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2-42 再びの別れ 2

last update 最終更新日: 2025-05-07 14:29:39

 翌朝――

 出社した琢磨は、もう1人の若き社長『ラージウェアハウス』を設立した二階堂晃の社長室に呼び出されていた。

僅か24歳でこのネット通販会社を立上げ、30歳になった今では知らない人はいないほどの一流大手企業に成長させた人物である。容姿端麗で独身と言うこともあり、多くの有名女性達からの人気も非常に高い。

「九条、今日呼び出したのは他でもない」

二階堂は椅子に座り足を組んだ。

「実は来年、アメリカに支社を作ることに決めたんだ。九条、お前来週からオハイオ州に行ってくれ。連れて行くメンバーは20名でお前が自由に選出してくれて構わないぞ? そうだな……軌道に乗るまで最低3年は行って貰う」

「な、何ですって!? どうしてそんないきなり……!」

あまりにも突然の話で琢磨は驚いた。確かに以前から海外にも拠点を置き、現地で人気商品をリサーチして商品として売る話は計画に浮上していたが、まさか自分が選ばれるとも思っていなかったし、正に寝耳に水だ。

「どうしてかって? そんなのは九条、お前だから任せたいんじゃないか。学生時代からお前は俺の後輩としてずっと見てきたが、人一倍優秀だったからな。だからお前があの鳴海翔の専属秘書になった時は正直驚いたよ。勿体ないなって思ったな。俺だったらもっとお前の才能を伸ばしてやれたのにって」

「それは買いかぶり過ぎですよ。俺はそんなに大層な人間じゃありませんから。とにかくこの話はお断りします。俺は日本を離れるつもりは無いです。では失礼します」

一礼して背を向けて去りかけた時、二階堂が声をかけてきた。

「九条。恋は盲目って言うけど……事実だったのか?」

「え……?」

琢磨はその言葉に凍り付いて、思わず振り向いた。

「何だ? その顔は……やはり図星だったのか?」

「……おっしゃっている意味が……よく分かりませんが……」

なるべく冷静さを保ちつつ、琢磨は返事をする。すると二階堂は溜息をつきながらA4サイズの封筒を引き出しから出して、デスクの前に置いた。

「今朝匿名で社長室宛てに届いたんだよ」

「中を見ても?」

「ああ」

琢磨は茶封筒から用紙を取り出した。

「え……? 九条琢磨の報告書……!?」

琢磨はざっと書類に目を通し、見る見るうちに顔色が青ざめていく。

 九条琢磨は以前秘書として働いていた『鳴海グループ総合商社』の副社長、鳴海翔の妻である、鳴海朱莉に恋
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     翔は社長室のデスクでため息をついていた。そこへ秘書である姫宮がノックをして入室して来た。「おはようございます、翔さん。……どうしたのですか? 朝からため息をつかれて」「いや……少し蓮のことで……あ、すまなかった。プライベートなことなのに」「いえ、蓮君がどうされたのですか?」「実は……朱莉さんから週末、蓮のお宮参りに行かないか誘われたんだ」「まあ、それは素晴らしいですね。お祝い事の行事は大事ですから」「だから、明日香を誘ったんだ。2人でお宮参りに行かないかって」「え?」「だが……明日香は行かないと断ったんだ……」翔は頭を押さえた。姫宮は黙って聞いている。「だから朱莉さんに言ったんだ。悪いけど1人でお宮参りに行ってくれって。写真は頼んだんだが……。明日香の機嫌がどうにも良くなってくれなくて……」そして再び翔は溜息をついた。「そうでしたか……」姫宮は静かに答えた。すると、突然翔が立ち上った。「翔さん? どちらへ行かれるのですか?」「あ……いや、まだ始業時間まで時間があるからコーヒーを買ってくる」「コーヒーならコーヒーサーバーがありますよ? おいれしましょうか?」「いや。いいんだ。少し外の空気も吸ってきたいから」翔は上着をひっかけた。「はい、分かりました。行ってらっしゃいませ」姫宮は頭下げた。やがてドアが閉じられると姫宮はスマホを取り出し、メッセージを打ちこみ始めた……。**** 昼休憩の後。突然、翔のPCから呼び出し音が鳴った。「え……? ビデオ通話……会長だ!」翔は慌てながら応答した。すると画面上に会長である鳴海猛が映し出された。『やあ、久しぶりだな。翔』「はい、お久しぶりです。会長……突然どうされたのですか?」『いや、どうされたも無いだろう? お前がいつまでたっても曾孫の蓮の画像を送ってくれないからお前に電話を入れたんじゃないか。それに蓮は生れて一カ月が経過しただろう。お宮参りの行事があるんじゃないのか?』翔はドキリとした。まさか猛から蓮のお宮参りの話が出てくるとは思ってもいなかった。「そ、そうですね。そのことは考えてはいたのですが……」翔が言い淀む。『それでな、翔。今、私は上海支社にいるんだが、明日の朝一番の便で帰国することにした。お前の子供に会わせてくれ。それで朱莉さんを連れて一緒に土曜日にお

