江崎愛乃(えざき あいの)は人混みの中に立ち、手には二つの書類を握りしめていた。一つはアレキシサイミアの診断書、もう一つは戸籍謄本だった。三時間前、病院のシステムに登録された婚姻状況が「離婚」と表示されていることを不審に思い、わざわざ市役所まで足を運んだのだった。職員が顔を上げた。「江崎さん、確かに相川さんとは三年前に離婚されています」愛乃の表情が一瞬固まった。「そんなはずはありません。三年前、私たちはちょうど結婚したばかりです」職員はもう一度確認し、少し困惑した様子で言った。「申し訳ありませんが、システム上、確かに離婚の記録は三年前となっており……ご結婚から七秒後に登録されています」そしてさらに続けた。「また、相川さんはその後一年で再婚されており、配偶者欄には麻生楓(あそう かえで)さんの名前が登録されています」愛乃は、魂が抜け落ちたようにその場で呆然と立ち尽くした。瞳は虚ろで、ただ腕だけがわずかに震えていた。誰もが知っていた。愛乃と相川諒(あいかわ りょう)は幼い頃からの知り合いで、互いに成長していく姿をずっと見守ってきたことを。諒はいつも彼女を守り、特別扱いし、誰もが羨む「お姫様」にしてくれた。そして麻生楓は、彼のビジネスライバルの家に残された孤児だった。「大丈夫ですか?」職員の声に、愛乃はなんとか立ち上がり、手を振って応えた。心ここにあらずのまま街をさまよい、やがて中央広場の大型ビジョンに映る諒のインタビューに足を止めた。男はベージュのスーツに身を包み、長い脚を組んで座っていた。インタビューが不意に途切れ、彼は腕時計をちらりと見た。「すみません、今日はここまでにしましょう。これから家に帰って妻と夕食をとる時間です」カメラに向かって笑みを浮かべると、生中継はそのまま終了した。人混みからは羨望のため息が漏れ、「妻を大切にしている」「一途だ」といった称賛の声が上がった。愛乃は薬指の指輪を撫でながら、その言葉を皮肉に感じていた。彼が言う「妻」とは、一体どちらのことなのだろうか。思考は遠くへ漂い、あの頃の光景がよみがえった。毎朝一時間早く起き、遠回りしてでも彼女を迎えに来てくれた「王子様」。学校行事でも必ず隣に立ち、「自分は彼のものだ」と世界に示していた
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