All Chapters of 彼は愛を口にしない: Chapter 21 - Chapter 25

25 Chapters

第21話

知佳は電話を切り、ようやく健太が無事だと確信した。胸をなでおろし、残りの時間は家に戻って安胎のための漢方を煎じようと決めた。彼女はそっと自分のお腹に手を当てた。「たとえお父さんがいなくても、お母さんが絶対に守るからね」歌を口ずさみながら歩みを進めたその時、不意に誰かが行く手を遮った。甘ったるい香りが鼻をかすめ、意識がふっと遠のく。知佳はその場に崩れ落ち、抱きとめた女の腕に収まった。女は彼女を支えると、すぐに停まっていたワゴン車へと運び込んだ。同じ頃、病室では。健太はしばらく携帯を見つめ、かすれた声を落とした。「母さん……俺、多分もう長くは生きられない」悲しみに沈んでいた紗英は、その言葉を聞くなり顔色を変え、慌てて彼の口をふさいだ。「そんなこと言わないで!佐藤家にはお金がいくらでもあるわ。必ずあなたを長生きさせてみせる」長生き――それは、あまりにも遠い夢のように聞こえた。健太は唇を歪め、ゆっくりと上体を起こした。「……俺は、知佳が自然に俺を諦めてくれる日まで生きられない。だから、少し無理な手を使うしかないんだ。母さん……その時、協力してくれる?」紗英は怒りに任せて彼の腕を掴んだ。「また知佳!あの子のことばかり!あなたの本当の父さん母さんのことは考えないの?」健太は知っていた。知佳を守るには、ただ財産を遺すだけでは足りないことを。両親の態度次第では、いつか彼女が真実を知ってしまうかもしれない。それは彼女にとって生きながら切り刻まれるような苦しみになる。二人の間には、いつも言葉にしなくても通じ合うものがあった。あの日、彼女が医師の部屋を出てきた瞬間、健太は悟った。知佳は子どもを産むと決めたのだ。ならば、その子を盾にしてでも彼女を守るしかない。「母さん……知佳は妊娠してる。俺の子だ。男の子かもしれないし、女の子かもしれない。だけど俺は、その日を見ることができない。だからお願い、子どものためだと思って、知佳に優しくしてほしい」「知佳は賢いし、必ずいい母親になれる。でももし、彼女が今のすべてが芝居だったと知ってしまったら……その時どうなるか、俺には想像もつかない。ただ一つ分かるのは、子どもにとって決して良いことにはならないってことだ」彼は涙を拭い、続けた。「母さん、俺は親
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第22話

知佳の身体は凍りついた。信じられない思いで、彼女はその顔を見下ろした。あまりにも見慣れた顔。最初に浮かんだのは「誰かが健太に成りすましているのでは」という疑念だった。どうして彼が、こんな誘拐や監禁まがいのことをするのだろう。あの健太なのに。彼女に自尊と自愛を教えてくれた人なのに。どうしてこんな狂ったような真似を……?頭が追いつかず、知佳は呆然と立ち尽くした。彼女の知る健太は、こんな姿ではない。彼なら自分が置き去りにされたことで悲しみ、自分を傷つけることに走るかもしれないが、どうして人を監禁するようなことまでするのだろう。。知佳は首を振り、後ずさりしながらはっきりと言った。「……あなたは健太じゃない」「俺だよ、知佳。俺なんだ……」健太は立ち上がり、一歩ずつ彼女に迫り、手を彼女の鎖骨へと伸ばす。「何も考えなくていい。ただ、この先の人生をずっと一緒に過ごそう、な?」彼は涙に濡れた声で言い募った。「知佳、君がいなくなるなんて、耐えられないんだ」懐から取り出したのは、なんと戸籍だった。「見てくれ。もう俺たちは別々の戸籍にいる。結婚できるんだ。明日にでも登録しよう」そして彼の手は知佳の衣服を乱暴に引き裂こうとした。「やめて!」知佳は叫び、反射的に彼を突き飛ばした。思いもよらず、その一押しで健太は床に崩れ落ちた。呆然とその姿を見たあと、彼女は鎖を必死に引き、涙ながらに叫んだ。「健太、やめて!私を閉じ込めないで!お願い……お願いだから、こんなことしないで!彼氏なら、浮気をすることだってあるかもしれない。でも、たとえ恋人関係じゃなくなっても、あなたは私の人生の先生なの。どうしてこんな仕打ちができるの?」彼女はお腹を押さえ、震える声を絞り出した。「それに……私は妊娠してるの。お願い、こんなことしないで。赤ちゃんに何かあったら……!」健太はこみ上げる血の匂いを必死に堪え、ポケットからティッシュを取り出して鼻血を拭った。身なりに乱れがないか確かめ、ようやく暗がりの中で顔を上げる。声は掠れていた。「……そうだ。あれは俺たちの子だ」そして微笑む。「君が子どもを産んだら、また元に戻る。君はきっと、俺にもっともっとたくさん子どもを産んでくれる」彼は立ち上がり、知佳の頭を撫でた。
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第23話

