【BLではありません】 石畳の洒落た通りは、街灯もアンティーク感を漂わせて全体のイメージを敢えて統一しているのがわかる。 夜は尚更異国の雰囲気を感じさせ、それに倣った店構えが並ぶ中、その店はひっそりとそこにあった。 今はもう照明の落とされたガラス張りの大きな店舗と店舗の間、半畳ほどの狭いステップから地下に繋がる階段を降りていく。 暗がりをランプの灯りが照らす中、重厚そうな扉を押し開くと…… その店には、男も女も骨抜きにする美人の「バーテンダー」がいる。 「僕が泣いても、やめないで」
View More【高見陽介】
帰国子女らしいって話。
何か国語だ?
ぺらっぺらで。取ってくる契約は桁違いの大口だったり、それでいて会話もスマートで偉ぶらない。ビジュアルも完璧、男の俺から見たら怪物みたいな存在の上司。まだ若いからって課長職に甘んじていたけど、将来約束された本物のエリートだった。
普段なら争う対象でもなく、同期じゃなくて良かったと思うくらいだ。仕事でなんか敵うわけもねーから成績を比べたことすらなかったけど。
「ごめんね、陽ちゃん。私、真田さんに着いて行きたいの」
独立した鉄人上司に、彼女を取られた。
この時ばかりは、流石に腸煮えくり返ったとも。「おい陽介……もう帰ろうって」
同僚に自棄酒に付き合わせて、半分は酔ったフリの蛇行歩きだ。浩平がさりげなくタクシー乗り場に誘導していることに、気付かないわけがない。
「嫌だ! 俺はまだまだ飲むぞまだ日付変わったばっかだろ!」
「日付変わったから帰ろうっつってんだろうがしばくぞこら」あー、明日の朝、酒抜けねえかも。
残った理性がそう冷静に判断するけど、入社した頃から二年付き合った彼女を掻っ攫われた心の痛手は、酒で誤魔化そうとする程度には、ダメージはでかかった。秋を迎えて夜は少々肌寒い。酒効果で妙にチカチカする視界で空に浮かぶ月を見ると、尚更感傷に浸りたくなる。
ってか、翔子。
お前結構いい女だったけど、所詮一般の部類だ。あれはさすがに格が違いすぎるって。
雲の上の存在過ぎてまさかのノーマークだったわ。そのうちポイっと捨てられるに決まってる。
本気で心配したけれど、それは言わなかった。
余りにも惨めだろ。 可哀想だろ、俺が。 「唯一勝てそうなのって背の高さしかねぇな……」 「あー、人混みでも難なく見つけられる立派な長所だ誇りに思え」夜風同様、浩平の態度が冷たい。愚痴を垂れ流し過ぎたのか、受け流しもぞんざいになってきた。これ以上面倒がられないようにそろそろ帰るか、とさっき通り過ぎたタクシー乗り場を振り返ろうとしたが、浩平の言葉に引き留められた。
「そうだ。そんなに飲みたきゃ、いいとこ連れてってやる」
何かを思いついたようにそう言って、突然すぐ傍の角で左に曲がる。
「なんだよいいとこって」
風俗とか言うなよ。
俺は今は女より酒が欲しい。「ショットバーだよ」
「ああ、なんだ」「で、めちゃくちゃ美人がいる」
「……へ、へえー……」いやいや。
女は今はいらないんだけどね。 でも、美人だと聞くと当然俺も興味を引かれるわけだ。「とりあえず酒が飲めるなら俺はいいんだ」
浩平のいう美人には用はないと素知らぬフリで後を着いて行く。
「心配すんな、当然酒も美味い」
「へえ、そりゃ楽しみ」「それに男だ」
「は?」「でも、男前ってより……すんげー美人なんだよ」
……は? 美人だけど、男なんだよな?
