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第6話

Author: イライナクス
黒崎家本邸。

「紗季!」蒼汰は早足でベッドの傍に駆け寄り、手を伸ばして彼女の額に触れた。

「なんでこんなに冷たいんだ?田代さん、早く医者を呼んで!」

美優もあとから部屋に入ってきて、心配そうなふりをする。

「お姉ちゃん、どうしたの?昨日はすごく疲れてたから……そのせい?」

「末期のがんです」田代おばさんは扉のところに立ち、落ち着いた声で言った。

「奥様は、すでに亡くなりました」

「なんだって?」蒼汰は眉をひそめた。

「そんな冗談言うなよ。昨夜はまだ元気だったじゃないか」

彼は携帯を取り出し、主治医に連絡を取ろうとしたが、田代おばさんが止めた。

「黒崎さま。奥様は亡くなってから、すでに二時間経っています」

「ありえない」蒼汰は首を振った。だがその語調に悲しみはなく、苛立ちのほうが強かった。

「きっとまた同情を買おうとしてるだけだ。美優も言ってただろ?最近、仮病ばかり使ってたって」

「仮病?」田代おばさんは冷たい笑みを浮かべた。

「じゃあこちらをご覧ください」

彼女はベッド脇の引き出しを開けた。中には空になった薬瓶がずらりと並んでいた。

「これはすべて致死量の鎮痛剤です。夫人は三日間、痛みに耐えながらこれを飲み続けていたんです。あなたたちに悟られないように」

「彼女は……」蒼汰が何か言おうとしたが、田代おばさんが続けた。

「三日前、医者は余命七十二時間と告げました。その唯一の治療の機会は、あなたが美優さんに与えたんですよ」

美優はすぐに目を潤ませた。

「そんな……お姉ちゃんの病気がそこまで深刻だったとは知らなかった……どうして言わなかったの?」

「言ったところで、治療の機会を返してあげましたか?」

田代おばさんの問いに、美優は口を噤んだ。

「私……もし知ってたら、きっと……」

「もういい」蒼汰が苛立ったように話を遮った。

「もう亡くなったんだ。今さら何を言っても無意味だろう」

彼はベッドの紗季を見つめ、眉間に皺を寄せた。

「本当に頑固な人だった。具合が悪くても何も言わずに……こんなことになって」

田代おばさんは信じられないという目で彼を見た。

「黒崎さま、奥様が亡くなったばかりなんですよ。その言い方はあまりにも……」

「事実を言ったまでだ」

蒼汰は冷たい表情で言い放った。

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