遥の横を、すっと影が走った。目で追うより早く、それは分厚い硝子の向こうへ抜けていく。 悠真――。 いつの間にか、彼は女の横に立っていた。朝比奈美月の瞳が驚きに見開かれ、頬の筋肉がひくりと動く。薄い唇が開きかけたその瞬間、遥の指からハンカチが滑り落ち、床にふわりと沈んだ。 「……悠真」 押し殺した声が通話口を越え、隣の湊の肩がわずかに動く。 《本当のことを話せ》 悠真の声が、面会室の空気を切り裂いた。《俺とお前は不倫などしてない。寝たことも、キスしたこともない。俺はお前が嫌いだった。だから部署の異動を願い出た。勝手な妄想で嘘をばらまき、妻を苦しめるな。今すぐ、本当のことを話せ》 美月の瞳が揺れる。 「……でも、私を見てた。見てたでしょ?」 《お前なんて見てない》 「嘘よ。本当は私を愛してた。パスカードに奥さんの写真なんて入れて……そんなのアリバイ作りじゃない。私が好きなのに、好きじゃないふりをして異動を願い出るなんて」 言葉は笑みに包まれているのに、瞳はどこか焦点を外していた。 「あなたを自由にするために……最初は奥さんを殺そうとしたの。でも、チャンスを逃して……だから、あなたを殺すことにしたの」 《――お前……!?》 悠真の顔に、はっきりとした衝撃が浮かぶ。遥の背に冷たいものが這い上がり、足元から力が抜けた。
Last Updated : 2025-08-23 Read more