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第170話
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永遠の毒薬 第294話
その口調には、ほんの少し溺愛めいた甘さが混じっていた。彼女は思わず考えてしまった。直人は紗希のことが、少しは好きなのではないか。そうでなければ......ちょうどその時、携帯の着信音が鳴り響いた。乃亜は思考を切り上げ、画面に表示された番号を見ると、その繊細な眉をしかめた。拓海がどうして彼女に電話をかけたのだ？疑問が頭をよぎったが、彼女はすぐに電話に出た。「拓海さん！」祖母の死後、拓海は彼女をずっと支えてくれた。彼女は彼に恩義を感じていた。「こんな夜遅くに連絡して、すまない」拓海の声は優しく、電話の向こうで穏やかに微笑んでいる姿が目に浮かぶようだった。「どうしたの？何かあったの？」乃亜も少し慌てた。「いや、特に大事な話じゃないよ」拓海は一瞬黙ってから続けた「裕樹と凌央、それに直人が一緒に飲んでいたんだ。知っていたか？」「知らなかったわ」彼女は本当に知らなかった。直人が紗希を迎えに来た時も、そんな話は一切しなかった。乃亜はためらい、何かを察したように尋ねた。「もしかして何かあったの？」拓海がわざわざ夜中に電話してくる以上、ただ事ではないはずだ。「直人がお見合いしたらしい」拓海は静かにため息をついた。「桜坂家の令嬢だ。研究所勤めで、家柄も本人の能力も申し分ない。彼らはおそらく結婚するだろう」彼が思うに、少なくとも、両家は満足しているに違いなかった。政界人同士の繋がりだからだ。もし両家が本当に家族になれば、お互いを支え合い、さらに上を目指せる。だから紗希はただの捨て駒でしかなかった。拓海が乃亜にこれらのことを伝えたのは、紗希に本気になりすぎないように警告してほしかったからだ。さもなければ、結局傷つくのは紗希自身なのだ！「わかったわ、ありがとう！」乃亜はそう言って電話を切った。携帯を強く握りしめながら、前に紗希が酔っぱらっていた時の様子が何度も頭に浮かんだ。紗希はいつも直人のことは愛していないと言っていたが、酔った時には彼の名前を呼んでいた。もし本当に別れることになったら、紗希は立ち直れるだろうか？乃亜はこのことを紗希に伝えるべきかどうか悩んでいた。一方、拓海は乃亜のことを考えていた。今、彼女は何をしているのか、はたまた自分の
永遠の毒薬 第293話
美咲は喜びで興奮した。「わかったわ！今すぐ着替えるわね！」凌央が彼女を迎えに来てくれるなら、乃亜が凌央を誘惑する隙間もない！ふと、乃亜が怒り狂う姿を想像し、思わず笑みが漏れた。痛快だ！電話を切った凌央は書類を整理すると、ようやく立ち上がりドアに向かった。ちょうどその時、山本がドアを開けて入ってきた。「蓮見社長、お食事を届けに参りました。温かいうちにどうぞ！」三十分ほど前、凌央から急いで食事を届けるよう電話で指示を受けた山本は、事情もわからないまま、急いで調達してきたのだった。「そこに置いておいてくれ。これから外出する」さっきまで空腹を感じていたのに、今はすっかり食欲が消えていた。山本は呆然とした......社長の気まぐれにも程があるだろう。車に乗り込んだ凌央は、依然として憂鬱な気分だった。美咲は子供を失って苦しんでいた。凌央も間もなく乃亜を失う。その時、同じように苦しむのだろう。考え込んでいる最中、再び美咲から電話がかかってきた。凌央は眉間を揉みながら答えた。「どうした？」以前の彼は、三日三晩働き続けても平気だった。しかし、今はひどく疲弊していると感じた。「出発した？」美咲の声は優しく尋ねた。「今、車に乗ったところだ！」「あの西城家っていうお店のお粥が食べたいの。買ってきてくれない？」美咲は恐る恐る尋ねたが、内心は不安でいっぱいだった。彼女は流産以来、凌央の態度がどこか変わったように感じてならなかった。まるで目の前にいるのに、はるか遠いところにいる感覚だった。彼女は必死に彼をつかまえようとするが、どうしてもつかみきれない。不安でたまらないからこそ、何度も電話をかけ、傍にいてほしいと思った。そうすれば、彼女は少しだけ現実味を感じられた。「わかった！」凌央は短く応じると、電話を切った。美咲は携帯を握りしめ、電話の向こうから聞こえる切断音に、漠然とした不安にかられた。深く息を吸い込み、這い上がる感情を無理やり押し殺した。そして再び携帯を手に取り、電話をかけた。「手段は問わないわ。私が求める結果はただ一つ、乃亜の流産よ！」彼女は歯を食いしばりながら言い放った。今、失った我が子のことを思い出すと、乃亜への憎悪が沸き上がった。