健太の身体は、もう長くはもたなかった。彼が知佳を閉じ込めたのは、たった二日間だけ。三日目の朝、日差しが寝室に差し込む頃。健太の父が勢いよくドアを蹴破った。「知佳、大丈夫か!」慌てた様子で駆け寄った紗英が、彼女を強く抱きしめた。「まさか健太がこんなことをするなんて……本当にすまない」そして、背後からは警察が入ってきた。だが、その中に健太の姿はなかった。思いがけず、知佳は両親の愛を感じ、涙を流しながら声を絞った。「私……これまで一度も、あなたたちに何かをお願いしたことはなかった。でも今回はお願い。健太を追い出して。私を、監禁するような人間と同じ屋根の下で暮らしたくない」それは両親にとって予想していた言葉だった。ほとんど間を置かずに「分かった」と答えた。紗英は本気で泣きながら言った。「あなたは私の娘よ。これからは、私たちはあなたに頼るしかない」その一言ごとに胸が締めつけられる。「健太、なんて恩知らずな子なの……あなたの父親がもうきつく叱っておいたわ。家から出たら、正式にあなたの身分を外に公表して、佐藤家から追い出す。これからは、あなたが唯一の後継者よ」その会話を、扉の陰から健太はじっと聞いていた。彼は心の中で、静かに呟いた。さよなら、知佳。そして背を向け、外へ歩き出した。残されたわずかな命をかけて、彼は陰の中に潜み、ただ彼女の幸福を見守ろうと決めた。彼は車に乗り込み、紗英に支えられて車に乗り込んだ知佳の姿を、遠くから見送った。翌日。佐藤家は盛大な宴を開き、正式に知佳の身分を発表する。健太は一度だけ顔を見せ、すぐに姿を消した。業界では「もう彼は佐藤家に見放された」と噂が渦巻いた。かつて遊び仲間だった友人たちでさえ、誰ひとり慰めの言葉をかけに来なかった。その宴で、悠真が知佳にネックレスを贈った。「両親に会えたお祝いの品だよ。あと……君が言ってたご飯を奢るって話、いつ実現してくれる?」知佳は微笑みながら答える。「先輩に時間があるなら……明日でもいい?」「いいよ。場所を決めたら連絡して」そう言い残し、彼はほかの人たちと談笑しに向かった。だが視線は何度も彼女の方へ戻ってきていた。知佳は鈍感ではなかった。悠真の気持ちを理解していた。けれど今は誰とも恋
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第24話

