LOGIN長いあいだ、高瀬玲にとって高瀬弘樹は唯一の「光」だった。 だがある日―― 「藤原家の令嬢との婚約は取り消さない。お前は、このまま俺の愛人でいればいい」 弘樹の冷たい言葉を聞いた瞬間、その光は彼女を覆い尽くす影へと変わった。 その夜、彼女はすべてを諦めて家を出る。 周囲は口を揃えた。「高瀬家の庇護を失った玲なんて、すぐに行き詰まり、屈辱にまみれて戻ってくる」と。 けれど、世間の予想は鮮やかに裏切られる。 高瀬家と藤原家の婚礼の日。真っ白のドレスに身を包んだ玲が、藤原家を率いる秀一の腕を取り、堂々と姿を現したのだ。 その瞬間、彼女は「すべてを失った哀れな女」から、「高瀬夫婦の義姉」へと変貌を遂げる。 会場は騒然、誰もが息をのんだ。 弘樹は思った。玲は自分のために身を投げ出したのだと。 だから彼女を取り戻そうと手を伸ばす。 だが、その前に冷たい声が響き渡る。 「もう一歩でも近づいてみろ」
View More雪乃は、本来なら玲をアート展の会場からこっそり連れ出し、そのまま山へ向かうつもりだった。昔、玲の父を事故に見せかけて殺したように、玲にも同じ結末を辿らせる――それが彼女の描いていた計画だった。だがその計画は、秀一がステージ裏から姿を見せた瞬間に崩れた。再び機会を伺うしかないと思っていたが――もう待てない。玲を生かすわけにはいかない。ましてや、刑務所に入れられるなど絶対にあり得ない。秀一が席を外し、戻ってこない今。雪乃にとって、これは神がくれた最後のチャンスに見えた、逃すわけにはいかない。玲は首を締められながら必死にあがいた。雪乃がいきなりこんな狂気に走るとは、思いもしなかった。だが、玲は決してただの弱い少女ではない。息が詰まり、視界が暗くなりかける中、彼女は横のテーブルに手を伸ばし、小さな彫刻の置物を掴み取った。そのまま渾身の力で雪乃の腕に叩きつける。「っ……!」雪乃の手が一瞬緩み、玲はよろめきながらも距離を取った。「……やっぱり、図星を突かれるとこうなるのね!」玲は喉を押さえ、激しく咳き込みながらも雪乃を睨み返した。白い首筋には青紫の指の跡がくっきり残っている。雪乃がどれだけ本気で絞めていたか、一目でわかるほどだった。だが玲の瞳は、さらに強い光で満ちていた。「……父さんが亡くなったこと。あれは事故なんかじゃなかったって、あなたの今の行動が証明してる。真実が暴かれるのを恐れてるから、私を殺そうとしてたでしょ?」「もう死ぬ人なんだから、いい加減黙りなさい!」雪乃の瞳は血走っていた。腕を押さえながら、もはや痛みすら感じていない。「そんなに知りたいなら……地獄で直接聞いてきなさい!お父さんに、真相を教えてもらいなさいよ!」半ば自暴自棄。できれば雪乃だって、この道を選びたくなかった。だが玲にここまで追いつけられた以上、こうするしかなかった。雪乃は、ついに懐から細い針のついた注射器を取り出した。それは、ずっと肌身離さず持ち歩いていたもの。キャップを勢いよく外すと、雪乃は狂気そのものの顔で玲に飛びかかった。不意をつかれたものの、玲は一瞬で雪乃の手首を掴んだ。針先が目の前で光る。何が入っているのかはわからない。だが直感で理解した。これは打たれたら終わりだ、と。しかし、完全に覚悟を決めた雪乃の力は異常だった
「これから先、私が世界中から注目されるようになっても――あなたの名前が語られることはない。むしろ私は、あなたのことをきちんと調べるつもりよ」玲ははっきりと言い切った。その眼差しには、ようやく腹を括った者の強さがあった。一方、雪乃は怒りを抱えたまま反論しようとしていたが、玲の言葉に一瞬固まり、思わず声を震わせた。「わ、私を調べるって、何を言ってるの?意味わからないんだけど」「意味、ちゃんとわかってるでしょ?」玲は静かに息を整えると、淡々と続けた。「あなたと暮らしてきたから、幼い頃の記憶はできるだけ思い出さないようにしてきたの。でも……あなたが父さんの形見の嫁入り道具を勝手に売ったあの日から、封じ込めていた記憶が次々と戻ってきたの。父さんは健康で、運動も欠かさなかった。山歩きなんて慣れっこだったのに――あんな観光地の山で足を滑らせたなんて、普通ありえない。それに……あの時あなた、警察の検死を必死で拒んだわよね?まるで、早く事件を終わらせたいみたいに」玲はまっすぐ雪乃を見据える。「――ねぇ。何か、隠してるんじゃない?」ずっと目を背けてきた疑念。母親という存在は重すぎて、その角度から物事を見ることさえ恐ろしかった。けれど、向き合わないままではいられない日が来る。あの日、デパート前で見た武の不自然な姿。そして今日、観客席で理性を失って叫んでいた雪乃。それらが、玲の中でひとつにつながった。――雪乃は、ただの毒親でも敵でもない。父を殺した「加害者」かもしれない。そしていつか自分の手で、法の前に立たせなければならない。玲は、その現実を受け入れる覚悟を決めていた。一方で雪乃は、秀一に過去を暴かれることばかりを恐れていた。まさか玲が、自分を疑い始めているなんて想像もしなかったのだ。「れ、玲……何を言ってるのよ急に。お父さんが亡くなって何年も経つのに、どうして私を疑うの?毎日が退屈すぎて、わざと喧嘩を売ってるわけ?」「そう思いたいなら、それでもいい」玲は驚くほど落ち着いた声で続けた。「何も後ろめたいことがないなら、堂々としていればいいわ。でも――もし少しでも隠してることがあるなら……父さんのために、あなたには刑務所でちゃんと罪を償ってもらう」「ふざけないでよ!」雪乃は完全に取り乱し、叫び声をあげた。「私は高瀬家の女主人な
