All Chapters of 子どもは嘘をつかない: Chapter 1 - Chapter 9

9 Chapters

第1話

私、新村妙(にいむら たえ)の本当のお母さんが、紅葉(もみじ)おばさんを刃物で刺して刑務所に入れられた。その一件があってから、毎日午後三時になるとベッドの上でお父さんの泰成(たいせい)と「激しい寝技の練習」に熱を出していた紅葉おばさんが、私の新しいお母さんになった。親戚や近所の大人たちはみんな、口を揃えて彼女を「本当によくできた奥さんだ」「前妻の子供にもあれだけ愛情を注いですばらしい」と褒めちぎる。まるでテレビで特集でも組まれるような、誰もが涙する「理想の継母」だ。私も、ずっとそう信じて疑わなかった。だから、あの人が「窓からお空に向かって飛んでいけば、天国にいる本当のお母さんに会えるのよ」と私に教えてくれたとき。私はその言葉を信じて、あの人が産んだばかりの弟の湊斗(みなと)をしっかりと腕に抱きしめ、二人で一緒に窓から「天国」へと飛び立った――……それは週末の朝のことだったと記憶している。最近、紅葉おばさんは産後の体調不良で胃の調子が悪く、しきりに口の中が気持ち悪いとこぼしていた。だから私は朝早くから、おばさんのために商店街のパン屋へ塩レモンパンを買いに出かけることにした。いざ出かけようとした矢先、ベビーベッドの中で弟の湊斗が目を覚ました。あーあーと可愛らしい声を上げてぐずり始めたので、熟睡している大人の邪魔になってはいけないと思い、湊斗をそっと抱き上げて自分の部屋のベッドへ移した。時計の針は、ちょうど午前7時を指していたと思う。お目当てのパン屋は、うちのマンションの東口を出てすぐの場所にある。いつもなら週末の朝なんて閑散としているのに、その日に限って、マンションの入り口付近まで続くほどの大行列ができていた。ようやく私の番が回ってきたときには、ちょうどお目当てのパンが売り切れていて、次の焼き上がりまで30分も待たされる羽目になった。「週末の朝っぱらから、パン屋にそんな大行列ができていたって?」二人の警察官のうち、若い方の小林刑事が、いぶかしげに眉をひそめてこちらを見下ろした。私は当時の記憶を少しだけたぐり寄せ、静かに答えた。「お父さんが言っていたんです。マンションの隣にあった古い商業施設を取り壊す工事が始まって、最近は朝早くから大勢の作業員さんたちが集まってきているんだって。学校帰りにあの建物のそばで
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第2話

私の気持ちが少し落ち着いたのを見計らって、佐藤係長は手帳にペンを走らせてから、顔を上げてまっすぐ私を見た。「続けてくれるかな」私は紙コップの水を一口飲んでから、再びあの恐ろしい朝の記憶の蓋を開けた。「私、とっさに飛びかかって、後ろから紅葉おばさんにしがみついたんです」「時間は?」「え?」佐藤係長の眼光が鋭く光った。「そのとき、君が家にたどり着いたのは何時だったと記憶している?」「8時半、です」佐藤係長はうつむいて手帳に何かを書き込み、先を促した。「それで、湊斗を抱き寄せて、狂ったようにおばさんから引き離しました。……でも、怖かったんです。紅葉おばさんがものすごい力で襲いかかってきて、逃げ場がなくなって……気づいたら、窓枠のところに追い詰められていました。わからないんです。どうしてそのまま、窓の外へ落ちてしまったのか……」私は膝を抱え込むように体を丸め、両手で頭を抱え込んだ。無数の記憶の断片がフラッシュバックして、目の前を明滅する。鬼のような形相で狂乱し、私に向かって何かを叫び立てる紅葉おばさん。あーあーと無邪気に笑う湊斗の顔。そして最後。湊斗の小さな体が地面に激突したときの、あの鈍い音。――ドシャッ。その響きが脳内で爆発し、激しく頭の中をかき乱す。「お父さんが言っていたんです。紅葉おばさんは湊斗を産んでから精神的に不安定になっていて、産後うつなんだって。だから私、すっごく気をつけていたんです。湊斗の泣き声が、おばさんのストレスにならないように。あんなことなら、パンなんて買いに行かなきゃよかった。私がもっと早く家に帰っていれば、こんなことには……」止めどなく溢れる涙が頬を伝い、口の端に流れ込む。しょっぱくて苦い味が、口いっぱいに広がった。胸の奥に分厚い綿を詰め込まれたみたいに、息苦しくてたまらない。「私が……私が、湊斗を死なせちゃったんだ……あんなに、あんなに小さかったのに……私の指を握って、あうーって可愛く笑ってくれてたのに……」両手で覆った顔の指の隙間から、涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。「学校の先生が言ってました。警察の人は、悪い人を捕まえるんだって。ねえ、私は……私が悪い人だから、捕まっちゃうんですか?」泣きじゃくる私を、香織おばさんは痛ましそうに、ギュ
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第3話

