ログイン名家同士の政略結婚で強制的に結婚をさせられた、愛のないこの婚姻生活は苦しみながらも3年間は続いた。 夫は夜になっても帰ってこない。夫は女癖が悪い。そして、夫の心は他の女に向いている。 井上葉月(いのうえ はづき)はもう我慢できなくなっていた。絶対に、絶対に離婚する。 しかし葉月が離婚を切り出すと、清原逸平(きよはら いっぺい)はまるで別人のように変わり、葉月が行く先々で逸平の姿が見えるようになった。まるで怒られても逃げず、殴られてもへこたれないように。 表向きでは逸平はこう言ってる。「俺たちはまだ離婚していない。離婚していないなら夫婦だ。だから妻がいるところには俺もいる」 この結婚の始まりは決して美しくなく、打算と取引に満ちていた。逸平と葉月が幸せになれないことは最初からすでに決まっていた。 葉月は逸平がかつて口にした「これはただの政略結婚であって、恋愛感情などは一切存在しない」という言葉を忘れられなかった。 葉月の恋心は、一文の値打ちもないのだ。 葉月は決然とした口調で言った。「汚れた男は、もう要らない」 逸平はシャワーで自分をきれいに洗った後、葉月がいるベッドに飛びかかり、まるで犬のようにしっぽを振って懇願した。「葉ちゃん(ようちゃん)、俺はもうきれいになったよ」 十年の時を越えても、若き日に寄せたあの人への想い、この人生で変わることはない。
もっと見る葉月は静かに逸平を数秒間見つめた後、黙って視線をそらし、それ以上追及しなかった。窓の外は夜の靄がかかり、月明かりが静かに流れ、全てが穏やかで美しく見えた。しかし、あるものはこの徐々に冷めていく料理のように、表面は平穏で無事に見えても、内側の温もりはひっそりと失われていった。逸平も黙り込み、もはや他の話題を探そうとはしなかった。この短く、平穏に見える共に過ごす時間は、今の彼にとってはまるで盗んだかのような一瞬の時であった。あまりにも脆く、息をするのも恐れるほどで、ちょっとした動きひとつで薄氷が割れ、再びあの慣れ親しんだ疲れる寒さに落ちてしまいそうだった。逸平は、まさか自分がこんなにもビクビクしながら日々を過ごすことになるとは想像もしていなかった。逸平は突然、はっきりと思い知った。彼らの間に立ちはだかるものは、有紗の挑発だけでもなければ、たった一度の激しい言い争いだけでもないのだと。それは、3年という結婚生活の中で無視された細やかなことや軽んじられた努力、そしてすり減らされた忍耐が少しずつ積み重なり、ついに越えられない高い壁となったのだ。今、この小さなテーブルをはさんで彼らは向き合っている。距離はわずかで、彼女のまつげの微かな震えまで見えるのに、そこにはあたかも無音の荒涼とした廃墟が横たわっているかのような隔たりがあった。逸平の心臓は突然締め付けられ、まるで見えない手に握りつぶされるかのように、急激な収縮による鈍い痛みで一瞬息が止まった。喉仏がぎこちなく上下し、逸平は反射的に唾を飲み込んだ。そうすれば、心の奥底からせり上がってくる鋭く重い痛みを、少しでも押し戻せる気がしたのだ。後悔している。自分は本当に後悔している。会計を済ませてお店を出て、冬の夜の冷たい空気にさらされるまで、逸平はぼんやりとしていた。次にどこへ行くべきかを考えていた。家に帰るべきか?帰っても二人で話すことはほとんどなく、せいぜいソファで顔を見合わせるか、葉月が早々に部屋に引きこもるだけだろう。逸平はそんな状況を望んでいなかった。二人がお店の前に立っていると、葉月はそろそろ病院でお爺様のお見舞に行くべきかを逸平に聞こうとした。「まだ時間は早い」逸平が先に口を開いた。夜風に乗って届く声は穏やかだった。「ちょっとでいいから……散歩でもし
夜が深まるにつれ、街の明かりが次々と灯り始め、路傍の屋台からは煙と香ばしい匂いが立ち上ってきた。逸平の車は時間通りにビルの下に到着した。葉月が階下に降りると、彼はすでに車の脇に寄りかかって待っており、彼女が出てくるのを見ると、自然な流れで助手席のドアを開けた。「さあ、乗って」彼の声は落ち着いており、彼は一瞬彼女の顔を見つめた。まるで本当に休養が取れたかどうかを確認しているかのようだった。葉月は何も言わず、コートをしっかりと羽織り、黙って車に乗り込んだ。車は煌めく街の光に包まれながらゆっくりと進み、逸平が話していたあのこぢんまりとした料理店へ向かった。車内は静かで、ただ穏やかなBGMが流れているだけだった。葉月は窓の外を流れる街の景色を横目で見つめ、光と影が彼女の横顔に揺らめいていた。逸平も多くを語らず、ただ車内のエアコンの温度を少し上げると、その後は運転に集中し、時折バックミラーで彼女の様子をうかがうだけだった。このこぢんまりとした料理店は古い住宅街の中にひっそりとあり、外から見ると正直ごく普通の住宅だ。長い年月を経たているだけに、その老朽ぶりは一目でわかるほどだった。しかし、店主は店内を上品にリフォームしたため、外観からは想像できない素敵な空間が広がっている。今はちょうど食事時で、店内は一番賑わっている時間帯だった。幸い、逸平は事前に個室を予約していたので、到着するとすぐに二人は席に着くことができた。このお店の看板料理はきのこの土鍋ご飯だ。熱々のまま運ばれてくると、きのこはほとんど溶けるほど柔らかくなっており、きのこ以外にも、ネギやちくわがたっぷり入っている。表面には白ごまが散らされ、香りが食欲をそそる。さらに店員は、見た目も爽やかな数皿のあっさりめの小鉢料理を運んできた。葉月は最初食欲がなかったが、熱々のきのこご飯を口にすると、暖かさが胃から全身に広がり、自然と食欲が戻ってきた。体も心も、少しずつほぐれていくのを感じた。彼女は小さな口でゆっくりと、優雅な動作でご飯を食べ続けた。逸平も多くは食べず、むしろ彼女が食べるのを見ている時間の方が長かった。時折取り彼は、お箸で遠くの料理を取って彼女に勧めた。「味はどう?」彼は葉月を見つめながら、ふと口を開いた。「うん、美味しいよ」葉月は頷いた。きの
