スマホを握る手に力がこもり、胸の奥が一気に冷えた。これまで彩香は、自分の物に触られたり、置き場所を変えられたりするのさえ嫌がっていた。俺が週末に泊まりに行き、コップを少し動かしただけでも、露骨に眉をひそめた。この5年間、俺は妥協を重ね、何事も彼女に従ってきた。ついに彼女もようやく折れて俺との同居に同意し、自分からクローゼットの半分を空けてくれたのだった。本当に一緒に暮らせるのだと思うとうれしくてたまらず、俺はお揃いのルームウェアを一式買いそろえた。なのに今、俺があれほど気を遣って越えないようにしてきた一線を、別の男はあっさり越えていた。ドアの向こうで何食わぬ顔をしている郁人を見ていると、怒る気さえ失せていった。「慎一さん、よかったら上がっていきます?彩香さんに、台風が来てる間は絶対に外へ出ないでって言われてるんです」郁人は俺を招き入れるように、少しだけ横へ身をずらした。けれど、奥のリビングは郁人の荷物やゲーム機で足の踏み場もなく、俺が入る余地などどこにもなかった。ふと、郁人が髪を拭いているピンク色のタオルに目が留まった。彩香がいつも使っているお気に入りのタオルだった。以前、風呂上がりにバスタオルを忘れ、近くにあったそのタオルを使おうとしたことがあった。そのときは、手に取っただけで彩香が眉をひそめ、露骨に嫌がった。5年付き合ってきた俺が使うことさえ嫌がったそのタオルで、郁人は今、何のためらいもなく髪を拭いていた。「いや、いい。邪魔したな」自分でも意外なほど、声は落ち着いていた。俺は郁人に背を向け、エレベーターを呼んだ。マンションを出て冷たい風に吹かれ、そこで初めて、紙袋を提げた手がすっかりかじかんでいることに気づいた。袋の中には、月給の半分以上もした、シルク製のお揃いのルームウェアが入っていた。マンション脇のごみ置き場の前で足を止め、箱も紙袋もまとめて捨てた。蓋がガタンと閉まる音とともに、胸に残っていた最後の未練も消えていった。その夜は、近くのビジネスホテルに泊まった。翌朝、私はきちんとしたスーツに着替え、タクシーに乗り込んだ。退職に必要な最後の書類を提出するため、向かうのは、自分が勤める会社の、この街にある支社だ。仕事の引き継ぎはすでに済んでおり、残っていたのは退職の手続きだ
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