深夜、杉山圭介(すぎやま けいすけ)は強い酒の匂いをさせて帰宅した。私・杉山菫(すぎやま すみれ)はいつものように、二日酔いに効く薬とお湯をそっと差し出した。「あっちへやってくれ。匂いが鼻についてかなわない」「……姫花さんとは、まだ仲直りできていないの?」私を射抜く彼の瞳に、冷たく剣呑な光が宿った。「言っておくが、これが最後だ。お前は自分のことだけ気にしていろ。俺の問題に首を突っ込むな」そこへ、息子の杉山日立(すぎやま ひたち)がドアを開けて出てきた。その幼い顔には、あからさまにうんざりした表情が浮かんでいる。「ママ、少し静かにしてよ。うるさくて眠れないんだよ」そっくりな親子の姿に、私は思わず乾いた笑いがこぼれた。自室へ戻り、数日前にすでに署名を済ませていた離婚届を静かに手に取る。「――だったら、離婚しましょう」圭介はまだこめかみに手を当てたまま、こちらを見やった。その目には、どこか見下すような色が浮かんでいた。「お前さ、自分が何を言ってるんだ、わかってるのか?」「ええ、わかってるわ」それが単なる癇癪ではないと、私の静かな態度から察したのだろう。圭介はわずかに姿勢を正すと、まるで施しでもくれてやるかのように、言葉を継いだ。「安藤姫花(あんどう ひめか)は正式な採用面接を受けて入社したんだ。俺たちの間には、お前が疑うようなやましいことなど何もない。今日だって、ただの歓迎会だった」「そう」「それでも、離婚するというのか」「するわ」呆れ果てたように、圭介は鼻で笑い、しばらく言葉が出てこないようだった。そこへ日立が小走りで駆け寄り、父親の足にすがりついた。その幼い顔には、はっきりと笑みが浮かんでいる。「パパ、ママと離婚するの?じゃあ僕には、新しいママができるってこと?」圭介は沈黙したままだ。それでも日立は、気に留める風でもなく言葉を続けた。「パパは誰が好きなの?僕はね、田中先生か鈴木秘書が新しいママになってくれたら嬉しいな。姫花さんでもいいよ」私は自嘲気味に口の端をゆがめた。どうやら圭介の「新しい妻の候補」は、私が思っていたよりもずっと多いらしい。まさか、姫花だけではなかったなんて。あれほど一途な人だと思っていたのに。「小林社長には話したのか」彼の言う「小林社長」とは
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