私たち家族3人は揃って黒い喪服に身を包んでいた。紅葉おばさんは葬儀場のあちこちで床にへたり込み、すっかり声が枯れ果てるまで泣き叫んでいた。私はそばに行って慰めたかったけれど、紅葉おばさんは私を視界に入れただけで、今にも首を絞めかかってきそうなほど強い憎悪の目を向けてくる。仕方なく、私は部屋の隅に縮こまりながら、ただ黙って行き交う大人たちの姿をじっと見つめていることしかできなかった。今日は、随分と人が多くて賑やかだな――弔問に訪れるのは、見知った顔のおじさんやおばさんばかり。お父さんと紅葉おばさんの結婚式に参列して、満面の笑みで拍手を送っていた人たちだ。そして、かつてお父さんと本当のお母さんが離婚するかしないかで修羅場になるたびに、あーだこーだと口を出してきていた大人たちでもある。事あるごとに集まってくるのは、決まって同じ顔ぶれの連中だった。「紅葉さん、あまり思い詰めないで。湊斗くんのことは本当に不慮の事故だったのよ。妙ちゃんはずっとあなたのこと、本当のお母さんみたいに慕っているじゃない。湊斗くんが亡くなったからって、その悲しみをあの子にぶつけるのは間違っているわ」声をかけているのは、またしても香織おばさんだった。同じ病院で働く同僚であり、隣に住んでいるということもあって、紅葉おばさんの良き相談相手になっているのだ。だが紅葉おばさんは、うつろな目で祭壇を見つめながら、ただうわごとを繰り返していた。「私の湊斗……あの子、よく笑うようになって……ついこの間、やっと寝返りを打てるようになったばっかりだったのに……っ」そこまで言うと、紅葉おばさんは激しくむせび泣き、そのまま床に崩れ落ちて気を失ってしまった。お父さんが慌てて彼女を抱きかかえ、休ませるために奥の控室へと連れて行く。ガランとした葬儀場に、私だけが取り残された。大勢の黒服の大人たちの中で、ポツンと立ち尽くす私の姿は酷く浮いて見えた。「可哀想にねえ。あの方、前の奥さんの事件のせいで一度流産してるじゃない?あのとき身体にも相当ダメージがあったみたいだし、今回身ごもったのだって奇跡みたいなものだったのに。……産むのだって、随分と難産で苦労したっていう話よ」「でも、まだ娘さんがいるじゃない。病院でもよくあの子の話をしてたわよ。本当の娘のように可愛がってるって
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第4話

学校で授業を受けていた私は、またしても警察に連れ出され、話を聞かれることになった。なんでも、紅葉おばさんが朝一で警察署に出向き、自ら自首したというのだ。自首の内容は、お父さんと結婚してからのこの一年間、私に行ってきたありとあらゆる「虐待」の告白だった。「栄養満点の手作り弁当」の美談の裏側。それは「将来困らないように料理を教える」などという名目で、毎朝まだ暗いうちから私を叩き起こし、氷のように冷たい水で米を研がせ、一人で何種類ものおかずを作らせるという苦行だった。少しでも味が薄かったり焦がしたりすれば、その日の食事は丸一日抜きにされた。「夜遅くまでの数学の勉強」の実態は、何万粒もの大豆や小豆、緑豆を一つのボウルに混ぜ合わせ、それを種類ごとに仕分けして数を数えさせるというもの。一つでも数が合わなければ、延々とやり直しさせられ、終わるまで一睡も許されなかった。そして「分刻みのタイムマネジメント教育」も、決められた時間内に家事や入浴をすべて終わらせられなければ、容赦なく給湯器の電源を切られ、真冬でも冷水を浴びせられるという罰だった。などなど、数え上げればきりがない。紅葉おばさんは昔から知恵が回り、狡猾な女だった。決して私の体に殴る蹴るの痕は残さず、お父さんや近所の人、病院の同僚の目には「理想の継母」として映るよう、完璧に立ち回っていた。無類の世間体気質である。あれほど名誉と世間からの評価を気にする女が、自ら築き上げた「完璧な継母」というレッテルをかなぐり捨ててまで、わざわざ警察に自分の虐待を並べ立てたのだ。理由はただ一つ。「自分は決して良い継母などではなかった」と証明するためである。それは同時に「私には、弟を殺すだけの強烈な動機があった」という痛烈な事実を浮かび上がらせるためでもあった。取調室のパイプ椅子に座った私の頭上からは、無機質で強烈な蛍光灯の光が降り注いでいる。狭い密室で、対面には佐藤係長と小林刑事が座っていた。「飲むかい?」小林刑事が、温かいお茶の入った紙コップを差し出してくれた。私がひどい虐待を受けていたことを知った直後だからだろう。小林刑事の瞳には明らかな同情の色が浮かんでおり、声色もこれまでになく優しかった。「怖がらなくていいからね。紅葉さんがいきなりあんなことを言い出したから、念のため
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第5話

