『灰の鳥』の撮影開始から10日目の夜、凛花たちは郊外の古い公共施設へ入った。かつて町役場の分庁舎だった建物で、廊下には町の広報紙や古びた木製家具が残されている。壁の塗装は剥がれ、歩くたびに床板が低く軋んだ。時間の染みついた空気が、『灰の鳥』の故郷の閉塞感によく似ていた。 撮影するのは、梓が妹の死に関する資料を探し、閉鎖された町役場へ忍び込む場面だった。9年前の事件記録は処分されたことになっているが、当時の職員が写しを残した可能性がある。梓は深夜の建物へ一人で入り、懐中電灯だけを頼りに書庫を探す。町が何を隠したのか、初めて証拠へ近づく重要な場面だった。 撮影前の安全確認には、通常より時間がかけられていた。消防設備と避難経路を確かめ、照明用の電源も施設内の回線を避けて外部から引いている。梓が使う懐中電灯も発熱の少ない撮影用で、火気を扱う予定はなかった。警備員は建物の内外に配置され、不要な部屋へは入らないよう全員へ伝えられていた。 日付が変わっても、撮影は終わらなかった。凛花は薄暗い廊下を歩き、壁の案内板を照らして書庫へ入る。埃を被った箱を開き、背表紙を確かめて目的の年度を探していく。台詞がないからこそ、日下部は歩幅や呼吸、僅かな視線のずれにも撮り直しを命じた。「今のは入った瞬間に棚を見すぎだ。梓は書庫の配置を知らない。先に出口を確認しろ」「分かりました」 凛花は開始位置へ戻り、もう一度廊下を進んだ。撮り直すたびに、建物へ忍び込んだ梓の緊張へ感情を戻す。肩の角度や懐中電灯を握る力まで変え、日下部の求める不安を探った。6度目を終えたところで、ようやく日下部がモニターから顔を上げた。「30分休憩。次は資料を見つけるところから撮る」 スタッフたちは機材を残し、休憩のため建物の外へ出ていった。暖房がないため、外の車両で温かい飲み物を受け取ることになっている。凛花は書庫の机へ台本を広げ、次の場面を確認した。梓が記録の何を疑い、どこで信じるのか、まだ自分の中で定まりきっていなかった。 蒼真は次の場面まで待機するため、廊下を挟んだ別室で台本を読んでいた。建物内には機材を守るスタッフと警備員も数人残っているため、凛花一人になるわけではない。外から吹き込む風が窓枠を鳴らし、古い紙と埃の匂いが書庫へ籠もっていた。凛花は台本の一頁をめくったところで、そこへ別の臭いが混じっ
Última actualización : 2026-09-16 Leer más