Tous les chapitres de : Chapitre 11 - Chapitre 20

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第11話

乾元殿の中は、煌々と灯りがともっていた。玄舟は上奏文に目を通しながら、朱筆を紙面に走らせていた。さらさらと筆先が紙を滑る音が響く。殿内には上質な香が静かに立ちのぼり、いつもと変わらぬ穏やかな夜のはずだった。だが、殿の外から慌ただしく乱れた足音が聞こえてきて、その静寂を突然破った。内侍監が転がるように駆け込み、血の気をすっかり失った顔で、その場にどさりと膝をついた。声まで小刻みに震えていた。「陛……陛下!一大事にございます!都の郊外にある……皇室ゆかりの寺で……昨夜、火事が!火の勢いがあまりに強く……恵妃様が……恵妃様が……お逃げになれず……」朱筆がぴたりと止まった。朱の雫が上奏文に落ち、たちまち赤い染みとなって広がる。玄舟はゆっくりと顔を上げた。眉間には深い皺が寄り、瞳には隠しようのない驚愕と、信じられないものを聞いたような色が浮かんでいた。「今、何と言った」その声は恐ろしいほど冷たく沈み、有無を言わせぬ威圧を帯びていた。「もう一度言え」「陛下……まことのことにございます!寺の住職が使いを寄越しました。恵妃様がお住まいだった僧房が、もっとも激しく燃え……火が消えたときには……すでに……すでに……」内侍監は地に伏したまま、全身を震わせ、それ以上恐ろしい言葉を続けられずにいた。「たわけたことを!」玄舟は朱筆を御前の机に力任せに叩きつけ、鈍い音が響く。「あれは寺で静かに謹慎していたはずだ。なぜ何の前触れもなく火事など起こる?どうせそなたたちの怠慢、見張り不足だろう!それをまだ戯言を並べ立てて、妃が死んだなどと縁起でもないことを申すか!」彼は立ち上がり、地に跪く暗部の頭領を指さした。声は氷のように冷え切っていた。「影!そなたが直々に人を率い、ただちに調べよ!生死を問わず、必ず見つけ出せ!事の顛末をはっきりさせられぬなら、また、偽りの報告をした者がいるならば、その首をもって参れ!」「御意!」影は緊張に身を強張らせながら、すぐさま命を受けて下がった。殿内には再び死のような静寂が満ちた。玄舟はその場に立ち尽くしたまま、胸をわずかに上下させていた。先ほどの動揺は、まるで幻だったかのように。彼は椅子に座り直し、別の上奏文を手に取った。政務に意識を戻そうとしたが、目の前の文字は滲んで揺れ、一字も頭に入ってこなか
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第12話

彼は、この簪に見覚えがあった。若魚は華やかな装飾品をほとんど身につけない女だった。だがこの簡素な銀の簪だけは、彼女が長く使い続けていたものだった。かつて冷宮にいた頃、彼女はよくこれで髪を結っていた。妃に冊封され、もっとよい品がいくらでも手に入るようになってからも、彼女はなぜかこの一本だけを特別に好み、しばしば身につけていた。一度、何気なく尋ねたことがある。なぜいつも、その古い簪ばかりを使うのかと。あのとき、彼女は何と答えただろうか。彼女はわずかにうつむき、耳元をほんのり赤らめながら、小さな声で答えた。「長く使っていて……手に馴染んでおりますので」今、その手に馴染んだはずの簪が、これほど無残な姿となって、彼の前に現れている。まるで、声にならない最後の訴えのように。あるいは、無情に打たれた終止符のように。玄舟は手を伸ばし、その簪に触れようとした。だが、冷たく歪んだ金属に触れる寸前、指先が抑えきれないほど激しく震えた。背筋から冷気が一気に駆け上がり、瞬く間に全身を包み込んだ。彼は勢いよく手を引っ込め、背に回して固く握りしめた。指の関節が、力の入れすぎで白く浮かび上がる。「確かに……あの場所で見つけたのか」その声には、彼自身も気づかぬかすかなかすれがあった。「はい……寝台の灰の中に」影の声は、低く沈んでいた。殿内は、完全な静寂に沈んだ。聞こえるのは、玄舟の、次第に荒くなっていく息遣いだけだった。彼はゆっくりと椅子に座り直し、手を振った。影は簪をそっと御前の机の一角に置くと、音もなく下がっていった。玄舟はがらんとした殿内にただ一人残され、虚ろな目で前方を見つめていた。朝の光が窓格子を通して差し込み、机の上の、あの醜く歪んだ銀の簪を照らし出す。そしてその光は、彼の顔にも、彼の胸の内で砕け散った何かを、克明に照らし出していた。その夜、玄舟は導かれるように、昭陽殿へと足を運んでいた。殿内は、若魚が去ったときのまま、完全に時が止まっていた。ただ、しばらく人の気配が絶えていたせいで薄く埃が積もり、空気は冷え切り、どこか生気を失っていた。彼は控えていた女官たちをすべて下がらせ、ただ一人、がらんとした殿内をゆっくりと歩いた。かつて彼女が化粧をしていた銅鏡の前を通り過ぎ、窓辺で本を読んでいた低
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第13話