二人はわざとらしいほどハッキリとした声で会話を交わしながら、私の目の前を通り過ぎていった。――監視カメラ?私は、心の中で小さく呟いた。そんなものがあることくらい、私だって知っている。本当のお母さんが精神的に一番不安定だった時期、お父さんの浮気を疑って、家中に小型の盗撮カメラをいくつも仕掛けて監視していたのだから。私は長椅子に座って両足をぶらぶらと揺らしながら、廊下の向かい側にあるガラス張りの小部屋をジッと見つめ返した。向こう側は真っ暗で、こちらからは何も見えない。理科の授業で先生が教えてくれた。こういうのは「マジックミラー」と呼ぶのだと。こっそり誰かを監視するには、うってつけの鏡だ。……そのマジックミラーの裏側、監視室の中では、佐藤係長がガラス越しに外の長椅子に座る妙を鋭く観察していた。つい先ほど、警察はあのマンションの部屋から、見落とされていた一台の隠しカメラを発見した。しかし残念なことに、それはとっくの昔にバッテリーが切れ、使い物にならなくなっていた。だからこそ、わざと妙の目の前を歩かせて「カメラの映像を復元中だ」という情報を聞かせたのだ。相手はたかが9歳の子供。もし本当に自分が手を下したのなら、決定的な証拠が見つかったと知った瞬間、必ずどこかに焦りや動揺の「ほころび」を見せるはずだ。ほんの少しでも違和感があれば、そこを突破口にして一気に追い詰めることができる。だが――長椅子に座る女の子の様子は、あまりにも「普通」すぎた。「あのガキを捕まえなさいよ!あの子が一番怪しいって言ってたじゃない!」監視室の隅で、紅葉が警察署の中であることも忘れ、ヒステリックに叫びながら佐藤の袖口に掴みかかった。「あいつが私の湊斗を殺したのよ!カメラが見つかったってカマをかければ、すぐにボロを出すって言ったじゃない!」佐藤は泣き叫ぶ紅葉を適当にあしらいながら、ガラス越しの妙から決して目を離さなかった。一般的に、自分が安全圏にいると思い込んでいる人間が、ふいに自分に不利な決定的な情報を耳にした時、平常心を装うことなど不可能に近い。それが子供ならなおさらだ。「もし、あれが演技だとしたら……」佐藤は口の中で低く呟いた。あの子は本当に、ただの子供だと言えるのだろうか?……私たちが警察署を出
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第6話