浩平の鼻の下が伸びて見えるのは気のせいか。『美人』という単語が、男に向けて使用されることに違和感が拭えなくて、首を傾げた。
ばちっ、と目が合った途端に急に心臓がどきどきして、緊張して余計に言葉がうまく探せない。 慎さんが綺麗なことは、もう十分知ってるつもりだったのに、こうしてきちんと女性の装いで目の前に立たれると、全くわかってなかったと言っていい。 俺が想像してたよりも、ずっとずっと。「綺麗です、すごく」今、俺の顔は慎さん以上に真っ赤だと思う。「む、無理しなくていい。でも笑ったら殺す」「すんません、見惚れちゃって……うまく言えないけど女優さんみたいっす」「言い過ぎだそこまで言ったら嘘くさい」「や、ほんとに」本当に、女優さんみたいだ。 そう言うと、彼女は顔を真っ赤にしてまた俯いてしまった。 よく見ると、うっすらとメイクもしてる。「で、仕上げにこれ! はい、履いて」翔子がしゃがんで慎さんの足元に置いたのは、細いヒールの華奢なパンプスだった。「え、これ履くんですか?! 余計に背が」「大丈夫大丈夫、陽ちゃんデカいから超えないし。他の男は気軽には寄って来れなくなるから、虫除けみたいなもんだって」「じゃ、これ持って。中に化粧直しの道具も入ってるからね」「は、はい」「鼻がテカってきたらコレ使って」「て、てかる? ……わかりました」翔子からパーティ用の細長いバッグを渡され言われるままに頷いて、慎さんがよろよろとこちらに向かって歩いてくる。 ヒールに慣れてないのが丸わかりで、慌てて近づいて腕を取った。「すみません」「いえ、全然」「……ほんとに変じゃないですか」「綺麗です。傍にいるのも緊張するくらい」「あ、貴方はなんでも『可愛い
思えば最初からそうだった。俺が慎さんに惚れましたと告白した時、慎さんの反応はどうだったか。確か『お前に男とセックスが出来るのか』と。ストレートに言えばそんな感じだった。男の俺でも『惚れた=セックスに直結なのか!』と慌てて慎さんの言葉に応える言葉を探した覚えがある。あの時は慎さんのことを男だと思っていたし、俺を追っ払うためにわざとそんな言い方をしたのかなとも考えられるけど、やっぱり極端だ。恋愛=セックスと、直結しやすいのはどう考えても男だと思う。女の子はもっと、精神的なつながりとかをまず頭に考えるものじゃないんだろうか。……え、違うのか?逆に俺が女的思考なのか。いやいや、俺だって。好きな子が目の前に居ればもっといろんなことしたくなるし欲望に忠実になってしまいそうな時だらけだけど。やっぱそれだけじゃない。好きだから、だ、気持ち在りき、なのだ。だから身体どうこうは二の次だ。あんなに手が震えてたのに、怖くなかったはずがないのだ。なのに今までよりも先へ先へと、慎さんが焦っている気がしてならない。俺は傍にいられればそれが一番で、しつこいくらいにその気持ちは伝えているはずなのに……。届いてないのか、理解されてないのか。なんでだ。そう考えて、すぐに一つ、思い当たった。もしかしてこれも、慎さん自身気づいてないかもしれないけど、過去の経験からくるものじゃないんだろうか。身体が震えてしまうことだとか、目に見えることだけじゃない。男はそういう生き物なのだと、慎さんの意識に刻まれてしまっているのではないか。だとしたら尚更のこと、焦っちゃいけない、あの可愛らしい誘惑に負けてる場合ではない。そう改めて気合を入れると同時に、あの篤とかいう男への腹立たしさもまた沸々と沸いて腹の中で渦巻く。あんな奴の結婚式なんて、やっぱ行かなくてもいいんじゃないかと思う。「最近、佑さんが」「はい?」「僕が結婚式で女の格好するのが嫌だって言ったら、行かなくていいって言うんです。なんなら当日インフルエンザだとか俺が連絡してやるって」「俺もそれでいいと思いますよ」佑さんに大賛成だ。やむを得ず欠席の理由なんて、作ろうと思えばいくらでも作れるし、向こうも負い目があるはずだから何の文句もいえねーだろ。そんな無駄な時間、作る必要ないと俺は思うのだが、彼女は少し眉を
