LOGIN名家同士の政略結婚で強制的に結婚をさせられた、愛のないこの婚姻生活は苦しみながらも3年間は続いた。 夫は夜になっても帰ってこない。夫は女癖が悪い。そして、夫の心は他の女に向いている。 井上葉月(いのうえ はづき)はもう我慢できなくなっていた。絶対に、絶対に離婚する。 しかし葉月が離婚を切り出すと、清原逸平(きよはら いっぺい)はまるで別人のように変わり、葉月が行く先々で逸平の姿が見えるようになった。まるで怒られても逃げず、殴られてもへこたれないように。 表向きでは逸平はこう言ってる。「俺たちはまだ離婚していない。離婚していないなら夫婦だ。だから妻がいるところには俺もいる」 この結婚の始まりは決して美しくなく、打算と取引に満ちていた。逸平と葉月が幸せになれないことは最初からすでに決まっていた。 葉月は逸平がかつて口にした「これはただの政略結婚であって、恋愛感情などは一切存在しない」という言葉を忘れられなかった。 葉月の恋心は、一文の値打ちもないのだ。 葉月は決然とした口調で言った。「汚れた男は、もう要らない」 逸平はシャワーで自分をきれいに洗った後、葉月がいるベッドに飛びかかり、まるで犬のようにしっぽを振って懇願した。「葉ちゃん(ようちゃん)、俺はもうきれいになったよ」 十年の時を越えても、若き日に寄せたあの人への想い、この人生で変わることはない。
View More葉月が家で一眠りして目を覚ますと、もう六時を回っていた。携帯電話に二件の不在着信と未読メッセージが数件表示されていた。一番上に表示されているのは逸平からのもので、送信時間は三分前だった。【少しは休めたか?夕飯、何が食べたい?】葉月は少し考えて返信した。【わからない。今あまり食欲なくて、お腹も空いてないから、後で何か買ってくるわ】通りに面した住まいの利点は、階下に飲食店や屋台が並んでいて、降りればすぐに食べ物が買えることだ。メッセージを送ってすぐ、携帯が振動し、画面に「井上逸平」の名前が表示された。葉月は画面に表示された名前を数秒見つめ、ためらいながらもスワイプで通話に出た。通話を繋ぐと同時に、穏やかな声が受話器から聞こえてきた。「起きた?」葉月は「うん」と小さく返事をした。声にはまだ眠気が残り、起きたばかりのだるさが滲んでいた。「まだ眠り足りないんじゃないか?」逸平は彼女の声を聞いてそう尋ねた。葉月は携帯を少し離し、軽く咳払いをして言った。「十分休めたわ。今起きたばかりなの」逸平が時計を見て言った。「そうか。階下で適当に済ませるなんてダメだ。近くにうまい家庭料理店があってお粥が評判なんだ。寝起きに食うには胃にやさしくて丁度いいだろう」逸平の言葉は一見自然でさりげないものだったが、その心遣いに断り難い気がした。葉月はすぐには返事せず、ベッドから出て窓際に行き、階下のにぎわい始めた街並みからいろいろな料理の匂いが漂ってくる。元々あまり空腹ではなかったが、その香りが鼻をくすぐると、急に食欲が湧いた。逸平の声が再び聞こえた。「どう?今から出れば、五分後には階下に着くよ」葉月は携帯を握りしめた。指先が無意識に冷たい本体を撫でている。断る言葉が唇まで浮かんだが、結局は胸の奥でかすかに膨らむ期待に押し殺されてしまった。葉月は眠たげな鼻声で応じた。「うん。着いたらメールを送って。下に降りるから」「ああ。じゃあ後で」逸平の声にはかすかな喜びが滲んでいた。電話を切ると、葉月は洗面所へ向かい、目を醒まそうと顔を洗った。逸平が電話を切って振り返ると、いつの間にか傍に立っていた有紗の姿が目に入った。有紗を見て、逸平は表情をこわばらせた。有紗は壁にもたれながら、逸平が優しい口調で話すのを聞いていた。
