どん底の時代、私たちは狭い安アパートで身を寄せ合い、ゴミを拾って露命を繋いでいた。転機は、彼が暴漢に襲われていた「ある女の子」を助けたこと。大怪我を負った彼が手にしたのは、加害者の男からの莫大な示談金——その金を元手に、私たちは地を這う生活から抜け出し、上流階級へと駆け上がった。すべてが報われるはずの結婚式。あの時、彼が命懸けで救った女の子が現れ、式を台無しにした。追い出そうとする警備員を制したのは、新郎である彼自身だった。式は続行された。けれど私は見てしまった。彼の視線が、客席で涙を浮かべる彼女に、ずっと囚われたままだったことを。結婚から五年。数えきれないほどの「離婚してくれ」を飲み込んできた。そして最後の一回。私は、その言葉に頷いた。……大晦日の夜。スマートフォンの画面を埋め尽くすLINEの緑色の吹き出しを眺め、確信した。今夜、紀藤紀一(きとう きいち)は帰ってこない。「苦労している男を支えて一緒に起業するなんて、女として一番愚かな選択だ」かつて周囲が口を揃えて忠告してきた言葉が、今さら呪いのように脳裏をよぎる。紀一だけは例外だと信じていた。けれど時間の流れという残酷な洗礼は、彼をも「どこにでもいる、恩を忘れた男」へと変え、世間の俗説を証明する新たなサンプルに仕立て上げてしまった。私・紀藤志乃(きとう しの)は、友達リストから紀一のアカウントを削除した。迷いはなかった。そのまま、何日も前からリビングのテーブルに放置されていた離婚届にペンを走らせる。最後の一文字を書き終えた、その時だった。玄関のドアが開く、重苦しい音が響いた。顔を上げると、そこには紀一と、その腕に親しげに絡みつく白河澪(しらかわ みお)の姿があった。五年前、彼が身を挺して守ったあの子。あの日を境に、紀一はまるで別人のようになってしまった。私を労る言葉もなくなり、視線さえ交わさなくなった。かつて、澪が「自分の居場所が欲しい」と泣いて縋った時、彼は目を血走らせてこう言い放ったという。「俺が志乃と結婚したのは、入院中に献身的に支えてくれた恩があるからだ。一緒にこの資産を築き上げてきたっていう情もある。……それさえなければ、あんな女、妻にするはずがないだろう」何人もの伝言ゲームを経て私の耳に届いたそ
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