何を言えばいいのかわからない。どうすればいいのかわからないけど、ほっておいたらいけない気がする。慎さんを追いかけてカウンターの中まで入って行くと、彼女がふいに振り向いた。「陽介さん」「え、はい!」「ここ、開けてくれませんか」徐に指差されたそこはカウンター上部の引き戸で、確かに彼女の長身でも届かないことはなくても少し辛そうだった。「ここですか」「はい、中に大きめの鍋が入ってると思うんですが」「どうぞ」言われるままに引っ張り出した鍋は圧力鍋で、鍋にしては重い。なんでこんなもんがこんな高いトコに上げてあるんだ……じゃなくて!何もなかったかのように流れてしまった話を、戻さなければと焦って彼女に話しかけるけど。「あの、慎さん」「助かりました。普段鍋なんて使わないのでしまってあったんです」いつになく柔らかく笑った彼女に、もう謝るなと言われている気がした。鍋を流しに置くと、彼女は冷蔵庫を開けて中を確認して、俺はその後を微妙な距離を開けたままついて回って。「ちょっと、買い物に行こうかな。作るには、材料が少ない」「スーパー行きますか」「はい。一緒に行ってくれますか」「勿論です!」勢い込んで返事をした。荷物持ちでもなんでも、行かないわけがない。「じゃあ、その前に髪を乾かして」「すぐ乾きますって」「また風邪ひきたいんですか」と、目を細めてそう言われ、年末に迷惑をかけた俺としては大人しく黙るしかない。正面に立つ彼女が俺に向かって手を伸ばし、湿った前髪を指で抓む。それからぽそ、と小さな声で呟いた。「いやなわけじゃないんです」「え?」「陽介さんが怖いわけでもないです」慎さんが何の話をしているのか、わからないわけはない。「わかってます、それにあれは怖がられても仕方ないくらい俺が」悪かったんです、すんません。ってまた謝りそうになって、なんとか飲み込む。だけど俺が怒られこそすれ、慎さんが気に病むようなことではないのに。「俺は気にしてませんし、寧ろ前みたいに噛みついてくれてもいいっすよ」そう言うと、慎さんは少し瞠目してから初めてキスした時のことを思い出したのか、ふっと口許を緩めた。笑ってくれたことに、ようやっと、俺も安堵する。も、ああいう時はほんとそれくらいしてくれないと。「ドライヤー、取ってきます。髪乾かしたら、買い
【高見陽介】慎さんが、少し変だ。『あと、少し』『もう少し……』慎さんから唇にキスしてくれて、たどたどしく唇を舐めるその誘惑に、俺はものの見事に陥落した。最初はそれでも、舌を交互に舐め合っては様子を見ていたはずなのに、気付けばカウンターに彼女を追い詰めるようにして退路を塞ぎ、手はがっしり首筋を抑えて貪るような口づけをしていて。ん、ん、とくぐもった小さな声に漸く唇を解放したものの、理性はまだどこか遠くにぶっ飛んだまま。赤く火照った唇が濡れていた。どくどくと血が体中をめぐるのを感じながら親指で拭うと、飲みきれなかった唾液の筋が唇の端から首へと伝っているのを見つけて、吸い寄せられるように顔を埋める。俺の服を握る、慎さんの手が震えていることに気付かなかった。滑らかな首筋に舌を這わせると、びくびくと肩を強張らせる。それを、首筋が敏感なのだと頭の中で都合よく変換して、短い息の繰り返しを聞きながら、肌を吸いながら辿って上がり耳の淵を舐めあげた。瞬間、「ひっ……」と、空気を吸い込むような小さな悲鳴が耳に聞こえ、我に返る。自分が今、何をしているのかを、鼻を擽る肌の匂いと視界に広がる榛色の髪に知らされ、冷水を浴びせられたようにすっと身体が冷えた。「すんませっ……!」慌てて捕まえていた肩を引きはがして一歩下がる。腕の長さの分だけ空間が出来て、慎さんは握っていた俺のジャケットを離してゆるゆると自分の胸元に寄せていく。その手が震えているのを見て、更に血の気が下がった。「俺っ……」「や……大丈夫」いや、大丈夫なわけないだろ、何やってんだ俺。慌てて彼女の顔を見る。