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ピンク狂いの夫に、最高の「破滅」を

ピンク狂いの夫に、最高の「破滅」を

作家:  ダチョウ完了
言語: Japanese
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概要

転生

復讐

ひいき/自己中

スカッと

逆転

不倫

三十歳を過ぎ、これまで真面目一筋だった夫が突如としてピンク色に狂い始めた。十数年も変わらなかったダークトーンの家具はピンクに塗り替えられ、食器までピンク色に染まった。 ベランダに翻るピンク色のパジャマ、ピンク色の蝶ネクタイ、そしてピンク色のブリーフを見上げ、私は奇妙な違和感を覚えた。 「ピンクなんて女の子っぽい色で、大嫌いだって言ってなかった?」 夫の加藤達也(かとう たつや)は私に背を向けたまま、届いたばかりのピンク色のシーツをいそいそと広げていた。 「ああ、剛志(つよし)と賭けをしたんだよ。『家中の物を全部ピンクに変えられたら、海辺の別荘をタダでやる』ってな。 それに、見慣れれば案外悪くないだろう?」 私は肯定も否定もせず、剛志に電話をかけた。受話器の向こうで、彼は即座にこう答えた。 「海辺の別荘?俺、そんなもん買った覚えねえぞ?」

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第1話

第1話

三十歳を過ぎ、これまで真面目一筋だった夫が突如としてピンク色に狂い始めた。十数年も変わらなかったダークトーンの家具はピンクに塗り替えられ、食器までピンク色に染まった。

ベランダに翻るピンク色のパジャマ、ピンク色の蝶ネクタイ、そしてピンク色のブリーフを見上げ、私は奇妙な違和感を覚えた。

「ピンクなんて女の子っぽい色で、大嫌いだって言ってなかった?」

夫の加藤達也(かとう たつや)は私に背を向けたまま、届いたばかりのピンク色のシーツをいそいそと広げていた。

「ああ、剛志(つよし)と賭けをしたんだよ。『家中の物を全部ピンクに変えられたら、海辺の別荘をタダでやる』ってな。

それに、見慣れれば案外悪くないだろう?」

私は肯定も否定もせず、剛志に電話をかけた。受話器の向こうで、彼は即座にこう答えた。

「海辺の別荘?俺、そんなもん買った覚えねえぞ?」

通話を終え、ピンク色の寝室で悦に入っている達也を一瞥した。

女の勘が彼が浮気をしていると警鐘を鳴らしていた。

だが、十数年も連れ添い、達也を熟知しているつもりだった。そう簡単に疑いたくはなかった。

迷った末、もう一度剛志に電話をかけてみることにした。あるいは彼が適当に口走って忘れているだけかもしれなかった。

次の瞬間、こちらの考えを察したかのように、剛志からメッセージが届いた。

【杏奈(あんな)さん、悪い!さっき聞かれたこと、思い出した。

確かにそんな話あった。達也の誕生日にみんなで集まって、つい泥酔しちゃって、冗談で『家をピンク色にできたら海辺の別荘やるよ』って言ったんだった。

だいぶ前だから忘れてたよ。ごめんごめん、達也を疑わないであげてくれ】

剛志の拙劣な言い訳を見ながら、私は【分かった】とだけ返した。

達也の誕生日は二ヶ月前だ。しかし、彼が突然ピンク狂いになったのは一ヶ月前からであった。

またしても、穴だらけの嘘だ。

私は身を沈めているピンク色のソファカバーに視線を落とし、アシスタントへ指示を送った。

【達也の身辺調査を頼む】

送信を終え、家中に侵食するピンク色の品々を見回した。

カトラリーから大型家具、カーテンに至るまで。それらのピンク色はまるで無数の触手を伸ばし、私の全身にまとわりついてくるようで、背筋が凍るような悪寒を覚えた。

手当たり次第にピンク色の置物をゴミ袋に放り込んでいると、達也が寝室から出てきた。彼はまるでとっておきの宝物でも捧げるかのように、ピンク色のぬいぐるみを私の目の前に突き出した。

