彼女は自分が拘束されていることに気づいても泣かなかった。売られても、綾乃にほうきで叩かれても泣かなかった。けれど、清次の姿を目にしたその瞬間、彼女はどうしても堪えきれず涙が溢れ出した。助けを求めるべきではないと分かっていた。彼にその義務がないことも分かっていた。それでも、心の奥底では彼が来てくれることを願っていた。彼が自分をこの危機から救い出してくれる英雄であることを。「遅くなってごめん」 清次は由佳の腫れた頬や首のあざを見て喉を鳴らすと、彼女をぎゅっと抱きしめ、片手で彼女の顔の汚れを拭き取った。「怖がらなくていい」由佳は彼の胸に顔を埋め、涙が止めどなく流れ出し、彼の服を濡らした。その様子を見た綾乃は一瞬で理解した。由佳の男が迎えに来たのだ、と。これで終わりだった。由佳を買うために払った金が無駄になるのだから。清次は彼女の汚れた臭いコートを脱がせ、自分のスーツの上着を彼女に掛けて抱き上げると、振り返って警察の隊長と太一に向かい、「彼女を連れて帰る。ここは君たちに任せる。供述は後で」と言った。「分かった」隊長が頷いた。「ここは任せてくれ」太一も答えた。綾乃は嫌だったが、大勢の警察官と屈強な男たちの前で阻止する勇気はなかった。松本の前を通り過ぎる際、清次はスーツのポケットから名刺を取り出し、「ありがとう。何かあればいつでも連絡してくれ」と言った。松本は笑って答えた。「ちょっとしたことです。人身売買は元々犯罪ですから、知っていれば誰でも通報しますよ」後ろの村人たちも「そうだ、そうだ」と声を揃えた。帰り道、松本は名刺を捨てようとした。そもそも見返りを求めたわけではなかったからだ。しかし、名刺に記された金色の文字を見て考えを改め、それをポケットにしまい込んだ。山口グループ……名前を聞いたことがあるような気がした。普段乗っている電動バイクもこのグループのブランドではなかったか?念のため持っておこう。いつか役立つかもしれないと松本はそう考えた。数年後、松本の娘がムコ多糖症という発症率十万分の一の先天性希少病と診断された。患者は特定の酵素を分泌できず、体内に蓄積したムコ多糖が臓器を蝕み、やがて死に至るという。多くの患者は十歳を超えられない。唯一の治療法は造血幹細胞移植だった。手術費は途方もなく高額で、松本
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