二十八歳の誕生日の日、豊田智之(とよだ ともゆき)は私に黙って地方への異動を申請していた。私が知ったときには、すでに申請は承認されていた。私はもう一度考えてほしいと頼んだ。しかし、智之は言った。「俺たちが一緒にいられれば、どこへ行っても同じだろう」違う。大都市に根を下ろすことは、私の夢だ。彼はそれを知っていたはずなのに、忘れてしまっていた。そして後になってようやく分かった。彼がそうしたのは、うつ病を患っている本命彼女のためだったのだ。……「向こうはスローライフだよ。きっと君は気に入る。先に今の仕事を辞めて。具体的な日程が決まったら、一緒に向こうへ行こう」私は彼を見上げた。「どうして今になって教えてくれたの?」「サプライズにしたかったんだ」サプライズ?それなのに、どうして胸がこんなに苦しいのだろう。胸が詰まる思いを抑えながら、私はゆっくりと口を開いた。「急に寧安町へ行きたがったのは、もしかして……」そのとき、場違いな着信音が鳴り、私の言葉は遮られた。智之はスマホを一瞥すると、立ち上がってバルコニーへ向かった。電話の相手と何を話していたのかは分からない。通話を切ると、彼は「病院でちょっとトラブルがあって、行ってくる」とだけ言い残し、出て行こうとした。しかし、玄関まで行ったところで何かを思い出したように戻ってきた。智之は私の額に軽くキスをした。「誕生日おめでとう、夜宵(やよい)。帰りは待たなくていい。おやすみ、いい夢を」彼の見えないところで、私の目は赤く染まっていた。智之が出て行った途端、涙は抑えきれずにこぼれ落ちた。答えを抱えたまま、私は立ち上がってバルコニーへ向かった。智之の車が地下駐車場から出てきて、左折して車道に入った。それは病院へ向かう道ではない。彼がかつて愛して得られなかった本命彼女が泊まっているホテルの方向だ。その存在を知ったのは、智之の幼なじみである東山悠人(ひがしやま はると)が何気なく漏らした一言からだった。彼と智之は同じ病院で働いている。その日、私は作った料理を持って、智之のオフィスへ行った。ちょうど彼が診察中だった。患者は一人の女性だ。やり取りに特別な違和感はなく、ごく普通の医師と患者の関係に見えた
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