「杏奈、可愛い?」

私の氷のような視線に気づき、彼は瞬時に真顔に戻った。

「気に入らないなら捨てるよ。杏奈の目障りにはしたくない」

達也はゴミ箱へ歩み寄り、私が先に捨てたピンク色の花瓶を目にして一瞬硬直したが、何も言わずにそのぬいぐるみも一緒に捨てた。

振り返った彼は優しく笑っていた。

「杏奈もこういうのが好きかと思ったんだけどな。気に入らないなら、剛志との賭けが終わったら全部処分するよ。いい?」

達也は忘れているようだ。私が可愛いものや幼稚なものに、昔からヘドが出るほど興味がないことを。

私が夜まで一言も口を利かずにいると、根負けした達也は渋々寝具を元のものに戻した。

その夜、彼が突然私に覆いかぶさってきた。

「まだ怒ってるのか?」

耳元で囁く達也の左耳には、一ヶ月前から着け始めたピンク色のピアスが光っていた。

胸の奥から焦燥感がこみ上げ、私は彼を突き飛ばした。「いいえ」

彼はそれ以上食い下がらず、まるでノルマを達成したかのようにスマホを持ってトイレへと向かった。

それきり、ずっと出てこなかった。

ふとある予感が走り、私は達也のパソコンを開いた。パスワードは私の誕生日。SNSを開くと、同期された最新の通知が表示された。

いかにもゆるふわ系を装った、ピンク色のアイコンの女からだった。

【私が買ったピンクのパンツ、穿いてくれた?】

私の心臓が早鐘を打った。続いて達也の返信が目に入った。

【穿いたよ】

その女がチェックするとねだると、達也はすぐに写真を撮って送っていた。

彼女は満足げに返信した。

【ワンちゃん、いい子ね】

信じていた世界が音を立てて崩れ去った。さらに履歴を遡ると、驚愕のやり取りが次々と目に飛び込んできた。

私の記憶の中の達也はいつだって生真面目な男だった。まさか彼が見知らぬ女を「ご主人様」と崇めるなんて!

