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第974話

Author: 夏目八月
シャンピンは位の低い女官に過ぎなかったが、長公主の信任は厚かった。先ほどの彼女の強い反対が、賛成派の心をも揺るがせていたのだ。

とはいえ、賓客司卿らは依然、大和国の丹治先生を支持していた。その名声は平安京にまで轟いており、先帝の重病の折にも、招聘を進言する重臣がいたほどだ。ただ、先帝自身が大和国の医師に命を託すことを拒んだのだった。

議論が再び白熱する中、さくらと清湖は丹治先生を両脇から支えると、東の庭園へと駆け出した。

「止めなさい!」シャンピンの甲高い声が響く。

「お待ちください!」紫乃がシャンピンの袖を掴んだ。「私たちだって長公主様のためを思って……それに、お側には侍女の方々もいらっしゃる。もし私たちが何か企んでも、すぐにお分かりになるはずです」

「そうだ、その通りだ」棒太郎もスーランキーを押しとどめながら叫んだ。「ただの診察です。御典医の方もいらっしゃるでしょう?一緒に来てください。御典医の目の前で診させていただきましょう」

御典医はすでに長公主の寝所へと駆け込んでいた。二人の医者が付き添っているとはいえ、大和国の者が入ってきたからには、何が起こるか分からない。

「離しなさい!」シャンピンが紫乃に向かって叫んだ。その目には焦りの色が滲んでいる。「何をするつもり?私を傷つけようというの?」

「違います、違います」紫乃は柔らかな声で宥めながら、しっかりと腕を掴んでいた。「お心配でしたら、一緒に参りましょう」

「そうだ、みんなで行こう!」棒太郎も声を張り上げた。「長公主様のご加護を願う気持ちは同じだ。さあ、一緒に!」

禁衛と平安京の警備の間で小競り合いが起きていた。さくらの命で手は出せず、禁衛たちは拳を受けながらも、ただ肩で押し返すことしかできない。

混乱の中、棒太郎がスーランキーを、紫乃がシャンピンの腕をしっかり掴んだまま、強引に東の庭園へと押し進めていく。

その頃、さくらと丹治先生は既に東の庭園に到着していた。侍女のサイキも長公主の寝所に戻っていた。先ほどまで外で議論の行方を窺っていたのだ。

「まあ!丹治先生でいらっしゃいますか?」サイキはさくらと丹治先生の姿を認めると、表情を輝かせ、足早に駆け寄った。

寝所には医者の他に、一人の女官と数人の侍女がいた。女官は長公主の額を拭っていたが、彼らが入ってくるなり、薄絹のカーテンを開けて立ち
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