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All Chapters of 御神先生の秘蔵っ子: Chapter 21 - Chapter 30

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21話 雨だれ

 新緑の息吹感じさせる匂いが、爽やかな風通り抜け香っていたのが、気づけばショパンと紫陽花のかほりに変わっていた。 曇天続く中、珍しく今日は青空に黄色い太陽が笑っていた。「桜井、バイオリン持った? 貴志、何時の飛行機って?」「大丈夫です~~17時半に空港到着予定とは言ってましたが……直接会場に行くって」「一応、天野先生にスタンバイはお願いしておくから。大丈夫きっと間に合うから!」「天野先生もピアノ科の子達の面倒で申し訳ないです……」 早いもので「夜宴」も今日でついに最終日を迎えていた。 みんな凄い演奏で驚いた! と言うのが正直な感想だ。 リハーサルなどで何度か他の人の演奏を耳にする機会はあったが、本番は練習と違って、あまりに出来映えの良さに圧倒された。 よく「舞台には魔物が棲んでいる」と言われるが、その魔物が女神になってくれるように私は祈った。「大丈夫。もしもの時は最悪俺が伴奏者務めるから、だから今は自分のことだけに集中してね?」 高科先生…… お父さんがいたら? こんな感じなんだろうか? お母さんがいたら? 三歳の時に母が亡くなった。でも私には母と一緒に過ごした記憶が殆どない。 病院へ祖母に連れて行かれても、看護師さんと外で遊んでいた記憶しか…… そしてある日突然、祖母と住んでいた家に黒い服を着た人達がたくさん来た。 みんな私を見て、泣きながらお菓子を沢山くれた。「可哀相にねぇ」「どうするんだろうね可哀相」 その時、聞こえた「可哀相」って言葉の意味は、当時の私には理解出来なかったが「可哀相」が「楽しい」ことをさす言葉ではない。と言うことだけは分かっていた。 今の私は「可哀相な子」ではなく「世界一幸せな子」になったと思っている。 神によって、こんなにも素晴らしい音楽を奏でる機会を与えて頂き、そしてこんなにも素晴らしい仲間に出会えた。「先生。見ててくださいね」 曲に合わせて今日は花のピアスを用意したが、先生に貰った金のピアスに手を添えた。 片側だけ二個目の穴をあの後、開けた。 舞台に立つ際の私の大事なお守り。「桜井さん、先に髪だけやって良い? 会場だとバタバタするから。化粧はどうする?」「すいません、ご迷惑をお掛けします」「あ、恭子さんメークは私達が手伝いますよ? 15時から桜井さんもメーク室に来てくれたら?」
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22話 花のワルツ(1)

──何か自分じゃないみたい…… 化粧したの初めてかも。 アカデミーの先輩達の手によって魔法がかけられた。 魔法によって今宵私は金平糖の精になる。「香織、ピンクの口紅と赤どっちが良いかな?」「どうだろ、でも衣装ピンクよねぇ。頬ピンク使うから少し赤混ぜるか」「すいません……有り難うございます」 何かみんな凄いわねぇ。私も化粧とか勉強した方がいいかしら。 ──服を買ったり化粧品買ったり、お洒落も楽しみなさい。 先生の言葉を思い出す。 先生何て言うだろう。 鏡に映っている自分の姿を見る。 魔法使いのお姉さん達に、別人のようにして貰った自分を見て、少し恥ずかしい気持ちと、先生に早く見て貰いたい気持ちで複雑だった。 部屋にある掛け時計を見る。 16時半。 今どの辺かなぁ。ちゃんと飛行機、無事到着するかなぁ?「出来たわよ。良い感じに仕上がってるんじゃない? あ、口紅落ちたら一応これ持ってて、もう残り少ないからあげる。18時までには衣装に着替えてね」「え? 本当に良いのですか? 本当に何から何まで有り難う御座いました!」 みんなで作り上げる舞台。こういうの初めてだから何か良いな。 来年も出れたらいいな…… ◇「高科先生~~どうですか?」「お! 良い! これは貴志もきっと惚れ直すよ? あ、時間来たら込むから着替えておいでそのまま。はい衣装」「はい。有り難う御座います」 うわ……これ 恥ずかしい…… 足見えるし…… 可愛い。うん衣装はね。 うん衣装は凄く可愛い。 先生が選んだだけあって、凄い豪華。キラキラしている。 うん。衣装だけは可愛い。 リボンでか! これ、私で大丈夫なんだろうか…… 鏡に映る姿を確認する。 首から下はまさに先日バレエ公演でみた「クララ」の姿だった。 お菓子の国か…… 金平糖の精…… ヤバい顔が引きつる 笑顔よね。 うん…… 考るのやめよう。 私はクララ! そうクララさん! あれ? 金平糖の精? まあどっちも同じか? ◇「失礼しま、ぁすぅ」 そぉっとドアを音をさせないように開けながら、隙間から覗き込む。「良い! 最高! 可愛い!」「良いんじゃない? 化けたねぇ」「ひどぉおおい! 天野先生。やっぱり高科先生優しい! 大好き~~」 ニヤニヤしてこっちを見る二人の恩師の顔を
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23話 花のワルツ(2)