私はその女のタイムラインを開いた。

画面全体がピンク色で埋め尽くされている。

顔は出していないが、彼女の更新頻度は高い。

ピンク色のペアパジャマ、ラブホテル、ピンクのスリッパ、そして様々なピンク色の道具。

動画の中の男はある時は跪き、ある時は無様に横たわっているが、決して顔は見せない。

だが、男の薬指に残る深い指輪の跡で分かってしまった。

それは間違いなく達也だ。私と十年も、苦楽を共にした夫だ。

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第1話
三十歳を過ぎ、これまで真面目一筋だった夫が突如としてピンク色に狂い始めた。十数年も変わらなかったダークトーンの家具はピンクに塗り替えられ、食器までピンク色に染まった。ベランダに翻るピンク色のパジャマ、ピンク色の蝶ネクタイ、そしてピンク色のブリーフを見上げ、私は奇妙な違和感を覚えた。「ピンクなんて女の子っぽい色で、大嫌いだって言ってなかった?」夫の加藤達也(かとう たつや)は私に背を向けたまま、届いたばかりのピンク色のシーツをいそいそと広げていた。「ああ、剛志(つよし)と賭けをしたんだよ。『家中の物を全部ピンクに変えられたら、海辺の別荘をタダでやる』ってな。それに、見慣れれば案外悪くないだろう?」私は肯定も否定もせず、剛志に電話をかけた。受話器の向こうで、彼は即座にこう答えた。「海辺の別荘?俺、そんなもん買った覚えねえぞ?」通話を終え、ピンク色の寝室で悦に入っている達也を一瞥した。女の勘が彼が浮気をしていると警鐘を鳴らしていた。だが、十数年も連れ添い、達也を熟知しているつもりだった。そう簡単に疑いたくはなかった。迷った末、もう一度剛志に電話をかけてみることにした。あるいは彼が適当に口走って忘れているだけかもしれなかった。次の瞬間、こちらの考えを察したかのように、剛志からメッセージが届いた。【杏奈(あんな)さん、悪い!さっき聞かれたこと、思い出した。確かにそんな話あった。達也の誕生日にみんなで集まって、つい泥酔しちゃって、冗談で『家をピンク色にできたら海辺の別荘やるよ』って言ったんだった。だいぶ前だから忘れてたよ。ごめんごめん、達也を疑わないであげてくれ】剛志の拙劣な言い訳を見ながら、私は【分かった】とだけ返した。達也の誕生日は二ヶ月前だ。しかし、彼が突然ピンク狂いになったのは一ヶ月前からであった。またしても、穴だらけの嘘だ。私は身を沈めているピンク色のソファカバーに視線を落とし、アシスタントへ指示を送った。【達也の身辺調査を頼む】送信を終え、家中に侵食するピンク色の品々を見回した。カトラリーから大型家具、カーテンに至るまで。それらのピンク色はまるで無数の触手を伸ばし、私の全身にまとわりついてくるようで、背筋が凍るような悪寒を覚えた。手当たり次第にピンク色の置物をゴミ袋に放り込ん
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第2話
女はSNSでこれ見よがしに戦果をひけらかしていた。添えられた言葉はどれも、見るに堪えないものだった。【ワンちゃん調教マニュアル】【今日のワンちゃん、ちょっと悪い子かも】【みんな、今日はワンちゃんとお散歩してきたよ。みんなも行った?】過去の投稿を遡る指先が摩擦で熱くなるほどだった。全身が業火に焼かれるようで、私は立っていることさえ辛かった。信じられなかった。十数年もの間、私の前では禁欲的なほど真面目だった達也に、こんな倒錯した趣味があったなんて。以前、達也と一緒にネットでこの手の連中を見かけた時のことを思い出した。あの時、彼は露骨に顔をしかめて、「うわ、頭おかしいんじゃないか」と吐き捨てていたはずだ。しかし、一ヶ月前の投稿まで遡ると、彼女は有頂天でこう書き込んでいた。【ずーっと狙ってた高嶺の花のクールな年上の彼がついに私のワンちゃんになってくれるって!みんな、これ夢じゃないよね?!】脳裏に、あの日の記憶がフラッシュバックした。あの日の達也は異様なほど興奮していた。長年の結婚生活で、夜の営みなど事務的になりがちだった彼が、その日に限って能動的で、まるで何かに浮かれるように私を貪り、激しく求めてきた。出張帰りだったから、久しぶりの再会で燃え上がっているのだとばかり思っていた。今ようやく理由が分かった。あの日が、彼が「人間」として振る舞った最後の日だったのだ。ピンク色のアイコンはまだ通知を飛ばし続けていた。二人の会話内容は、反吐が出るほど甘ったるかった。トイレから物音が聞こえ、私は咄嗟にパソコンを閉じてベッドに倒れ込んだ。達也が戻り、隣に横たわった。一言も発さない寝室の静寂が耳に痛く、眠気など微塵も訪れなかった。脳裏に、彼と共に歩んできた日々の記憶がまるで走馬灯のように駆け巡り始めた。私と達也は互いに長く過酷な不遇の時代を経て出会った。私たちは手を取り合い、互いの人生の全ての節目を見届けてきた。私は彼に寄り添い続けた。無一文から、今や億単位の資産を持つ成功者になるまで。 そして、何でも語り合える唯一無二のパートナーから、同床異夢の他人になるまで。十八歳の時、達也は熱烈な眼差しで片膝をついた。「杏奈、俺と結婚してくれ。俺の人生には君しかいない」今、三十四歳になった彼は背を向け、スマホの微か
