All Chapters of 彼は愛を口にしない: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

目を覚ましたとき、全身を管につながれた健太の視界に映ったのは、美穂の顔だけだった。彼は眉をひそめた。「……お前、何をしに来た」美穂は媚びるように、剥いたリンゴを差し出しす。「健太さん。あの日、もし私が機転を利かせてあなたのお母さんに連絡しなかったら、知佳に秘密がばれてたのよ。少しくらいご褒美をくれてもいいんじゃない?」健太は顔を背け、動けないことに苛立ちを覚える。「約束通り、二億円は口座に振り込む。それ以外は期待するな」差し出した手が宙で固まったまま、美穂は口を尖らせ、そっと彼の喉仏に触れた。「知佳を苦しませたくないなら……代わりに私でも良いのよ?卵子を採るのも、体外受精も、私ならできる」涙で赤くなった目で、震える声を続けた。「その二億円も要らない。ただ子供がほしいの」健太は冷たく鼻を鳴らし、彼女の手を振り払った。たったそれだけで激痛が走り、額から冷や汗が滲み出した。弱った姿を見せたくなくて、彼は枕元のベルを押した。「自分で出て行け。それとも、警備員に追い出されたいのか」美穂は泣き声を上げた。「どうしてそんなに冷たいの?あんな情のない女に、なぜそこまで執着するの。彼女はもうあなたを置いて行ったのよ!」健太は目を閉じ、彼女の声を遮った。彼女が病室に入れたのは、両親の許可があったからに違いない。やはり、二人は「子を残させる」望みを諦めていない。ではどうすれば知佳の将来を、そしてこの嘘を守り抜けるのか。耳に響く嗚咽が煩わしい。だが警備員が入ってきて、すぐに止んだ。「どうしてそんなに酷いことができるの?」彼女の戸惑う声に、健太は疲れ切った調子で手を振った。「……連れて行け」命じられた警備員が彼女を腕ずくで引きずろうとした瞬間、美穂は鋭い声を張り上げた。「健太、世の中にあんたみたいな馬鹿はいないわ!自分の金で、あの女とその男を養うつもり?どうして自分の子どものために少しでも残さないの!」健太は皮肉な笑みを浮かべた。三流女優にすぎない彼女が、知佳に少し似ていたからこそ、ここに立つことを許されただけ。そんな女が自分の人生に口を出すとは。彼は手元のフルーツナイフをテーブルに叩きつけた。「美穂、身の程をわきまえろ。今度また同じことをしたら……芸能界に居場所はなくなる
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第12話

知佳は飛行機を降りてから、ようやく自分にも両親がいることを思い出した。無事を知らせるために電話をかけるべきだったのだ。彼女は口元に微笑を浮かべ、「母さん」と登録してある番号を押した。だが呼び出し音は長く続くだけで、冷たい機械音声に切り替わるまで、誰も出なかった。知佳はがっかりして携帯を下ろした。今日は彼女が初めて「佐藤家」に戻る日だ。それなのに、迎えに来てくれる人は、誰もいない。胸の奥に寂しさが広がった。彼女が投稿した写真も、両親は見ていないらしい。メッセージ一つ寄越してくれなかった。投稿する前に、知佳は特別に写真を加工した。「短い時間で商談をまとめられたことを知ったら、きっと喜んでくれるはず」と思ったのだ。だが、日の出から日の入りまで待っても、両親からの「ご飯は食べた?」という一言すら届かない。代わりに、昔オンラインゲームで知り合った友人だけが、彼女の投稿に毎回「いいね」を押したり、コメントを残してくれた。知佳は「両親が忙しいだけ」と自分に言い聞かせ、携帯をしまった。同行してくれた先輩の高橋悠真(たかはし ゆうま)に向き直った。「私はタクシーで帰るよ。また時間があるときに会おう」先ほど電話が繋がらなかった時の落ち込みを、悠真は見抜いていた。彼は探るように聞いた。「……彼氏にかけた?」その言葉に、知佳は一瞬心が揺れた。頭に浮かぶのは、血を吐いた健太の姿だった。