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第1026話

Author: 似水
かおるの視線が湿布に落ち、軽く頷いた。

「ええ、貼ってちょうだい」

家庭医は無言で膝をつき、彼女の足首に湿布を貼ると、「しばらく安静に」とだけ言い残して、部屋をあとにした。

かおるはソファに身を預けながら、ちらとメイドに目を向けた。

「出てって。少し休みたいの」

だがメイドはその場から動かず、静かに答えた。

「奥様、私はここにおりますので、何かあればすぐにお呼びください」

その一言に、かおるの眉がわずかに動いた。

……何それ。

まさか、見張らせてる?

逃げ出さないように?それとも――

明確な意図までは読めなかったが、いずれにせよ、不快だった。

だが、かおるはすぐに表情を整え、柔らかい声で返した。

「いいわ。そこに立ってて。行かないで」

ベッドに直行して体を横たえ、スマホを手に取り、綾人にメッセージを送った。

かおる:【まだ来ないの?】

かおる:【さっき面白いことがあったの。来てなかったから、十億円損したわよ】

綾人:【それは残念。埋め合わせ、してくれる?】

かおる:【やっと返事きた。どうしてたの?】

綾人:【父と会社で会議だった。今、帰る】

かおる:【足止めされてたのね。やっぱり今夜は私に何かするつもりなんでしょ?】

綾人:【すぐ着く。怖がらないで】

かおる:【怖がってなんかいない。むしろ嵐が激しくなるのを楽しみにしてる】

綾人:【ほんと、いたずらっ子だな】

短いやり取りが終わるころには、ずっと胸の奥に渦巻いていた不安が、少しだけ和らいでいた。綾人が無事なら、それでいい。

足首のあたりがじんわりと熱を帯びてきた。最初から大した怪我じゃない。かおるはゆっくりと起き上がり、そのまま湿布を剥がした。

この湿布、何か仕掛けがある気がする。

剥がした瞬間、それを見ていたメイドが声を上げた。

「奥様、どうして剥がされたんですか?足首の治療のためのものですのに」

「貼ってると気持ち悪くなるの。鬱陶しいわ」

かおるが気怠げに答えると、メイドは眉をひそめた。

「でも、それでは足が治りませんよ?このあとのパーティーにも出られなくなるかと」

その言い草に、かおるの瞳がすっと細められた。

「こっちにいらっしゃい」

ベッドのヘッドボードにもたれながら、指をすっと招いた。

メイドは一瞬たじろいだように身体をこわばらせた。

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