永遠の毒薬 第292話
乃亜が知っているわけがない。「あなた、お風呂から上がったのね！はい、今すぐ行くわ！」乃亜は突然そう言い残し、電話を切った。美咲は携帯を握りしめ、全身を震わせていた。乃亜のやつ、また凌央を誘惑している！ダメだ。絶対に、乃亜の思うようにはさせない！そう思うと、すぐさま凌央の番号に電話をかけた。呼び出し音が長く響いたが、誰も出なかった。美咲は深く息を吸い込んだ。まさか、もう始まったのか？ダメだ！ 絶対に乃亜と寝させてはいけない。慌ててもう一度電話を掛けた。呼び出しが切れそうになる直前、受話器から低く艶やかな男声が響いた。「用件は？」その声は、聞く者を陶酔させるような色気を帯びていた。美咲は一瞬、意識が遠くなるような感覚に襲われた。彼女はもしベッドで彼にあの声で自分の名前を呼ばれたら、死んでもいいと思った。「用件は？」彼は口調を強めた。邪魔立てされたことへの苛立ちが感じ取れた。「凌央、会いたいの」美咲は唇を噛みながら、かすかに呟いた。彼女は四六時中、彼に会いたかった。だが、凌央は彼女と共にいることを決して望まなかった。「美咲、もう夜も遅い。もう寝た方がいい。幼稚な真似はやめてくれないか？」凌央はデスクに向かったまま、山積みの書類を前にペンをくるりと回していた。顔には険しい表情が浮かんでいた。かつて乃亜は、美咲との関係を断つよう求めてきた。彼は口では承諾しながらも、実際には何も行動を起こさなかった。彼にとっては、美咲との関係は潔白なもので、わざわざ距離を取る必要などないと思っていた。何より、彼は乃亜が大袈裟に騒ぎ立て、わざと難癖をつけていると思っていた。だから乃亜と約束した後も、平然と美咲と連絡を取り合っていたのだ。今夜、乃亜が決然と離婚を申し立てた。彼はまだ挽回可能だと考えた。しかし、乃亜が祖父の存在まで持ち出した。その時に彼はようやく悟った。彼女が彼に言っていた言葉はすべて本気だったのだ。以前は、彼女のことを理不尽に騒ぐ女と捉え、数日放っておけば収まると思っていた。今の彼ならわかる。彼の行った一つひとつの行動を、乃亜はすべて覚えていたのだ。「凌央、子供の頃、あの寺に行ったことを覚えてる？」凌央の苛立ちを感じ取り、美咲は懐か
永遠の毒薬 第291話
「凌央があなたのところにいないことくらい知ってるわ。だってさっき私のところに来て、今シャワーを浴びてるもの！」美咲の声には誇らしげな響きがあり、電話越しでもその喜びが伝わってきた。乃亜は眉を上げ、冷ややかに笑った。「凌央はたった今帰宅したところよ。どうしてあなたのところにいるのかしら？美咲、認めなさい。彼が愛しているのは私であって、あなたじゃないわ！」ちょっとした嫌味なお世辞くらい、誰だってできるものだ。凌央が今どこにいるかなんて、乃亜にはどうでもいいことだった。美咲は怒りから顔から血の気が引き、爪が手のひらに食い込んだ。あの二人は明日離婚するはずじゃなかったのか？ なぜ今夜も一緒にいるんだ！まさか裕之は彼女を騙していた？実際は二人の間に離婚の話なんてなかったのかもしれない！「もし彼が私を愛していないなら、どうして桜華市の全ての道に同じ種類の花を飾らせたの？ もし愛していないなら、庭に私の好きな花を植えたり、私が好きだからって同じお茶を飲み始めたりしないわよね！」「それに、あなたたちの新婚初夜のこと覚えてる？ 私が足を挫いたと電話したら、彼は新居にあなたを置き去りにして、一晩中私の世話をしてくれたのよ！」「そしてきっとあなたはまだ知らないでしょうね。