Mag-log in【愛こそ正義——そんな国で、私は“愛の破壊者”と呼ばれている。】 「運命の番」が絶対とされる国で、 元・離婚弁護士の転生者シーラは、“縁切り令嬢”として忌み嫌われていた。 彼女が断ち切るのは、美しい愛の裏に潜む、呪いのような執着と依存。 ——のはずだった。 現れたのは、愛至上主義の第一王子ゼクス。 だがその“愛”は、やがて逃げ場を塞ぐほどの執着へと変わっていく。 すべての縁を断ち切れるはずのシーラ。 けれどなぜか——王子との縁だけは、切れない。 縁を断つ令嬢と、縁を強制的に結び続ける王子。 絶対に噛み合わない二人の、危険すぎる追走劇が始まる。
view more――逃げようなんて、無駄だよ。
低く甘い声が、耳元で囁いた。
「君が縁を切るたびに、僕は何度でも結び直す」
ぞくり、と背筋が震える。
「だから諦めて。君は一生、僕から逃げられない」
――この男は、狂っている。
そう理解した時にはもう遅かった。
私は、シーラ。シーラ・デストーロ。
デストーロ男爵の一人娘であり――この狂った恋愛至上主義国家に転生してしまった、元・離婚弁護士だ。
私の家は、代々縁切り屋を生業としている。
表向きは国の外交に貢献したとか適当な理由で爵位を授けられたが、実態は、貴族たちのドロドロした愛憎劇を裏で処理する「感情の掃き溜め」が必要だったからに過ぎない。
私は、相変わらず一着しかないドレスを着まわしている。
寄ってくる男も、私の家柄を馬鹿にしながら胸元ばかりをジロジロ見てくる下品な奴らばかり。
「相変わらず『壁の花』ね、シーラ。男を挑発するようなドレスを着て。本当は縁切り屋の特権で、誰かの婚約者を略奪しようとしているんじゃないの?」
「この前もヌレギーヌ公爵と寝たらしいですわ。はしたない」
ヒソヒソと聞こえる悪口の雨。
前世、法廷で罵詈雑言を浴び慣れている私からすれば、雛鳥のさえずりのようなものだ。
気にしてないし、別に。
別に。
私は、この仕事に誇りを持っている。
「愛」だの「運命」だのと脳内麻薬に浮かれている連中には一生理解できないだろうけれど、私には見えるのだ。人と人の間に流れる、粘着質で傲慢な、魔力の「糸」が。
ホールの中心で踊る人々へ視線を向ける。
そこには煌びやかなピンクや、眩しい金色の糸が幾重にも交差していた。前世の知識で言わせてもらえば、ドーパミンの過剰分泌による一時的な錯覚。見ているだけで胃が焼けそうな、甘ったるい幸福の象徴。
けれど、会場の隅。
テラスへと続くカーテンの影に、ひときわ異質な「糸」が絡みついているのを見つけた。
それはどす黒く変色し、まるで相手を絞め殺そうとする毒蛇のような、棘だらけの鎖。
「……あら、あれは完全に『腐って』いるわね。民法……じゃなくて、この国の倫理観でもアウトなやつ」
私は手に持っていた薄いシャンパングラスを給仕の盆に置くと、誰にも気づかれないように壁際を這い、会場を後にした。
ひんやりとした夜気が肌を刺すテラスの陰。
そこには、さっきの毒蛇のような鎖に繋がれた一人の令嬢が、自分を抱きしめるようにして震えていた。
「エレン様、お待ちしておりましたわ」
私の声に、伯爵令嬢のエレンがびくりと肩を揺らす。彼女が手袋で隠している手首には、魔力の鎖が食い込んだ痕が、醜い痣となって浮き出ていた。
「シーラ様……! ああ、本当に来てくださるなんて。でも、私、やっぱり怖いの。彼と別れたら、私はこの国で『魂の欠損者』と呼ばれてしまう。親にも、居場所がなくなってしまう……!」
震える声。現代日本なら即座に保護対象となるDV案件だが、この国の「恋愛至上主義」が彼女の逃げ道を塞いでいる。
私はドレスの隠しポケットから、鈍く光る銀色のハサミを取り出した。
「エレン様。社会的な死と、本当の死。どちらがマシか、弁護士……いいえ、縁切り師の私が選んで差し上げますわ」
私は彼女の瞳を真っ直ぐに見据え、ハサミの刃を噛み合わせた。
「――安心なさい。その腐った縁、私が切って差し上げますわ」
「おい、こんなところで何を油売ってやがる、エレン!」
そこへ、鎖の主である婚約者の男――浮気性で有名なシット侯爵令息が、酒の臭いを振りまきながら現れた。
彼はエレンの腕を強引に掴み、罵倒しようと口を開く。
その瞬間。
私は男とエレンの間を繋ぐ、あの「どす黒い鎖」に向けてハサミを一閃させた。
――パチンッ!