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第3話
数日後、私は探偵からの連絡を受け、あるホテルへと向かった。今日は愛梨の母親の誕生日だ。達也は出張と偽り、愛梨の家族や親戚を招いて祝宴を開いていた。達也はまるで身内の一人のように、甲斐甲斐しく会場を取り仕切っていた。そこへ、幾重にもフリルの重なったドレスを身に纏い、さながらお姫様のように愛梨が歩み寄った。彼女が達也の腕に絡みつくと、愛梨の親族や友人たちは二人を囃し立てた。「達也さん、うちの愛梨を頼んだぞ。これから大事にしてやってくれよな」「手塩にかけて育てた薔薇を自分で摘み取るってわけだ」周囲の囃し立てに調子を良くした達也が愛梨の両親を「お義父さん、お義母さん」と呼んでいるのを、私は冷めた目で見ていた。滑稽だ。彼は愛梨の両親と十歳しか違わないのに!宴もたけなわの頃、達也が酔った愛梨をトイレへ連れて行った。廊下で二人は体を寄せ合い、愛梨は背伸びをして達也の顎に指を這わせた。「ご主人様って呼んで」人が行き交う場所で、達也は少し恥ずかしそうになだめた。「帰ってからな、いいだろう?」愛梨は譲らなかった。結局、達也は観念して彼女を抱きしめ、何度も「ご主人様」と呼んだ。ただの文字として読むのと、生々しい現場を目の当たりにするのとでは、まるで話が違った。とっくに現実は受け入れたつもりだった。それなのに今、この瞬間、脳天をハンマーで殴られたような衝撃が私を襲っていた。私は壁に手をつき、胃からせり上がるものを必死で堪えた。ふと、達也と初めて彼の実家に帰った時のことを思い出した。彼の両親は私の学歴が気に入らず、私の目の前であれこれと難癖をつけてきた。すると達也は私の手を引いてそのまま家を出て行ってくれた。夕暮れの中、彼の瞳に浮かんだ涙は私の心に温かい希望の種を植え付けた。「杏奈。この世界で、誰一人として君を悲しませることは許されない。それは、俺自身だって同じだ」また、達也と初めて愛梨に会いに行った時の光景も蘇った。少女だった彼女はいつから大事に仕舞い込んでいたのか、くっきりと畳みジワのついた「新品」の服を着ていた。彼女は摘んできたばかりの野花を差し出し、混じりっけのない純粋な笑顔で私たちに言った。「お兄ちゃん、お姉ちゃん、絶対にずっと幸せでいてね」なぜ、深い愛情を持つ者が裏切られるのか?な
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第4話
電話の向こうで、達也はずっと沈黙していた。愛梨の声が割り込むまでは。「達也、頭のケーキの飾りが歪んじゃった」達也は取り繕うように口を開いた。「杏奈、会議に戻るよ」そして、慌てて電話を切った。私はもう一度かけ直したが、電源が切られていた。それと同時に、探偵からホテルの映像が送られてきた。【全ての準備は整いました。来月の初めには、ご希望通りになります】さっきの二人の会話を思い出し、もう迷いはなかった。全て計画通りに進める。今日までは、達也のストレスが大きすぎたのか、あるいは愛梨が若さゆえに達也を惑わせたのではないかと考えていた。あまり酷いことにはしたくない、事の経緯をきちんと知りたいと思っていた。だが今、彼らには私の配慮を受ける資格などないと悟った。私は離婚の準備に着手し、手持ちの株を全て安値で売り払った。達也と愛梨がコスプレに興じている間に、私は新しいオフィスを成立し、取引先を自分の元へ引き抜いた。達也は愛梨にピンク色の御殿のような別荘を贈り、彼女の両親まで呼び寄せて、一家団欒を楽しんでいた時、私は新しいマンションを購入し、自分の荷物を運び出し始めた。達也は最高級ホテルを予約し、愛梨の誕生日パーティーの準備に奔走していた。その一方で、私は着々と荷造りを進めていたのだが、手元の荷物が残り一箱となった時、達也が帰ってきた。ガランとしたリビングとゴミ箱の中のピンク色の破片を見て、彼は手に持っていたピンク色の花束を取り落としそうになった。「杏奈、荷造りしてるのか?」達也がようやく事態に気づいたのかと思った。だが次の瞬間、彼は花束を花瓶に挿した。「ちょっと俺がピンクの物を買ってきたくらいで、内装を全部剥がすことないだろう?面倒じゃないか」彼の口調には微かな非難が混じっていた。瞬きで涙をごまかそうとしたが、胸の奥が締め付けられるような痛みは消せなかった。「ピンクは嫌いなの」達也は呆気に取られ、目に動揺が走った。「嫌いなら捨てればいいさ。君の好きにすればいい。俺はもう行くよ、仕事が片付いたらまたゆっくり埋め合わせするから」私は引き留めもしなかったし、問い詰めもしなかった。振り返りもしない達也の背中に、彼の名前を呼んだ。達也は怪訝そうに振り返った。だが私と視線がぶつかった瞬
