All Chapters of 夫の初恋の身代わりを拾っちゃった: Chapter 11 - Chapter 20

24 Chapters

第11話

その姿を見た瞬間、直哉の耳がわずかに赤く染まった。それでも、動揺を悟られまいと平静を装いながら問いかけた。「怜奈、どうした?」花音はそっと彼の手を取り、甘えるように軽く揺らした。「もう遅いよ。そろそろ休もう?それとも、まだ仕事が残ってるの?」その声に、直哉は柔らかく微笑む。「いや、もう終わったよ。一緒に寝よう」そう言って彼女の肩を抱き寄せると、そのまま部屋へと連れて行った。温かなベッドの上で二人は身を寄せ合い、互いを抱きしめたまま目を閉じる。けれどその夜、二人とも一睡もできなかった。花音は直哉の腕の中で静かに目を閉じながら、胸の内であずさに語りかける。――あずささん、やっぱりあなたの言う通りだった。この人は、あなたの存在を気にするどころか、一言も触れなかった。このような人は生涯のパートナーに相応しくないし、誰かに愛される資格もない。もしあなたが忠告してくれなかったら、私はきっと、この人の優しさを本物だと勘違いしていた。そして、知らないうちに溺れていたと思う。一方の直哉もまた、ようやく取り戻した宝物を抱きしめているはずなのに、思っていたほどの幸せを感じられなかった。眠ろうとしても、瞼の裏にあずさの顔ばかりが浮かぶ。翌日。直哉は高級ブランド各社に連絡を入れ、怜奈の体型に合わせた衣服やアクセサリーを大量に取り寄せた。次々と運び込まれるのは、一般人では手が出せないようなドレスや宝飾品ばかり。以前の花音なら戸惑い、どう扱えばいいのか分からなかっただろう。だが、あずさのもとで学んだ日々のおかげで、今ではそうした光景にも驚かなくなっていた。花音は並べられた品々を眺めたあと、その中から怜奈の趣味や好みに合いそうなものだけを選び取る。「直哉、これだけで十分だよ。私、お洋服とかいっぱい持ってるし、無駄遣いはよくないよ」すると直哉は笑いながら彼女の髪を撫でた。「気にしなくていい。俺はお金に困ってないし、この程度で無駄遣いにはならないよ」少し懐かしそうに目を細める。「怜奈は昔と変わらないな。いつも俺のことばかり心配してくれる。でも、もう七年前の学生だった頃の俺じゃないんだ」花音は彼を抱きしめ、背伸びをして彼の眉間を優しく撫でた。その表情には、怜奈らしい思いやりと心配が浮かんでいる。「それでも心配するよ。今の直哉
Read more

第12話

直哉はすべての手配を終え、部屋に戻ると、花音を抱き寄せ、その耳元で優しく囁いた。「怜奈、せっかく戻ってきてくれたんだ。七年の間にこの街もずいぶん変わった。俺がいろいろ案内してあげるよ。昔、入院していた頃によく言ってただろう。外の世界を見てみたいって。でもあの時は病状が悪化するのが怖くて、病室から出してやれなかった。だから今度こそ、お前が行きたかった場所も、二人で訪れた思い出の場所も、一つずつ回ろう」花音は素直にうなずき、彼に手を引かれるまま車へ乗り込んだ。車が遊園地の前で止まると、直哉は花音の手を握ったままチケットを買い、人混みの中を歩いていく。「怜奈、この店のいちごアイス、好きだったよな。実はここ、潰れかけてたんだ。でも俺がなんとか残してもらった。いつかお前が戻ってきた時、同じ味を食べられるようにって」花音は、本当は好きでもないいちご味のアイスを受け取ると、小さく口をつけながら微笑んだ。「まさか、こんなに時間が経っても、私の好みを覚えてくれてるなんて」「当たり前だろ」直哉は少し得意げに笑った。「お前のことなら何だって覚えてる。全部、この頭の中に残ってるからな」その言葉を聞き、花音の胸の奥はかえって緊張で強く締めつけられた。――もっと完璧に演じなければ。やがて観覧車の列が順番を迎えようとした時、直哉のスマホが鳴った。一度切る。また鳴る。さらにもう一度切る。三回目を切ったところでようやく静かになった。直哉は画面を見ると、圭介から短いメッセージが届いていた。【社長、あずさ様はすでに海外へ出国されています。現在の所在は不明です。引き続き調査しますか?】直哉はほとんど迷うことなく返信した。【必要ない。少し意地になっているだけだろう。離婚したのも俺への当てつけみたいなものだ。ちょうどいい。怜奈との時間を邪魔されずに済む。そのうち現実を受け入れて戻ってくる】その返信を見た圭介は、なぜだか言いようのない不安を覚えた。――一度出てしまったあずさは、本当に戻ってくるのだろうか。一方の直哉は、自分に何度も言い聞かせていた。あずさは自分を愛している。離婚だって、結局は自分を引き留めるための手段にすぎない。長い年月ずっとそばにいた彼女が、突然いなくなるはずがない。まさか、自分が探しに行くとでも思
Read more

