All Chapters of 義母の死で発覚した夫の隠し家庭: Chapter 1 - Chapter 9

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第1話

たった一人で義母の高森桂子(たかもり けいこ)の介護に明け暮れた七年間だった。お義母さんが息を引き取ってようやく、私、夏目晴音(なつめ はるね)は久しぶりに夫の高森瑛人(たかもり えいと)と顔を合わせた。葬儀を終え、自分と娘の高森心音(たかもり ここね)の荷物をまとめ、瑛人と一緒に都心へ移り住む準備をしていた時のことだ。思いがけず一人の女が私の前に現れ、一枚の婚姻届の受理証明書の写しと、数枚のウェディングフォトを投げつけた。女は傲慢な態度で言い放った。「私は紅林千夜(くればやし ちよ)。瑛人の正妻よ。お義母さんが死んで、あなたの役目はもう終わったの。二度と私の夫に連絡しないで」私は呆然と立ち尽くし、全身の震えが止まらなかった。祭壇に飾られたお義母さんの遺影の笑顔が、私の愚かさを嘲笑っているように見える。……床に散らばったウェディングフォトの光景が、私の胸を鋭くえぐった。震える両手でウェディングフォトを拾い上げると、そこには瑛人と千夜が穏やかに、幸せそうに微笑む姿が写っていた。荒れた指先で婚姻届の受理証明書の写しをなぞると、そこに押された無機質な役所の公印が、残酷な現実として突きつけられていた。私はふとあることを思い出し、戸棚へ駆け寄って、大切に保管していた自分と瑛人の「婚姻届の控え」を取り出した。そこには役所の公印はなく、代わりに子供騙しのような、いびつな赤いスタンプが押されているだけだった。私はこれまで何度も、この紙切れを撫でてきた。田舎に残り、認知症で寝たきりの義母に明けても暮れても振り回されていた私にとって、それはたった一つの心の支えだった。そして、決して折れることなく娘を産み、たった一人で育てる勇気の源でもあった。しかし今、目の前の女は、これらすべてが偽物だと告げている。私は口を開き、反論しようとした。だが喉の奥が詰まったようになり、途切れ途切れに声を絞り出す。「でも瑛人は私と結婚したはず……私たちには心音もいるのに。瑛人が私を騙すなんて……」千夜は書類とウェディングフォトを取り返し、顔色ひとつ変えなかった。「瑛人が本当のことを言うわけないでしょ。真実を知ったら、あなたが寝たきりの母親なんて放り出すに決まってるもの。よく見なさい。私と瑛人は五年前に結婚しているの。息子
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第2話

――隠し子。その一言が、刃物のように心に突き刺さった。もう感情を抑えきれなかった。立ち去ろうとする千夜の背中に向けて、声の限りに叫んだ。「心音は隠し子なんかじゃない!私と瑛人の子供よ!心音が生まれた日、あなたと瑛人はまだ――」言葉が途切れた。千夜が突きつけてきたあの受理証明書の写しに記された日付を、はっきりと覚えていたからだ。まさに、心音が生まれたあの日だった。大雨の降る昼間のことを、今でも鮮明に覚えている。お義母さんに昼食を食べさせた後、大きなお腹を抱えながら皿を洗っていた。破水した瞬間、真っ先に瑛人に電話をかけた。何度かけても繋がらない。外へ出て、隣人の長谷川恵美(はせがわ えみ)にお義母さんの世話を頼み込んだ。恵美の夫、長谷川茂平(はせがわ もへい)が三輪トラックを出して、村の診療所まで送ってくれた。分娩台の上で、体が引き裂かれるような痛みに耐えた。瑛人への電話は、まるで呪いでもかけられたかのように繋がらず、丸一日かけ続けて、ようやく通じた。気遣いの言葉も、喜びの声もない。返ってきたのは、頭ごなしの怒声だった。「俺がどれだけ忙しいか分かってるのか。人生がかかった大事な時なんだぞ。何度も何度も電話してきて、俺の人生をぶち壊す気か」電話を握る手が小刻みに震え、喉まで出かかった言葉は、悔しさの嗚咽に変わった。しばらく経って、一言だけ口にした。「3000グラムちょっとの女の子。名前は私がつけたの、心音って」通話が切れた後、四万円の送金通知が届いた。【最近忙しすぎて帰れない。自分で何かいいもの買って、体を労ってくれ】心音はもう五歳になっている。小さな腕で私を抱きしめ、やさしく揺すってくれた。その温もりで、我に返った。「ママ、私たち都心に行って、パパと一緒に暮らせるの?」心音の言葉に、私の心が完全に崩れた。パパと暮らすこと。娘がずっと夢見てきたことだ。それがもう、永遠に叶わないのかもしれない。翌日の午後四時、再び瑛人と顔を合わせた。私の表情があまりにも絶望に満ちていたのだろう。瑛人はため息をつき、私の手を取った。「晴音、もう全部知ってるんだろ。この件は俺が悪かった。でも千夜と結婚したのも、結婚しなければ仕事を失わせると脅されたからなんだ」「あ
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第3話