──ダメだ。ドキドキしてきた。先生の顔を見たら。「お前、失礼だな。人の顔見てしかめっ面するなよ」 しかめっ面って……「ひどおおぉおい~~」「その顔だ。馬鹿」「馬鹿って言わないで下さいってえぇ」「楽しいことだけを考えて弾けばいいよ。後は俺に任せなさい」 先生が優しく微笑む。 何それ反則です。そんな優しい瞳で見られたら……「観客が嫉妬するぐらい甘えて良いぞ。今夜だけな?」「ええーー今夜だけって。ずるいですぅ」「先生?」 何となく今、先生が遠くを見ているような? 気のせいかしら? 何処かに消えちゃいそうな感じがして思わず声を掛けた。「いや何でもない」 ? 一瞬見せた、さっきの顔。 何かちょっとだけ気になる顔だった。 ような?「さて、そろそろ姫、参りますか?」 先生が私に手を差し出した。 嘘…… 世界の御神 貴志が、いくら御神グループ所有のホールで開催といえど、学内コンサートに近い公演に、しかも伴奏で…… 急遽出演だけでも凄いのに、その神にエスコートしてもらって登場って……「Shall we dance?」(一緒に踊りませんか?) 王子様が差し出した手に、自分の手を重ねる。『作品番号71 チャイコフスキー作曲 くるみ割り人形より「花のワルツ」御神音楽学校 桜井 花音 伴奏 御神 貴志』 会場が一瞬ざわついたが、先生が舞台の真ん中までやって来て、軽く観客に向かって会釈をした瞬間に、全員が息を飲むかのように、静まり返った。 これが世界の頂点に立つ男。 全員をたった数秒で引き込んだ。 そして私に軽く会釈をし、ピアノに向かう。 最初のイントロ部分。本来はハープの演奏で始まる夢の世界への幕開け。 バイオリンを構え、私の金平糖の精の踊りが始まる。 先生の心地良い音に誘われるように回り、跳ね、手を広げ踊る。 私はあの日見たクララ姫。 お菓子の国に招待され、金平糖の精達に誘われ中央に出る。 王子様が差し出す手を取り。 その時だった。 なんと先生が、ピアノを弾きながら私に「おいで」と軽くジェスチャーした。 え? 先生の顔は、まさに王子様そのものだった。王子の誘いに、クララは一緒に踊る。 先生がピアノの椅子の端によった。「座れ」 小さな声で言う先生に少し驚いたが、王子様に誘われるがまま頷く。「ラスト、テ
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24話 夢の国(1)