第13話

これまでまったく気にも留めていなかった存在が、今では何度も何度も脳裏に浮かんでくる。あずさは、いつの間にか空気のように彼の日常へ溶け込み、気づかぬうちに生活の一部になっていたのだ。だからこそ、彼女がいなくなった今、直哉は自分でも驚くほどの違和感を覚えていた。その事実に気づいた途端、胸の奥に言いようのない苛立ちが広がる。――自分はただ、あずさの身を案じているだけだ。幼なじみとして長年付き合ってきた相手が、突然何の連絡もなく姿を消したのだ。心配するのは当然だろう。それ以上の意味なんてない。きっとそうだ。何度も自分にそう言い聞かせた末、直哉はようやく圭介を呼び出した。「東山、やっぱりあずさの行き先を調べてくれ。外で勝手なことをして、本当に行方不明にでもなられたら困る。もし何かあったら、ご両親に説明できないからな」圭介は驚きを隠しながらも、すぐにうなずいた。「承知しました。すぐ調べます」圭介の後ろ姿を見送ると、直哉は眉間を押さえながら、再び仕事へ意識を戻した。やがて昼食の時間になっても、彼は手を止めようとしない。胃のあたりに鈍い痛みが走り始めても構わず、黙々とパソコンへ向かい続ける。しかし次第に痛みは強くなり、胃の中をかき回されるような激痛へと変わっていった。さすがに眉をひそめた直哉は、ようやく画面から目を離し、隣の引き出しを開ける。いつものように胃薬を探そうとしたのだ。だが、どれだけ手を伸ばしても、薬は見当たらなかった。「東山――」スマホを手に取り、圭介を呼び出そうとした瞬間、ふと気づく。そういえば、あの薬を補充していたのはいつもあずさだった。体を壊しがちな彼を心配して、必要になりそうな薬を常に揃え、手の届く場所へ置いてくれていた。だが、あの日。写真立てを壊し、自分が彼女を会社から追い出して以来、あずさは一度もここへ来ていない。当然、薬を補充する人もいなくなった。空っぽの引き出しを見つめながら、直哉はしばらく動けなかった。その時、コンコンとドアがノックされる。扉を開けて入ってきたのは花音だった。手には弁当箱が抱えられている。「直哉、そろそろお昼だよ。これ以上食べないと胃が痛くなっちゃうでしょ。ほら、お弁当を作ってきたの。久しぶりに作ったから、口に合うといいけど……」直哉は胃の不快感
Read more