それから心音は瑛人の前に歩み寄り、小さな両手でその脚を力いっぱい押して、追い払おうとした。「心音にはわかってるよ。パパは私とママがいらないんでしょ。パパは悪い人。あっち行って。私とママはパパの顔なんか見たくない」瑛人は娘を見下ろし、一瞬だけ痛ましげな表情を浮かべた。しかしすぐに、決然と二歩後ずさる。そして、一枚の書類を私に差し出した。「俺は今あるものを全部捨てるわけにはいかない。すまない、お前たちを裏切ったのは俺だ……この家はお前たちに残す。せめてもの償いだと思ってくれ。この合意書にはもうサインしてある。金もすぐ振り込まれるはずだ」最後の一縷の望みが砕け散った。この男は結局、自分の利益を選んだのだ。……瑛人は確かに口座へお金を振り込んできた。残高に並ぶ冷たい数字を見つめる。ただ、滑稽だった。たったの二百万円。これで七年の献身と、娘との親子の絆を買い取ったつもりらしい。もうあの家には住みたくない。心音の将来を考えれば、なおさらだ。この二百万円を頭金にして、街でささやかな部屋を買おう。せめて心音をまともな学校に通わせてやりたい。だが、引っ越しを明日に控えた日のことだった。たった一人の弟、夏目陽真(なつめ はるま)から電話がかかってきた。彼は高校を出てすぐ遠方の仕事場へ飛び込み、盆も正月も満足に帰れないほど懸命に働いている。めったに会えないけれど、私にとってはいつまでも手のかかる、大切な自慢の弟だ。「姉ちゃん、本当にどうしようもなくて電話したんだ。俺、病気になっちゃって、治療費がいるんだ。義兄さんに頼んで少し貸してもらえないかな……」その言葉が鉛のハンマーのように胸を打ち、目の前が暗くなった。両親は早くに亡くなり、三つ下の陽真とは幼い頃から寄り添って生きてきた。学歴がないから、大した稼ぎはない。それでも時々お金を送ってくれたり、心音にお菓子やおもちゃを届けてくれたりしていた。その弟が病に倒れたのに、見捨てられるわけがない。「慌てないで。今すぐ行くから。お金のことは心配しなくていいの。姉ちゃんが持ってるから」電話を切り、画面に映る二百万の数字を見つめた。複雑な思いが胸を渦巻く。これは私と心音の、新しい暮らしの基盤となるはずのお金だ。それが今、弟の命綱に
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第4話

「弟が重い病気で、すぐに治療費がいるのよ。こんな時に四百万返せなんて……」電話の向こうで少しの沈黙があり、やがて瑛人の冷淡な声が返ってきた。「俺にもどうしようもない。あれはもともと俺と千夜の共有財産なんだ。どうしても無理なら、千夜に頭を下げてみろよ。あいつは金に困ってない。お前を訴えたのも、ただの腹いせなんだから」反抗する力など、もう残っていなかった。尊厳なんて、弟の命の前では何の意味もない。……私は千夜の暮らす立派な邸宅の門前に立った。案内に出た家政婦が上から下まで値踏みする目は、まるで物乞いでも見るようだった。邸宅の中では、千夜がパックを外したばかりの肌を丁寧にマッサージしていた。私を見ると口元に嘲りを含みながら、わざとらしく驚いた表情を作ってみせた。「あなたが来るなんて。つまり……」私は深く頭を下げた。喉はカラカラに渇ききって、声を出すたびに刃物で削られるように痛んだ。「お願いです、見逃してください。あのお金は娘の養育費なんです。それに弟も重い病気で治療費が必要で、あのお金がなければ……」千夜が眉を吊り上げる。「誠意が足りないわね。口先だけなら何とでも言えるわ。訴えを取り下げてほしいなら、そこに跪いて自分の頬を叩きながら謝りなさい。動画も撮らせてもらうから。私が満足したら、考えてあげてもいいわよ」私は、傍らで黙り込んでいる瑛人に目を向けた。瑛人はただ顔を背けるだけだった。私は目を閉じた。冷たい床に膝を打ちつけ、鈍い音が響く。千夜はスマホを構えて録画を始め、満足げな笑みで合図した。私は手を振り上げ、自分の頬を思い切り叩きつけた。一発、また一発。乾いた音が室内に響く。頬が見る見る熱を帯び、ひりひりと燃えるように痛んだ。「……これで、いいですか」顔を上げて、二人を見た。千夜は名残惜しそうにスマホをしまったが、掌を返すように冷酷に言い放った。「謝罪は受け取ったわ。でもお金は返してもらうからね。『考える』とは言ったけど、返さなくていいなんて一言も言ってないわよ」膝の鋭い痛みと頬の灼けるような感覚が、たった今の屈辱をまざまざと突きつけてくる。精神が崩壊する寸前で、私の携帯が鳴った。陽真に何かあったのかと思い、すぐに出る。聞き覚えのない男の声だった。
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第5話

