優しさを君の、傍に置く

優しさを君の、傍に置く

last updateDernière mise à jour : 2025-10-19
Par:  砂原雑音En cours
Langue: Japanese
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【BLではありません】 石畳の洒落た通りは、街灯もアンティーク感を漂わせて全体のイメージを敢えて統一しているのがわかる。 夜は尚更異国の雰囲気を感じさせ、それに倣った店構えが並ぶ中、その店はひっそりとそこにあった。 今はもう照明の落とされたガラス張りの大きな店舗と店舗の間、半畳ほどの狭いステップから地下に繋がる階段を降りていく。 暗がりをランプの灯りが照らす中、重厚そうな扉を押し開くと…… その店には、男も女も骨抜きにする美人の「バーテンダー」がいる。 「僕が泣いても、やめないで」

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Chapitre 1

男は下らぬことに闘争心が湧いたりする《1》

【高見陽介】

 帰国子女らしいって話。

 何か国語だ?

 ぺらっぺらで。

 取ってくる契約は桁違いの大口だったり、それでいて会話もスマートで偉ぶらない。ビジュアルも完璧、男の俺から見たら怪物みたいな存在の上司。まだ若いからって課長職に甘んじていたけど、将来約束された本物のエリートだった。

 普段なら争う対象でもなく、同期じゃなくて良かったと思うくらいだ。仕事でなんか敵うわけもねーから成績を比べたことすらなかったけど。

「ごめんね、陽ちゃん。私、真田さんに着いて行きたいの」

独立した鉄人上司に、彼女を取られた。

この時ばかりは、流石に腸煮えくり返ったとも。

「おい陽介……もう帰ろうって」

 同僚に自棄酒に付き合わせて、半分は酔ったフリの蛇行歩きだ。浩平がさりげなくタクシー乗り場に誘導していることに、気付かないわけがない。

「嫌だ! 俺はまだまだ飲むぞまだ日付変わったばっかだろ!」

「日付変わったから帰ろうっつってんだろうがしばくぞこら」

 あー、明日の朝、酒抜けねえかも。

 残った理性がそう冷静に判断するけど、入社した頃から二年付き合った彼女を掻っ攫われた心の痛手は、酒で誤魔化そうとする程度には、ダメージはでかかった。

 秋を迎えて夜は少々肌寒い。酒効果で妙にチカチカする視界で空に浮かぶ月を見ると、尚更感傷に浸りたくなる。

 ってか、翔子。

 お前結構いい女だったけど、所詮一般の部類だ。

 あれはさすがに格が違いすぎるって。

 雲の上の存在過ぎてまさかのノーマークだったわ。

 そのうちポイっと捨てられるに決まってる。

 本気で心配したけれど、それは言わなかった。

 余りにも惨めだろ。

 可哀想だろ、俺が。

「唯一勝てそうなのって背の高さしかねぇな……」

「あー、人混みでも難なく見つけられる立派な長所だ誇りに思え」

 夜風同様、浩平の態度が冷たい。愚痴を垂れ流し過ぎたのか、受け流しもぞんざいになってきた。これ以上面倒がられないようにそろそろ帰るか、とさっき通り過ぎたタクシー乗り場を振り返ろうとしたが、浩平の言葉に引き留められた。

「そうだ。そんなに飲みたきゃ、いいとこ連れてってやる」

 何かを思いついたようにそう言って、突然すぐ傍の角で左に曲がる。

「なんだよいいとこって」

 風俗とか言うなよ。

 俺は今は女より酒が欲しい。

「ショットバーだよ」

「ああ、なんだ」

「で、めちゃくちゃ美人がいる」

「……へ、へえー……」

 いやいや。

 女は今はいらないんだけどね。

 でも、美人だと聞くと当然俺も興味を引かれるわけだ。

「とりあえず酒が飲めるなら俺はいいんだ」

 浩平のいう美人には用はないと素知らぬフリで後を着いて行く。

「心配すんな、当然酒も美味い」

「へえ、そりゃ楽しみ」

「それに男だ」

「は?」

「でも、男前ってより……すんげー美人なんだよ」

 ……は? 美人だけど、男なんだよな?

 浩平の鼻の下が伸びて見えるのは気のせいか。『美人』という単語が、男に向けて使用されることに違和感が拭えなくて、首を傾げた。

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男は下らぬことに闘争心が湧いたりする《1》
【高見陽介】 帰国子女らしいって話。 何か国語だ?  ぺらっぺらで。 取ってくる契約は桁違いの大口だったり、それでいて会話もスマートで偉ぶらない。ビジュアルも完璧、男の俺から見たら怪物みたいな存在の上司。まだ若いからって課長職に甘んじていたけど、将来約束された本物のエリートだった。 普段なら争う対象でもなく、同期じゃなくて良かったと思うくらいだ。仕事でなんか敵うわけもねーから成績を比べたことすらなかったけど。「ごめんね、陽ちゃん。私、真田さんに着いて行きたいの」独立した鉄人上司に、彼女を取られた。 この時ばかりは、流石に腸煮えくり返ったとも。「おい陽介……もう帰ろうって」 同僚に自棄酒に付き合わせて、半分は酔ったフリの蛇行歩きだ。浩平がさりげなくタクシー乗り場に誘導していることに、気付かないわけがない。「嫌だ! 俺はまだまだ飲むぞまだ日付変わったばっかだろ!」 「日付変わったから帰ろうっつってんだろうがしばくぞこら」 あー、明日の朝、酒抜けねえかも。  残った理性がそう冷静に判断するけど、入社した頃から二年付き合った彼女を掻っ攫われた心の痛手は、酒で誤魔化そうとする程度には、ダメージはでかかった。 秋を迎えて夜は少々肌寒い。酒効果で妙にチカチカする視界で空に浮かぶ月を見ると、尚更感傷に浸りたくなる。 ってか、翔子。  お前結構いい女だったけど、所詮一般の部類だ。 あれはさすがに格が違いすぎるって。  雲の上の存在過ぎてまさかのノーマークだったわ。 そのうちポイっと捨てられるに決まってる。 本気で心配したけれど、それは言わなかった。  余りにも惨めだろ。  可哀想だろ、俺が。 「唯一勝てそうなのって背の高さしかねぇな……」 「あー、人混みでも難なく見つけられる立派な長所だ誇りに思え」 夜風同様、浩平の態度が冷たい。愚痴を垂れ流し過ぎたのか、受け流しもぞんざいになってきた。これ以上面倒がられないようにそろそろ帰るか、とさっき通り過ぎたタクシー乗り場を振り返ろうとしたが、浩平の言葉に引き留められた。「そうだ。そんなに飲みたきゃ、いいとこ連れてってやる」 何かを思いついたようにそう言って、突然すぐ傍の角で左に曲がる。「なんだよいいとこって」 風俗とか言うなよ。  俺は今は女より酒が欲しい。「ショットバーだよ」
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