第14話

だが、なぜだろう。怜奈が戻ってきてからというもの、直哉はずっと拭いきれない違和感を抱えていた。すぐ目の前にいるはずなのに、一枚の薄い膜を隔てて向こう側にいるような、いくら手を伸ばしても届かないような感覚がする。彼女は確かに怜奈だった。仕草も、声も、顔立ちも、記憶の中の怜奈とほとんど変わらない。それなのに、どこか違う。彼女はまるで精巧に作られた人形のようで、記憶の中の怜奈を完璧になぞるよう設計され、理想通りに動いている。だが、本来あったはずの生き生きとした温度だけが欠けていた。直哉は小さく首を振った。――きっと気のせいだろう。……その日、二人は大学のキャンパスを並んで歩いていた。手をつなぎながら校内を巡り、やがて歴代の優秀卒業生たちの写真が並ぶ壁の前で足を止める。そこには直哉の写真も飾られていた。花音は一目でそれを見つけた。だが、彼女の視線を本当に引きつけたのは、その隣に掲げられていたあずさの写真だった。あずさもまた、誰にも引けを取らないほど優秀な人物だ。それなのに直哉の隣で長い年月を過ごしたせいで、その輝きはいつしか見えにくくなっていた。本来のあずさは、こんなものではない。彼から離れる決断こそ、彼女が人生で下した最も正しい選択だった。直哉の隣にいなくても、いや、いないからこそ、あずさは自分自身の光を取り戻せるのだ。写真をしばらく見つめたあと、花音はようやく視線を外し、不本意ながらも口元に笑みを浮かべた。「直哉って、本当にすごいね」そして少し寂しそうに続ける。「もしあの時、私が病気じゃなかったら……今頃、私の写真もここに飾られて、あなたの隣に並べていたかもしれないね」そう言ってうつむく姿に、直哉は慌てた。すぐにスマホを取り出す。「怜奈、そんな顔をするな。まだ学びたい気持ちがあるなら、今からでも入学できるよう手配するよ。途中で諦めるしかなかった勉強は続けられるし、学位だって取れる。写真のことだって、俺が一言頼めば飾ってもらえるよ」「本当?私、まだ大学に通えるの?」一瞬だけ目を輝かせたものの、すぐに困ったような表情へ変わる。「でも、やっぱり無理かも……今の私は、他人の体を借りて生きているようなものだから。たとえ写真を飾ってもらえるとしても、他の人にとっては不公平だし、私だってちゃんと成果を
Read more

第15話

学長はすぐに駆けつけ、いくつか確認を済ませると、その場で花音の入学手続きを取り計らった。直哉と花音が車に乗って帰ろうとしたその時だった。路肩に立っていた、赤く染めた髪にドレッドヘア、耳にはいくつものピアスをつけた太った青年が、高級車の中を何度も覗き込む。何度か見比べた末に、その青年――正樹はようやく確信した。車内にいるのは、間違いなく姉だ。「あれ、姉ちゃん?しばらく会わないうちに、ずいぶんいい暮らししてるんじゃねぇか。こんな金持ちの男に囲われてるなんて、案外やるね」鼻で笑いながら花音を見下した正樹は、遠慮という言葉を知らない様子で、そのまま車に乗り込んできた。汗臭いスポーツウェア姿のまま革張りのシートにもたれかかり、汚れを残していることなど気にも留めない。さらに当然のように直哉の肩へ腕を回し、厚かましく口を開いた。「俺は赤羽花音の弟、正樹って言うんだ。あんたがお義兄さんだろ?最近、姉ちゃんが生活費を送ってこなくなってさ。お義兄さんなら、弟の面倒を見る責任はあるよな?こんな車に乗ってるくらいだし金には困ってないだろ。この車、俺にくれよ。ちょうど免許取ろうと思ってたんだ。そうそう、親父とお袋も金がなくて病院代も払えねぇんだ。お義兄さん、助けてやってくれよ。全部姉ちゃんの分としてつけといてくれればいいからさ」言いたいことを言い終えると、正樹はふんぞり返ってシートにもたれ、車内を物欲しそうな目で見回した。そこにいる直哉への遠慮など微塵もない。花音は内心、驚くほど冷静だった。むしろ、もっと騒いでくれればいいとさえ思っていた。だが表面上は怯えたように身を縮こまらせ、直哉の腕へ身を寄せる。「直哉、この人、本当に私の弟なの……?赤羽さんの弟がこんな人だなんて信じられない……助けてあげた方がいいのかな?もしかしたら本当に生活に困ってるんじゃ……?」その無邪気な善意に満ちた言葉を聞き、直哉は胸の奥に湧いた嫌悪感を押し殺した。そして正樹を見据える視線は、氷のように冷え切っていた。「もちろんだ」低い声でそう言う。「義兄として、きちんと『力になってあげる』つもりだよ。もっとも、それを受け止められるなら、だけどな」正樹はその言葉の裏など考えもしなかった。むしろ笑みを深め、直哉をさらに見下した目を向ける。そして掌を差し出した
Read more