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     電話を切った航は項垂れてスマホを強く握りしめた。「あ……朱莉……。ごめん……」その上にポタポタと涙がこぼれて落ちてゆく。今までこんなに誰かを好きになったことは無かった。過去に何回か交際したことはあったが、誰とも長続きはしなかった。なのに朱莉にだけは強く惹かれた。背負っているものが重過ぎて、年上なのに何所か守ってやらなければと思わせる儚さ。朱莉本人は全く自覚していないようだが、美しい容姿……優しい心……そのどれもが航の心を鷲掴みにしてしまっていたのだ。出来ることなら自分の思いを告げたかったが、朱莉はあの鳴海翔の人妻だ。例えそれが嘘にまみれた偽装結婚でも、書類上はれっきとした婚姻関係を結んでいる。不倫の代償は……大きい。おまけに朱莉は契約書に決して浮気をしてはいけないとサインまでさせられているのだ。朱莉にその気が無くても自分が周りをうろついていた為に第三者に付け込まれてしまった。「俺も琢磨も……朱莉のことを遠くから見守っていれば……別れを告げずに済んだのか……?」航は自問自答した。「朱莉……お前が俺のこと、弟としか見ていなくても……お前のことが大好きだったよ……」航はいつまでも泣き続けるのだった——**** 電話が切れた後も、朱莉は暫くの間呆然としていた。(航君……さよならって言ってたけど……もう二度と連絡を取り合わないってことなの? それに九条さんがオハイオ州に行くなんて……)何もかも初めて聞かされたことなので、とてもではないが朱莉はすぐに受け入れられずにいた。「フエエエエ……」その時、蓮がむずかった。その声に朱莉は我に返り、慌ててベビーベッドへ向かうと蓮を抱き上げた。「よしよし……レンちゃん。どうしたの?」蓮を胸に抱きしめ、あやしながらだんだん朱莉は冷静さを取り戻してきた。(航君、彼女が出来たんだ。航君はいい子だから彼女が出来ても当然だよね。少し寂しいけど、応援してあげなくちゃ。その為には私は邪魔しちゃいけないものね。それに九条さんがオハイオ州に行くなんて……。最後にお礼を言いたかったけど航君に連絡をしないように言われたから諦めなくちゃ)朱莉にあやされているうちに、いつの間にか蓮は眠りに就いていた。その姿を見ながら朱莉は思った。(そうよ、私にはまだレンちゃんがいる。それに、もともと私は1人きりだったんだから。それが

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   3-3 航の思い 1

     朱莉から電話がかかってくる少し前—— 缶ビールを片手に、航は自分のスマホを強く握りしめていた。父の弘樹に諭されてから、今日こそ、明日こそ朱莉に別れを告げなければと思いつつ、数日が過ぎてしまっていた。そんな航の元気の無い姿を弘樹は気づいていたが、特に声をかけることはしなかった。琢磨とは既に打ち合わせ済みだった。もし仮にどちらかのスマホに朱莉から連絡が入ってきた場合は、自分たちに二度と連絡を入れないように朱莉に告げようと。琢磨は現在オハイオ州に移り住む為の準備で奔走している。朱莉に別れを告げるなら自分の役目だと航は決め、そのことを既に琢磨には告げてあった。それなのに航は朱莉と別れを告げるのが怖かった。だから先延ばしにしていたのに……。その電話は突然鳴ったのだ。握りしめていたスマホが突然鳴り響き、航は驚いた。そして着信相手を見てさらに衝撃を受けた。「あ、朱莉……!」まさかこんなに早く朱莉から電話がかかって来るとは思ってもいなかった。(朱莉……この電話に出たら俺はお前に別れを告げなくちゃならないんだ……! 頼むから諦めて切ってくれ……!)航は唇をかみしめてスマホが鳴りやむのを待っていたが、根負けして10コール目でとうとう電話に出てしまった。「もしもし……」自分でも驚くほど弱々しい声が口を突いて出てきた。『こんばんは。航君。……どうしたの? 何だか随分元気が無さそうだけど?』受話器越しから自分の身を案ずる朱莉の声が聞こえてくる。思わず涙ぐみそうになるのを航は必死でこらえて、わざとぶっきらぼうに答えた。「いや、別に。気のせいだろう?」『でも……』「いいから、何の用なんだよ」応答しながら、航は激しく後悔していた。(俺は……なんて酷い対応をしているんだ……!)朱莉の電話の内容は蓮のお宮参りについて来てほしいとのことだった。その話を聞きながら、航は翔に対して怒りをたぎらせていた。(あいつめ……! また朱莉一人に自分の子供の行事を押し付けるなんて! 俺がお前の立場だったら、絶対にそんなことはさせないのに……! だけど……俺はもうこれ以上お前の傍にいちゃいけなんだよ!)「無理だな」朱莉の話を聞き終えると、血を吐く様な思いで航は返事をした。『え?』朱莉の戸惑った声が何所か悲しみを帯びたように航には聞こえた。朱莉に何か問い詰められるのが怖

