LOGIN残業続きで終電を逃した夜, 平凡な営業マンの夏目直はなぜか後輩の神谷理人に世話を焼かれるようになる。弁当、体調管理、送り迎え――気づけば生活のあちこちに入り込まれていた。距離が近すぎる後輩に戸惑いながらも、その居心地のよさに慣れていく直。だが、神谷の態度は“親切”の域を少しずつ越えていき……。
View Moreまるで太陽のような人だと思った。◆ 俺には友達が少ない。 小学校のころからずっとそうだった。人見知りが強く、自分から話しかけることができない。話しかけてもらっても、なにを話せばいいのかわからず、黙ってしまう。表情が乏しいとよく言われた。怒っているわけでも、機嫌が悪いわけでもない。ただ、顔の筋肉がうまく動かないだけだ。 中学、高校と進んでも変わらなかった。クラスに馴染めず、休み時間はひとりで本を読んでいた。話しかけてくれる人がいなかったわけではない。けれど、会話が続かない。相手が気まずそうな顔をするのを見て、申し訳なくなって、自分から距離を置いてしまう。その繰り返しだった。 大学に入っても同じだった。講義のある日は大学に行き、終わればすぐに帰る。サークルにも入らなかった。入りたい気持ちはあった。けれど、あの輪の中に飛び込む勇気がなかった。 そんな俺にも、数えるほどだが友達はいた。同じ学科の佐々木という男が、入学初日に隣の席に座って「よろしくな」と話しかけてきた。俺が黙っていても気にしない男だった。沈黙を苦にしないタイプで、それが俺には楽だった。 大学一年の秋。その佐々木に「学園祭に一緒に行かないか?」と誘われた。「学園祭?」「明正大学の。彼女がそこに通ってるんだ。学園祭に来てほしいって言われてさ」「……俺が行っても邪魔じゃないか」「邪魔なわけねえだろ。ひとりで行くのもさびしいし」 断る理由もなかった。他の大学に行く機会なんてめったにない。それに、佐々木に誘われて断るのは申し訳ない。数少ない友達のひとりだ。 十月の土曜日。明正大学の学園祭に行った。 キャンパスは人で溢れていた。模擬店が並び、あちこちから音楽や笑い声が聞こえてくる。色とりどりの看板や幟がはためいている。楽しそうだった。けれど、俺にはその楽しさに入っていけない感覚があった。いつもそうだ。人が楽しんでいる場所にいると、自分だけがガラス一枚向こう側にいるような気持ちになる。見えているのに、そこに触れられない。 佐々木とふたりで回った。焼きそばを買って、たこ焼きを買って、ステージでバンドの演奏を聴いた。佐々木は楽しそうだった。俺は佐々木の横を黙ってついて歩いていた。 しばらくすると、佐々木の彼女がやってきた。「りっちゃーん!」と手を振りながら駆けてくる。佐々木の顔がぱっと明るくな
朝起きると、隣に理人が眠っていた。 ――よかった……。夢じゃなかった。 隣ですうすうと寝息を立てている理人を見て、ほっとした。昨日のことが、夢のように感じられたからだ。あんなに大切に抱かれるなんて、思ってもみなかった。思い出しただけでも、カッと頬に熱がこもる。 狭いシングルベッドに大人の男がふたり。けれどちっとも狭く感じないのは、理人が直をやさしく抱き寄せて眠っているからだ。 鼻先がくっつきそうな距離で理人の顔をじっと見つめる。 長いまつ毛が朝日を浴びて、頬に影を落としていた。起きているときはキリッとした印象だが、眠っているときはふんわりとやわらかい印象だ。「もう、俺から離れるな」 直は小さくつぶやいて、理人の額にキスを落とした。「はい。もうどこにもいきません」 急に理人が目を開けて、心臓が跳ねた。「お、お前っ! 起きてたのかよ……」「直が俺のこと見てくれてたんで、寝たふりしてました」「ば、ばかっ! 恥ずかしいだろ」「なんでですか? 