彼が最近、美容院とリバービューマンション、それに車も贈ってくれたのよ。桜華法律事務所を譲るとまで言ってくれたわ！」彼女は自慢していた。だが心の奥では、これら全てが凌央の乃亜への罪滅ぼしに過ぎないと痛いほどわかっていた。彼女はそんなもの要らなかった。彼女はただ凌央が欲しかったのだ。「私は全て録音したわ。離婚する時は、きちんと返品するのよ。だってそれらは私と凌央の夫婦共有財産なんだから！」以前なら、こんな美咲の言葉を聞いたら、乃亜は気を失いそうになっただろう。しかし今の彼女には、かつてない冷静さがあった。彼女の凌央への愛も、少しずつ冷めていった。今ではもう、心に波風すら立たない。本当に吹っ切れたのだ。美咲が何を言おうと、彼女を傷つけることはできなかった。「乃亜、あなたが3年前に凌央のベッドに潜り込み、おじい様に結婚を強要した時から、彼はあなたを心底嫌悪してたのよ！この3年間、さぞかし辛かったでしょうね？」美咲はゆっくりと言い放っ
永遠の毒薬 第290話
そう思うと、美咲は仕方なくベッドから起き上がって携帯電話を拾い上げた。良かった。携帯は壊れていなかった。まだ普通に動いた。ためらいながらも、彼女は裕之の番号に電話をかけた。裕之は即座に電話に出た。「美咲、こんな夜遅くにどうした？」その声にはっきりと心配の色がにじんでいた。「ただ眠れなくて、あなたと話したかっただけ。今、話しても大丈夫？」美咲はわざと声を柔らかくさせた。「俺一人なんだから、大丈夫に決まっているだろう？」裕之の口調には軽い叱責が混じっていた。「美咲、俺にそんな他人行儀にするなよ！」「前に聞いたわ、お母様が縁談を進めてるんでしょ？もし同居してたら、こんな時間に電話して迷惑かもって思ったの！」美咲は冗談めかしながら言ったが、彼女自身だけがこの時ほど胸中が煮えたぎる思いをしたことはないと知っていた。愛する男は手に入らず、自分を愛してくれる男の側にはもう別の女がいた。結局、彼女はまだ独りぼっちなのだ。恨まずにいられるわけがない。「母が申し入れに行ったが、まだ返事はもらってないよ！」彼は、今日直人に会い、何か情報を聞き出せるかと思ったが、直人は早く帰ってしまい、結局何の情報も得られなかった。「裕之兄さんはあんなに素敵なのに、あの家はまだ考え中だなんて！信じられないわ！」美咲は憤慨したように言った。親がいるというのは本当にいいものだ。自分で何も努力しなくても、親がすべてを手配してくれる。もし彼女の両親も生きていれば良かった。彼女が凌央と一緒になりたいなら、両親は凌央との仲を裏で取り計らってくれたはずだ。「安藤家は蓮見家には及ばない。俺も凌央ほど優秀じゃないんだ。もし相手が凌央だったら、彼らも即答だったろうな！」裕之は自嘲気味に笑った。「しかし俺も己をよく理解している。彼らの下す決断がどうであれ、受け入れるつもりだ」彼は莉子の気性の荒さが気に入らなかった。だが渡辺家との縁組は安藤グループにも自分にも利益がある。たとえ不本意でも拒めはしない。「裕之兄さん、どうしたの？ もしかして、私が桜華市を離れている間に、何か大きな出来事でもあったの？」美咲は流れに乗って質問した。「大きな出来事はあったんだ！」裕之はタバコを取り出し、一本を指先で弾き出して火をつ
永遠の毒薬 第289話
乃亜は唇を軽く噛んだ。「創世グループには最高の弁護団がついている。離婚すれば、あなたの財産はしっかり守られるわ」彼女が求めていたのは、ただひたすらに早く離婚することだけだった。財産をいくら分け与えられるか、あるいは一銭も得られずに放り出されるなど、そういったことには一切関心がなかった。「乃亜、もし俺がお前と子どもを作ると言ったら？ それでも離婚を選ぶのか？」離婚後、屋敷から乃亜が消えてしまうと思うと、凌央は胸が締め付けられるようだった。以前、祖父が彼に乃亜との子供を作れと迫った時、彼は思っていた。一生を共にする覚悟もないのに、子どもを作れば不幸にするだけだ。そして何より恐れていたのは、父親のように無責任な親になることだった。子供の人生を台無しにしたくなかった。