◆先生Side 紗那が出ていった後、しばらくベッドの上で動けなかった。『連載中の原稿が書き終わったら、息子に会ってくれませんか?』 願ってもない紗那からの言葉に、身体が固まる。 身体を起こし、仕事部屋に戻る。床一面に原稿が散らばっている。 一枚拾い上げた。 俺の万年筆の黒い文字の横に、赤ペンの文字があった。紗那の字だった。「ここ、違います」 ヒロインが一人でベッドに横たわり、涙を流す場面。紗那の赤字がその横に並んでいた。「子育て中に思い出して泣いてる暇なんてないです。疲れてきって爆睡です」 別の一枚を拾った。ヒロインが主人公の小説を読んで、切なさに胸を押さえる場面。「申し訳ないですけど、就職して恋愛小説の編集者になるまで先生の作品を読んでいません。理由はムカつくから。私をあっさり捨てた男の作品を読んで、泣くわけない」 また一枚。ヒロインが主人公を許す場面。「こんなに簡単に許さない。許したいけど許せない。六年間一人で、好きな人の子どもを抱えて生きていた女を甘く見ないでください」 一枚一枚、拾い集めた。膝をついて、床を這うようにして、二百枚以上の原稿を集めた。冒頭からおよそ五十枚に、紗那の赤字が入っていた。残りの百五十枚は、白いままだった。紗那が読めたのはそこまでだったのだろう。 俺が想像で書いた紗那と、本物の紗那の距離が、赤字で突きつけられていた。 ――強いな、紗那は。『強くなるしかなかったんです』 紗那の言葉を思い出して、胸が痛くなる。(俺がそうさせたのか) 全然、わかっていなかった。紗那という女性を。 十二歳の幼い頃のまま、弱い生き物だと思い込んでいた。 デスクの前に座った。原稿を並べ直した。赤字の一つ一つを読み返した。紗那の怒り、紗那の悔しさ、紗那の孤独、紗那の意地、紗那の強さ。その全部が、赤ペンの文字に変換されて原稿の余白に詰め込まれていた。 紗那は、ずっと一人で戦っていた。 俺がウジウジと後悔し、紗那への想いを断ち切れない間に紗那はどんどんと大人になり、母になり進んでいたのだ。 俺の小説を出版する会社で働くことを選び、好きな人の子を産めたのは幸せだと、笑って言った。あの笑顔の裏に、これだけの感情が渦巻いていた。 ――俺はクズだな。 万年筆を手に取った。 インクの出を確認して、新しい原稿用紙を引き寄せた
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