《ほらな?俺は浮気なんかしてなかっただろ?》耳元で囁かれたその声に、高村遥(たかむら はるか)はハッとして目を見開いた。馴染み深くて、懐かしくて、もう何百回も聞いた声だ。次の瞬間、法廷に響いたのは、裁判長の判決だった。「被告人・朝比奈美月に対し、懲役十五年を言い渡す」静寂の中、木槌の音が鈍く響いた。誰も動かない。誰も声を出さない。被告席の女は、虚ろな目で前を見つめたまま、何かを失ったように項垂れた。結審。ーー六年前に夫・悠真(ゆうま)が刺されて死んでから、遥はこの日を待ち続けていた。あの日から、彼は幽霊になって彼女の傍に現れた。最初は錯覚かと思った。だが、声も、姿も、はっきりと見えた。むしろ、生きていた頃よりも近くにいた。泣く夜も、怒る日も、息が詰まるほど苦しい時間も、悠真はそばにいた。言い争うこともあった。ふと笑い合うこともあった。……まるで、生きているみたいに。被告の女・朝比奈美月は、夫の勤めていた会社の部下だった。供述によれば、二人は不倫関係にあり、もつれからの殺意だったという。最初に報道されたその内容を、世間は信じた。「社内不倫」「愛人関係のもつれ」どのワイドショーも、そんな見出しばかりを並べた。そして――遥自身も、ほんのわずかに信じかけた。悠真は学生の頃、女癖が悪かった。結婚してからは落ち着いたように見えても、心のどこかで「また繰り返すんじゃないか」と疑ってしまった。幽霊となって戻ってきた彼が、何度「違う」と言っても、その声を信じきれなかった。今日の判決で、それがすべて妄想だったと明らかになった。朝比奈美月の供述は虚偽。実際には交際の事実など一切なく、一方的な思い込みによる犯行だった。社内で少し言葉を交わしただけの相手に、女は恋をし、勝手に関係を作り上げて、そして――殺した。遥は唇を震わせ、ハンカチを取り出して口元を押さえた。「……ごめんなさい、あなた」疑ってしまった。信じているふりをしながら、心の奥では否定していた。ほんとうは、最期まで信じるべきだったのに。そのときだった。ふっと、右肩に重みが乗る。手のひらのような感触。確かに、そこに“彼”がいた。見なくてもわかる。いつもそうだった。その存在に包まれるようにして、遥はそっと目を伏せた。「……大丈夫?」左側から低く優しい声がかかった。黒川湊。遥の幼
Terakhir Diperbarui : 2025-07-31 Baca selengkapnya