俺はうれしいです」 理人が直を包んでいる腕に力を入れて、ぎゅっと抱きしめた。「もう離れないし、離してあげません」「そんなの……俺だって同じだよ」 上目遣いで理人を見ると、目が合った。まだ信じられない。後輩だった男と、こんな関係になっているなんて。恥ずかしさが抜けきらなくて、まるで初めて恋をしているようだった。 いや、実際に初めての恋なのだ。今まで本気で誰かを好きになったことがなくて、理人が初めて本気で好きになった相手なのだから。 お互いに見つめ合うと、自然と唇が重なった。お互いの想いを確かめるキスだった。 理人がベッドから身体を起こした。「じゃあ、朝ごはん作りますね」「おう。じゃあ俺も手伝う」「直は座って――」 直は理人の口を指先で塞いだ。「おい、昨日俺
理人が出ていって、どれくらい時間が経っただろう。 散らかった部屋の中で、直はひとり座っていた。理人がさっき脇に寄せてくれたテーブルの上を見つめている。コーヒーの匂いが残っている。理人の匂いが残っている。 好きだって言われた。「好きです。先輩のことが。ずっと。これからも」。あの声は本物だった。震えていて、かすれていて、七年分の重さがこもっていた。 なのに去っていった。 直には理人の行動が理解できなかった。好きなのに離れる。覚悟があるのに泣きそうな顔をしている。近づかないと言いながら、わざわざ大阪から東京まで来ている。全部、矛盾している。 けれど。 去り際の理人の顔を思い出した。あの表情。目が潤んで、唇が震えて、背中が丸くなって。あれは、離れたい人間の顔じゃなかった。離れたくないのに、離れなければいけないと思い込んでいる顔だった。 理人はこわいのだ。 管理という枠組みを外したら、自分がどうすればいいのかわからない。直のそばにいる方法が、管理以外にわからない。管理を手放したら、自分はただの執着していた後輩に戻ってしまう。そう思い込んでいる。 ――馬鹿だな、あいつ。 じゃあ、自分はどうだ。 直は管理される側はもう嫌だと言った。対等に立ちたいと言った。それは、理人から世話を焼かれるのが嫌なのではない。自分も理人になにかをしてやりたいと思ったからだ。 今までは彼女に世話を焼かれるばかりだった。自分から誰かに尽くしたいと思ったことなんてなかった。理人が初めてだ。理人のために弁当を作りたいと思った。理人の部屋を掃除したいと思った。理人が疲れて帰ってきたとき、あたたかいものを用意して待っていたいと思った。 世話を焼きたい。その気持ちの正体が、今ならわかる。 愛おしいから、大切だから、大事にしたいから——世話を焼きたいのだ。 だから理人は直のために毎日弁当を作ってくれたのだ。直の好きな味付けの、直の好きな献立で。直がくつろげるように家を掃除してくれた。体の疲れが取れるように、バランスの取れた食事を作り置きしてくれた。全
大阪で自分の気持ちを全部伝えた。 好きだと言った。対等に立ちたいと言った。管理じゃなくて、と。直にできることは全部やった。あとは、理人の答えを待つだけだ。そう思っていた。 けれど理人からは「考えさせてください」と言われた。返事は保留になった。拒絶ではないが、受け入れてもらったわけでもない。よろよろと公園の暗がりに消えていった理人の背中が、まだ目に焼きついている。 東京に戻ると、水城や梨沙が心配そうにこちらを見ていた。けれど、なにも聞いてこなかった。直の表情を見て、察したのだろう。聞かないでいてくれるやさしさが、逆にこたえた。 待つと決めたのは自分だ。七年待たせた。今度は自分が待つ番だ。 けれど、待つのはこんなにもつらいものなのだろうか。朝起きて、スマートフォンを見る。通知はない。仕事に行く。昼休み、スマートフォンを見る。