説明には筋が通っていた。禅房は老朽化し、灯火の管理も行き届いておらず、夜には強風が吹き、帳に燃え移った火はまたたく間に燃え広がった。恵妃はすでに就寝していたため、逃げ遅れたのだろう……と。証拠も一見すればすべて辻褄が合い、関係者の証言にも矛盾はなかった。当時見張りに立っていた老いた侍衛二人と尼僧たちも、取り調べには怯えながらも、示し合わせたかのような証言をした。せいぜい、一人が「奇妙な物音を聞いた気がする」と言い、もう一人は「特に気に留めなかった」と言う程度の食い違いだが、それも慌ただしい夜のことだから不自然ではないように思えた。完璧すぎた。完璧すぎて……かえって疑念を抱かせた。玄舟は書房に座り、口裏を合わせたかのような調査報告書が机の上に山と積まれているのを見つめながら、深く眉根を寄せていた。帝としての勘が、その裏に潜む何か不穏な気配を、鋭く嗅ぎ取っていた。この裏には、必ず何かがある。彼は苛立たしげに立ち上がり、供の者を下がらせると、ただ一人、宮中を当てもなく歩き回った。気づけば、皇宮のもっとも奥まった一角、かつての冷宮にたどり着いていた。ここは、太子の座を廃された彼が、若魚と共に三年間を過ごした場所だった。古びた門扉を押すと、軋んだ音を立てて重く開いた。院内は雑草が生い茂り、完全に荒れ果てていた。彼は、夏は暑く冬は凍える、あの天井の低い正殿へと足を踏み入れた。中の調度は貧しいほど質素だったが、それでもかすかに、かつての面影が残っていた。隅に置かれた古びた火鉢。彼女は炭を惜しみ、自分は手足にひどい霜焼けを作ってまで、良い炭を彼のために残しておいた。窓辺の軋む机。彼女は薄暗い灯明の明かりを頼りに、擦り切れた袖を慣れない手つきで繕い、針で何度も指を刺しては血を滲ませていた。そして、院の中にある、あの高い石段……玄舟の視線が、院内でもっとも高いあの石段に落ちた。記憶が、堰を切ったように、一気に押し寄せてきた。あの年の冬は、雪がひどかった。先帝が差し向けた宦官がわざと難癖をつけ、炭も衣食も極端に出し渋ってきた。若魚は、彼の亡き母妃が唯一遺してくれた古い硯を守ろうと、その宦官たちと言い争いになり、石段から突き落とされた。物音に気づいて彼が飛び出したとき、彼女は冷たい雪の中に倒れていた
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第14話

