「社長、さっきはブレーキが遅れてしまい、唯様の車にぶつかってしまいました」禮は目を上げ、唯の車をちらりと見た。「タイヤがパンクしているな。すぐには直らないが、どこへ行くんだ?」「ホテル・ルミエールです」と唯は答えた。禮は唯を一瞥した。「乗れ、送っていこう」唯は驚き、少し迷った。雅人との件が片付いていない今、これ以上禮を巻き込みたくはなかったからだ。相手は自分の婚約者なのだ。禮は唯が修理の心配をしていると勘違いした。「車は秘書に修理に出させるから、気にしなくていい」「唯様、ご安心ください。すべて手配しておきますから。偶然ですが、社長もホテル・ルミエールへ向かうところですので」傍らで誠が笑いながらフォローするが、胸の内は複雑だった。さっき社長はわざとブレーキを踏ませなかった。おまけにホテル・ルミエールを選び、今日はこんな洒落た格好をしていて……もしかして唯を狙った「偶然の出会い」作戦なのか?だが、そんなことを唯はまるで知らなかった。禮もホテルへ行くのなら断る理由もなく、「ありがとうございます」と素直に礼を言った。後処理のために誠が残り、運転席には禮が収まった。助手席に座る唯は、バックミラー越しに禮の様子をこっそり窺った。禮は表情を変えず、厳格なしつけのもとで育ったかのような冷徹さと、高い地位にある者の威圧感を放っていた。そのせいか、ひどく近づきがたい距離を感じる。冷たく、上品で、遠い存在。唯は不思議な感覚を覚える。つい数日前に二人で仲良くゲームをし、ぬいぐるみまで贈ってくれた婚約者とはとても思えない。そんなことを思っていると、禮の声がふと響いた。「先日贈ったぬいぐるみ、気に入ったか?」「ええ……気に入ってます。ありがとうございます」唯は不意を突かれ、あの独特なぬいぐるみを思い出して小さく微笑んだ。センスは謎だが、気持ちはとても伝わってきたのだ。その答えに、禮の口角がわずかに上がる。そして彼は付け加えた。「このあたりは車が拾いにくいからな。秘書の近藤が不注意だった分は必ず修理させておくし、状況はラインで知らせるよ」「では、お願いします」唯は笑顔で礼を述べ、追突の件は気にしないことにした。深津市へ帰るまでは禮と深く関わらないつもりだが、かといって避けているわけでも
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