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第1008話

Auteur: 夏目八月
さくらたちが目配せをするのを見た儀姫は、さくらが今や自分の手の届かない存在だということも忘れ、突然激高した。「もう、見え見えじゃないの!」甲高い声が部屋中に響き渡る。「虐げられた女たちを助けるなんて嘘!偽善者!私、今すぐにでも皆に暴いてやるわ!」

だが、彼女は立ち上がろうともせず、ただ清家夫人を恨めしげに見据えたまま座り続けていた。

さくらは眉を寄せた。最初、清家夫人の侍女から話を聞いた時は、単なる騒動を起こしに来たのだと思っていた。

しかし、目の前の儀姫の様子は違う。

大声を張り上げているものの、実際の行動は伴わない。腰一つ動かそうとしない。まさか……本当に困窮しているというのか。

「確か、伊織屋の名前も変えろとおっしゃったそうね?」紫乃も何か違和感を覚え、語気を和らげた。今や高慢な態度すら取れない儀姫の姿に、何とも言えない気持ちが湧いてきた。

「死んだ人の名前なんて、縁起が悪いでしょう」儀姫は唇を歪めた。

「縁起が悪いと思うなら、来なければいいじゃない」紫乃の声が再び高くなった。やはり、どれだけ落ちぶれていようと、人を苛立たせる性質は変わっていないようだ。

「まあ、誰が来たがってるって……」儀姫は鼻を鳴らし、何か皮肉めいた言葉を投げかけようとしたが、さくらの厳しい表情に出くわすと、慌てて言葉を飲み込んだ。

「そう?望んでもいないなら出て行けばいいでしょう」紫乃は冷笑を浮かべた。「おかしな人ね。来ておきながら文句ばかり。ここが贅沢な暮らしができる場所だとでも思ったの?自分の力で生きていかなきゃならないのよ」

「帰るものですか。あなたたちが本当に偽善者かどうか、とことん見届けてやるわ」

清家夫人の顔が青ざめているのを見て、さくらは彼女を気遣った。「夫人様、お戻りになられては?」

「では、王妃様にお任せいたします」清家夫人は儀姫と向き合うのも嫌になっていた。

儀姫の真意が掴めない。ただの意地悪なのか、それとも……

王妃様たちが来る前の横柄な態度といったら、思わず平手打ちでも食らわせたい気分だった。

ここが工房でなければ、とっくに使用人に追い払わせていただろう。

清家夫人が去ると、さくらは静かに告げた。「一度お帰りなさい。あなたのことはしっかり調べさせていただきます。本当に子がないという理由だけで離縁されたのなら、伊織屋でお世話することも
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