けれどそれは、彼が薬を無理に飲んだ結果――自業自得だ、とすぐに思い直した。知佳は首を横に振った。「両親だよ。たぶん忙しくて気づかなかったんだと思う」「なるほど」悠真は笑い、遠くの運転手を指差した。「あそこに迎えが来てる。一緒に送っていこうか?」知佳は断らなかった。海外で両親に渡すための土産をたくさん買ってきたし、空港は混んでいる。大きなスーツケースを抱えてタクシーを探すのは面倒だ。彼女は住所を伝える。「ありがとう。今度お礼にご飯をご馳走するね」悠真は春風のように柔らかく笑った。「うん、楽しみにしてる」まさにこの言葉を待っていたのだ。彼は進んで知佳の荷物を持ち、車のドアを開け、運転手に目的地を告げる。だが、その住所を耳にした瞬間、悠真は驚いた。東都市一番お金持ちの佐藤家の住所だったのだ。さっ
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第13話

知佳は足を止め、首を傾げた。佐藤社長って、誰のことを指しているのだろう。考える間もなく、目を赤くした紗英が駆け寄り、彼女の手を強く握った。「知佳、どうして帰ってくるのを知らせてくれなかったの。迎えに行けたのに」一方、健太の父は視線をそらし、医師に検査報告を渡すよう急かした。そして一歩前に出て口実を作った。「中で治療を受けているのは、君の従兄弟だ。我々は様子を見に来ただけで、すぐに帰るつもりなんだ」「そうだったんですね」知佳はほっと息をついた。「てっきり、お二人が入院しているのかと思いまして」心の奥に浮かんだ嫌な予感を抑え込み、彼女は微笑んだ。「それなら、私も一緒に待ちます」すると紗英は慌てて首を振った。「いいのよ。あなたは飛行機で疲れているでしょう? 先に家に戻って休みなさい」しばらくためらった後、紗英は震える声で続ける。「健太があの日、美穂とやりすぎて倒れてしまったの。目を覚ましたらあなたがいなくて、どうしても退院して探しに行くと言い張っててね……今は別の病院にいるわ。会いに行く?」健太という名前を聞いた瞬間、知佳の胸はかすかに震えた。だが顔には出さず、平静を装った。「いいえ。お兄さんが帰ってきてからにします」両親がまた健太の話を続けるのを避けたい気持ちもあり、知佳は素直に送迎の車に乗って家へ戻る。彼女が去った後、健太の両親はようやく肩の力を抜いた。やがて長い手術が終わり、健太が意識を取り戻す。目を開けるなり、口にした言葉はただ一つ。「……退院させろ」「何を言っているの!」紗英は涙をにじませて叱った。彼の病の原因を知っているからこそ、必死に宥める。「たとえ媚薬のせいで倒れたとしても、数日は安静にすべきよ。病気が癒えてから表舞台に立ちなさい。でなければ私、絶対に協力しないから」健太はうつむき、低く答えた。「それなら、治療する意味もない」「……!」紗英は怒りと哀しみに胸を締めつけられた。結局、彼女は折れた。「三日だけ。三日間しっかり療養して。知佳には気づかれないようにするから。美穂に頼んで、あなたを看病している写真を送らせるわ。だから心配しないで」「……分かった」健太はか細く応じた。三日。ただ知佳との最後の結末を迎えるために。せめて幕
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第14話

知佳は「もう二人の関係は戻れない」と言いたかった。だが、苦しそうに震える健太の姿を見て、心が揺らいだ。こういうことは、やはり少し時間をかけて受け入れてもらうべきだ。「今日、実家に荷物を取りに帰ろうと思ってるの。一緒に来る?」出て行く時はあまりに急だったから、置いてきた物がたくさんある。彼を連れて行き、過去を振り返らせて、その上で諦めてもらう……知佳は、やはり自分は彼に優しすぎたと痛感した。浮気をしたあの日に、今日の結末を想像すべきだったのに。そう考えると、彼女は決心して振り返らずに歩き出した。外では運転手が待っていた。