泣いているに違いないと思っていた俺は、彼女の熱を孕み潤んだ瞳に息を飲んだ。肩が小さく上下しているのが、息遣いが乱れていることを示していてまた身体を熱くする。でも、間違いなく震えてる。これ以上は無理なのはありありと目に見えていて。わかんねえ!でも止まらないとダメだ!発情した男には毒にしかならないその表情から、顔を逸らして強く目も瞑り。「……ほんと、すんません! 頭冷やして来ます!」みっともなく、彼女を放置してトイレに逃げ出してしまった。洗面所の冷水で顔を洗ってそれでも足りなくて、流しに頭から突っ込んだ。やっちまった、なにやってんだ俺。今まで怖がらせないように、安心しても
もういいからとっとと来なさいと電話を切ってから、ものの十分ほどでこんこん、とノックの音を聞く。 鍵を開けて外を覗くとデカい図体をそこはかとなく小さくさせて、陽介さんが立っていた。「……何をしてるんですか貴方は。明日から仕事なんだから、今日くらいゆっくりしていれば」「だって、ゆっくり会えるのは今日だけだって思ったら、やっぱ会いたくて。それに」「それに?」「……慎さんがなんか隠し事してる気がして」「隠し事……って、いうか」ただ、友人と会う。 隠し事と言っても、その相手が翔子さんで、話を聞かれたくないという、ただそれだけなんだけど。 しょぼん、と眉尻を下げながら、その手にもった紙袋からほんわりと良い匂いをさせている。 その姿を見ると、なんだかすごく僕が酷いことをしたような気になって来る。「陽ちゃん、いくらなんでも彼女縛り過ぎなんじゃないのー?」「げっ?! 翔子?!」僕の後ろからひょっこり顔を出した翔子さんに、陽介さんはあからさまに驚いて一歩退いた。「と……友達って、翔子、っすか」「そうだけど。他にいるわけないでしょう?」「じゃ、私は帰るね! 神崎さん、今度ランチ行こうねー!」「はい是非」陽介さんと入れ違いに出て行く翔子さんが、僕の背をぽんと叩く。「神崎さんと並んで歩いたら、真田さん妬いてくれるかなぁ」と、何か厄介なことを考えている気配をさせつつ帰って行った。 なかなかに、彼女の相手となる男性は大変そうだと思う。「な……何の話を、してたんすか」「色々と。それより、良い匂いですね」陽介さんの持った紙袋の口の端を指で引き、中を覗く。
「……それは、どういう」意味だ?と眉をひそめる。「見ててわかるもん。神崎さんと居る時の陽ちゃんのあまったるーい砂糖漬けみたいな顔。私は見たことなかったよ」ぽくぽくぽく、とポッキーが彼女の口の中に消えていく。話の合間で、彼女が小さく「これ苦いね」と呟いた。そしてもうひとつ、今度は別のチョコレートを手に取る。「今付き合ってる人ってさぁ、普段は全然優しくないの。何があっても仕事優先だし仕事の話の時は私のことなんか綺麗に忘れられてるし。でも、一緒に居るときすごーく甘い表情見せてくれて、私も多分、そうなんだと思う。あ、これが恋なんだなあって、実感できた。陽ちゃんにそんな甘い気持ち、持ったことも見せたこともなかったんじゃないかなぁ」「こないだは浮気されてるかもーって泣きそうだったじゃないですか」「それはだって!やっぱりほっとかれると寂しいのは仕方ないじゃん!恋するが故なの!」僕の言葉に、彼女は少し唇を尖らせて「ほんとは信じてるもん」と反論する。そんな表情は確かに、恋する女性だと思った。「で、例えばの話、私が真田さんに出会うより前に、神崎さんと陽ちゃんが出会ってたら、どうなってたと思う?」「……どうもこうも、きっとただの店員と客だったと思いますが」よくも悪くも一直線の陽介さんを見て、浮気だとか心変わりとか、思い浮かばなかった。だけど翔子さんは、違うと思う、と首を振る。「私がフラれてたと思う。私みたいに軽いノリの別れ話じゃあなかっただろうけどさー」「そんなことは」「絶対だよ。陽ちゃんにとって神崎さんは特別。私に真田さんが特別なのと一緒」
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