──静寂が高揚へと変わる時、それは歓喜の渦が花開き、いずれ興奮へと転化する。 空間が揺れていた── 演者と観客の境界線が無くなり、部屋にいた者全員が共鳴し合い、互いの繋がりを確かなものとした瞬間だった。 鳴り止まない拍手と、喝采に部屋にいた全員が涙した。「本日は遅くまでありがとうございました。ここにいる未来の女神達と、日々彼らを支えて下さった皆様に感謝します」 御神 貴志が中央でマイクを持ち、観客と、私達全員に頭を下げた。 その瞬間、再び空気が震撼し割れんばかりの拍手となった。 そして静かに幕が下りた。「用意出来たら裏口で」 去り際に小さな声で囁き先生が去って行った。 ◇ 高科先生やアカデミーの先輩達に挨拶をし、急ぎ着替えを終え指定場所に走って行く。『今着きました』 暫く待っていたら、聞き慣れない車のエンジン音と共に、先生の声がする。「お疲れさん」 ドアを開けて座った瞬間だった。 全く表情変えることなく、先生の手が私の手の上に重なった。 そして、その手は重なるだけで指を絡められることはなかった。「何処行きたい? 明日」「何時の飛行機ですか?」「1日空けるって言ったろ」「え?」 え? 夜もずっと一緒に? 嘘! 嬉しいけど…… でも、やっぱり先生がいい。「泊まりは無しな」 ……先に言われてしまった。「ちゃんと卒業してからな」 それって?「絶対ですよ? 約束ですからね?」「お前それ普通、逆だろ。俺が振られるかもだしな。その頃になったら」 先生が楽しそうに笑った。 その顔が、ちょっと悔しくて。 いつまでもずっと子供扱いされていることに。「絶対ありえません! 先生以外絶対無いです! 先生が良いです! 初めては絶対先生が良いです!」「阿保。その後は浮気する気か?」「そんなわけないじゃないですか! ずっと先生だけです! 一生先生だけです!」「はいはい。で、何処行くんだよ?」 行きたいところ。 先生となら何処でも嬉しい。 でも…… 一回、行ってみたい所があった。 ずっと羨ましく思っていた場所。 夏休み明けなどに、家族旅行の話を周りから聞かされ、ずっと憧れていた場所。 でも……流石に先生とは。「ん?」「ずっと憧れていた場所なんですけど……」「何処だ?」 言っちゃう? 断られるのは分かっ
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25話 夢の国(2)

電話が終了した感じだった為、少しづつ様子を伺いながら近づいて行く。 ゆっくり、そぅっと音を立てないように気をつけながら。 先生? やはり怒ってる? 大丈夫かしら?「先生?」 一応ドアの外から声を掛けてみた。「早いな? 乗れ」「おはよう御座います。何かあったんですか? トラブルとか?」 先生の仕事のことに関しては、普段は私からは聞かないようにはしているつもりだが、先程の先生の怖い顔が気になってつい聞いてしまった。「いや。朝飯食ったのか?」 普段と同じ先生の顔に戻ったので安心した。「あまりにも嬉しくて色々考えていたら。すいません……」「手の掛かる子だな相変わらず」「すいません……」 心配していた顔は、今は笑っていた。 良かった……「先生って大人っぽい服と、可愛い感じとどっちが好きなんですか?」「下着だけか、何も着ていないか」「ぇ?」「脱がす時、楽だから」「……」「阿呆、冗談だ。似合ってる」 先生が私の頭を軽く撫でて笑った顔がとても優しくて、ずっと見ていたくなる。「今のお前にチャイナドレス着ろって言ってもなぁ」「やっぱりそういうのが好きなんですか?」「嫌いな男がいたら、そいつ一回医者に診て貰うことを勧めるわ」「やっぱりそうなんだ……」 なんとなく、自分の胸元に無意識に視線が下りていた。 チャイナドレスか……「お前に一番似合うと思うものを、毎回送っているはずだけどな?」「そうだったんですか?」 顔色一つ変えることなく、淡々と言う先生に少しだけ悔しい? 気持ちと複雑な気持ちが入り交じる。 無意識に再度自分の胸元に視線を移していた。 ◇ そんな中、驚愕の光景が目の前に現れたのだった。 え? もしかして? 此処って…… 画像でしか見たことがなかった「夢の国」が近づく中、ピンク色の建物の中に、ごく普通に何事もなかったかのような顔で、運転しながら入って行く先生の顔をまじまじと見るが、驚きのあまり足が震えていた。「先生ここって?」「どれが良いのかよく分からなかったから、取り敢えず適当に部屋に呼んで貰った」「え? へ、部屋に????」「専用の人が色々案内してくれるらしいぞ? 部屋で食事したいって言ったら、ねずみがサービスで来てくれるって」「ぇ? 今なんて仰いましたか? まさかとは思いますが?」 泊まりは
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26話 夢の国(3)

