鏡に映る自分の姿を、一ノ瀬智臣は静かに見つめていた。今日は、九条財閥の御曹司との政略結婚の日。 漆黒のタキシードが長身を引き締め、胸元に挿した純白のブートニアが、わずかな光を受けて柔らかく輝いている。 整えられた黒髪、冷たいほどに端正な顔立ち、そしてアルファ特有の威圧感を湛えた瞳。すべてが完璧に計算され、整えられていた。それは誰が見ても非の打ちどころのない、新郎の姿だった。 コンコン、という控えめなノックが、控室の重厚な扉に響いた。「失礼いたします」 入ってきたのは一ノ瀬グループの専属医師で、白衣の袖口から覗く指先がわずかに緊張で強張っている。 手に持つ一枚の検査結果用紙が、今日という日の重さを象徴しているようだった。 智臣は椅子から立ち上がることもなく、無言でそれを受け取った。 結婚式当日に行われる最終適合検査。名家同士の政略結婚においては、ごく当たり前の、しかし極めて重要な儀式だった。 遺伝子レベルでの相性、フェロモン適合率、妊孕性など――それらすべてを数値化し、結婚の可否を「科学的に」判断する。 書類へ目を落とした智臣の視線は、一行に留まった。 適合率 99.9%「……99.9%か」 突きつけられた結果を見ても、智臣の心は一つも動かなかった。 医師は眼鏡のブリッジを押し上げ、言いづらそうに視線を逸らした。「この適合率は、非常に稀な数値です。ほぼ完璧と言ってよいでしょう。しかし……」 彼は一度言葉を切り、深く息を吐いた。「お相手の九条様のフェロモン濃度が、基準値を大幅に下回っています」 控室に重い沈黙が落ちた。窓から差し込む七月の強い陽光が、智臣の横顔を白く照らす。医師がかけている眼鏡のフレームが、その光を鋭く反射させた。「詳しい検査を行わないと断定はできませんが……この数値では、妊孕性は極めて低い可能性が高いと考えられます」 医師の言葉を聞き、智臣はもう一度、検査結果に視線を落とした。 フェロモン濃度、ホルモン値、遺伝子適合率——無機質な数字の羅列が、一人の人間の価値だけでなく、結婚の可否や未来までも決めつけようとしている。 その事実に、智臣はほんのわずかではあるが眉根を寄せた。 完璧な数字が並ぶ紙一枚で人生が左右されることに、根源的な違和感を覚えたその瞬間だった。『智臣。運命の番に出会えたからといって、それ
Huling Na-update : 2026-08-14 Magbasa pa