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第3話

Penulis: キンちゃん
しかし、博史はもがく美由の手首をつかんで、頭上の壁に強く押さえつけた。

狂ったように美由の唇を貪る。

まるで、理性を失った猛獣みたいだ。

美由のぎゅっと閉じられた目から、涙がゆっくりと流れ落ちる。

それでも、博史が止まる気配はまったくなかった。

本当に耐えきれなくなった美由は、とうとうその唇に思いっきり噛みついた。

「いっ…」鋭い痛みに、博史が美由の唇から離れた。

自分の知っている博史は、いつも優しかったのに。

こんな乱暴になってしまったのは、きっと自分のことをひどく憎んでいるからだろう。そう思うと、美由の胸はズキズキと痛んだ。

博史は美由の手を押さえたまま離そうとせず、熱い息が彼女の頬にかかる。

「お前は一度、俺の世界から消えたんだ。なら、もう二度と俺の前に顔なんか見せるな」

博史の声は低くかすれていて、氷のように冷たい。その言葉に、美由の心は鋭い刃物で、えぐられるようだった。

胸が引き裂かれるような痛みで、息をするのも苦しい。

「わかった」声の震えをなんとか抑え、美由は答える。

しかし、美由だけが知っていた。

自分の世界から、博史が消えたことなんて一度もないということを……

以前、誰かが若い頃に素敵すぎる人と出会ってはいけないって言っていたことを思い出す。その時は、意味が分からなかったが、今なら何となくわかる気がする。もしその人と離れてしまったら、残りの人生、ずっとその人を忘れられなくて孤独になるということなのだろう。

博史は美由を離すと、噛まれた唇を長い指でそっと拭う。そして何事も無かったかのように、階段から立ち去っていった。

美由は力なく壁に寄りかかってずるずると座り込んだ。涙で視界がぼやけても、唇にはまだ博史の感触が残っていた。

心がまた引き裂かれたみたいで、息ができないほど苦しい。

しばらく階段の踊り場に座り込み、気持ちを落ち着ける。

頬の涙を拭うと、ポケットからスマホを取り出し、菖蒲にメッセージを送った。

【菖蒲、ごめん。急用ができたから先に帰るね。悪いんだけど、私のバッグ、宅配便か何かで家に送ってもらえるかな?】

メッセージを送ると、美由は壁に手をついて立ち上がった。そして天を仰いで深呼吸し、またにじんできた涙を拭う。心も体も疲れ果てていた。博史に会わないように、そっと階段を下りていく。

菖蒲から返信があった。【美由、やるじゃない!博史さんの唇、噛み切ったみたいね?結構激しいじゃん!でも、そんぐらいしなきゃ。彼女持ちの男なんて、こっちから離れないと】

美由は複雑な表情で唇を噛みしめる。まるで心にぽっかり穴が開いたみたいだ。美由は沈んだ気持ちのまま、ホテルを後にした。

……

夜も更けた頃、パーティーはお開きになった。

この時間にもなると大通りに走っている車も、そう多くはない。

オレンジ色の街灯が車内を照らし、博史の暗い横顔を浮き上がらせる。

その薄い唇についた傷が、やけに目立っていた。

酒を飲んでいなかった遥は、運転していた。ハンドルを握る指に力がこもる。そして、全身からは、嫉妬まじりの怒りがにじみ出ていた。

遥は博史の唇をちらりと見ると、腹立たしげに言った。「深津市はこんなに広くて、人もたくさんいるっていうのに、どうして美由に会っちゃうのよ!」

寂しげな瞳で窓の外の景色を眺めていた博史は、遥の言葉に答えず、逆に問い返した。「なんでここがわかったんだ?」

遥は気まずそうな表情を浮かべる。「雄太さんに聞いたの。そしたら、ここにいるって教えてくれたから……」

博史は厳しい声で言った。「俺の友人関係に、無理やり入ってこないでくれ」

「博史さん、もしかして美由が雄太さんたちと知り合いだって知ってたから、今日の集まりに参加したの?」

博史は苛立たしげに目を閉じると、そのまま黙った。

遥は博史の顔色をうかがう。彼の顔に、大きな感情の変化がないのを見て、さらに問い詰めた。「博史さんは美由に裏切られたんでしょ?まさか、彼女とよりを戻したいなんて思ってないよね?」