いつの間にか宛霜が彼を探しに来ていた。灯籠を手に、心配そうな眼差しを玄舟に向けていた。「このような場所は底冷えがしますし、ひどく荒れております。陛下のお身体が何より大切ですわ。どうか、もうお戻りくださいませ」彼女は歩み寄ると、そっと玄舟の腕に手を添え、優しく諭すように言葉を続けた。「恵妃のことは……私も胸を痛めております。ですが、起きてしまったことはもう取り返せません。陛下には、どうか御身をお大事になさってくださいませ……もしかすると、彼女はこれまでの度重なる心労に耐えきれず、すっかり気力を失って、思い詰めた末に……」その先を口にすることはなかったが、何を言おうとしているのかは明らかだった。若魚は、自ら命を絶ったのではないか――そう言いたいのだ。「……自ら命を絶った、だと?」玄舟は勢いよく振り返り、鋭い眼差しを宛霜へ向けた。その瞳に突如浮かんだ険しい光に、宛霜は思わず息を呑んだ。玄舟の腕に添えていた手をわずかに強張らせながらも、どうにか笑みを取り繕う。「私は……あくまで、そうではないかと思っただけですわ……なにしろ恵妃は肉親を失われておりますでしょう。もしや、生きる気力まで失ってしまわれたのではないかと……」気力を失って……生きる気力まで失って……その言葉が、鍵となって、玄舟の記憶の扉を開いた。若魚が最後に彼と会ったときの、あの虚ろで生気を失った瞳が脳裏によみがえる。幾度も繰り返した「申し開くことは何もございません」という言葉が耳にこだまする。家族の遺骨が辱められたと知ったときの、崩れ落ちるほど深い、それでいて涙すら出なかったあの絶望を思い出す。もし……もし彼女が本当に……いや!そんなはずはない!玄舟は宛霜の手を勢いよく振り払った。胸が激しく上下し、瞳には荒れ狂う波のような動揺が浮かんでいた。何としても真実を突き止めねばならない。今すぐに。この場で。「影!」書房に戻るなり、玄舟はすぐさま暗部の頭領を呼びつけた。声には、一切の温もりがなかった。「あらゆる手を尽くせ。決して表沙汰にはせず、あの夜に関わったすべての者を、もう一度、徹底的に尋問し直せ。尼僧であろうと、侍衛であろうと、寺に近づいた可能性のある者は誰であろうとだ。手段は選ばない。朕は、真実を聞きたい」「御意!」影は玄舟の
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第15話

彼は勢いよく拳を握りしめ、紫檀の机に叩きつけた。手の甲がたちまち裂け、血がにじみ出た。だが、この肉体の痛みなど、胸の痛みの万分の一にも及ばない。乾元殿では、火鉢が赤々と焚かれ、温かな空気に満ちていたが、玄舟の全身を包む寒気を追い払うことはできなかった。彼は玉座に座っていた。目の前の机に広げられているのは、もはや上奏文ではなく、どす黒い血の染みと墨の跡がにじんだ、幾枚もの供述書だった。冷たい磨き上げられた石床に跪いているのは、ぼろをまとい、小刻みに震える囚人たちだった。かつて程家の処刑を担当した処刑人、若魚の兄が「良からぬ振る舞いをした」と証言した宮人、それに長秋宮の目立たない下働きの宦官たち。いずれも、暗部の容赦ない手段によって、各所から連行されてきた者たちだった。玄舟は彼らを見ようともしなかった。その目は、いちばん上に広げられた供述書に、じっと釘付けになっていた。そこには、墨も鮮やかに、若魚の兄があの日いかにして「うっかり」皇后の行列に行き当たったのか、そしていかにして宛霜の傍に控える女官長に激しく叱責され、震えながら詫びを入れたのかが、詳しく記されていた。そして、いわゆる「良からぬ振る舞い」「不埒な眼差し」なるものは、すべて宛霜が事後に指図し、女官長が数人の若い宦官を脅し、あるいは買収して作らせた偽りの証言だったのだ。さらには、程家が処刑された後もなお怒りが収まらなかった宛霜が、処刑前に程家の男たちを「たっぷり苦しめてやる」よう、密かに獄卒に命じていた事実まで、はっきりと書き記されていた。「話せ」玄舟の声は低くかすれ、静まり返った殿内に響いた。嵐の前の静けさのような、重苦しい威圧感を帯びていた。「朕は、お前たちの口から直接聞きたい」「へ、陛下、お助けを!」年老いた処刑人が涙と鼻水を流しながら、額を何度も地面に打ちつけた。「あれは……あれは、皇后様のお傍に控える女官長が……手前に銀を握らせ、刑を執り行う際に……手加減せず、程家の当主に……余計に苦しみを与えるようにと……手前は金に目が眩んでおりました……」「女官長が、程家のご子息に無実の罪を着せるよう強いたのです!」若い宦官が甲高い声で泣き叫んだ。「言われた通りに言わなければ、宮中の刑罰を司る慎刑司へ送ると脅されて……手前どもには、どうしようもなかったので
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第16話