──それにしても何ですか? この王様ツアー。 皆様が並んでいらっしゃる中、違う通路が開かれ即座にアトラクションへと。 流石王子様!「せんせい。これ付けてくださいな?」「嫌です」「何でも言うこと聞いてくれるって言いませんでしたか?」「無理です」「泣いていいですか?」「勘弁してください」「じゃぁ写真だけ撮っても?」「……」 やったーーーーー! 世界で一枚しかない貴重過ぎる。 尊すぎるわこれ。 先生がお耳のカチューシャ付けた姿!!「笑ってください!」「この状況で笑えるかよ。早くしろよ」 これ以上は神がお怒りになってはいけないので、そろそろ止めておきましょう。 結局、私にと購入してくれた。「あ、先生! 来てきて!」「は? また食うのかよ?」 だって一回やって見たかったんだもん。チュロスを食べながら歩くって。しかも先生と一緒にですよ? こんなことあります? 先生と一緒に「夢の国」に来れるだけでも凄いことなのに。「キャーー見てみて先生! 可愛い!!」「花音さん。このペースだと夜まで持ちませんよ?」「あ! 今日って何時まで大丈夫なんですか?」 そうだ、浮かれてたけど肝心なことを聞いてなかった!「ロンドン行き最終便。閉園したら出るぞ。寮には無理だから由紀に頼んである。明日朝寮に送ってもらえ」「それって一旦戻ってもう一回先生、空港まで行くってことですよねえ?」「そりゃそうだろう?」「一人で帰れますよ? 私。電車だってあるし」 流石に夜ロンドンに向けて発つ人に一回実家まで私を送って帰り、その後直ぐにまた空港には、申し訳なくて。「阿呆。夜中に一人で帰らせれるはずがないだろ。フライト時間遅いから大丈夫だ」 先生。その顔は駄目です。そんな顔で見られたら抱きつきたくなります。「ん?」「……だめですか?」「卒業するまでは無理」 先生にとって私の存在って何なんだろう? 沢山いる中の生徒? ファンの一人? 保証人? だから養育者?「好きでいていいですか?」って問いに、短く答えてくれた「YES」の答え。 でも、それは私が好きでいるだけの話しで、そんなの勝手に何年も元々好きで憧れの存在だった。「好きでいること」を続けるのは許可が出たけれど、先生が私をどう思っているか? は、一度も聞いていない。 そんな怖いことを聞く勇
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27話 テンペスト

──覚めなければ良いのにと思った「夢」は無情にも覚め、気づけば既に想い人は機上の人となっていた。 現実に引き戻された私は、今日も急いで朝の支度に追われていた。 ただ今日はいつもと違い、一学期終業式で明日からは夏休みとなる。寮生の中には帰省し、夏休みを家族と共に過ごす者もいた。 でも私には「家族」はもういない。 そして帰るところもなければ、行くところもない。 唯一保護者と言える保証人はイギリスに行ってしまった。 夏服にいつの間にか変わっていた制服に身を包み寮を出る。 何故かいつもと違い「おはよう」と声を掛けても「おはよう」と返事は返っては来るが、何処か皆が余所余所しく感じる。「おはようございます!」「あ、お、おはよう」「お、おはよう」 皆、私の顔を見て視線を合わさず逃げるように去って行く。 何か私、嫌われることでも? 今まで受けた酷い意地悪? な感じではないのだけれど……「あ、職員室に行かないと! 天野先生に夏期講習の申し込み出してなかった!」 急いで職員室に走る。 ──ガラガラッ「失礼します。桜井です」「さ、桜井? ど、どうしたの?」 天野先生? 咄嗟に何か隠した? 御神って見えた気がしたような?「夏期講習の申し込みに今日の11時までだったので」「あ、ああ。そうだったね」「先生?」 不自然に笑った天野先生の雰囲気と、先程チラリと見えた「御神」の文字が気になり、天野先生に詰め寄る。「天野先生、何か隠しましたよねえ? 見せて下さいな?」「い、いや? な、何も?」 天野先生の不自然過ぎる笑顔が、余計に気になってしまう。「お、早いな? 終業式までまだ時間あるのに?」「高科先生! おはようございます!」「ん? 天野ちゃん? どうしたの?」 天野が桜井の後方で俺に必死でジェスチャーしている。その視線はデスクの上にある新聞を見ていた。 ──なるほどな。 桜井のこの表情からして、奴が何も言わずに去ったことを察した。 奴から託された「依頼」を受けた以上、俺から言わなければならない。「桜井、天野ちょっといい? 天野それ持って来て」 俺の決意を察した天野は無言で立ち上がり、職員室を静かに出た。 ◇  レッスン室に珍しく鍵を掛ける高科先生の行動に、これから始まろうとしている事に不安がよぎる。「天野、それを桜井に」
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28話 革命のエチュード

