穂香を秘書としてそばに置くようになってから、慎吾はいつもそうだった。忙しくて家に帰る時間もない。奈月の話を聞く時間もない。家庭のことに気を配る余裕もない。家具を買い替えるような些細なことから、引っ越し、娘の進学先まで、奈月が相談しても返ってくる言葉はいつも同じだった。「好きに決めてくれ」スマホの画面をもう一度、さっきのSNSの投稿に戻した。そこに書かれている慎吾は、まるで奈月の知らない人のようだった。穏やかで、辛抱強くて、そこにはかすかな愛情さえ感じられた。奈月はその文章を見つめ、それから顔を上げた。ICUの病室を隔てるガラスには、自分の姿が映っていた。ひどくやつれ、目は真っ赤に腫れ、今にも息絶えそうなほど憔悴している。奈月はその場にずるずると座り込み、冷たい壁に後頭部を預けた。スマホを握る指先は、力が入りすぎて白くなっていた。母が慌ただしく駆けつけ、奈月が一人きりなのを見るなり、真っ先に尋ねた。「慎吾は?」奈月は首を横に振り、小さな声で言った。「お母さん、私、離婚したい」「どうして?」母は理解できないという顔をした。「あなたたち、大学を卒業してすぐ結婚したでしょう。二人で会社を始めた頃は、隙間風の入るような古いアパートに住んで、前の日の残り物で食いつないでたじゃない。あんなに苦しい時期を二人で乗り越えてきたのに、今は何もかも手に入ったでしょう。それなのに、どうして離婚なんて……」そうだった。あの頃は、わずかな食べ物さえ相手に残そうとするほど貧しくて、水を飲んで空腹をごまかしながら、それでも二人で馬鹿みたいに笑っていた。何ひとつ持っていなかった。あったのは、何の足しにもならない愛だけだった。けれど今は、何もかも手に入った。住む家はどんどん広くなり、車も増え、暮らしは豊かになっていった。それなのに、二人の心だけは少しずつ離れていった。奈月は静かに言った。「慎吾の秘書ね、きれいで頭もよくて、人混みにいても目を引くような人なの」「それがどうしたの?」「お母さん、私はどこにでもいる普通の女だよ」奈月は口元を歪めた。笑おうとしているうちに、唇に苦くしょっぱい味が滲んだ。「何年も家のことばかりしてるうちに、平凡で、面白みもなくて……今じゃ、何の価値もないような普通
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