玄舟は勢いよく手を払い、机の上のすべての供述書、上奏文、筆、硯を、一気に地に払い落とした。がしゃんという砕ける音が、殿内に鳴り響いた。その下に控えていた囚人たちは、恐怖のあまりその場にへたり込み、失禁した。玄舟の胸は激しく上下し、瞳は血走っていた。その奥には、すべてを焼き尽くさんばかりの激怒と……底知れぬ苦痛が渦巻いていた。「葉、宛、霜……!」歯の隙間から絞り出したその言葉には、血を吐くような憎悪が滲んでいた。彼は、手負いの獣のように、勢いよく身を翻すと、もっとも重要な供述書を数枚掴み取り、大股で乾元殿を飛び出し、まっすぐ長秋宮へと向かった。――バン!長秋宮の扉が、玄舟の蹴りによって荒々しく開け放たれた。その激しい音に、鏡の前で身支度をしていた宛霜が驚いて振り返る。殺気立った表情で、目を血走らせた玄舟を目にした瞬間、彼女の胸がどくりと鳴った。それでも、すぐさま顔には優しげな笑みを取り繕い、立ち上がって歩み寄った。「陛下、こんな時間にどうなさいましたの?そのような険しいお顔をなさって……朝議で何かございましたの……」――バシッ!分厚い供述書の束が、丁寧に化粧を施した宛霜の顔に、乱暴に叩きつけられた。紙が辺り一面に散らばる。宛霜は呆然とし、頬がひりひりと痛んだ。頬を押さえながら、信じられないという顔で玄舟を見つめた。「陛下!一体……」「自分の目で見ろ!」玄舟の声は氷のように冷たく、隠しようのない殺意を帯びていた。「そなたがしでかしたことを、しかと見るがいい!」宛霜は震える手で、床に散らばった供述書を拾い上げた。目を通した瞬間、彼女の顔から一気に血の気が引いた。「違……違いますわ!陛下!どうか私の話をお聞きください!これはすべて濡れ衣にございます!誰かが私を陥れようとしているのです!」彼女は玄舟の袖にすがりつこうと飛びついた。涙が瞬く間にあふれ、か弱げに泣き崩れた。「若魚です!きっとあの女が亡霊になってまで祟っているのです!私があなたを奪ったことを恨んで、死んでもなお私を陥れようとしているのですわ!陛下!こんなものを信じてはなりません!」「そなたを陥れる?」玄舟は彼女を荒々しく振り払い、床の供述書を指さした。まるで汚物の山を見るような眼差しだった。「刑吏の証言が濡れ衣だと?長秋宮の宦官
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第17話

三日後、朝廷から民衆に至るまで国中を大きく揺るがす二つの詔が、同時に天下へと発せられた。一つは、皇帝自らが己の過ちを認め、天下に詫びるもの。もう一つは、程家の汚名をそそぎ、その名誉を回復するものだった。詔の中で、皇帝・玄舟は自らの過ちを痛切に認め、讒言を鵜呑みにしたために、恵妃・程氏とその一族に無実の罪を着せ、死に追いやったことを、自らの言葉で包み隠さず明らかにした。こうして程家一族の冤罪は正式に晴らされ、若魚の父には、その忠義と武功を称えて「忠勇公」の爵位が追贈された。さらに、一族の遺骨は丁重に改葬され、都の郊外にある風光明媚な地へ、親王に準ずる礼をもって葬られることとなった。そして亡き恵妃には、「懿貞(いってい)皇后」の諡が追贈された。その諡には、徳高く貞節を貫いた女性への敬意が込められている。懿貞皇后の名は、その後も長く後世に語り継がれることとなった。この詔が下されると、天下は騒然となった。誰もが理解していた。これは単なる名誉回復ではない。皇帝が、この上ない哀悼をもって、自らの深い懺悔と償いを示したのだと。程家の新しい墓所が完成した日、玄舟は皇帝としての仰々しい儀仗を退け、わずかな側近の侍衛だけを連れ、目立たぬ身なりに改めて宮を出た。彼はただ一人、真新しく荘厳な、それでいてどこか冷ややかな合葬墓の前に立った。墓碑には、程家五人の名が刻まれていた。秋風が寂しく吹き抜け、枯れ葉を巻き上げては、彼の衣の上に落としていった。天下に君臨する皇帝は、供の者すべてを退け、墓の前に長く長く立ち尽くした。そして、遠くに控える侍衛たちの目に、にわかには信じがたい光景が映った。彼は衣の裾をそっと整え、ゆっくりと、厳かに、静かに地に膝をついた。両膝が、冷たい土に深く沈み込む。「若魚……」彼は口を開いた。声はひどくかすれ、抑えきれない震えを帯びていた。「朕が……間違っていた」熱い雫が一滴、こらえきれずに彼の目頭からこぼれ、土の中へと吸い込まれ、跡形もなく消えた。「朕は、そなたにすまないことをした……程家にも、すまないことをした……もし来世があるのなら……朕は……」その先が、どうしても続かなかった。来世?来世を願う資格など、自分にはもうない。彼はただ、この冷たい墓の前に跪き、遅すぎた懺悔を
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第18話