知佳は車に乗り込み、しばらくしてから健太が車の前に現れるのを見た。彼はまだ現実を認めず、車に乗り込んで彼女の隣に座った。「知佳、みんなで俺を騙してるんだろ?浮気したのは俺が悪かった。頭がおかしかったんだ。両親が君に全部話したって、それは当然のことだ。でも……本当に後悔してる。もう二度としない。だから、許してくれないか?」知佳は窓の外に舞い落ちる枯葉を見つめ、答えた。「お兄さん、同じ戸籍の人同士は、結婚できないって知らなかったの?私たちの届け出は、もう無効になってるの」過去は落ち葉のようなものだ。一度地面に落ちたら、どんなに願っても木に戻ることはない。春になり、新しい芽が出ることでしか未来は生まれない。しかし健太は、なおも頑なに信じようとしなかった。彼は未来がまだあると信じて疑わなかった。彼はずっと知佳の手を握り、婚約者のために用意した新居にたどり着いた。だが、そこには切り裂かれたウェディングドレスが置かれていた。それを見てもなお、彼は信じなかった。「同じ戸籍にいても関係ない。知佳、俺を戸籍から外せばいいんだろ?」「俺はもともと佐藤家の実子じゃない。外しても構わない」彼は力なく床に崩れ落ち、散らばった宝石を一つひとつ拾い集める。その時、ホテルから電話が入った。「佐藤様、申し訳ありません。ご予約されていた結婚式場ですが、すでにキャンセルされました」「誰がそんなことを!なぜ早く知らせてくれなかった!」「北村様ご本人から直接キャンセルのご連絡をいただきました。お電話を差し上げようとしたのですが、ずっと繋がらなくて……」「繋がらない?そんなはずは……」健太が呟
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第15話

知佳の全身は、氷のように冷え切っていた。もし佐藤家がただの「健太の家」であり、自分が嫁という立場で受ける仕打ちなら、まだ納得がいく。しかし、自分は彼らの実の娘だ。それなのに、どうしてこんな侮辱を受けなければならないのだろう。彼らの子供は始終、健太だけだったのか。養父母と同じように、息子さえいればすべてそれでいいのか。自分が健太の子を産まない限り、娘として認められないというのか。知佳はゆっくりと身をかがめ、胸に押し寄せる屈辱を飲み込んだ。慣れるしかない。そう自分に言い聞かせる。生まれたときから望まれていなかったのだ。ならば、この先も愛されることを期待するべきではない。それでも、胸が張り裂けそうに痛む。命をかけて自分を産んでくれた両親なのに。知佳の心に衝動が芽生えた。聞いてみたい。自分と健太、どちらを選ぶのか、両親に直接。彼女は立ち上がり、ふと後ろを振り返った。健太は、床に座り込んだまま、砕けた宝石の破片を呆然と見つめていた。その姿を目にした瞬間、知佳の頭は急に冷静さを取り戻した。なぜ彼を愛を奪い合うライバルだなんて思ったのだろう。彼女はうつむき、携帯に映る両親のアイコンを見つめる。そして、かすかな笑みを浮かべ、美穂から送られてきた妊娠検査レポートの写真を転送する。【お父さん、お母さん。健太には、子供を産んでくれる人がいます。だから私に期待しないでください。】健太と出会ってから、いつも彼に「自分を大切にしろ、人に頼るな」と教わってきた。三年もの遠距離恋愛でさえ、彼女の羽ばたきを止めることはできなかった。今はただ、両親が見つかっただけ。実際には、それ以前の人生と何も変わらない。養子の弟と愛情を奪い合ったことなどなかった。なら今さら、親の愛を求めて健太と争う必要などない。自分の人生をちゃんと生きれば、それで十分だ。知佳は気持ちを整え、運転手に声をかけた。「会社に寄ってください」明日から、彼女は佐藤氏グループで働くのだ。佐藤家。美穂は妊娠検査の報告書を手に、哀れっぽく紗英に差し出した。「佐藤社長とは表向き芝居の関係でした。でも……男は理性を失う時があるんです。あの夜、私たちは……関係を持ちました」そう言うと、彼女は涙を拭った。「私は健太を愛し