逸平はそれ以上彼らと葉月について語り合うことはせず、話題を卓也と太一に移した。「お前らはいつ帰るんだ?」卓也は逸平を指さして不機嫌そうに言った。「ちぇっ。なんだよ、来たばかりなのに追い返そうってか?」逸平は卓也を一瞥した後、視線を太一に移し、彼に話すよう合図した。太一は逸平の視線を感じると、落ち着いた笑みを浮かべて話を引き継いだ。「今のところは他に用もないし、ちゃんと段取りをつけて来たから急ぐ必要もないし、少し長居できるよ」太一は少し間を置き、逸平を見ながら、探りを入れるような口調で続けた。「どうした?何か俺達に手伝えることがあったら言ってくれよ」卓也も真剣な表情で、身を乗り出し心配そうに言った。「手伝いが必要なら言ってくれ」普段はふざけるのが好きな卓也だが、肝心な時は決して手を抜かない。逸平はしばらく考え込んでから、ようやく彼らを見上げて言った。「追い返すつもりはないし、手伝いも必要ない」今は泰次郎の容体も安定していて、大きなプレッシャーもなくなった。「ただ、ここの環境はあまり良くないし、お前らをちゃんともてなせないのが気がかりで」「ちぇっ」と言って卓也は眉をひそめ、見下すような目で逸平を見た。言葉もぶっきらぼうだった。「何バカなこと言ってんだ?お前はお前で忙しくしてりゃいい。俺たちのことは気にすんな。俺たちみたいな大人が、お前の世話になる必要なんてないだろ?それにさ」卓也は太一に向かって顎をしゃくり上げた。「俺たち二人なら、どこだって生きていけるだろ?」太一も笑って頷いた。「ぺいちゃんは自分のことに専念してればいいよ。俺たちのことは心配いらない」太一は泰次郎の方を見た。「俺たちは、爺ちゃんと話したくて来たんだからさ」これは決して社交辞令ではなく、道理から言えば、泰次郎が倒れたのだから皆が見舞いに来るのは当然のことだ。振り返ってみれば、泰次郎がまだ一の松市にいた頃、彼らのような半端な年頃の少年は周囲から煙たがられる存在だった。彼ら三人だけでなく、他の若者たちも同様だった。だが彼らが三人を集まると、一の松市の天をもひっくり返す勢いがあった。彼らはどこに行っても歓迎されなかった。だが、泰次郎だけはどこに行っても歓迎されない彼らを見ると顔をほころばせて言った。「家にはお前たちのような賑や
なんと有紗も来ていたのだ。有紗は千鶴子の隣の椅子に横向きに座り、体を少し傾けて親しげに何か話していた。千鶴子は穏やかな笑みを浮かべながら、有紗の手の甲を優しく叩き、楽しげに話し込んでいた。「ぺいちゃんが来たぞ」太一が先にドアの人影に気づき、視線を向けて言った。それまで続いていた和やかな空気が一気に変わった。その瞬間、病室にいた人たちの視線が全てドアに立つ逸平に集まった。卓也が笑いながら声をかけた。「よぉ、忙しい奴が、やっと来たぞ」泰次郎も孫を見つめ、目に温もりを浮かべていた。有紗は声に反応して顔を上げると、逸平と視線が合った。彼女は上品な微笑を保ち、自然な様子で挨拶した。「逸平君」逸平は彼女を一瞥しただけで、軽く頷くとすぐに視線を外した。彼は病室に入り、母親に向かってうなずいた。「母さん」それから卓也たちにごく普通の調子で言った。「いつ来たんだ?」「結構前だよ。まったくお前はさ、メールの返信もないし、電話も出やしない。おばさんと連絡が取れてなかったら、ここにたどり着けなかったんだぞ」卓也は不満そうに言った。