程家の墓所から宮に戻ってから、玄舟はまるで別人のようになった。彼はますます政務に打ち込むようになった。自らを追い詰めるかのように。毎日、夜も明けきらぬうちに起き出して朝議に臨み、深夜まで上奏文に目を通し続ける。何もかも自分の手で処理し、疲れというものを知らないかのようだった。だが、後宮は、すっかり寂れていった。彼は二度と、どの妃嬪も召さなかった。それどころか、後宮の区域に足を踏み入れることすら、ほとんどなくなった。乾元殿の寝所にも、もはや落ち着けないようだった。夜な夜な、彼は主を失ったまま、最低限の手入れだけがなされた昭陽殿で眠った。女官たちが恐る恐る新しい寝具を敷こうとしても、彼はいつもそれを退けた。ただ一人、遺された品々の中から見つけ出した、洗いざらしで色褪せ、まだかすかに彼女の残り香が染みついているように思える古い衣を抱きしめて、着の身着のまま横になるのだった。それは、かつて若魚がよく着ていた普段着だった。彼はその衣に顔を埋め、とうに消え失せているはずの彼女の残り香を、まだかすかに感じられるような気がして、ようやくわずかな間、目を閉じることができた。彼は幼い皇子謝念魚(しゃ ねんぎょ)を自らの住まう乾元殿へ引き取り、自らの手で育てた。食事から日々の世話に至るまで、自ら細かく気を配った。読み書きも、自ら教えた。だが、念魚の澄んだ明るい瞳が、日に日に若魚に似てくるのを見るたびに、彼はより長い沈黙と、より深い苦しみに沈んでいった。念魚への感情は、極限まで複雑だった。あるときは、たった一字を書き間違えただけで、厳しく怒鳴りつけ、非情なまでに厳格さを求めた。またあるときは、深夜、眠りに落ちた我が子を抱きしめながら、苦しげに、何度も何度もつぶやいた。「そなたの母は……もう朕たちを、いらないと言ったのだ……悪いのは朕だ……そなたの母を、朕が失ってしまったのだ……」その子の存在は、彼にとって唯一の慰めであると同時に、常に己の罪を思い知らせる、もっとも鋭い棘でもあった。宦官長は、日に日にやつれ、目の下の隈が濃くなっていく皇帝を見て、心配でならなかった。彼は密かに各地を探し回り、ついにどことなく若魚に似た顔立ちの民間の女を見つけ出した。立ち居振る舞いまで念入りに教え込んだのち、機を見て玄舟の前に差し出
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第19話