通知はない。帰宅して、また見る。ない。その繰り返しが、毎日続いた。 直が大阪を訪れてから二週間が経った。理人からの連絡は一通のメッセージも、一本の電話もなかった。 もう、このまま終わるのだろうか。 不安が押し寄せてきた。仕事をしていても集中できない。もう無理なのかもしれない。直の告白が、逆に理人を追い詰めてしまったのではないか。「管理はいらない。対等にいたい」。あの言葉が、理人にとっては拒絶に聞こえたのかもしれない。直は前に進むつもりで言った。けれど理人にとっては、居場所を奪われたように感じたのかもしれない。 だとしたら、直はまた間違えたのだろうか。距離を置こうと言ったときと同じように。良かれと思ってしたことが、裏目に出る。直はいつもそうだ。 たった二週間なのに、もう何年も待っているような感覚だった。 理人は七年も待っていた。その間、ずっとひとりで。直のことを想いながら、声をかけられない距離で。好きだと言えない場所で。そう考えると、気が遠くなった。直は二週間で音を上げかけている。理人は七年間、一度も弱音を吐かなかった。その忍耐力と、その孤独に、今さらながら胸が痛んだ。 考えても答えは出なかった。理人の気持ちは理人にしかわからない。直にでき
金曜日の夜。久しぶりに課のメンバーで飲みに行くことになった。 とはいえ、集まったのは水城と直、それに二課の後輩がふたりだった。理人はクライアント訪問が長引き、来られないと連絡があった。久我も予定があるらしい。課長は「俺がいると気ぃ遣うだろ」と遠慮した。 後輩ふたりは一時間ほどで「彼女と約束があるんで」と帰っていき、結局残ったのは水城と直のふたりだった。「まあ、気楽でいいわ」 水城がジョッキを傾けた。「だな。気遣わなくていいし」 直もハイボールを飲んだ。水城と飲むのは楽だ。仕事の愚痴も、くだら
フィールクラフト株式会社の小さな会議室で、直は企画書を広げていた。 アーク・ブリッジの仕事は、法人向けの業務効率化システムの提案と導入だ。フィールクラフトはインテリアや生活雑貨を扱う会社だ。事業が急成長している一方で、在庫管理や受注処理が追いついていないという。直はその改善策を提案するために訪問した。 初対面の相手との商談はいつも緊張する。今日も、会議室に通されてから担当者がくるまでの数分間、胃のあたりがきゅっと締まっていた。「失礼します。お待たせしました」 入ってきたのは、穏やかな顔立ちの男性だった。直と歳が近いように見
理人に管理されるようになって一か月が経った。 弁当は毎日届く。週末は一緒に過ごし、水曜日には家に来て夕飯と作り置きを作ってくれる。おかげで平日にコンビニ弁当を買うことはなくなった。 体調はいいし、仕事も順調だ。残業しなくなった分、夜の時間が増えた。ぼんやりテレビを見ていると、一か月前までの自分が嘘みたいだった。終電で帰って、コンビニ飯を流し込んで、散らかった部屋で寝落ちしていたあのころが。 すべて理人のおかげだと、わかっている。わかっているのに、それが当たり前になりつつあることにも気づいている。 水曜日の午後三時。モニター
理人に管理されるようになって二週間。変わったのは、食事だけじゃなかった。 肌の調子がいい。寝不足のくまが薄くなった。午後に襲ってくる眠気もない。理人に言われた通り、昼は野菜から食べるようにした。すると食後に頭がぼんやりしなくなった。血糖値の上がり方が違うのかもしれない。 おかげで仕事も順調だった。残業はこのところしていないし、ミスもない。以前の自分が嘘みたいだ。 そんな調子のいい日に限って、問題が起きる。◆「夏目」 モニターに集中していると、横から声をかけられた。顔を上げると、久我恒星が立っ