逸平は相手にせず、ベッドサイドに近づき泰次郎を見て言った。「爺ちゃん、調子はどう?」泰次郎はにこやかにうなずき、ゆっくりと言った。「良いだ……」泰次郎もこの年になると、子孫たちが元気でいるのを見るだけで嬉しいのだ。逸平はうなずくと、身をかがめて泰次郎の掛け布団の端を手慣れた仕草で丁寧に整えた。「元気そうでよかったよ」逸平はやさしい声で言った。卓也が横から冗談めかして、しかし心からの気遣いを込めて言った。「そりゃあ、俺たちが来てるんだから、調子が悪いわけないだろ?それよりお前、何でそんなに忙しいんだよ?こんなに遅くまで病院に来られないなんて」卓也は再びドアの方を見たが、逸平以外に誰も入ってくる気配はなかった。「葉月さんは?一緒に来たんじゃないのか?」「少し疲れているようだったから、先に休ませてる。後からまた連れてくるよ」千鶴子はそれを聞き、心配そうに尋ねた。「具合が悪いの?」千鶴子のそばに静かに座っていた有紗は、テーブルの上のコップを取り、指先で杯の縁を軽くなぞりながら、うつむいて一口飲んだ。睫毛が微かに垂れ、瞼に淡い影を落とし、一瞬眸に浮かんだ感情を隠した。逸平が答えた。「
バルコニーから陽の光が差し込み、二人の間の空間に長い影を落とした。葉月はグラスの中の水を俯いて見つめた。逸平の視線は珍しく穏やかな表情で沈黙する彼女に注がれた。「葉月」逸平は突然口を開いた。声は先ほどより低かたった。葉月が顔を上げると、彼の深淵のような眼差しがあった。唇が微かに動いたが、逸平は言いかけてやめ、結局何も言わなかった。逸平は胸が重く沈むのを感じながら、淡々と言った。「いや、何でもない。ゆっくり休んで」そして立ち上がった。遠ざかる背中を見ながら、葉月は小さな声で呼び止めた。「どこへ行くの?」逸平は隠さず言った。「下でタバコを吸ってくる。安心して。タバコを吸っても戻らずに、病院の方を見てくるから」葉月が一緒に病院へ行こうと立ち上がると、逸平が制止して言った。「まず休んだ方がいい。後で迎えに来るから病院に行こう」そう言うと、逸平は踵を返して去っていった。ドアが閉まる音を聞きながら、葉月は消えていく彼の背中を見つめた。指先に知らぬうちに力が入っていた。グラスに残る温もりとは裏腹に、心の中はなぜか虚ろだった。まるで風が吹き抜けるように、少し寒く感じた。……逸平は車にもたれ、指の間に挟んだ煙草は半分ほど燃え尽きていた。吐き出した煙の輪が冬風に揉みくちゃにされ、空気の中に消えていく。彼はバルコニーをじっと見つめた。揺れるレースのカーテンの奥にほっそりとした人影がかすかに見えると、彼の指先が微かに震えた。灰がはらはらと落ちて寒風に舞うと、逸平の黒いコートの裾に落ちた。人影が見えなくなると、逸平はわざと煙草を深く吸い込んだ。煙が染み渡り、痛みに似た鋭い感覚をおぼえた。ようやく煙草を消し、ドアを開けて車に乗り込んだ。車は団地を離れ、流れる車の川に合流し、病院へと向かった。県立病院は患者が多く、病室のベッドは不足していた。さらに病院が小さいせいか、逸平は廊下を歩くと、どこか窮屈に感じた。廊下には逸平の嫌いな消毒液の独特な臭いが充満しており、彼は思わず眉をひそめた。逸平が病室の入り口で、ドアを開けようとした時、病室から賑やかな笑い声が聞こえてきた。それは彼の全身に残る冷たさと鮮やかな対照をなしていた。逸平はドアノブを握る手を少し止めたが、やはりドアを開けた。病室の光景が目に飛び込んで
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