夏の眩しい陽が差し込む中、汗の音さえ響くのでは? と思うぐらい張り詰めた長い沈黙が続く中、天野は押し寄せる不安のあまり、ついに言葉を発した。「大丈夫ですよね? 桜井」 大丈夫だ。の言葉が欲しくて、先輩の男に縋るような目で聞いた。「どうだろうねぇ。流石に今回はなぁ」 ──バシッ 貴志とは違って冷静で温和、あまり他人の行動に関わらない天野が初めて感情を露わにし、新聞を投げつけた。 その思いは、俺も天野と同じだった。 何故そこまでする必要が? それなら信じられる「何か」を与えてやってからでも良かったのでは? 腹立たしい気持ちと、奴なりの愛し方が悲恋過ぎて何とも言えない気持ちに高科はなっていた。「これからが、本当の正念場だ。天野くん頼んだよ?」「高科先生こそ、ちゃんと見張ってて下さいよ?」「高科先生……いや。何でもないです」「ん? 何だよ? 言えよ気持ち悪い。天野」 天野の表情が強張り、その瞼が小刻みに震えている。「大丈夫ですよね? 消えたり……あ、いや。何でもない」 天野が真夏でも半袖を着ない理由。 彼の手首にあった薄い傷跡。 幸い音楽の神様は彼から音楽を取り上げることはしなかった。 天野の言葉に俺は胸騒ぎがして、急いで教室を出る。「寮見てくる!」「講堂見てきます!」 ◇ あの場所で、あのままいることに息が出来なくなり逃げ出した。 気づけば行く当てもなく、何故か電車に飛び乗っていた。 きっとあそこにいれば、嫌でも連日目にする先生の名前と、その側に立つことを許された女性の名前。 その現実から私は逃げたかった。「何処だろう? ここ?」 ふと車窓から見える景色に、何故か私は笑っていた。「夢の時間を経験できただけで、私は幸せな子よね」 先生から貰った金のピアスを外す。 投げ捨てようと窓を開けるが、無情にも窓がほんのすこし下部だけしか開かなかった。「先生の馬鹿……」 止めどなく流れてくる涙を拭かなくても良い。 誰の目も気にすることなく泣ける自由に、私は感謝した。 車窓から飛び込んでくる景色の壮大さに、笑ってしまった。 どこまでも続く青空と、ずっと続く田園風景。 他に何もない。そしてその景色はまだ変わらない。 それでも鳥は生きていて、大空を誇らし気に舞っている。 人が勝手に創った「嫉妬」や「妬み」や「挫折
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29話 熱情