第16話

直哉が電話を切ると、ぼんやりしている花音の様子に気づいた。怯えているのだと思ったのか、そっと肩を抱き寄せて優しく言う。「これは全部、あいつら自身が招いた結果だ。欲をかきすぎたんだ。それに、お前にあんな態度を取るなんて、許せるわけがない」花音は彼の胸にもたれかかり、小さな声で答えた。「でも、あの人は私がもう赤羽さんじゃないってまだ知らないだけだから。私は彼のお姉さんの体を借りて生きているようなものだし……ご家族には少し申し訳ない気もするわ」「怜奈は本当に優しいな」直哉は愛おしそうに彼女の髪を撫で、その頭に顎を乗せた。「大丈夫だ。お前が傷つかないよう、俺が必ず守るよ」甘く優しい言葉だった。だがその一方で、彼のスマホはひっきりなしに震えている。圭介からの報告だった。花音が何気なく視線を落とすと、赤羽家に関する調査報告に混じって、あずさの名前も見えた。――依然として、行方不明。圭介が総動員で探しても、あずさの足取りはまったく掴めていない。その報告を読んだ瞬間、直哉の表情はさらに険しくなった。――いったい、いつまで意地を張るつもりなんだ。こんなに時間が経ったのに、まだ怒っているのか?それとも、本当に自分の前から永遠に消えるつもりなのか?直哉は苛立ちを隠さず、画面に文字を打ち込む。【引き続き探せ。必ず見つけ出すんだ】花音は目を伏せたまま、わざと問いかけた。「直哉、誰かと連絡しているの?」「……ああ」直哉は慌ててスマホをしまった。「秘書と仕事の話だよ。家に着いたし、降りようか」ごく自然に話題を変える。その背中を見つめながら、花音は胸の内で冷ややかに笑った。――本当に滑稽だ。……あずさが姿を消してから、もうすぐ一ヶ月になる。それでも直哉は、彼女に関する情報を何ひとつ得られていない。分かっているのは、A国行きの航空券を購入したことだけ。それ以降、あずさはまるでこの世から消えてしまったかのようだった。直哉は離婚届の受理証明書を握りしめながら、ますます心を乱されていた。その日、彼は友人たちとの集まりに花音を連れて行かなかった。自分でも整理できない感情を、誰かに聞いてほしかったのだ。話を聞いた友人たちは、一様に目を丸くする。「待て待て。つまり、あずささんとは本当に離婚してて、そのうえ彼女は海
Read more

第17話

友人たちがそう考えるのも無理はなかった。直哉が本当にあずさを嫌っているのなら、そもそも最初から彼女が近づくことすら許さなかったはずだ。実際、これまで直哉の周囲には数え切れないほどの女性がいたが、そのほとんどを彼は冷たく遠ざけていた。重苦しい空気がしばらく続いたあと、友人たちは慌てて場を取り繕い始めた。「分かった分かった。お前が違うって言うなら違うんだろうさ。要するに、幼なじみが海外で行方不明になったのが心配なだけなんだろ?俺たちも人を使って探してみるよ。そうだ、あずささんがいなくなった件、ご両親には聞いたのか?」「娘なんだから何か知ってるだろ。もし何も知らないなら、こんなに長く連絡が取れてないんだ、そろそろ知らせてあげないと」直哉はしばらく黙り込んだ末、小さくうなずいた。先ほどまで鳴り響いていた音楽が止まり、静まり返った個室の中で、彼はあずさの父、白浜康雄(しらはま やすお)へ電話をかけた。なぜか胸の奥が落ち着かない。――自分はあずさに対して、確かにひどいことをした。そんな思いが頭をよぎる。コール音が長く続いたあと、ようやく電話がつながった。「もしもし、直哉くん。どうした?」直哉は一度咳払いをし、努めて平静な声で切り出した。「お義父さん……実は、俺とあずさは離婚しました。彼女は海外へ行ったみたいですが、その後の消息が分かっていません。この件、ご存じでしたか?」「ああ、知ってるよ。あずさから聞いている。夢を追いかけたいんだってな。私たちも賛成したよ。お二人が離婚したのは残念だが、正直なところ、あなたたちが一生添い遂げるとは思っていなかった。もう私たちをお義父さんとお義母さんと呼ぶ必要もない。昔みたいに名前でいいよ」そして間を置いてから続けた。「当時、あなたのご両親が、青木さんを失ったあなたを立ち直らせようと焦って縁談を進めた。あずさは自分からその話を引き受けたんだ。幸せになれるかどうかも含めて、全部あの子自身の選択だった。今こうして離婚して、自分のやりたいことに専念しているのなら、それでいいじゃないか。成長できたなら十分だよ」康雄と妻の恵子(けいこ)は長年海外を飛び回る生活を送っており、考え方も自由で、離婚そのものを大ごとだとは思っていなかった。その言葉を聞き、直哉の表情は次第に硬くな
Read more