博史は冷たく言った。「あいつと俺のことは、俺の問題だ。お前にとやかく言われる筋合いはない」

遥は考えれば考えるほど腹が立ってきて、声を荒らげた。「博史さん、なんでまだあの女をかばうの?あの時、あんなひどいことをされたのに……」

博史は冷たい声で遮る。「もう黙ってくれるか?」

遥はそれ以上何か言うことを止めた。

昔、博史がどれだけ美由を愛していたかを思い出すと、遥は不安でたまらなかった。

美由が博史に別れを告げた時、彼は泣きながら、地面にうずくまり、自分を見失うほど取り乱していた。

なんとか美由に考え直してもらおうと、かなり冷え込む東都の10月、博史は豪雨の中で立ち続けた。7時間も雨に打たれ、最後には気を失って病院に運ばれたのだった。

耳を塞ぎたくなるような言葉を美由に浴びせられても、博史は諦めきれずに彼女にすがりついていた。

大学を卒業すると、連絡先をすべて変え、東都から姿を消した美由。

そうして、二人の関係は完全に断ち切られたのだった。

……

「美由、卒業したらすぐ結婚しよう」

「なんで、そんな急に?」

「社会に出たら学生の時より誘惑が多いだろ?それに、美由はこんなにきれいだから、きっとたくさんの男に狙われる」

「心配しないで。私が愛してるのは、博史だけだから」

「愛してるなら、結婚してくれよ。安心したいんだ」

「わかった。じゃあ、卒業したら結婚しようね」

「結婚式はどこで挙げたい?」

「私、海と砂浜と太陽が好き」

「美由が好きなものは、俺も好き。じゃあ、結婚式は海辺で挙げような」

けたたましいスマホの着信音が、美由を夢から引き戻した。美由の意識がゆっくりとはっきりしていく。

遮光カーテンがしっかり閉められた暗い部屋に、カーテンの隙間から、一筋の光が差し込んでいた。

目尻が濡れているのに気づいた。また、昔の夢を見ていたらしい。

スマホを手に取ると、画面には佐々木充(ささき みつる)の名前が表示されている。

その名前を見た瞬間、美由は反射的に嫌悪感を覚えた。

体を起こして通話ボタンを押し、スマホを耳に当てる。そして目を閉じ、寝起き特有の朦朧とした感覚に身を任せた。

「支払い日だ。病院に来い」高圧的な充の声。

「うん」美由はそう一言だけ答え、電話を切った。

スマホを放り投げ、再びベッドに倒れ込む。

5年前、充の父親である佐々木剛(ささき つよし)を殴り、植物状態にさせたことで、美由の父親・新井和真(あらい かずま)は刑務所に入れられた。

和真は、自分は無実であり、罠にはめられたのだと強く主張していた。

しかし、人証も物証もすべてが和真を犯人だと示した。事件の前日に、和真は剛と口論になり、かっとなって「明日、殺してやるからな」と言ったというのだ。

これにより殺人の動機があるとされ、懲役22年の判決が下った。賠償金は1600万円。さらに、剛の入院中の医療費と治療費も、すべて負担することになった。

和真は真面目で心優しい人だった。一方で、剛は地元では有名な悪党だった。

美由は、和真が無実だと信じている。

判決を覆すため、美由は司法試験に合格した。そして、この数年間、独自に調査を続けて新しい証拠を集め、再審請求をしているのだった。

父の無実を証明する。美由はそう固く心に誓っていた。

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