リビングからの声は、やがて途切れ途切れになっていった。頭上の古い蛍光灯がジジッと音を立てて明滅し、部屋の中を薄暗い白で染め上げている。私の部屋の隅には、まだ湊斗のベビーベッドが置かれたままになっていた。あの子が生まれた日のことを思い出す。病院のベッドで紅葉おばさんの隣に眠るあの子は、顔を真っ赤にして、くちゃくちゃのシワだらけで。私の顔を見ると、可愛い声を出して笑ってくれた。私の指を差し出すと、小さな小さな自分の指で、ぎゅっと握り返してくれた。あの子は、私の弟だ。お父さん以外で、この世界で一番私に近い、血の繋がったたった一人の家族になるはずだった。胸に抱いたクッションに顔を埋めると、こらえきれなかった涙がポタポタと布地に染み込んでいった。私は足音を忍ばせてドアに近づき、外から聞こえてくる微かな声にじっと耳を澄ませた。「あのな、妙はまだ九歳だぞ。そんな恐ろしいことまで考えが及ぶわけないだろ。紅葉、湊斗がいなくなって辛いのは痛いほどわかる。だが、あれは悲しい事故だったんだ。そうだろう?」お父さんはどうにかして、紅葉おばさんを宥めすかそうとしているようだ。数分の沈黙の後、ひどく掠れた声で紅葉おばさんが答えた。「……わかったわ。ねえ、あなた。最後に一つだけ。あの子に一つだけ答えを聞かせてちょうだい。それがわかれば、私、もう二度とこのことで騒いだりしないから」スリッパが床を擦る足音が、ドアの方へゆっくりと近づいてくる。私は慌てて部屋の電気を消し、ベッドに滑り込んで布団を被った。ギイッ。古い立て付けのドアが開く音がした。廊下の明かりが細く差し込み、壁に紅葉おばさんの不気味なシルエットを映し出す。「……起きてるんでしょう?わかってるのよ」紅葉おばさんがベッドの縁に腰を下ろした。「妙ちゃん。おばさんね、あなたに一つだけ聞きたいことがあるの」私は観念して、布団の隙間から顔を出した。湊斗が死んでから、こうして二人きりで平穏に向き合って話をするのは初めてのことだ。「あの夜のこと、本当は見てたんじゃないの?」私は不自然にならないよう小首を傾げ、彼女の言葉の意味を必死に理解しようとしているような素振りを見せてから、きょとんとした表情で首を振った。「あなたのお母さんが警察に捕まった夜…
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第7話

立て続けに家族が二人も死んだことで、家の中の空気は氷のように冷え切っていた。紅葉おばさんのお葬式でも、弔問に訪れたのは、またしても見慣れたあの顔ぶれの大人たちだった。彼らは最初こそ可哀想にとため息をついていたが、すぐに「この家は呪われているんじゃないのか」などと好き勝手な噂話を始めた。そして中には、あの事件を面白おかしく蒸し返す声まであった。「言った通りじゃない。泰成さんにそんなうまい話ばかり続くわけないのよ。病院で出世したと思ったら、前の奥さんが勝手に罪を被って死んで、すぐに新しい奥さんを迎えられるなんてさ」「まったく、バチが当たったのよ。前の奥さんが死いですぐに新しい女に乗り換えるなんて、ろくな人間じゃないわ」「聞いた話なんだけど……泰成さんとあの紅葉さん、葵さんがいる頃からとっくにデキてたらしいわよ」そんな下衆な噂話は、当然お父さんの耳にも入っていた。葬儀がすべて終わった後、お父さんの姿は一気に十歳以上も老け込んでしまったように見えた。薄暗いオレンジ色の照明だけが灯るリビングで、お父さんはソファに深く身を沈めたまま、ピクリとも動かなかった。「妙」自室に戻ろうとした私を、背後からお父さんが呼び止めた。私はリビングの真ん中で立ち止まり、ゆっくりと振り返って、まっすぐに彼を見つめ返した。「紅葉が窓から転落したのは……本当に、あいつの不注意だったのか?」私はお父さんの目から視線を逸らさなかった。冷たい蛍光灯の光が、向かい合う二人の頭上から降り注いでいる。床に落ちた私の影が、ひどく長く伸びていた。「お父さん。私、もうお母さんがいないのよ」……あの夜を境に、私とお父さんの間には、背筋が寒くなるような奇妙な「暗黙の了解」が生まれた。彼が家にいるとき、私は自室にこもるか、図書館や塾へ行って絶対に顔を合わせないようにした。私が食卓にいるとき、彼は外の定食屋で適当に食事を済ませ、すぐには帰ってこなかった。そうして9年の歳月が流れた。私は中学、高校を経て、いよいよ大学受験を迎える年齢になっていた。私たち親子の間には、毎月の生活費の受け渡し以外、もはや一切の会話が存在していなかった。「明日はいよいよ本番だな。あまりプレッシャーを感じるなよ」受験前の特別休講で私が一日中家にいるようになったた
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第8話