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第16話

知佳が会社を出たとき、すでに夜になっていた。彼女は実家には戻らず、会社の近くで部屋を一つ借りた。両親からの連絡は、一言もなかった。知佳は、消音にした携帯を握りしめながらソファに座り、ぼんやりと街の灯りを眺めた。本当なら、健太と結婚したら自分の会社を立ち上げるつもりだった。だが、その後あまりにも多くのことが起きすぎて、自分の将来の計画を整理する暇さえなかった。しばらくして、彼女は紙とペンを取り出す。彼女が自分に立てた計画は、ただ一つ。自分は佐藤家の娘なのだから、社長の座を奪いに行く。虚ろな両親の愛を求めるより、そのために戦いたい。健太にもこう言われていた。誰かのために理由もなく犠牲になるな。人に甘えるな。この世で裏切らないのは自分だけだ。強さは自分の中にしかない。その言葉を、知佳はずっと肝に銘じてきた。たとえ初めて実践する相手が健太であっても、少しも怯まなかった。その日、彼女は佐藤グループのいくつかの業務を調べ、まずは小さなことから始めるつもりでいた。ペンを走らせるうちに、気づいたらすでに深夜だった。届いた出前を取りに降りると、車のそばに寄りかかってタバコをくゆらす人影が目に入った。足元には無数の酒瓶。タバコの煙を透けて、相手の顔が見える。視線が交わう。健太はすぐにタバコをもみ消した。煙も酒も自分には毒だと分かっているのに、彼はやめられなかった。少しでも心を麻痺させないと、知佳が去っていく姿をまともに見られなかったのだ。彼は一歩前に出った。「こんな時間まで起きてるなんて」知佳はその言葉には答えず、手にした出前の箱を差し出した。「また夕飯を抜いたでしょ。食べたら帰って。もうすぐ冬なんだから、冷えるよ」そう言い捨てると、彼女は振り返らずにに駆け上がっていった。まるで隠れてこそこそしている姿を誰かに見られたような、そんな居心地の悪さが胸を刺した。知佳はため息をつき、今夜はダイエットも兼ねて食べないことにした。余計なことは考えず、部屋に戻って電気を消し、眠りにつく。一方、下に残った健太は、手にした弁当を見つめ、不意に笑った。「こんなに酷いことをしてきたのに……まだ気にかけてくれるのか」彼は車に戻り、ひと口、またひと口と食べ始めた。鳴り続ける両
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第17話

健太の後ろには、慌てて追いかけてきた紗英の姿もあった。彼女は息を荒げながら声を張り上げた。「あなたは今、絶対に外に出ちゃ……」だが、息子の視線を辿って知佳を瞬間、言葉が喉に詰まった。知佳は手に持ったエコー検査の紙を背中に隠し、笑顔で声をかけた。「お母さん」紗英は乾いた声で「ええ」と返すだけだった。そして健太に一度だけ視線を送り、真実を暴こうとはしなかった。「健太が風邪をひいたから、一緒に病院に来ただけよ。あなたがいるなら、私は外で待ってるわ」最後まで、知佳に「どうして病院に?」と聞こうとしなかった。知佳は目を伏せ、素直に「はい」と答えた。そして一歩下がり、紗英に道を譲った。気にしないと自分に言い聞かせるが、やはり一言だけでも心配の言葉をかけてほしかった。だが、紗英の姿が完全に消えるまで、その言葉を待っても届くことはなかった。その様子を見ていた健太は、帰ったら必ず家族と話そうと心に決めた。彼はまだ諦めきれずに尋ねる。「知佳、どうして病院なんかに?」病気のことを悟られるのが怖い反面、本当に体を壊しているのではないかという不安もあった。知佳は我に返り、何事もないように笑った。「入社前の健康診断を受けに来ただけよ」もっともらしい理由だ。だが健太は眉をひそめた。「君の健康診断の結果なら、もう確認済みだ」少し間を置き、健太は彼女が後ろ手に隠しているものへ視線を移した。「知佳、この病院は佐藤家のものだ。自分から教えてくれなくても、院長に聞けば分かる」知佳は思わず声を上げた。