裕介が帰宅すると、家の中はしんと静まり返り、人の気配はどこにもなかった。ひんやりとした空気に、葵が愛用していた香水のほのかな香りが混じっている。彼は気づいてしまった。葵のいない家は、こんなにもがらんとしているのだと。寝室から書斎、そして洗面所まで――どこを見ても、葵が自分の手で整えてきた痕跡ばかりだった。以前、家具を選ぶときも、葵は裕介についてきてほしいと頼んだ。けれど裕介は、仕事が忙しいからと断った。次に家へ帰ったときには、部屋はすっかり整えられていた。どこに何を置くかまで、葵はすべて把握していた。けれど今は、目に映るものは何も変わっていないのに、それを整えていた本人だけがいなくなっている。一通り探したはずなのに、もしかしたら葵は何かを残しているかもしれない――そんな思いが、どうしても拭えなかった。裕介は抑えきれない震えを感じながら、家中を探し始めた。クローゼットの中、机の裏、さらにはドアの隙間まで、ありとあらゆる場所を探した。部屋中がひっくり返るほど探しても、置き手紙のひとつさえ見つからない。最後に、乱れたベッドへと望みを託した。けれど、そこにも何もなかった。心臓を何千本もの針で一斉に刺されているような痛みが、胸の奥を締めつける。そこでようやく裕介は、葵が本気で自分のもとを去ったのだと、否応なく思い知らされた。離婚を切り出せば、きっと葵は悲しむ。泣き叫ぶかもしれない。あるいは、また自ら命を絶とうとするかもしれない――裕介は、そんな反応を勝手に想像していた。けれど、何ひとつ起こらなかった。葵がしたことは、簡単だった。離婚届に署名し、彼のもとを去った。それだけだった。その夜、裕介はほとんど眠れなかった。翌日、会社へ向かうと、入口で待っていた秘書が声をかけてきた。「社長、午後3時からの会議ですが……」「中止してくれ」裕介はこめかみを揉みながら言葉を遮った。ふと、秘書が何か言いたげにしているのが目に入る。「何かあるなら、言ってくれ」「いえ……ただ、最近の社長は、奥様の行方をずいぶん気にされているように見えまして。でも、以前は……」秘書は、それ以上を口にするのをやめた。裕介は大きな窓の向こうを見つめた。眉間に深い皺が寄る。「俺は……今まで、葵にひどいことをしてい
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