2日間にわたる大学入学共通テストは、前半の科目は驚くほど順調に進んだ。最終科目の数学の試験があった2日目の午後、マンションではちょうど住民の管理組合の総会が開かれており、隣近所の大人たちはみんな集会室へ行っていて留守だった。私が出かける前、お父さんはまだ家で眠っていた。前日の夜から朝までぶっ通しで何件も手術をこなして疲れ切っていたところを、私が上手く言いくるめて強い睡眠薬を飲ませておいたからだ。当然、私はお父さんの代わりに管理人のところへ行き、総会を欠席する旨を説明しておいた。午後16時50分。数学の試験を終えてマンションに帰ってくると、エントランスの下にものすごい数の野次馬が二重三重に人だかりを作っていた。まだ火の勢いはおさまっておらず、火元らしき部屋の窓から、真っ黒な煙がモクモクと立ち上っている。火事を出しているのは――うちの部屋だった。私は狂ったようにマンションの中へ駆け込もうとし、ご近所さんたちに必死でしがみつかれて止められた。「お父さんが!お父さんがまだ家にいるの!最近ずっと精神的に塞ぎ込んでて、やっと薬を飲んで眠れたところだったの!まだ家にいるのよ!」私は喉が千切れるほど叫びながら、涙と鼻水を流して暴れた。階下に住む鈴木のおばさんが私をきつく抱きかかえ、隣の香織おばさんも必死で私をなだめようとする。「妙ちゃん、消防隊の人たちを信じるのよ。絶対にお父さんを助け出してくれるから!」それから十数分後、ようやく火の手が制圧された。そして――担架に乗せられたお父さんが運び出されてきた。私は制止する大人たちを振り解いて担架へ飛びついた。だが、お父さんの体はすでに、真っ黒な炭のようになっていた。私は悲痛な叫び声を上げて泣き崩れた。「お父さん……今日、一緒にお母さんのお墓参りに行ってくれるって約束したじゃない……!お父さん!私にはもうお母さんがいないのに……お父さんまで亡くなったら、どうやって生きていけばいいの……!」私は何度も声を上げ、あわや気を失いかけるほどに泣きじゃくり続けた。背後を取り囲む野次馬たちの中から、ヒソヒソとした囁き声が聞こえてくる。「どうしてこの家ばっかり、こんな不幸が続くのかしらね。数年前に新しい奥さんと赤ん坊が死んだと思ったら、今度はご主人まで。……もしかして
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第9話

お母さんが刑務所に送られる前、拘置所に入っていた期間があった。私は近所のおばさんに泣きついて頼み込み、一度だけ面会に連れて行ってもらったことがある。てっきり、いつものようにひどく取り乱して、手当たり次第に物を投げつけてくるんじゃないかとビクビクしていた。でも、その時のお母さんは驚くほど穏やかで。それどころか、昔の優しかったお母さんの顔に戻っていた。お母さんはアクリル板越しに私の手を撫でるように手のひらを合わせ、ポロポロと涙をこぼした。「今まで、本当にごめんね。お母さん、刑務所で真面目にやって、一日でも早く外に出てもいいように頑張るから……そうしたら、また二人で静かに暮らそうね」当時の私は、その言葉を疑いもしなかった。どんな子供でも、本能で母親を信じ、愛するように。それなのに、お母さんは約束を守れなかった。刑務所に入って間もなく、中で自ら命を絶ってしまったのだから。お父さんは私に、「お母さんはうつ病が急に悪化して、刑務所の環境とストレスに耐えきれなくなったんだ」と悲痛な顔をして教えた。――だけど。私のお母さんは、最初から病気なんかじゃなかった。11年前のあの夜。あの日はちょうど、お母さんの誕生日だった。私は手作りのプレゼントをこっそり寝室のクローゼットに隠しておき、自分もその中で息を潜めながら、帰ってくるお母さんを驚かせてやろうとワクワクして待っていた。それなのに、部屋に入ってきたのはお父さんと――あの紅葉おばさんだったのだ。「葵にこんな薬を飲ませて、一体何の意味があるのよ?ただ気分を落ち込ませて、ヒステリーを起こしやすくするだけでしょ?」お父さんは紅葉おばさんを腕の中に抱き寄せながら、お母さんのベッドの脇にあった小さな薬瓶を指先で弄んでいた。それは、お母さんが毎日欠かさず飲んでいた薬。私も以前、お父さんから「お母さんの精神を落ち着かせるための大切なお薬なんだよ」と聞かされていたものだ。「あいつが都合よく狂ってくれなきゃ、お前があいつのポストを奪って昇進することなんてできなかっただろう?」紅葉おばさんはそう言われても、不満げに唇を尖らせた。「別に葵と別れるのを急かしてるわけじゃないわ。ただ、私のお腹の赤ちゃんが心配なだけよ。この子が生まれた時に、父親がいないなんて絶対に嫌だもの」お父さ
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