そうか、この病院は佐藤家のものだったのか。以前、従兄弟がここで手術を受けていたのも、それで納得できる。もはや隠し通せないと悟り、知佳はエコー写真を彼の胸に押し付けた。「私、妊娠したの」そう言って、すぐに自嘲気味に笑った。「でも、あなたの子じゃない」ふと、用紙に妊娠週数が記されていたのを思い出し、慌てて紙を引き戻した。「……あなたはおじさんになるのよ」健太は無意識に強く手を握りしめた。心の奥で喜んでいた。妊娠の時期から見ると、どう考えても自分との子供だ。彼女は子どもができた。自分は父親になるんだ。だが同時に、もしかしたら生まれる瞬間を見届けられないかもしれない
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第18話

知佳は、喉まで出かかった心配の言葉を飲み込んだ。代わりに、怒りに任せて声を荒らげる。「あなたが誰と子どもを作ろうと、私には関係ない!私は妹であって、婚約者じゃないんだから!」そう言い捨てると、彼の方を一瞥もせずに背を向け、病院を出た。彼女は気づかなかった。背いたその瞬間、健太が力尽きて床に倒れ込んだことを。それでも彼は必死に携帯を操作し、弁護士にメッセージを送った。【渡しておいたあの書類、知佳に署名させてくれ】そう打ち込んだあと、安心したように目を閉じる。知佳が病院の外へ出ると、佐藤家の車が停まっていた。思いがけず、そこには美穂の姿があった。紗英は紙を手にし、顔が崩れるほどの笑みを浮かべていた。「この子は何としても大事にしなきゃね」美穂は紗英の腕を組み、大声で答えた。「はい、お義母さん。私、必ず健太の子を大切に育てますから」そして、視線の端で知佳をとらえると、勝ち誇ったようにさらに笑みを深めた。「私、知佳みたいな冷たい女じゃありませんから。あんな態度だと、優しくする必要なんてないですよ」紗英の眉間にしわが寄った。彼女の脳内では、知佳がマンションの下でタバコを吸い、酒を飲んでいたせいで健太の病状を悪化させた光景がよぎる。心の中で、知佳への嫌悪がまた幾分と募った。紗英は美穂の手を軽く撫でながら、安心させるように言った。「心配いらないわ。佐藤家は必ず、お腹の子を第一に考えるから」知佳は衣服の裾を握りしめ、言葉を探したが声にならない。やはり自分は、本当の娘であっても、二十年以上育ててきた養子には敵わないのか。健太の子どもにさえ、彼女自身よりも価値があるのだ。それでも知佳は歩み出て、自然な笑みを作った。「お母さん、何をお話していたんですか?」紗英は目をそらし、どもるように答えた。「な、何でもないわ。ただ会ったから少し話してただけよ」知佳がさらに問い詰めようとした瞬間、紗英の携帯がけたたましく鳴り響いた。画面を一目見るなり、彼女は二人を気にも留めず、ほとんど駆け足で病院に戻っていった。美穂は一瞬きょとんとしたが、すぐに思い至った。健太に何かあったのかもしれない。途端に、知佳へ向けて挑発するような笑みを浮かべた。「佐藤家のものは全部、私のものよ。あなたは
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第19話

健太は、こうなることをすでに予想していた。彼は弁護士に、万が一この状況になったらどう説明すべきか前もって教えてあったのだ。「北村さん、これらはすべて、佐藤社長があなたの代わりに二十年間得てきたものです。彼は今、これらをあなたに返したいと望んでいます」知佳は視線を落とした。「この中の多くは、彼自身が投資家として稼いだ財産よ。私とは関係ないわ。受け取れない」山口弁護士は頭の中で健太の指示を思い出し、すぐに言葉をつないだ。「佐藤社長はこう言っていました。もし受け取らないのなら、それは彼を惜しんで許した証拠だ。逆に受け取れば、彼が佐藤家を離れ、あなたと結婚する案を認めたことになる、と」知佳は笑って顔を上げた。「じゃあ、どっちにしても私は彼を許したことになるのね?」