常人には聞こえないはずの、何かが断裂する音が夜の空気に響く。
瞬間、男の顔が劇的に変わった。
「う、うわああっ!? なんだ、お前! 汚らわしい、俺に触るな!」
さっきまでエレンを私物化していた男が、まるで汚物でも見るような目で彼女を突き放した。縁が切れたことで、執着が猛烈な「嫌悪」へと反転したのだ。
男は自分の異常な心境の変化にパニックを起こし、情けない悲鳴を上げながら逃げ去っていった。
エレンの瞳に、嘘のように透明な輝きが戻る。
「……ああ、体が、軽い……」
「ふう。一件落着ね。やっぱり仕事の後の空気は美味しいわ」
私はハサミを仕舞おうとした。
が、その時――。
私の背後から、夜の闇を塗り潰さんばかりの、圧倒的な「金色の魔力」が迫ってきた。
心臓が跳ねる。なんだ、この異常な熱量は。
「見つけたぞ! 我が国の誇りある愛を切り刻む、不届きな『愛の破壊者』よ!」
バラの花を背負っているかのような、完璧
すぎるキラキラした笑顔。
現れたのは、この国の第一王子、ゼクスだった。
「せっかくの美しい婚約を壊すなんて、君の心はなんて凍りついているんだ。なんて可哀想な、愛を知らない迷い子。……大丈夫、安心していいよ」
彼は大股で距離を詰めると、逃げる間もなく私の手首を掴んだ。
その力は驚くほど強く、物理的に逃げ場を完全に塞がれる。
「今日からは僕が、君を熱い愛で溶かしてあげよう。二度とそんな物騒なハサミが使えないくらいにね?」
ゼクス王子は、至近距離で私を覗き込んだ。
その瞳は、言葉の明るさとは裏腹に、獲物を捕らえた獣のように昏く、艶っぽく光っている。
(……前世でも見たことあるわ、この手のタイプ。独善的で、強引で、一度捕まえたら絶対に離さない――。一番、面倒なのが来たわね。……今すぐ、この男との縁を切りたい)
ゼクスは私の指先に自分の唇を寄せ、ニヤリとドSな笑みを浮かべた。
「……皆様、お久しぶりですわね。デストーロ『子爵』令嬢、シーラですわ」 王宮の夜会会場。扉が開いた瞬間、会場の空気が凍り付いた。 一週間前、この場所で「不名誉な男爵」として追い出されたはずの私が、一段階上の爵位を引っ提げて戻ってきたのだ。 かつての粗末な教師服ではない。 新調した、夜の帳を織り込んだような深い紺色のドレス。手には、論理の刃よりも鋭い扇子。 「あ、あらシーラ様……。その、お戻りになられたのですね」 一人の伯爵夫人が、引きつった笑みで近づいてくる。 「ええ。国が私なしでは『ゴミの分別』もできないと泣きついてきましたので。……あら、夫人。その耳に光るエメラルド、素敵ですわね。確か、旦那様からの結婚記念日の贈り物だと、先ほど自慢されていましたかしら?」 「え、ええ。そうなのよ」 「おかしいですわね。私の記録によれば、その石の購入代金は、お隣に立つ侯爵令息の『裏帳簿』から支払われていますわ。ついでに言うと、お二人が密会に使っている別荘の契約解除届、私が代わりに預かっておきましょうか? ……不法占拠は、私の美学に反しますの」 「なっ……!?」 夫人の顔がみるみる土気色に変わる。 周囲の貴族たちがざわめき立ち、扇子で口元を隠してヒソヒソと話し始めた。 「……シーラ、君、戻って早々飛ばしすぎじゃないかな!?」 そこへ、ようやくズボンを履き替えたゼクス王子が駆け寄ってきた。 傍らには、近衛兵の、ネストが氷のような表情で控えている。 そこが好きなのよね。 無口でありつつも、行動から滲み出る優しさとたまに見せる落ち着いた笑顔。 もう……好き!!! とは言っても、私もポーカーフェイスを崩さないように、こう言った。 「あら殿下。私はただ、社交界という名の不法投棄現場を清掃しているだけですわ。……あちらの公爵閣下も、愛人に産ませた隠し子の養育費を国庫から捻出するのはおやめなさい。明日、国税局から差し押さえに伺わせますから。」 「ぎゃあああ!?」 悲鳴が上がるたびに、社交界の仮面が剥がれ落ちていく。 衝撃のあまり口をパクパクさせているゼクス王子に、ネストが淡々と告げた。 「殿下。他人の不倫に衝撃を受けている暇があるのなら、ご自身の『不始末』について釈明を。……シーラ様」 「はい、ネスト。記録は取ってありますわ」 ネストは手帳