第18話

本当にあずさのことがどうでもいいのなら、彼女が恋人を見つけて新しい人生を歩み始めても、心が揺れることなどないはずだ。ましてや――「気にしていない」と繰り返しながら、今すぐあずさを連れ戻し、その隣にいる男を追い払いたいなどと思うはずもない。部屋の誰もがそれに気づいていたが、もう何も言わなかった。重い沈黙が続く中、直哉が突然口を開く。「決めた。怜奈にプロポーズするよ。みんな、プロポーズの件は外にも流してくれ。俺が怜奈と結婚することを、世間中に知らせたい」「いや、ちょっと待てよ、直哉」友人の一人が思わず声を上げた。「さっきまで、まだ結婚する気はないって言ってただろ?なんで急に……」別の友人も続ける。「そうだ。本当のところはどうなんだ?お前が好きなのは怜奈さんなの?それともあずささんなの?プロポーズするのって、まさかあずささんを呼び戻すための罠じゃないだろうな?もし怜奈さんがそのことを知ったら、傷つくんじゃないのか?嫉妬したり怒ったりするかもしれないぞ」直哉は唇を固く結んだ。その瞳には複雑な感情が揺れている。やがて低い声で答えた。「お前たちが黙っていれば、怜奈は知ることもない。俺はただ、幼なじみが海外で危ない目に遭っていないか心配しているだけだ。変な男に騙されている可能性だってある。それに怜奈は優しい。きっと理解してくれる。埋め合わせだってする。プロポーズも本気だ」「……そうか」友人たちは苦笑するしかなかった。それ以上は誰も何も言わない。ただ心の中で思う――どうか直哉は、今日自分が決めたことに後悔することがありませんように。その頃。個室の外では、花音が一部始終を聞いていた。だが、その表情に怒りも悲しみもなかった。本当の怜奈が傷つくかどうか、嫉妬するかどうか、花音には分からないが、分かっているのは、自分が何も感じていないということだけだ。彼女は最初から分かっていたのだ。直哉という男が、こういう人間だということを。確かに彼は怜奈を深く愛している。だが長い時間が過ぎ、若かった頃の純粋な愛情は、いつの間にか様々な感情に塗り替えられている。怜奈を忘れられないからこそ、代わりとなる存在を探した。そして今は、あずさが自分の元を去り、新しい人生を歩み始めたことが気になって仕方ない。どちらも手放せない。どちらも失いた
Read more