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   3-2 生後一月目の出来事 2

     明日香は朱莉に親切にして貰って以来、少しずつ朱莉に対して思う所が出てきていた。沖縄では翔の浮気疑惑が浮上した時、身重の明日香に変わって朱莉がわざわざ東京まで足を運んでくれたし、今だって蓮の子育てを一生懸命やってくれている。そのことは1週間ごとに報告してくる朱莉のメールで良く分かっている。まだ素直になれない明日香ではあったが、いずれはきちんと心からの謝罪とお礼を述べたいと思っていたのだ。それなのに、翔の態度は相変わらずだ。朱莉に対する扱いは、かつて自分が鳴海家で受けてきた扱いを彷彿とさせ、明日香にとって非常に嫌な気分にさせる。「明日香……それじゃお宮参りには……?」「行かない、と言うか行けないわ。来月『独身イラストレーターの座談会』というイベントが開催されるのよ。私はそこに呼ばれてるの。『独身』の私が蓮を連れてお宮参りになんて行けるはずないでしょう?そんなに行きたいなら、朱莉さんと2人で行けばいいでしょう!?」明日香はそこまで言って気が付いた。以前の明日香なら翔と朱莉の中を激しく嫉妬していたが、朱莉に対する思いの変化に、翔の冷たい態度。さらに一時的に10年分の記憶を失って琢磨を好きだった頃の自分の記憶を取り戻し、少しずつ翔に対する依存度が減ってきていることを今更ながら自覚したのだ。一方の翔は明日香に思いがけない言葉を投げつけられ、酷く傷ついていた。そして深いため息をついた。「……分かった。お宮参りの件は……断るよ」「え?」明日香は一瞬顔を上げたが……そっぽを向いた。「勝手にしたら?」そしてグラスをテーブルに置くと明日香は仕事部屋へと戻って行った。そんな明日香を見届けながら翔は朱莉に電話を掛けた。呼び出し音の後、朱莉が電話口に出た。『はい、もしもし』「こんばんは。朱莉さん」『はい、こんばんは』「蓮は今どうしてる?」『フフ……今はお目目パッチリ開いてベビーベッドに取り付けたメリーを見つめています。この頃ってまだ殆ど目は見えていない様なんですけど、うっすらと見えているんでしょうね?』電話口からは穏やかな朱莉の声が聞こえてくる。「そうか……。それで、お宮参りの件なんだけどね……悪いけど行けないんだ。だから朱莉さん1人で行ってきてくれるかい?」『え……? 1人で……ですか?』「何だ? 無理かい?」『い、いえ! そんなことはありませ