私は、ふっと口角を上げた。 「素晴らしいわ。では、本日この瞬間をもちまして、デストーロ家はすべての『縁切り業務』を無期限で停止いたします。これは実質的なストライキ、いえ、自己防衛的措置ですわ」 私は扇子を閉じ、冷徹な瞳で周囲を見渡した。 「皆さん、ご存じないのかしら? 私たちがこれまで、どれほどの『ドブ板仕事』を引き受けてきたかを。 愛の国を汚さないために、皆さんの不潔な不倫、愛憎、金銭トラブル……それらをハサミで切り、地下水路で処理してきたのは我が家です。 明日から、その蓋が外れますわ。縁を切れなくなった愛人があなたの寝室に居座り、認知を免れたはずの隠し子が屋敷の門を叩き、泥沼の遺産争いが王都中に溢れ出す。……掃除屋がいなくなった後の部屋が、どれほどゴミ溜めになるか、身を持って味わうといいわ」 一瞬、会場が凍り付いた。 バカルス伯爵の顔が、見る間に土気色へと変わっていく。 「そ、そんなことは……」 「お好きなように会議を続けなさい。ですが、次に私の事務所の敷居を跨ぐ際は、今の発言を撤回するだけでなく、法外な特急料金と、地べたを這い蹲るほどの謝罪をセットでご用意いただくことになりますわよ。」 「シーラ! どこへ行っていたんだ、寂しかったじゃないか!」 そこへ、キンキラした重そうな服を揺らしながらゼクス王子が割り込んできた。 空気の読めない殿下の登場に、私は本日何度目かのため息を吐く。 「殿下、パートナーとしての義務は先ほどのお花摘みで『強制終了』いたしました。あとは、このゴミ溜め……失礼、華やかな舞踏会を、お一人で堪能なさいませ」 「えっ、シーラ!? 待ってくれ、僕が君の爵位を――」 「殿下、あなたの重すぎる愛で私のハサミを鈍らせないでいただけます? 今の私には、次の訴状を練るという重要な公務がありますの」 呆然とする王子と、青ざめた貴族たちを残し、私は最高に優雅なステップで会場を後にした。 デストーロ家がいなくなるとどうなるか? 明日、この国は「愛」という名のゴミに溺れることになるでしょうね。 せいぜい、結論の出ない会議でも、舞踏会でも、泥沼の中で踊り続けるといいわ。 もう私は民間人だもの! 「はい、今日の授業はここまで。皆さんも、将来は自分の腕一本で生きていけるよう、計算だけは完璧にしておくのよ」 私が教鞭を置くと、
「……っ、この、脳漿まで筋肉で構築された単細胞の不法占拠野郎がっ!!」デストーロ男爵家の私室に、淑女にあるまじき罵声が響き渡った。私の手にあるのは、贅沢に金粉がまぶされた舞踏会の招待状。そして、心底胸糞が悪くなるほど流麗な筆致で書かれたゼクス王子からの直筆手紙。『僕の隣に君がいない夜は、判決を待つ被告人のように孤独だ。どうか僕のパートナーとして、その美しい毒を振りまいてくれないか?』「……孤独ならそのまま独房にでも入っていろ。公用文書を私物化して愛を囁くなんて、職権乱用も甚だしいわ。即刻、最高裁に叩き込んでやりたい……っ!」私はその手紙をシュレッダーにかけたい衝動を抑え、深呼吸した。舞踏会。それは表向きは優雅な親睦の場だが、私――縁切り師シーラにとっては、絶好の「商売時」だ。愛の国アーモレにおいて、不純な関係を断ち切りたい貴族は数多い。