十日あればなんとかなると思っていた。 甘かった。 一度決まった人事は個人的な理由では覆らない。直が「行かないでくれ」と言ったところで、辞令は辞令だ。 理人は引き継ぎと取引先への挨拶で、毎日忙しかった。朝早く出社し、夜遅く帰ってくる。あの夜、身体を重ねて以来、まともに顔を合わせていない。翌朝、理人は朝食とメモだけ残して出ていった。あれからもう十日近く経つのに、あの夜のことについて一言も交わしていない。 すれ違いざまに目が合うことはあった。けれど理人はすぐに目を逸らした。直も声をかけられなかった。あの夜のことを理人がどう思っているのか、わからなかった。なかったことにしようとしているのか。それとも、直と同じように、言葉にできないでいるのか。 理人が大阪に行くまでに、きちんと「好きだ」と伝えたい。けれど、それだけなのに、その三文字が出てこない。あの夜、身体では伝えた。けれど言葉にしていない。言葉にしなければ、伝わったことにはならない。 そしてとうとう、理人が本社を離れる前日になった。◆ その日、直は午後から取引先との打ち合わせで外出していた。今日こそは話す時間を作ろうと思っていたのに、打ち合わせが長引いた。 夕方、会社に戻ると理人が帰り支度をしていた。明日から大阪に出社するのだ。今日は早めに帰って準備をするのだろう。 直は自分の席に鞄を置いて、理人のほうを見た。 理人が帰り支度の手を止めて、直を見た。あの夜以来、初めてまっすぐ目が合った。「先輩。今日、一緒に帰りませんか」「……え?」 理人から声をかけられるとは思っていなかった。あのときの「承知いたしました」以来、理人から業務外の話をされるのは初めてだった。「少し、先輩と話したいんです」 理人の声がいつもと違った。冷たい敬語ではなく、丁寧だけれどどこかやわらかい。距離を置いてから一度も聞いていなかった声だ。以前の、直に向けられた声。それが戻ってきた。たった一言で、胸がぎゅっと締まった。「……すぐ
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