秀一は綾の訴えを取り合わなかった。玲も同じく、返す言葉を口にしなかった。なぜなら次の瞬間、綾は秀一の護衛に口を塞がれ、そのまま引きずられるようにして外へ連れ出されたからだ。もちろん、彼女が連れてきた記者も、震え上がるチンピラたちも全員まとめて、容赦なく会場から叩き出された。邪魔者が消えた瞬間、会場の空気は一気に澄んだ。何より今日は――R本人である玲が自ら姿を見せ、ファンと一緒に作品を楽しむというサプライズつき。観客たちの熱はさらに上がり、今後一週間分のチケットはその場で売り切れ、玲の名前も各国メディアの検索ランキングで堂々の一位を独走していた。雨音は興奮のあまり舞い上がりそうになりながら、スタッフと一緒に会場の誘導に奔走する。数日前まで、「アート展で離婚届を友也の顔に叩きつけてやる!」と息巻いていた彼女だったが――今日は何も言わなかった。離婚届を持ってくる気配もない。その件を忘れたのか、もしくは、この間病院で見た友也の変化が、彼女の心を少しやわらげたのかもしれない。玲もそれに気づいたが、あえて何も尋ねなかった。ステージで話し続け、立ちっぱなしだったこともあり、玲は少し疲れが出て、一息つこうと控室へ向かった。すると秀一は、その動きを先読みしていたように、優しく頭を撫でながら言った。「護衛たちは観客対応で雨音さんのフォローに回ってる。俺は車から水を取ってくる、会場の飲み物は、念のため飲まないで」「わかりました。じゃあ、戻ってくるの待ってますね」玲は秀一の過保護さをよく理解している。素直に頷き、見上げて微笑んだ。秀一はすぐに去るかと思いきや――その前に、玲の唇へ深くキスを落としてから、ようやく踵を返した。玲は少し痺れる唇を指で触れ、思わずくすっと笑ってしまう。そして秀一の姿が完全に見えなくなると、スマホを取り出して今日のアート展の反応を確認しようとした。ところが、控室の扉が勢いよく開き、影がひとつ滑り込んだ。玲はてっきり、秀一が戻ってきたのかと思い、笑顔で顔を上げた。だがその笑みは、一瞬で凍りついた。入ってきたのは秀一ではない。雪乃だった。さきほど綾が護衛に引きずられていく際、一緒に追い出されたと思っていた。だが雪乃はどこかに身を潜め、うまく見張りをかいくぐっていたらしい。雪乃の顔は怒りで歪み、目がぎ
もっとも、秀一が呼び寄せた黒服の護衛と、綾が金で集めたチンピラたちとでは、体格でも、経験でもまるで比べ物にならない。その結果も言うまでもない。綾の手下はものの一分ももたず、全員まとめて地面に叩き伏せられた。そして綾本人も、みっともなく押さえつけられ、髪は乱れ、濃いメイクは汗と涙で滲み、まるで落書きされたような顔になっていた。怒りと焦りが混ざり合い、追い詰められた綾の頭は、珍しく素早く回り始めた。「秀一、あんた……最初から知ってたのね?玲がRだってことを!だから私が記者やチンピラを連れてきて騒ぎを起こそうとしてたのも、全部わかってて止めなかったんでしょ?今日、私を盛大に笑い者にするために!玲を引き立たせるために!」美穂が言っていた――「秀一は絶対何か企んでいる」――その意味を、綾はようやく理解したのだ。この夫婦は、最初から自分をはめるつもりだった。自分が恥をかくように、完璧に舞台を整えていたということだ。その言葉を受けて、玲も驚いたように秀一へ視線を向けた。「え……?私がRだって、ずっと前からわかってたんですか?だから安心して裏で見てたってことですか?でも……いつから、どうやって気づいたんです?」「時期で言えば……たぶん最初からだ」秀一は穏やかに玲を見つめ、そっと彼女の頬に唇を触れさせた。「玲。前にも言っただろ。俺は十三年も君のことが好きだったって」好きな人のすべてを知りたいと思うのは、策士の男だからではなく、ごく自然な感情だった。玲が初めて雨音の展示会で作品を出し、一躍注目を集めたとき、その瞬間から秀一は、彼女の才能も想いも、すべてを理解していた。当時、玲の心の中には弘樹がいて、秀一とは距離もあった。それでも、玲の夢が叶ったことが、胸が痛むほど嬉しかった。「彫刻家になりたい」という願いが、ようやく形になったのだから。だがその後、雪乃と弘樹の圧力で玲は三年間も沈黙を強いられた。秀一はその事実を決して許せなかった。二人を見るだけで苛立ち、協力関係にある高瀬家に対しても厳しい態度を取ってしまうほどに。そして、ようやく玲が自分のもとへ戻ってきたとき、秀一は迷わず決めた。玲の夢を取り戻す。玲が本来立つべき場所へ、必ず戻れるように全力で支えると。……秀一の言葉に、会場はもう静かではいられなかった。観客た
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