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   3-1 生後一月目の出来事 1

     11月22日—— 琢磨と航が朱莉との別れを決意してから数日が経過していた。朱莉は蓮を抱っこしながらカレンダーを見ていた。「フフフ……早いな。もうレンちゃんが生まれて一カ月になるんだもの」朱莉は腕の中でスヤスヤ眠る蓮を愛おし気に撫でた。「色々バタバタしていたから、お七夜が出来なかった代わりにお宮参りだけでも出来ないかな?」朱莉は自分が育てる間は、蓮のお祝い事の行事を出来るだけ行いと考えていた。「翔先輩に今週の土曜か日曜、お宮参りに行って貰えないか頼んでみようかな? そうだ、お昼の時間にメッセージを送ってみよう。レンちゃん、パパ、お宮参り一緒に来てくれるといいね?」朱莉は笑みを浮かべ、蓮に頬ずりした。 12時――朱莉は蓮のミルクをあげて寝かせつけた後、翔にメッセージを送った。『御相談したいことがあります。お手すきの時に連絡お待ちしております』それだけ書いて送信すると、すぐに電話がかかってきた。「はい。もしもし」朱莉が電話に出ると、翔のどこか疲れた感じの声が聞こえてきた。『朱莉さん。何か蓮のことであったのかい?』「い、いえ。実は今日が蓮君が生まれて丁度一カ月になったのでご連絡させていただきました」『ああ。そうか……もうそんなになるんだね。それで、他に用件は?』あくまで事務的な態度の翔。最初の内はその対応に多少なりとも傷付いたことがあったが、今の朱莉はこれが普通なのだと受け入れるようになっていた。「はい。それで生後一か月経つと、お宮参りと言うのを行うのですが、今週の土曜か日曜にお宮参りに行きませんか?」『う〜ん……お宮参りか……。そうか! その手があったか!』「え? その手?」『ありがとう、朱莉さん。明日香に確認してみるよ。もし明日香が了承してくれれば俺と明日香の2人でお宮参りに行ってくることにするよ! 教えてくれてありがとう。また後で連絡するよ』それだけ言うと電話は切れてしまった。「翔先輩……」朱莉は暫く呆然としていた。(そうか……翔先輩は明日香さんと2人でお宮参りに行くつもりなんだ……。私は付き添いもさせて貰えないのかな……?)そう思うと無性に寂しい気持ちになったが、朱莉には意見する権利は何処にも無かった。****その夜――「しつこいわねえ……帰宅してから早々にまたその話なの?」イラストの仕事をしていた明

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   2-42 再びの別れ 2

     翌朝―― 出社した琢磨は、もう1人の若き社長『ラージウェアハウス』を設立した二階堂晃の社長室に呼び出されていた。僅か24歳でこのネット通販会社を立上げ、30歳になった今では知らない人はいないほどの一流大手企業に成長させた人物である。容姿端麗で独身と言うこともあり、多くの有名女性達からの人気も非常に高い。「九条、今日呼び出したのは他でもない」二階堂は椅子に座り足を組んだ。「実は来年、アメリカに支社を作ることに決めたんだ。九条、お前来週からオハイオ州に行ってくれ。連れて行くメンバーは20名でお前が自由に選出してくれて構わないぞ? そうだな……軌道に乗るまで最低3年は行って貰う」「な、何ですって!? どうしてそんないきなり……!」あまりにも突然の話で琢磨は驚いた。確かに以前から海外にも拠点を置き、現地で人気商品をリサーチして商品として売る話は計画に浮上していたが、まさか自分が選ばれるとも思っていなかったし、正に寝耳に水だ。「どうしてかって? そんなのは九条、お前だから任せたいんじゃないか。学生時代からお前は俺の後輩としてずっと見てきたが、人一倍優秀だったからな。だからお前があの鳴海翔の専属秘書になった時は正直驚いたよ。勿体ないなって思ったな。俺だったらもっとお前の才能を伸ばしてやれたのにって」「それは買いかぶり過ぎですよ。俺はそんなに大層な人間じゃありませんから。とにかくこの話はお断りします。俺は日本を離れるつもりは無いです。では失礼します」一礼して背を向けて去りかけた時、二階堂が声をかけてきた。「九条。恋は盲目って言うけど……事実だったのか?」「え……?」琢磨はその言葉に凍り付いて、思わず振り向いた。「何だ? その顔は……やはり図星だったのか?」「……おっしゃっている意味が……よく分かりませんが……」なるべく冷静さを保ちつつ、琢磨は返事をする。すると二階堂は溜息をつきながらA4サイズの封筒を引き出しから出して、デスクの前に置いた。「今朝匿名で社長室宛てに届いたんだよ」「中を見ても?」「ああ」琢磨は茶封筒から用紙を取り出した。「え……? 九条琢磨の報告書……!?」琢磨はざっと書類に目を通し、見る見るうちに顔色が青ざめていく。 九条琢磨は以前秘書として働いていた『鳴海グループ総合商社』の副社長、鳴海翔の妻である、鳴海朱莉に恋

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