知佳は、突然に現れた健太を呆然と見つめた。転んで痛む脚を気にも留めず、立ち上がって彼の手を掴もうとしたが、間に合わなかった。車は健太の体をかすめ、轟音を立てて通り抜けていった。彼は地面に叩きつけられ、口から鮮血を吐き出した。「……健太!」知佳は我を失い、狂ったように彼のもとへ駆け寄った。救急車を呼ぶことすら忘れて。「死んじゃだめ……お願い、死なないで」彼女は健太の胸に縋りつき、かすかに残る心音に耳を澄ました。だが、その衝撃で知佳自身も胎動が乱れ、下腹から血が溢れ出していた。耐え難い痛みが幾度も襲った。それでも、彼女の頭の中には「健太が死んではいけない」という思いしかなかった。結局、悠真が救急車を呼んで、二人は病院へ搬送された。健太の両親が急いで駆けつけた。彼らは泣き崩れる。昨日の宴会のあと、健太がどうしても知佳の後を追いたいと言い出し、止めきれず護衛をつけただけだったのに……たった数時間で、どうしてこんな事に。紗英は夫の胸にすがりつき、これまでの人生の涙をすべて流し尽くすように泣き続けた。悠真は声をかけて慰めようとしたが、どうしようもない無力感を覚えるだけだった。彼のドライブレコーダーには、犯人の顔がはっきり映っていた――美穂。彼女のことを悠真は知っていた。社交界では噂になっていた。健太が知佳を一途に想っていながら、裏では愛人を作っている、と。だがその話題もすぐに飽きられ、誰も深くは気にしなかった。この階層の男たちが外で女を持つのは珍しくないからだ。その後、悠真は飛行機で偶然知佳と再会した。何度か探りを入れ、彼女が佐藤家の「本当の娘」となったことを知った。そうなれば、彼女と健太の関係は完全に断たれる。だからこそ、彼女を手に入れようと思った。だが結局、知佳を救ったのは健太だった。命を賭して。その現実を前に、悠真は胸を締めつけられた。彼はレコーダーの録画データをUSBメモリーにコピーし、健太の父へ渡すと、手術が終わるまでずっと付き添った。だが紗英は、息子の本当の病状を悟られたくなくて、口実を作って悠真を帰らせた。二人はそれぞれ別の病室に入れられた。知佳の怪我は軽く、すぐに意識が戻った。彼女は真っ先にお腹に手を当てた。「赤ちゃんは無事です」
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第25話

別れる時の言葉は簡単だった。それでも、健太の胸を締めつけ、息ができないほどの痛みを残した。病室へ戻っていく知佳の背中を見つめながら、彼は呟いた。「……母さん、このお金は、あとで理由をつけて彼女に返してやってくれ」そして続けた。「俺が死んだら、あなたたちには知佳という娘しか残らない。どうか、必ず彼女を大切にして。でないと、俺はあの世でも安心できない……」その言葉を言い終えると同時に、鮮血が彼の口から溢れ出た。健太は崩れ落ち、そのまま二度と目を開かなかった。その頃。病室に戻った知佳の胸が、突然大きな痛みが走った。外へ出ようとした瞬間、廊下から慌ただしい足音が響いた。付き添いの医師が慌ててドアを閉め、音を遮った。「胎児の状態は安定していません。数日は安静にしていないと、流産の恐れがあります」知佳は腹に手を当て、かすかに「……分かりました」と答えた。彼女は三日後に退院する。迎えに来たのは健太の両親だった。「健太が亡くなると、社長のポストが開く。お前に新たな社長として、今日から佐藤グループを継いでもらいたい」健太の父がそう告げた。「それから、君を襲った美穂は警察に捕まった。殺人未遂ではなく、故意による殺人として訴えられるだろう」知佳は窓の外に目を向けた。前にここを通ったときは、地面に落ち葉が敷き詰められていた。今はもう跡形もない。ふと、温室の花を思い出した。長く手入れもされず、もう枯れているかもしれない。一度見に行ってから佐藤家へ向かいたい。そう願い出ると、健太の両親も快く頷いた。二人は彼女を「新居」まで送ると、大事な商談があると口実をつけて去っていった。知佳は鍵を差し込み、扉を開けた。中の調度は以前と何一つ変わっていない。健太は、ずっとこの家を守り続けていたのだ。彼が贈ってくれた指輪も、化粧台の上で静かに横たわっている。誰にも触れられずに。ただ一つ違うのは、温室の花が枯れ果てていたこと。まるで二人の関係そのもののように、もう決して元には戻れない。その頃、佐藤家。紗英は健太の身支度を整え、彼の遺言どおりに、この日ひっそりと葬儀を済ませた。知佳からの贈り物も一緒に棺へ納めた。「どうか来世は幸せに……病に苦しむことなく」そう願いながら、紗英は涙を流し
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