第19話

直哉は密かに花音の過去を調べさせる一方で、あえて彼女を黒崎グループへ引き入れ、その才能を存分に発揮させていた。そして迎えたプロポーズ当日――その盛大なセレモニーは、世界同時生中継で配信されていた。世界各地の大型ビジョン、無数の配信プラットフォーム、さらには大小さまざまな店舗のモニターにまで、その映像が映し出されている。直哉は仕立ての良い黒のスーツに身を包み、体のシルエットがより一層魅力的に見えた。整えられた髪を後ろへ流し、端正で鋭い顔立ちを隠すことなくさらけ出している。その口元には、穏やかで幸せそうな微笑みが浮かんでいた。ただのプロポーズとは思えないほど、会場は豪華絢爛に彩られている。多くの人間の結婚式すら霞んでしまうほどの規模だった。花音もまた、純白のドレスに身を包んでいた。体のラインを綺麗に引き立てるそのドレスは、彼女のしなやかな美しさを際立たせている。やや華奢な姿は、風に揺れる一輪のクチナシの花のようだった。清らかで、儚く、それでいて目を奪われる。直哉は胸元からリングケースを取り出した。真紅のバラの花束を抱え、花音の前に片膝をつく。「結婚してくれるか?」彼は「怜奈」とも「花音」とも呼ばなかった。口にするのは、ただシンプルな一言だけ。だが、その瞬間を見守る世界中の人々は歓声を上げていた。誰もが花音を羨み、祝福している。直哉は真っ直ぐ彼女を見つめながら続けた。「俺のすべてをお前に捧げるよ。人生も、心も。これから先、俺はお前だけを愛する」その言葉は誠実に聞こえた。だが、彼の胸の内はまるで違っていた。焦燥感が膨れ上がり、視線は何度も何度も会場入口へ向かう。ここまで来ても、あずさは現れない。花音に関する調査結果も、まだ完全には届いていない。――本当にこのまま結婚するのか?もし以前の自分なら、怜奈によく似たこの顔を見た瞬間、迷わず彼女を手に入れようとしただろう。だが今は違う。怜奈は確かに死んだ。自分の腕の中で。身体から温もりが失われていく感覚を、今でも鮮明に覚えている。本当に人は死から蘇るのだろうか。直哉は次第に信じられなくなっていた。花音が怜奈に似れば似るほど、逆に違和感が大きくなっていく。その時、花音は感極まったように口元を押さえた。涙が完璧なタイミングで頬を伝う。何度も練
Read more

第20話

「そうか。それなら、あずさが離婚届を提出してから、お前が現れたあの日までの一ヶ月間、お前はあずさ名義の別荘で何をしていた?」そう言うと、直哉はスマホを花音の胸元へ放り投げた。画面には、彼女に関する調査資料がはっきりと映し出されている。「黒崎家専属の調査チームの力を借りなければ、こんな面白いものは見られなかっただろうな。お前とあずさは、ずいぶん上手くやってたようだ。怜奈の真似をしていれば、俺がお前に情けをかけるとでも思ったのか?」次の瞬間、彼の手が花音の首を強く掴んだ。思考は乱れ、理性よりも先に手が出たのだ。花音は痛みに目尻から涙を滲ませたが、慌てることはなかった。むしろ、ここ最近で一番素直な笑みを浮かべた。「そうよ。あなたなら情けをかけてくれる。だって怜奈をあんなに愛しているんだもの。私、上手くできているでしょう?なのに、どうしてあずささんのことなんか気にするの?私だけ見ていればいいのに。私は怜奈として、あなたが望む人生を一緒に歩んであげられるわ。それに……あずささんはもうあなたを愛していない。やっと新しい人生を歩き始めたの。もう邪魔しないであげて、直哉」彼女は、怜奈らしい声で直哉の名前を呼んだ。直哉は反射的に手を緩める。胸の奥に言いようのない不快感が広がった。だが、花音の首に残った指の跡を見た瞬間、わずかに後悔と痛みがよぎる。「花音。お前は怜奈ではなく、ただの彼女の身代わりだ。俺はお前を愛することはないし、結婚するつもりもない。余計な期待を持つな。俺の考えに干渉しようとするのも、なおさら無理な話だ!」冷たく言い放つと、ボディーガードたちに花音を拘束するよう合図を送り、そのまま背を向けた。そして迷いなくプライベートジェットへ向かい、あずさを連れ戻すために、F国へ飛び立とうとする。新しく届いた報告書によると、彼女は今A国ではなく、F国で生活しているらしい。花音は直哉を止めようと、必死にもがく。ボディーガードたちも彼女を傷つけてしまわないよう、軽く体を抑えていただけだったため、彼女はその隙を突き、拘束を振り解いてプライベートジェットへ駆け寄った。しかし一歩遅かった。プライベートジェットはすでに離陸していた。彼女は追うこともできず、その場に崩れ落ちる。小さくなっていく機体を見上げながら、花音はただ心の
Read more
PREV
123
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status