私はスマホを握る手が震え、自分の耳が信じられなかった。瑛人に至っては顔色を一変させ、私の手首を掴んで声を荒らげた。「晴音、母さんがなんで金塊なんか持ってるんだ?なぜ全部お前に?」千夜もソファから勢いよく立ち上がった。整った顔に驚きと疑念が浮かび、先ほどまでの嘲笑も余裕も跡形もなくなっている。瑛人の動揺に比べ、千夜の感情はもっと露骨だった。私が得をすること自体が、ただ許せないのだ。「どうせ詐欺でしょ。あなたの母親は一生田舎暮らしで七年も寝たきりだったのに、金塊なんてあるわけないじゃない」私は瑛人の手を力強く振り払った。一歩後ずさり、目の色を変えて食いついてくる二人の姿を見て、底知れない皮肉を感じた。私と心音をゴミのように捨てておきながら、「金塊」の二文字を聞いた途端、居ても立ってもいられなくなるというのか。「詐欺かどうかは、あなたたちが口出しすることじゃないわ」私は冷たく言い放ち、背を向けて屋敷を出た。背を向けた私の後ろで、瑛人と千夜が顔を見合わせ、慌てて追いかけてくる気配がした。弁護士事務所へ向かう道すがら、私の頭の中は、倒れる前のお義母さんの姿でいっぱいだった。口数の少ない人だったが、人当たりは穏やかで、たまに若い頃の話を聞かせてくれた。実家はかつての名家だったが、没落してこの田舎に嫁ぐことになったのだと語っていた。当時はただの年寄りの昔話だと思い、気に留めていなかったのだ。今思えば、あの金塊は実家から受け継いだものだったのかもしれない。指定された弁護士事務所に着くと、大河内弁護士はすでに応接室で待っていた。私たち三人が揃って現れても、大河内弁護士は少しも驚いた様子を見せず、ただ礼儀正しく立ち上がり、私と握手を交わした。「夏目さん、どうぞお座りください」瑛人が待ちきれずに口を挟んだ。「あんたが電話してきた弁護士か。母さんが金塊を二箱も晴音に残しただと?ありえない。母さんにそんな財力はなかったはずだ」大河内弁護士は眼鏡を押し上げ、クリアファイルから書類を取り出して机の上に置いた。「高森さん、事実かどうかは、こちらをご覧になれば分かります。これは桂子さんが五年前に作成された公正証書遺言です。正式な手続きを経ており、ご自身の全財産を夏目晴音さんが単独で相続すると明記されて
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第6話