しかし今、乃亜がこれほどまでに離婚を決意していると知り、彼は思った。子供がいれば、彼女を繋ぎ止められるかもしれない。たとえ一生乃亜を愛せなくとも、妻と子供には責任を持とう。乃亜の胸が騒いだ。まさか、凌央は私の妊娠に気づいているのか？わざとこんなことを言って探っているのだろうか。乃亜の沈黙を見て、凌央が彼女が心を動かされたのだと思い、さらに言葉を続けた。「子供ができたら、毎日午後は必ず帰宅して一緒に過ごす。お前が仕事を続けたいならそれでもいいし、専業主婦になりたければそれも尊重する。全てお前の選択に任せる」彼は思った。もし乃亜が女の子を産んだら、きっと彼女に似て、ほんわかとした可愛い子になるだろう。彼はきっとわが子を心から愛すだろう。乃亜の美しいアーモンドアイがじっと凌央の顔を見つめた。彼が自分の妊娠に気づいていないと確信すると、ほっと胸を撫で下ろした。そして深く息を吸い込み、ゆっくりと口を開いた。「美咲の子供は残念だったわね。でもあなたたちはまだ若いし、またすぐに授かるはずだわ。私は……もうあなたに愛情なんてないし、あなたと子供を作るつもりはないわ！」彼女はすでに凌央に完全に失望していた。たった数言で心が揺らぐはずがなかった。まだ若いのだから、この感情の泥沼に囚われて終わりたくはなかった。彼女は前だけを見て、進んでいくしかない。決して振り返らない。「実は美咲の子供は……」凌央が説明しようとした瞬間、携帯の着信音が鳴り響いた。
永遠の毒薬 第288話
彼からの返信はすぐに届いた。「父の都合を聞いてから、改めて連絡する」舞衣は携帯を握りしめ、画面の文字を指でなぞった。そうするとなんだか心が落ち着いた。聞いたら答えてくれる。これがきっと、二人の最適な距離感なのだろう。直人は紗希を車に乗せるのに苦労した。運転席に座り込むと、舞衣からのメッセージが届いているのに気づいた。ルームミラーに映る女の顔を一目見ると、素早く返信した。彼と舞衣の関係が深まり、安定するほど、車の後部座席の女も安全になる。彼は彼女を愛してはいない。ましてや結婚するつもりもない。それでも、彼女を一生自分の隣にいるように縛りつけておきたかった。もし理由を探さなくてはならないのなら、拓海だけが彼女の心を占めているのが、どうしても許せなかったからだ！返信し終えると、彼はすぐに母親に電話をかけた。「直人、こんな夜遅くに電話するなんて、何かあったの？」電話の向こうからは、京子の焦り混じりの声が聞こえた。「母さん、今日舞衣さんと会ったんだ。お互い悪い印象はなかった。父さんと都合をつけて、彼女の両親と食事でもどうだ？」直人の声は冷静そのもので、まるで他人事のように淡々と話した。「今すぐ父さんと相談するわ！すぐ返事するから！」京子は深く息を吐き、声には抑えきれない喜びをにじみ出ていた。それは彼女が夢にまで見た、息子と舞衣の縁談が実現する瞬間だった。「わかった」直人はそう答えると、さっさと電話を切った。母親は彼以上に焦っていた。きっとすぐにでも段取りをつけてくるに違いない。彼にとってはただの形式的な手続きだ。本気で関わるつもりなど全くなかった。電話を切った途端、後部座席に横たわっていた女が突然起き上がった。長い髪が小さな顔を覆い、夜の車内で不気味な影を作る。「直人、この最低野郎！クソ男！」酒に酔った女は声を張り上げ、罵声を浴びせた。彼女は酒に酔っているため、一切の遠慮がなくなっていた。直人の表情が一瞬で険しくなった。彼は彼女以外、他の女性に手を出したことなどない。どこが最低だというのだ！「直人、私を抱きしめて……」紗希は突然泣き出した。直人は思わず一瞬たじろぎ、やがて後部座席に移動した。座った途端、彼女の腕が絡みついてきた。「直人、キスして！」そ
永遠の毒薬 第287話
