私の名前は、夏川綾乃(なつかわ あやの)。ホワイトデーは、本来なら赤坂直哉(あかさか なおや)が私にプロポーズしてくれるはずの日だった。前の晩、直哉からメッセージが届いていた。【明日、サプライズを用意してる】それだけでも胸が高鳴ったのに、続けて届いた一文で、私はすっかり舞い上がってしまった。【綾乃と赤ちゃんを、ちゃんと家族として迎えたいんだ】私はスマホを握りしめたまま、しばらく頬が緩みっぱなしだった。わざわざゆったりした白いワンピースを選んだのも、妊娠五か月のお腹を少しでも目立たせないためだ。この日が、人生でいちばん幸せな一日になる。そう信じて疑わなかった。けれど、山に着いた私を待っていたのは、プロポーズではない。直哉の初恋の相手、園田結愛(そのだ ゆあ)が新しく始めるキャンプ場の、プレオープンだった。直哉の言うサプライズは、五か月のお腹を抱えた私を連れてきて、結愛のキャンプ場の宣伝役にすること。夕食の時間になると、結愛がきのこのスープを運んできた。その顔には、優しい笑みが浮かんでいる。「綾乃、地元の人にわざわざ聞いたの。これ、妊婦さんにもいいんだって」私はきのこが苦手だった。直哉は私の隣に座り、スープを一杯よそって私の前に置いた。「結愛が午後ずっと準備してたんだ。せっかくなんだから飲めよ」私は飲んだ。半分も飲まないうちに、胃の奥が焼けつくように熱くなっていく。トイレに駆け込んだ私は、喉の奥に血の味が広がるまで吐き続けた。やがて、顔中に赤い発疹まで浮かび始める。予定していた新作コスメの発表会は中止。ブランド側からは、代理人弁護士を通じて正式に抗議を受けた。マネージャーの香村美咲(こうむら みさき)は、怒りで声を震わせていた。「下処理もろくにしていない野生のきのこを妊婦に食べさせるなんて、下手したら命に関わるのよ!」美咲は、私のSNSで結愛のキャンプ場を名指しし、利用を控えるよう注意を呼びかけてくれた。その夜。病室のドアが、勢いよく開いた。直哉はベッド脇まで来るなり、スマホを私の布団の上へ投げつけた。私の具合も、お腹の子のことも、直哉はひと言も尋ねない。「綾乃、これで気が済んだか。結愛のキャンプ場、ネットで散々叩かれてる。もう営業どころじゃないんだぞ
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