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第5話
ステージの下で全てを目撃したゲストたちはスマホを高く掲げ、口々に噂し始めた。「おい待て、聞き間違いじゃねえよな? 今、ステージの女、愛梨の彼氏のこと『私の旦那』って呼んだぞ。愛梨のやつ、彼氏は独身貴族で、自分と会うまで女っ気がなかったって言ってなかったか?」「うわ、これヤバすぎだろう。親戚中に拡散してやる。あの男、見た目は真面目そうなのに、裏ではこんな激しいプレイしてたのかよ。蝋燭に鞭まで使ってるぞ、エグいな!」「金持ちの世界って乱れてるな、やっぱり。私、愛梨と地元が一緒なんだけど、なんで急に羽振りが良くなったのか不思議だったのよ。金持ちの愛人やってたわけね?ステージの奥さんあんなに知的で綺麗なのに、あの男、目が腐ってんのか?」愛梨は次々と浴びせられる言葉に顔面蒼白になり、唇を震わせた。「違うの、聞いて、みんな聞いて!動画は偽物よ!合成よ!」だが必死になればなるほど、やましさが露呈するだけだった。達也がステージに駆け上がり、私からマイクを奪い取ると、羞恥と怒りに満ちた顔で客席を睨んだ。「撮るな!見るな!動画は偽物だ、全部デタラメだ!」続いて彼が私に向けた視線はまるで猛毒を含んでいるかのように鋭く、禍々しいものだった。そこには煮えたぎる憎悪と、あろうことか「酷い仕打ちだ」と訴えるような理不尽な色が充満していた。「渡辺杏奈(わたなべ あんな)、俺が浮気したのは悪かった。でも、こんな手段で報復する必要はないだろう?これが俺や会社にどれだけの損害を与えるか分かってるのか。少しは頭を使って行動しろよ!」やはり彼も恥を知っていたのだ。愛梨との関係が人に見せられないものだと分かっていたのだ。ずっと自覚がないのかと思っていた。私は眉を上げ、口角を吊り上げた。「達也、私がチャンスを与えなかったと言える?何度もチャンスをあげたわ。ただあなたが大切にしなかっただけ。あなたが大切にしなかったのに、どうして私があなたの顔を立ててあげなきゃいけないの?」達也は言葉に詰まり、しばらく答えられなかった。彼も思い出したのだろう。私が確かに何度もチャンスを与えていたことを。一度目は、家にピンク色の物が増え始め、私が違和感を覚えて剛志に電話した時。彼は剛志と結託して私を騙し、言いくるめることを選んだ。二度目は、私が初めて家中
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第6話
愛梨は幾重にも重なるドレスの重い裾を鷲掴みにすると、なりふり構わずステージへ駆け上がってきた。そして、まるで雛を守る親鳥さながらに達也の前に立ちはだかり、私を殺さんばかりに睨みつけた。「杏奈さん、文句があるなら私に言って!達也をいじめないで!私は普段、彼を叩くことすら惜しんでるのに!」彼女の所有権を主張するような言葉は極めて幼稚で、滑稽だった。愛梨は目に痛々しさを湛え、振り返って達也の顔を撫でた。「大丈夫?ごめんね達也、全部私のせいよ。辛い思いをさせて」達也は無意識に私を見た。彼は私の瞳の底にある嘲笑を見て取ると、瞳孔が収縮し、冷たい顔で愛梨を突き放した。愛梨は達也が自分に服従することに慣れきっており、彼を完全に支配していると思い込んでいた。だから拒絶されても怒るどころか、再び私に向き直り、涙を絞り出して決然と言い放った。「杏奈さん、気が済むまで殴っても罵ってもいい。でも、私と達也のことは、最初から最後まで私の独りよがりなの。私が彼に死ぬほどしつこく付きまとって、やっとの思いで振り向いてもらえただけなんだから。杏奈さん、私がしたことが悪いのは分かってる。でも私、本当に達也を愛してるの。誰よりも彼を愛して、大切にして、彼の全てを理解してる。彼のためなら命だって捧げられる。私は彼の魂を愛してるの!」まるで悲劇のヒロインを気取る愛梨の言葉は、愛人という生き物の厚顔無恥の極みを私に見せつけた。彼女の脳内では、あろうことか私こそが二人の愛を邪魔する部外者なのだろう。私が潔く身を引き、彼女の手を達也の掌に重ねて、「真実の愛が見つかってよかったわね」と祝福して去るのが、彼女にとってのハッピーエンドなのだ。達也もまさか愛梨がここまで開き直るとは思わなかったようで、眉をひそめて彼女の腕を引っ張った。「いい加減にしろ、もう喋るな」愛梨は構わずに、自分の愛の陶酔に浸り続けた。私に運と愛を奪われた悲劇のヒロインを演じているのだ。「嫌よ、言わせて!どうして本当のことを言っちゃいけないの?私と達也こそが真実の愛で結ばれてるのよ。愛に出会った順番なんて関係ないわ。愛されていない人間こそが悪いなのよ!ええ、認めるわ。杏奈さんは私より優秀だし、運も良かった。私より先に達也と出会えたものね。でも、だからって達也が一生あなたに縛られなきゃいけな
