真っ暗だ。 でもまだ日は落ち切ったばかりだから、先週と違ってマデリンさんに今日中にダンスホールの鍵を返すことができる。 早速マデリンさんのところに向かってから晩御飯を食べに行こうと考えていた矢先、重い…引きずるような音を立ててダンスホールの扉が開いた。 「?」 ここで人と会うような約束はしていないので、そうなるとこう言う展開には覚えがない。 しかし、扉の向こうから現れたのは、 「…やぁ」 なんだか申し訳なさそうなフィン様だった。 「…いかがなさいましたか?」 何もない時にこんな所に主人がやってくるなんて、いつかの夜の様だ。 あの時は眠れなくてフラついてたのかと思ってたけど、今日は時間的にもそれは怪しい。 そんなことを考える私の不思議そうな表情を見てなのか、彼はなぜか緊張した面持ちで言った。 「あの、この間の続きをと、思って」 「続き…?」 もしかしなくてもダン
最終更新日: 2026-10-10
Chapter: 叶わぬ夢でも幻を見るくらいなら(4) *** 「まずは基本的なワルツから。ゆっくりやっていこう」 「は、はい」 ゆっくりと、彼が私の呼吸に合わせてくれる。 挨拶にはじまって挨拶に終わるのが社交ダンスだ。 始めの挨拶をお互いにしてから構えを取り踊り、終わったら今度は感謝の挨拶をして一曲を終える。 「1、2、3…2、2、3…」 腕は絡め合うように添え合うように。 足は揃えるように競うように。 ゆっくりなのに、記憶とは全然違う。確かに私のダンスにまつわる記憶は十四で止まっているし、ダンスの授業も何度かしか受けてないから当然といえばそうなんだけど。 四つの工程をさらに四つのステップに分けて同じことを繰り返す。 右回りからはじまって、途中で反対にステップを踏むことでくるくると回るようにダンスは続く。 「すみません…」 呟くように謝る私は、ここまででフィン様の足を何度か踏んでしまっている。なぜかと言えば、相手の足が自分の足にピッタリつく様にお互いステップを踏むものだからなんだけど。相手の足を踏むことは修練が足らないだけでなく純粋に無礼なこと。 正直、まさか自分がこんなに不器用だとは思わなかった。 「構わない。初心者なんだから」 「あ、ありがとうございます…」 そうは言っても申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 さらに気になると言えば本当に、びっくりするくらい密着すること。お、お腹なんてくっついてしまっているし。 これではフィン様のお召し物が汚れてしまうのでは無いだろうか。私のメイドの服なんて、掃除してる以上そんな綺麗なものでもないのに。 「あの…」 「なんだい?」 「お召し物が、汚れませんか。この密着度合いは…」 「構わないさ、どうせこれから着替えるんだ」 「そういうも
最終更新日: 2026-10-09
Chapter: 叶わぬ夢でも幻を見るくらいなら(3)「そう、怒ってるわけじゃなくて…なんて言ったら良いのかな」 フィン様は困ったように首の後ろを右手で掻きながら、何か言葉を探している様に見えた。私は二回も聞こえた“怒ってない”と言う言葉に目を白黒させるばかり。 普通は権力者としての威厳の為にも叱り飛ばす所だと思うけど…この状況は一体。 「そう、あんな粗末なダンスは見たことがなくて」 「…」 は? と、言いかかってなんとか止めた。 丁寧に喧嘩を売ってらっしゃるのかしら、この主人は。 ダンスホールが暗くて表情が見えづらいのはありがたい。おかげで今のイラッとした表情を見られることもないから。 それに少なくとも下手くそなのは、わざわざ人に言われなくったって自分が一番解ってる。 「でも君は楽しそうに見えて、翻るスカートが綺麗で…その、見惚れていた」 「!?」 目の前の男が何を言っているのか、全くもってわからない。今なんて言ったこの人!? 今日ここまであれだけ険しい表情で避けておきながら、いやなんならさっきの失礼な発言も含めて、たくさん人を傷つけておいて。 こんな時だけ調子のいい事を言う。その真意が掴めない。 これはどう言う状況なんだろうか? 「あぁいや、変な意味じゃないんだ。普段はこう、君の顔をうまく見れないから」 「はぁ…」 自覚あったんですね。と言う言葉も飲み込んだ。うまく顔を見れないなんてもんでもない気がするけど。 「女性に対して失礼な態度も多かったと思う。すまなかった」 「…私はメイドでございますので、フィン様が私に対して謝ることはございません」 結局、主人が使用人をどう扱おうと自由で“弁える”と言うのはそういうこと。それを飲み込めないなら使用人は務まらないと、孤児院でもよく聞かされた。 というか、普通目下のものにほいほい謝っちゃダメだと思うんだけど。 「
最終更新日: 2026-10-08