 今日も朝からおもちゃ箱の声や、キラキラ光るビー玉のような瞳達に私は囲まれて、その元気をもらっていた。「花音ちゃん。もう一回弾いてよ~」「花音ちゃん。キラキラ星弾いて~」「それさっきアンタ言ったでしょ」「ケンカしないでね? みんなで一緒に歌いましょう?」「キラキラひぃかぁる~」 子供達やご老人達の前でバイオリンを弾く機会に恵まれたことで、私は毎日を楽しく過ごせていた。 あの日、偶然見つけた喫茶店が運命の出会いだった。 着の身着のまま飛び出してしまった私は、お腹が空き良い匂いがする喫茶店に吸い込まれるように入っていた。 一日だけのつもりが、既にもう何日もご夫婦の好意に甘えてしまっている。 何も私に聞いてこないご夫婦に感謝の気持ちでいっぱいだ。 昼間は喫茶店の手伝いをしたり、こうしてお客様から紹介された保育園や老人ホームにボランティアでバイオリンを弾かせて貰っていた。「ちゃんと連絡しないと……」 あれだけお世話になってきた、学院の先生方を裏切るような形で黙って逃げ出したことへの後悔と、今は先生に繋がる人達と離れたい? いや、怖かった。 先生との約束を、くだらない私の嫉妬で放棄してしまったことへの後ろめたさで、謝りたい気持ちはあるけれど、今はまだ自信がなかった。 先生を忘れることに…… ◇『御神 貴志&マイヤー・グラスノー 仲良く会見に登場!』『御神 貴志・マイヤー・グラスノー ドイツ公演大成功! 鳴り止まない拍手と最多カーテンコール!』『御神 貴志に新恋人! お相手はグラスノーグループ総帥の孫娘 マイヤー・グラスノーか?』「何ですか? これ。こんな奴の為に僕たちは桜井を本気で育てたと思ったら悔しいです! 高科先生!」 職員室のデスクに無造作に置かれていた新聞や雑誌の記事を見ながら天野が顔を真っ赤にして怒る。「天野、ドイツ公演のマイヤーの演奏聴いたか?」「いえ? 聴く気にもなりませんよ! 御神先生も御神先生ですよ! 桜井の気持ちも考えず、さっさと乗りかえて。いくらスポンサーの孫とは言え金なら俺達だって!!」「向こうにいる後輩から送ってもらった音源だ。リハのだけど本番も大差なかったらしい。聴いてみろ一回」 俺は天野を連れて、レッスン室に向かう。 『パガニーニ作曲 カプリース24番』 御神 貴志が当時ドイツで初めてプロと
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30話 追憶

 田園風景が続く田舎町に、不釣り合いとも思える漆黒の大きな高級車が、小さな古ぼけた喫茶店前に静かに停車した。 中から黒いスーツを着た男性二人に囲まれるようにして、初老の男が車から降り立つ。「会長、足下にお気を付け下さい」 黒スーツの若い男が、手を差し出す。 舗装もしていない砂利と土の空き地に立った立派な身なりの男は、その手を払いのけた。「外で待っていろ」 初老の男は、一人で喫茶店のドアノブに手を掛け、中に入る。「いらっしゃいませ~~ どうぞ此方に」 恰幅の良い朗らかな女性が声を掛けてきた。「いや、此方でお世話になっている? 娘の家の者でして。この度は娘が大変迷惑を掛けていると聞きまして。本日はそのお詫びとお礼に参りました」 男の名は、御神 幸造。日本でも有数な大企業グループの総帥を務める男。 百貨店から鉄道、学校や音楽ホール以外にも数多くの事業を国内だけではなく海外にも展開している大企業のトップである男が、小さな田舎町にプライベートで訪れたこと自体も驚くべき行動だったが、それ以上に驚いたのは、この小さな喫茶店主の夫婦に深々と頭を下げたことだった。「つまらない物では御座いますが私の好物で、是非にと思いまして。して娘は何方に今?」「あ、花音ちゃんかい? 娘さんかい? 良い子だねえ。今日は老人ホームへボランティアに行っているよ」「そうでしたか。実は恥ずかしい話しで親子喧嘩でして。ご迷惑とは思いますが、もう少しだけ置いてやって頂けませんか? 必ずもう少ししたら迎えに来ると約束しますから。一応これが私の連絡先です」『Mikami-co.ltd. ceo. mikami kohzoh  御神グループ会長 御神 幸造』 花音の父親と聞き、厨房から店主の男も出てきていた。 娘を放置して連絡すらよこして来ない親がもし現れたら、殴ってやろうと思っていたからだ。 父と名乗った男の存在があまりにも大きすぎたことに、店主夫妻は驚いた。 渡された名刺の一番下に書かれていた名前。一度は耳にしたことがある有名企業の名前だった。「挨拶が遅れて大変申し訳ございませんでした。四方手を尽くしやっと此方様を探し当てた次第でして。その上厚かましいお願いで。もう暫くだけ此方に置いてやって頂けないでしょうか?」 男は再度、深々と二人に頭を下げた。「あ、頭を上げて下さい
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