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第156話

Author: 雲間探
離婚協議書には、何もいらないとはっきり書いてあった。

財産分与も、茜の親権も関係しない内容だったから、彼女はすぐにでも離婚証明書を受け取りに来いと連絡が来ると思っていた。

けれど離婚協議書を残して帰国してから、すでに三ヶ月ほど経つというのに、彼からは何の動きもなかった。

そのことを思い出し、玲奈が顔を上げてその話を切り出そうとした瞬間、部屋の外からノックの音が聞こえた。

続いて、悠真の声がした。「お姉さん、体調崩したって聞いたけど、もう大丈夫?」

玲奈が答えるより先に、智昭が口を開いた。「入れ」

さっきまで人の出入りが多かったせいで、部屋の扉は開けっぱなしだった。

智昭の声が聞こえると、悠真は扉の外から中に入り、まずは兄に挨拶した。「兄さん」

智昭は「ああ」と言った。

悠真の視線が玲奈に向けられる。玲奈は悠真とあまり交流がないものの、心配してくれているのはわかっていた。何を言えばいいかわからない様子だったので、先に口を開いた。「もうだいぶ良くなったよ」

悠真は頭をかいて、「あ、そ、そうか。ならよかった」と言った。

玲奈は微笑んで、「こっちに帰ってくるの、久しぶりなの?」と尋ねた。

「うん……こっちのご飯が恋しくなって、ちょっと戻ってきたんだ。帰ってきたら、ばあちゃんが姉さん熱出したって言っててさ」

そのとき、藤田おばあさんもやってきて、玲奈の顔色が少し良くなっているのを見て安心したように言った。「台所のスープができたって。植松が、あなたも飲んで大丈夫って言ってたよ。一緒に下に降りる?それとも智昭に持ってこさせようか?」

玲奈はあまり食欲もなく、ご飯も少ししか食べていなかった。部屋が少し息苦しく感じてきたので、藤田おばあさんや智昭たちと一緒に階下へ降りることにした。

階下に降りると、悠真が尋ねた。「茜ちゃんは?」

藤田おばあさんは言った。「さっきちょっとだけ食べたけど、あまり飲めなかったのよ。あとでまた少し飲ませれば大丈夫よ」

玲奈は席につき、執事が差し出したスープを受け取って、顔を伏せてふうふうと冷ましながら少しずつ口に運んだ。

智昭も彼女の隣に腰を下ろしたが、携帯にメッセージが届くと、彼女に見られないように身をずらし、少し離れて携帯を操作し始めた。

玲奈はその様子を見ながら、黙ってスープを飲み続けた。

藤田おばあさんは見かね
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ちょろ
話さえ切られすぎやろ
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