ディナーパーティーで、緒方凪紗(おがた なぎさ)の父・緒方憲一(おがた けんいち)は人気女優田島美咲(たじま みさき)の控え室に迷い込んでしまった。ただそれだけのことで、憲一は階段から突き落とされ、生死の境をさまよっている。美咲はフラッシュの光を浴びながら、涙ながらに訴えた。「あの人は酔っていて、私にまで手をだそうと……本当にわざと突き飛ばしたんじゃないんです。ただ、怖くて……」数日後、この記事はネットニュースとして大々的に報じられた。記事の中で、憲一は下心丸出しの酔っぱらい、美咲は自分を守ろうとしたか弱い純真な女性として描かれていた。そこには、いわゆる「目撃者の証言」まで添えられていた。記事はすぐにネットで拡散され、美咲の正当防衛を裏付ける最高の証拠となった。そして、彼女は無罪放免。これほどまでに信頼性の高い記事を執筆したのは、現代ジャーナリズムの権威であり、汐見市(しおみし)最大の報道機関を創設した人物。そして、凪紗が結婚して三年になる夫・坂井直人(さかい なおと)、その人だった。証拠を探すため、凪紗は何日も眠れず、目は真っ赤に充血していた。そこへ、スーツを気品高く着こなした影が現れる。直人は、一枚の紙を目の前に置いた。「これにサインしてくれ」凪紗の視線が、その紙に落ちる。それは、父の代わりに書いた謝罪文だった。直人は穏やかな口調で続ける。「これにサインして、ネットで謝罪すれば、報道機関の株を3%譲ろう」凪紗の目頭が熱くなる。涙で滲む視線を、直人に向けた。「……どうして?」結婚して三年。直人がどれほど彼女を熱愛していたか、誰もが知っていた。当時、ただの魚売りの娘だった彼女を娶るためなら、家法として99回の鞭打ちを受け、15日間の断食監禁に処されても、彼女との関係を断とうとはしなかった。なのに、あの記事を書いたのは、誰よりも凪紗を愛していたはずの直人だった。この記事は、殺人者を無罪放免にしただけでなく、真の被害者に汚名を着せた。記事に登場した証言者たちは、あのパーティーには一度も姿を見せていなかった。だが、凪紗ひとりの声は、あまりにも無力だった。他の証拠がなければ、有名なジャーナリストである夫が書いた記事を覆すことなどできはしない。凪紗は離婚をちらつかせ、記事の削除
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