シャンパングラスを傾けながら耳元で囁かれる「あの男と縁を切りたい」「愛人の戸籍を抹消したい」という切実な悲鳴。それは私にとって、不当な契約を破棄するやりがいに満ちた「救済の種」なのだ。だが、今回ばかりは勝手が違った。舞踏会当日。会場に足を踏み入れた瞬間、不自然なほどの沈黙と、その後に続く粘りつくような視線が私を襲った。「待っていたよ。愛しい、僕のレディ」目の前に現れたのは、眩いばかりのいかにも王子様のような(王子だけれども)キラキラした服に身を包んだゼクス王子。服重そう。彼は私の手を取り、指先にねっとりとした……法的に言えば『同意なき接触』に等しいキスを落とした。「……殿下。お会いできて光栄です。ですが、少々お腹の調子が『緊急事態」を告げておりますので、失礼いたしますわ」「えっ、シーラ? まだ一言しか――」「お花摘みに行ってまいりますわ。おほほほ。」私は王子の甘い声を物理的に遮断し、速攻でその場を離脱した。あんな猛毒を至近距離で浴び続けたら、こちらの精神衛生上の過失致死が成立してしまう。だが、逃げ込んだ先もまた「地獄」だった。「あら、見て。あのみすぼらしいアリのような『男爵縁切り師』が、第一王子のパートナーですって」「不吉だわ。あの女が歩くだけで、幸福な愛が腐っていく気がする。まるで汚物溜まりに咲いた猛毒草ね」「デストーロ家なんて、国から抹消されるべきだわ。あんな忌々しい商売、不潔すぎ
「……ク、クレイジーカード? 何だそれは。新しい魔道具の類か?」 混乱の極みに達したゼクス殿下の顔は、今や王族の威厳など微塵もない。当然ですわね。現代社会の信用システムの崩壊を宣告されたのですから。私は扇をパサリと閉じ、冷徹な判決を下すように告げた。 「殿下、理解力まで破産してしまいましたの? 簡単に言えば、あなたには私に近づく『資格』も、私を所有する『与信枠』も残っていないということですわ。至急、この場から退去してください。さもなければ――」 私が「衛兵を呼びます」と口にしようとした、その時だった。 「失礼いたします。何か問題でも?」 回廊の角から現れたのは、銀の甲冑を纏った一人の青年だった。近衛兵、ネスト。 彼はゼクス殿下の『壁ドン』体勢を視認すると、表情一つ変えずに歩み寄り、殿下と私の間にごく自然に(そして物理的に)割り込んだ。 「ネストか。……貴様、空気を読め。今、私は彼女のフローズンハートを解かして――」 「殿下。現在、王宮内での『令嬢の進路妨害』および『私的領域への過度な接近』は、近衛兵の指導対象となっております。……それとも、殿下。もしや、この石壁の強度を測定しておられたのですか?」 ネストは至極真面目な顔で、殿下がついていた壁をコンコンと叩いた。 「なるほど、先日修復工事が終わったばかりですからね。殿下の細やかな安全点検、敬服いたします」 「……なっ! 違う、私は……!」 王子の情熱的なアプローチが、一瞬で「ただの土木点検」へと格下げされた。可笑しくて吹き出しそうになったが、私は必死で「すんっ」とした表情を維持する。 「ネスト殿。見ての通り、点検は済んだようですわ。殿下をしかるべき執務室へ強制送還していただけますか?」 「承知いたしました、シーラさん」 ネストはゼクス殿下を(礼儀正しく、かつ抗えない力で)促すと、最後に私の方を振り返った。 「大丈夫ですか、シーラさん。少し、顔が赤いようですが……。体調が優れないのであれば、医務室まで同伴しますが」 彼は、ゼクス殿下のように私の胸元や扇をいやらしく見ることはない。濁りのない瞳で、真っ直ぐに私の『目』だけを見て、本気で心配している。 「……っ!」 やめて。そんな、公正な判決を待つ裁判官のような、一点の曇りもない目で私を見ないで。