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第7話
それは、二人が付き合い始めてから、達也が愛梨に言った最もキツイ言葉だっただろう。普段、愛梨の足元に傅き、その蹂躙すら喜んで受け入れる達也の姿が彼女に、達也は自分の意のままになる従順な子羊だという致命的な錯覚を与えていたのだ。だからこそ、愛梨は逆上した。彼女は衆人環視も構わず、達也の頬を思い切り引っぱたくと、彼よりもさらに冷たい声で言った。「忘れたの?あなたは私の犬よ。ご主人様に偉そうな口を利くなんて、お仕置きが足りないんじゃない!」私を含め、その場にいた全員が絶句した。まさかこの緊迫した局面で、彼女が「調教師」としての性を露呈するとは。会場は水を打ったように静まり返った。達也の面目は完全に潰れ、そのプライドは剥ぎ取られて地面で踏み躙られたも同然だった。愛梨は普段のように達也が跪き、「手が痛くないか」と気遣うのを待っていた。だが待っていたのは、彼女の一撃の三倍はあろうかという渾身の平手打ちだった。愛梨はその一撃で床に転がった。頭の可愛い髪飾りは無惨に飛び散り、ピンク色のウィッグは大きくズレて、滑稽な姿を晒していた。そして、その白く柔らかい頬にはまるで焼き印でも押されたかのように、どす黒い手形がくっきりと浮かび上がった。愛梨は信じられないという目で顔を上げ、涙を流しながら、痛みに顔を歪めて達也を問い詰めた。「私をぶったわね……達也、よくも私を!私はご主人様なのよ!私に捨てられたいの?今すぐ鞭でひっぱたいてやるわ!泣いて土下座して『許してください』って言うまで、打ち据えてやるんだから!」ここまで来ると、愛梨のそれは単なる愚かという次元を通り越していた。彼女は完全に狂気の世界に没入しており、達也の顔色が怒りと屈辱でどす黒く染まっていることさえ目に入っていなかった。私が掻き回したこの茶番劇もようやく幕引きだった。もっと見ていたかったが、飛行機の時間が迫っていた。これ以上、達也のために人生の一分一秒たりとも無駄にする気はなかった。私はステージを降り、隅に置いていた二十インチのスーツケースを持って逃げ出そうとした。達也が後ろから追いかけてきた。だが、私の手にあるスーツケースを目にした瞬間、彼の瞳は衝撃で激しく揺れ動き、その声は恐怖にも似た不安で小刻みに震えていた。「杏奈、スーツケースなんて持ってどこへ行くんだ
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第8話
「私はあなたが傷つくのを見るのは耐えられない。でも、あなたと一緒に解決策を探すことならできたはず。たとえ一生そのままでも、受け入れることはできたはずよ。だからあなたおぞましいだけでなく、滑稽なの。あらゆる理屈をつけて私に責任転嫁しようとするその姿は……最低だわ」最後の言葉が放たれた瞬間、達也の顔色は惨めなどという言葉では表現できないほど変貌した。彼はまるで晩秋の枯れ葉のように脆く、踏みつければ容易く粉々になってしまいそうだった。かつて愛した達也という男は、ただの精巧に作られた皮でしかなかったのだ。今、私の手の中にあるその皮の感触は爬虫類のようにぬらりと冷たく……そこには嫌悪だけでなく、決して拭い去れない恐怖がこびりついていた。私は背を向け、スーツケースを引いて宴会場を後にした。達也は慌てて追いかけてきたが、足元のテーブルクロスに足を取られて、派手に転倒した。その衝撃で、テーブルの上にそびえ立っていたシャンパンタワーがガラガラと音を立て、雪崩のように崩れ落ちてきた。大量のグラスと液体が達也の全身に降り注いだ。彼はシャンパンまみれになり、散乱したガラスの破片の中で、濡れ鼠のように蹲った。鋭利な破片が彼の高級スーツを裂き、肌を切り、頬を無数に傷つけていった。それは本来、彼がマゾヒストとして夢にまで見、渇望していた痛みのはずだった。だが今、そこに快楽の欠片などなかった。あるのはただ、身を引き裂かれるような絶望の激痛だけだった。私はアシスタントに離婚協議書を達也に渡すよう指示し、車に乗って空港へ向かった。保安検査を通過し、飛行機が離陸する直前まで、達也からメッセージが届き続けた。【杏奈、俺が悪かった。離婚はしたくない。君と離婚するなんて考えたこともない。愛梨はもう二度と現れない。今回だけ許してくれないか?杏奈、頼むよ!本当に後悔してる。これからは何でも君の言う通りにする。二度とこんな過ちは犯さない。殴っても罵ってもいい、だから離婚だけはやめてくれ!本当に離婚したくないんだ!】私は画面を一瞥しただけで、返信はしなかった。彼との連絡手段をすべてブロックすると、静かに目を閉じた。脳裏にふと、二十歳の頃の記憶がよぎった。高層ビルが立ち並ぶ街を見下ろし、いつか私たちもここに自分のビルを持つんだと夢見ていた頃。あの時、私は達也の
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