時は流れ、瞬く間に三年が過ぎた。朝廷において、玄舟は相変わらず、威厳に満ち、冷ややかで、ほとんど自らを苛むほど政務に励む帝であり続けた。ただ、眉間に宿る陰りと、瞳の奥に潜む寂寥は、日を追うごとに色濃くなっていった。溶けることのない濃い墨のように。その日の朝議で、南方の清河州(せいがしゅう)から届いた一通の奏報が、御前に差し出された。内容は国の大事というわけではなかったが、それを奏上する役人は額に汗をにじませ、慎重すぎるほどの口ぶりで告げた。「陛下。清河州にて、近ごろ噂になっておりますのは、ある女子にございます。医術がきわめて優れ、ことに難病の治療を得意とし、これまで数多くの命を救ったことから、地元の民に『生き観音』と呼ばれておりまして……ただ……」役人は一拍置き、こっそりと皇帝の顔色をうかがいながら、意を決したように続けた。「ただ……伝え聞くところによりますと……その女子の容貌が……亡き懿貞皇后様に、酷似しているとのことにございます……」最後の一言は、ほとんど口の中に消えるほど小さな声だった。だが、朝議の大殿はあまりに静まり返っていて、その言葉ははっきりと玄舟の耳に届いた。上奏文を握る彼の手が、ほとんど分からぬほどわずかに強張った。朝議の場は、死んだように静まり返った。大臣たちは皆、息を潜め、頭を垂れたまま、物音ひとつ立てようとしなかった。誰もが知っていた。「懿貞皇后」という名は、陛下の心の中で決して触れてはならない傷であることを。この三年、「亡き皇后に瓜二つ」という類いの噂がなかったわけではない。はじめのうちは陛下自ら人を遣って調べさせたこともあったが、そのたびに落胆に終わった。一度など、地方の役人が皇帝の機嫌を取ろうと、面差しがいくらか似た女を都に送り込んだことがあったが、その結果、皇帝は激怒し、その役人の末路は悲惨を極めた。それ以来、誰もこの話を持ち出そうとする者はいなかった。玄舟の表情には、何の感情も浮かんでいなかった。ただその奏報を無造作に脇へ置き、抑揚のない声で言った。「分かった。朝議を終える」まるで、取るに足らない些事であるかのように。だが、乾元殿へ戻り、供の者を退けたあと、玄舟はただ一人、窓辺に立ち、宮壁の外に広がる灰色の空を、長く長く見つめたまま動かなかった。酷似……
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第20話

昼夜を分かたず馬を駆り、野宿を重ねる過酷な旅だった。玄舟は少数精鋭の侍衛だけを引き連れ、帝としての儀仗をすべて退け、まるでただの急ぎの旅人のように、一刻でも早く、はるか遠い清河州へと駆けつけた。暗部からもたらされた手がかりによれば、亡き皇后に瓜二つのその女は、清河州の郊外にある「清渓」という静かな小さな町で、「済世堂」という名の小さな医館を営んでいるという。清渓の素朴な通りに立った瞬間、玄舟の胸には、長く離れていた故郷を目前にしたような、奇妙な怖じ気が湧いた。彼は侍衛たちを遠くに待たせ、自分一人だけで、かすかに漂う薬草の香りをたどり、「済世堂」と記された飾り気のない看板を掲げた医館へと歩いていった。医館の戸は開け放たれ、中は明るく、何人かの町人が順番を待っていた。玄舟の足は、医館から少し離れた街角で止まった。そこから、食い入るように、それでいて恐る恐る、館内へと視線を投げかける。そして、彼女を見つけた。若魚だ。月明かりを思わせる白の質素な衣をまとい、化粧気はまったくなく、髪は簡素な木の簪一本で無造作にまとめられている。彼女は古びた木の机の前に座り、一人の老婦人の脈を診ていた。昼下がりの光の中、その横顔は、驚くほど穏やかで柔らかだった。指先を老婦人の手首に当て、真剣な表情で、ときおり穏やかに言葉をかける。声は落ち着いていて、聞く者の心を鎮めるような不思議な力があった。かつて彼の記憶の中にあった、いつも怯えて悲しげだった、あるいは後には完全に麻痺しきって絶望していた若魚とは、まるで別人だった。今の彼女は、まるで宮中でまとっていたあらゆるものを洗い落とし、その痕跡さえきれいに脱ぎ捨てて、内側から滲み出るような、穏やかで淡々とした気配だけを纏っているようだった。まるで、この三年の市井での暮らしが、彼女を新たに育て直し、新たな生気を宿らせたかのように。玄舟の胸は、何かに強く打たれたように痛んだ。喉の奥まで締めつけられるような痛み。それでいて、失ったものを取り戻せたという、途方もない歓喜が、胸を突き破らんばかりにこみ上げてきた。彼は息をひそめ、身動きひとつせず、この夢のような光景を壊してしまわぬよう、じっとその場に立ち尽くした。彼は、人目を忍んで盗み見る者のように、遠くから、飽くことなく彼女を見つめ続けた。
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