葉月が家で一眠りして目を覚ますと、もう六時を回っていた。携帯電話に二件の不在着信と未読メッセージが数件表示されていた。一番上に表示されているのは逸平からのもので、送信時間は三分前だった。【少しは休めたか?夕飯、何が食べたい?】葉月は少し考えて返信した。【わからない。今あまり食欲なくて、お腹も空いてないから、後で何か買ってくるわ】通りに面した住まいの利点は、階下に飲食店や屋台が並んでいて、降りればすぐに食べ物が買えることだ。メッセージを送ってすぐ、携帯が振動し、画面に「井上逸平」の名前が表示された。葉月は画面に表示された名前を数秒見つめ、ためらいながらもスワイプで通話に出た。通話を繋ぐと同時に、穏やかな声が受話器から聞こえてきた。「起きた?」葉月は「うん」と小さく返事をした。声にはまだ眠気が残り、起きたばかりのだるさが滲んでいた。「まだ眠り足りないんじゃないか?」逸平は彼女の声を聞いてそう尋ねた。葉月は携帯を少し離し、軽く咳払いをして言った。「十分休めたわ。今起きたばかりなの」逸平が時計を見て言った。「そうか。階下で適当に済ませるなんてダメだ。近くにうまい家庭料理店があってお粥が評判なんだ。寝起きに食うには胃にやさしくて丁度いいだろう」逸平の言葉は一見自然でさりげないものだったが、その心遣いに断り難い気がした。葉月はすぐには返事せず、ベッドから出て窓際に行き、階下のにぎわい始めた街並みからいろいろな料理の匂いが漂ってくる。元々あまり空腹ではなかったが、その香りが鼻をくすぐると、急に食欲が湧いた。逸平の声が再び聞こえた。「どう?今から出れば、五分後には階下に着くよ」葉月は携帯を握りしめた。指先が無意識に冷たい本体を撫でている。断る言葉が唇まで浮かんだが、結局は胸の奥でかすかに膨らむ期待に押し殺されてしまった。葉月は眠たげな鼻声で応じた。「うん。着いたらメールを送って。下に降りるから」「ああ。じゃあ後で」逸平の声にはかすかな喜びが滲んでいた。電話を切ると、葉月は洗面所へ向かい、目を醒まそうと顔を洗った。逸平が電話を切って振り返ると、いつの間にか傍に立っていた有紗の姿が目に入った。有紗を見て、逸平は表情をこわばらせた。有紗は壁にもたれながら、逸平が優しい口調で話すのを聞いていた。
逸平はそれ以上彼らと葉月について語り合うことはせず、話題を卓也と太一に移した。「お前らはいつ帰るんだ?」卓也は逸平を指さして不機嫌そうに言った。「ちぇっ。なんだよ、来たばかりなのに追い返そうってか?」逸平は卓也を一瞥した後、視線を太一に移し、彼に話すよう合図した。太一は逸平の視線を感じると、落ち着いた笑みを浮かべて話を引き継いだ。「今のところは他に用もないし、ちゃんと段取りをつけて来たから急ぐ必要もないし、少し長居できるよ」太一は少し間を置き、逸平を見ながら、探りを入れるような口調で続けた。「どうした?何か俺達に手伝えることがあったら言ってくれよ」卓也も真剣な表情で、身を乗り出し心配そうに言った。「手伝いが必要なら言ってくれ」普段はふざけるのが好きな卓也だが、肝心な時は決して手を抜かない。逸平はしばらく考え込んでから、ようやく彼らを見上げて言った。「追い返すつもりはないし、手伝いも必要ない」今は泰次郎の容体も安定していて、大きなプレッシャーもなくなった。「ただ、ここの環境はあまり良くないし、お前らをちゃんともてなせないのが気がかりで」「ちぇっ」と言って卓也は眉をひそめ、見下すような目で逸平を見た。言葉もぶっきらぼうだった。「何バカなこと言ってんだ?お前はお前で忙しくしてりゃいい。俺たちのことは気にすんな。俺たちみたいな大人が、お前の世話になる必要なんてないだろ?それにさ」卓也は太一に向かって顎をしゃくり上げた。「俺たち二人なら、どこだって生きていけるだろ?」太一も笑って頷いた。「ぺいちゃんは自分のことに専念してればいいよ。俺たちのことは心配いらない」太一は泰次郎の方を見た。「俺たちは、爺ちゃんと話したくて来たんだからさ」これは決して社交辞令ではなく、道理から言えば、泰次郎が倒れたのだから皆が見舞いに来るのは当然のことだ。振り返ってみれば、泰次郎がまだ一の松市にいた頃、彼らのような半端な年頃の少年は周囲から煙たがられる存在だった。彼ら三人だけでなく、他の若者たちも同様だった。だが彼らが三人を集まると、一の松市の天をもひっくり返す勢いがあった。彼らはどこに行っても歓迎されなかった。だが、泰次郎だけはどこに行っても歓迎されない彼らを見ると顔をほころばせて言った。「家にはお前たちのような賑や
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