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第285話

Author: 三佐咲美
思わず反射的に手を伸ばして首元を押さえようとしたけど、もう遅かった。

慎一は、まるで私の動きを予想していたかのように、途中で私の腕をしっかりと掴んだ。

細い手首は、彼の大きな手の中にすっぽり収まっていた。指先の周りの肌は血の気が引いて、真っ白だ。

彼は、かなり強く握っていた。

私は思わず彼を睨みつけてしまい、視線を避けて顔を横に向け、堪えきれずに下唇を噛んだ。

今、自分の首がどうなっているのか分からない。でも、慎一の表情を見る限り、きっとひどい有様なんだろう。

「あのう、私、どれくらい寝てた?」

口にした瞬間、自分がどれだけ場違いなことを聞いたかに気づいた。

「は?」

あまりにも関係ない質問だったせいか、慎一も一瞬間が抜けていた。

やっと理解したのか、彼は歯ぎしりしながら、「佳奈、これがお前の『いらない』ってやつか!」

私はただ、首の怪我がどれくらい放置されていたのか知りたかっただけ。外傷を手当てしないと、傷が悪化したり臭ったりするかもしれない。

もう一度首を押さえようとしたが、両手とも彼にしっかりと抑え込まれていて、全く動けなかった。

「そんなに怒らなくていいでしょ」

それでも彼は怒ったままなので、私はぽつりと付け加えた。「ただの外傷だよ」

彼の視線は冷たくなり、声も硬くなった。「どうやったんだ?」

まるで罪人を取り調べるみたいに、今すぐ言わなきゃ次の瞬間には無理やり吐かされそうな雰囲気だった。

でも、どうしても本当のことは言えなかった。

「転んだの。石にぶつけただけ」

彼は私の顎をそっとつまんで、顔を正面に向け、さらに慎重に少し上を向かせた。下手に力を入れると傷つけてしまう、とでも言うような優しい仕草だった。

何も言わず、ホテルの薄暗い天井灯のもと、じっと傷口を観察していた。

私もあわせて天井の灯りを見上げる。脳裏が一瞬だけ真っ白になる。

灯りが揺れているのか、それとも彼の手が震えているのか。

私の心も揺れていた。

長い沈黙のあと、もうこれで終わりかと思ったその時、彼が口を開いた。「病院行くぞ。反論は許さない」

強引なまでの決意で、私を抱き上げ、そのままエレベーターに向かった。

エレベーターの壁に映る二人の影を見て、私は思わず顔を赤らめた。

またしても、他の女性の婚約者とこうして関わってしまっている気がして、
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