そう言ってペンを取り、一気に自分の名前を書き入れた。「伝えて。たとえ受け取っても、私は彼を許さない。出て行くなら勝手にすればいい」さっきまで美穂と子どもを育てるなどと言っていたくせに、今度はこんな大きな贈り物を寄こす。貰えるものは、貰っておけばいい。その方が彼も腹が立つだろう。知佳は口元を少し歪め、すぐにふっと笑った。「本当に……私のことをよく分かってるわね」契約書を手に立ち上がった。「最後に一つだけ聞かせて。彼に、最近なにかあった?」紗英が慌ただしく病院へ駆け戻った姿が頭に残っており、不安が拭えない。山口弁護士は裏事情を知らず、戸惑いながら首を振った。「いえ、特に何も……ついさっきも私に連絡を寄越し、あなたに会うように言われました」「……そう。なら良かった」知佳は心の中でそっとつぶやいた。これからの人生は、それぞれが無事に生きていければそれでいい。病院。健太は再び、救急処置室へと運び込まれた。紗英は外で、涙にくれながら座り込んでいた。美穂が寄り添い、わざとらしく慰めた。「健太は大丈夫ですって。お義母さん、心配しないでください」そして、ためらうふりをして口にした。「でも……健太は知佳と会うたびに調子を崩します。やっぱり、二人を会わせない方がいいんじゃないでしょうか」「……そうね、あなたの言う通りだわ」紗英は涙をぬぐいながら同意した。知佳のことをどう思うかはさておき、健太は彼女と会うたび命の
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第20話

紗英は、息子が真相に気づいたことに驚いた。ほんの一瞬考え、慌てて美穂をかばった。「美穂もね、あなたを思っているのよ。それに、彼女は佐藤家の孫を身ごもっている。絶対に裏切ってはだめ」「母さん!」病に伏している身でありながら、健太は思わず声を荒げた。「俺は美穂と寝たことなんて一度もない!佐藤家の孫なんてどこから出てきたんだ。たとえ本当に妊娠しているとしても……それは俺の子じゃない!」紗英の頭は混乱し、その言葉をすぐには理解できなかった。まるで石像のように長く沈黙し、ようやく騙されていたことを悟った。彼女にとって、これほどの屈辱は初めてだった。怒りに任せて立ち上がり、美穂に問いただそうとする。だが、廊下で盗み聞きをしていた美穂もまた、危機を感じ取っていた。慌てて逃げ出そうとして足を取られ、床に激しく倒れ込んだ。その音は病室の中にも響いた。紗英の顔が赤から青へと変わり、勢いよくドアを開け放った。だが、そこに人影はない。ただ、廊下の床に美穂の片方のハイヒールが寂しく転がっているだけだった。紗英は激怒し、すぐさま電話で秘書に指示をした。美穂を芸能界から徹底的に締め出し、さらに二億円の報酬が入っていたカードを凍結した。それから、ふと思い出す。先ほどの高橋家からの電話。息子の容態が安定したのを確認すると、彼のそばに腰を下ろし、電話をかけ直した。受話器から穏やかな声が響いた。「佐藤さん、娘さんを取り戻したそうで、おめでとうございますな。よければ近いうちに両家で集まりませんか?実はうちの息子が、あなたの娘さんを気に入っておりましてね。家でも何度も口にするのです。唐突に押しかけるのも気が引けて……お互い古くからの付き合いですし、まずは一声かけようと思いまして。若い者同士、気が合うかどうかを見るのが一番ですからな」その一語一句が、病床の健太の耳に届いた。あの日、知佳を海外から連れ帰ったのは、高橋家の後継ぎ、悠真。紗英は本来、知佳のことに深入りするつもりはなかった。ましてや息子の前で。「知佳はちょうど商談があって忙しいのです。また機会を見てご一緒しましょう」と、当たり障りなく答え、電話を切た。その後、紗英は息子の手を握りしめた。「そんなに思いつめないで。知佳が本当に他の人を好き
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