「瑛人、母さんを恨むんじゃないよ。晴音には、本当に苦労ばかりかけてしまったね。あんたのお嫁さんにきてからも、一日たりとも心休まる日がなかったはずなのに、それでも文句ひとつ言わずに私を介護してくれたのよ」大西夫婦のその言葉に、瑛人はその場に立ち尽くし、一言も発せなかった。千夜の顔色はさらに険しくなり、目の奥で悔しさと嫉妬が渦を巻いている。私は遺言書のお義母さんの署名をじっと見つめ、こらえきれず涙を流した。この七年の苦労を、お義母さんはずっと見ていてくれたのだ。心に刻んでくれていたのだ。お義母さんは自分なりのやり方で、私にこの上なく確かな拠り所を遺してくれた。……大河内弁護士が小さな真鍮の鍵を差し出した。「金塊の二箱は、桂子さんが寝たきりだったお部屋の、寝台の下の隠し戸棚に隠されています。これがその南京錠を開ける鍵です。いつでも取りに行っていただいて構いません」私は鍵を強く握りしめた。胸の中で、あらゆる感情がせめぎ合う。この小さな鍵が開くのは、財産の扉だけではない。未来への希望の扉でもあるのだ。今すぐ取りに行きたいと言うと、大河内弁護士も証人として同行することになった。噂はすでに村中に広まっていた。大勢の村人が庭の外に集まり、興味津々に中を覗き込んでいる。誠太さんが村の力自慢を何人か集め、私たちが暮らしていた古い家へ向かい、部屋の床板を剥がし始めた。瑛人と千夜は傍らに立ち、その作業から目を離そうとしない。お義母さんが倒れてからずっと寝かせていた場所だ。畳を上げ、分厚い床板を外していくと、床下に真っ暗な隠し穴のような空間が広がっていた。男の一人が声を上げ、手を突っ込んで、ずっしりと重い木箱を二つ引きずり出した。木箱には古びた南京錠がかかっている。大河内弁護士から預かった真鍮の鍵を差し込み、軽く回した。カチャリ、と開いた。村人たちが息を呑む。全員が首を伸ばして中を覗き込もうとした。瑛人と千夜も近づいてくる。その目に、隠しきれない欲が光っていた。深く息を吸い、蓋を開けた。眩い黄金の輝きが、箱の中からあふれ出した。整然と並んだ金塊が、ずっしりとした重みと鈍い金属光沢を放っている。「本物だ、金塊だ!」「こんなに……いったいいくらになるんだ」「晴音、ようやく報われたな!」
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第7話

私の毅然とした態度と、非難の目を向ける周囲の村人たちに圧され、瑛人はようやく手を下ろした。私を鋭く睨みつけ、千夜の腕を掴んで背を向ける。二人が去ると、村人たちも三々五々散っていった。帰り際には口々に「おめでとう」と声をかけてくれる。誠太さんと芳奈子さんが残って、金塊を箱に詰め直すのを手伝ってくれた。「晴音、これは相当な額になるよ。しっかり保管するんだ。今は相場がいいけど、一度に全部売るんじゃなくて、いくらかは手元に残しておきなさい。将来、心音ちゃんのための蓄えにしたっていいんだから」私は頷いた。芳奈子さんの言う通りだと思った。弟がまだ病院で治療費を待っている。一部はすぐに現金にしなければならない。残りはとっておいて、心音との将来の備えにしよう。箱から金塊を一本取り出し、誠太さんと芳奈子さんに差し出した。「誠太さん、芳奈子さん。この何年間、私と心音をずっと気にかけてくれて、証言までしてくれて。これはほんの気持ちです。受け取ってください」二人は慌てて手を振った。「こんなもの受け取れないよ。桂子さんがあんたに残してくれた大事なものじゃないか」それでも私は芳奈子さんの手に金塊を握らせた。「お二人がいなかったら、私はこの遺産を受け取れませんでした。受け取ってもらわないと困ります」根負けした二人は、何度もお礼を言いながら帰っていった。すぐに正規の貴金属買取店に連絡を取り、数本の金塊を持ち込んだ。計量と鑑定の結果、合計で千六百万円を超える値がついた。陽真の入院費と手術費を、全額支払うことができた。医師によれば、手術が成功すれば健康な人と変わらない生活を送れるようになるという。弟の安堵した笑顔を見て、張り詰めていたものがようやく解けた。残りの金塊は慎重にまとめ、銀行の貸金庫に預けた。この瞬間、七年間の苦しみがすべて報われたのだと、心の底から感じた。弟の命を救えた。そして心音に、安定した未来を与えられる。……陽真の治療を手配し終え、病院の近くのホテルに泊まった。心音はすでにぐっすり眠っている。小さな顔に、あどけない笑みが浮かんでいた。ベッドの傍らに座り、その寝顔を見つめていると、力が湧いてくる。だが、まだ終わっていない。瑛人の結婚詐欺への怒り。千夜から受けた屈辱。こ
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第8話