舞衣はほほえんだ。「渡辺家と桜坂家は家柄も釣り合っています。私と直人がお見合いするのは自然なことですよ」たとえ直人とでなくても、別の誰かとお見合いするはずだった。今夜直人と過ごしてみて、彼の人柄も悪くないと感じた。彼女は満足していた。裕之は無言で酒を飲んだ。舞衣の言う通りだ。彼らのような家に生まれた者にとって、婚姻は家柄がすべてなのだ。一方の高橋家は、とっくに没落している。それに美咲は未亡人という身分だ……彼と美咲が結ばれることは、最初から運命づけられていなかった。胸の奥が重苦しく、息が詰まりそうだった。舞衣は彼が黙々と酒を飲む様子を見て、理由がわからずに言った。「酒で憂さを晴らすより、どうすれば解決できるか考えたほうがいいですよ！」どんなことにも解決策はあるものだ。まるで世界の終わりでもあるかのように嘆く必要なんてない。裕之は杯の酒を一気に飲み干すと、笑いながら言った。「どうにもならない問題もある！だがもう諦めがついたんだ」美咲と結ばれないのなら、せめて黙って守ってやろう。「どうやら、あなたにはもう答えがわかっているようですね」所詮二人は、まだ親しくもない間柄だ。舞衣もこれ以上詮索することはできない。ほどなくして、裕樹が戻ってきた。「凌央は見つかったか？」裕之が尋ねた。「見つからなかったです！でも電話はしました。疲れたから先に帰って寝ると言っていました！」裕樹はありのままを報告した。しかし、彼はどこか違和感を覚えていた。具体的にどうおかしいのか、自分でも説明できなかった。「なら、そろそろお開きにしよう。舞衣さんを送ってくれ」裕之はグラスを置き、さっと立ち上がった。舞衣も続いて立ち上がり、「運転手を呼びますから、送らなくて大丈夫ですよ！」と断った。「それはダメです！直人兄さんが必ず送れとおっしゃったんです！さあ、行きましょう！」裕樹は鞄を手に取り、彼女にコートを渡した。直人の指示は絶対だ。必ず守らなければならない。「普段は研究所で遅くまで仕事して、一人で帰っています。桜華市の治安は良く、安全ですよ」口ではそう言いながら、直人の心遣いを密かに嬉しく思っていた。彼女は思っていた。愛情がなくても、一生こうして優しくしてくれるなら、それも悪
永遠の毒薬 第286話
「家の方で急用ができてしまった。先に失礼するよ！申し訳ない！」直人の態度は良く、表情も穏やかだったため、舞衣はむやみに疑うことができず、「家の急用なら、急いで行ってちょうだい！」と答えた。「直人兄さん、安心してください！俺が舞衣さんを安全に送り届けます！」裕樹は胸を叩いて約束し、直人に信用されないことを恐れているようだった。「舞衣、それでもいいか？」直人は急いで立ち去る必要があるにもかかわらず、焦りを見せず、穏やかな表情で舞衣に尋ねた。おそらく彼の態度が優しすぎたため、舞衣思わず頷いてしまった。「それじゃあ、行ってらっしゃい！」直人は手を伸ばし、彼女の頬を軽くつまんだ。「いい子だ！」舞衣の顔は少し熱を帯びた。「早く行きなさいよ！」今日が初対面なのに、この男の行動は少し親しげすぎではないか！しかし、彼女は不思議と嫌な気はしなかった。むしろ、少し嬉しかった。「それでは先に失礼する。楽しんで飲んでくれ！今回の酒代は俺が持つ！」直人は豪快に言い残して去っていった。舞衣は彼の後ろ姿を見送っていた。しばらくして、やっと我に返った。帰ったらすぐ母に話して、彼について調べてもらおう。彼に一目惚れをしたものの、彼女はまだ恋の熱に浮かされることなく、冷静さを保っていた。「舞衣さん、引き続き飲みましょう」裕之は彼女に酒を注ぎ、自身のグラスを掲げて軽く杯を交わすと、一気に飲み干した。母は彼に直人の妹と接触するよう命じ、二人を結び付けようとしていた。元々彼は、少ししてから直人にこの事について話そうと思っていた。そして、ついでに直人の胸の内を探ろうとしていた。しかし直人が帰ってしまった以上、次回まで待つしかない。二人が飲んでいる間、裕樹は傍らで見守っていた。裕之はすでに酒に酔っており、時計を確認すると裕樹に尋ねた。「凌央はどこへ行った？」裕樹はぽかんとし、「さっき直人兄さんと一緒に出て行きましたよね？まさか渡辺家まで同行したとか？」直人が家の用事と言えば、彼はもちろん素直に信じた。裕之は眉をひそめた。凌央の性格を知る者としては、たとえ渡辺家に用事があっても自らが出向くはずがない。だが裕樹は純粋すぎる。これ以上彼とこんな話はしない方がいいだろう。「私がいるから、彼は戻りたく