悪意に満ちたコメントの数々に、私は全身が震えた。遺産を手に入れるためなら、嘘をでっちあげて私の名誉を踏みにじるのか。心音が駆け寄ってきて、私の手をそっと引っ張った。「ママ、怒ってる?ママが怒ってるとき、いつも眉がきゅっとなるもん」私は心音を抱き寄せ、笑ってみせた。「大丈夫よ。ママは怒ってないの。安心して。ママがいれば、なんだって乗り越えられるからね」すぐに大河内弁護士へ電話をかけ、状況を伝えた。話を聞き終えた大河内弁護士は、落ち着いた声で答えた。「焦る必要はありません。こうした行動は遺産を取り戻すどころか、彼自身の法的責任を重くするだけです。あとはわたくしにお任せください」間もなく、大河内弁護士は私の代理人としてネット上に声明を発表した。偽造された私たちの婚姻届の控えと、千夜の本物の婚姻届の受理証明書を並べて公開した。お義母さんの遺言書、村人たちの証言など、一連の証拠を添えて、事の経緯を詳細に説明してくれた。ネットの空気は一瞬で反転した。【結婚詐欺だったのは高森の方じゃないか。最低だな】【晴音さんが気の毒すぎる。七年も介護して、この仕打ちか】【紅林も同罪だろ。子供がいるのを知ってて結婚するなんて。略奪したのはそっちの方だ】【晴音さんを応援する。高森と紅林に報いを受けさせろ!】世論は完全に私の味方となり、瑛人と千夜はネット上で袋叩きに遭った。瑛人たちの個人情報まで掘り起こされ、際限のない非難が殺到する。コメントの流れを見つめていると、胸の重しが少しだけ軽くなった。因果応報は、遅れることがあっても、必ず巡ってくる。……ネット上の騒動は収まるどころか、激しさを増した。瑛人と千夜の日常は崩壊していった。瑛人の勤め先は世論の圧力に耐えきれず、瑛人を停職にして自宅待機を命じた。千夜の実家もこの件で体面を失い、親族からも近所からも後ろ指を指される始末だった。追い詰められた千夜が、私を訪ねてきた。語気から、かつての傲慢さは消えていた。にじんでいるのは疲労と妥協の色だ。「夏目さん、話し合いましょう。瑛人のことは、あの人があなたに悪かったわ。私は訴えを取り下げる。四百万の返還も求めない。瑛人を説得して、心音ちゃんの養育費を払わせるようにしてもいい。ただし条件がある。瑛
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第9話

不当な財産移転には当たらないという認定を受け、千夜の請求は完全に棄却された。一連の騒動で名声を地に落とした千夜は、もはやこの街にはいられなくなった。すぐに瑛人との離婚手続きを済ませ、息子を連れて姿を消した。そして私は――ようやく、瑛人と千夜の呪縛から完全に解き放たれたのだ。私だけの、新しい人生が始まった。瑛人が服役した後も、私が立ち止まることはなかった。金塊を換金した資金で街に広いマンションを買い、弟を呼び寄せて一緒に暮らし始めた。陽真の病状は治療が進むにつれ快方に向かい、やがて完全に回復した。大河内弁護士に依頼して、新たな訴訟も起こした。瑛人に対し、お義母さんを七年間介護した対価と、心音の養育費の支払いを求めたのだ。裁判所は審理の結果、私の訴えを全面的に認めた。七年間の介護に対する正当な報酬の支払いを命じ、加えて心音が十八歳になるまで毎月六万円の養育費を支払うよう判決を下した。判決書を受け取った瞬間、万感の思いが胸に押し寄せた。これは単なるお金の問題ではない。七年間ひたすら尽くしてきたことへの、正式な認定と尊重だった。それからの日々は、穏やかに流れた。無理のない仕事を見つけ、働きながら心音を育てている。心音も新しい暮らしにすっかり馴染み、街で一番環境の良い学校に入学した。性格はどんどん明るくなり、よく笑うようになった。パパの話はもうしない。ただ時々、おばあちゃんのことを尋ねてくる。私はいつもこう答えた。「おばあちゃんはとても優しい人で、お空の上からずっと私たちを見守ってくれているのよ」休みの日は心音と陽真を連れて公園を散歩したり、郊外へ出かけた。健康を取り戻した弟の笑顔と、はしゃぐ心音の後ろ姿を眺めていると、すべての苦労が報われたように感じる。誠太さんと芳奈子さんも度々訪ねてきては、田舎の旬の野菜を届けてくれた。二人はいつもこう言ってくれる。「今の暮らしは、晴音ちゃんが今まで頑張ってきた当然のご褒美だよ。いい人には、ちゃんといいことが返ってくるんだからね」と。一年後、瑛人が出所した。すっかりやつれ果て、かつての意気揚々とした面影はない。何度か連絡を寄越し、心音の親権を取り戻したい、あるいは金塊の一部を分けてほしいと求めてきたが、私はすべて拒絶した。「瑛人、私たち
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