All Chapters of 未来を変える恋、はじめます。: Chapter 11 - Chapter 20

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第三章:名前のない距離、夏の夜の誓い②

「ちょっ……陽生、お前三十五点ってそれはないだろ!」  カラオケルームのテレビ画面に表示された点数を見て、朔也は身体をくの字に折って爆笑した。心羽は朔也の背中にくっついて肩を震わせ、茉莉は困ったように曖昧な笑みを浮かべている。 「カラオケの機械ってこんな点数出るんだね! 心羽はじめて見た!」 「うるせえよ、そこのバカップル。っていうか、朔也はおれが音楽の授業ずっと口パクしてるの知ってるのに、何で無理やり歌わせるんだよ」 「面白いから」 「黙れ」  陽生は朔也をぎろりと睨む。たまらなくなったのか、茉莉も小さく吹き出した。 「貴嶋くんと氷上くんって本当に仲良いよね」 「ただの腐れ縁だ。ほら、次、芦屋歌えよ」  憮然とした顔で、陽生は茉莉へとデンモクとマイクを押しやった。茉莉はデンモクを手に取ると、曲を探し始める。  しばらくして、テレビ画面に茉莉が選んだ曲が表示された。それは、何年か前のテレビドラマの主題歌だった。  ピアノによるイントロが流れ始めると、茉莉はマイクを持った。そして、すっと小さく息を吸うと声帯を震わせて、優しいのにどこか陰を感じさせる声で歌い始めた。歌声から伝わってくる無自覚な切なさと悲しみに、陽生の心はぎゅっと掴まれる。  ラブバラードを歌い上げていく茉莉の顔を心羽はじっと見ていた。朔也も何か思うところがあるのか、黙って茉莉の歌に耳を傾けていた。  ラストのサビが終わり、ピアノがアウトロを奏で始めると茉莉はマイクを置いた。そして、部屋の中が静まり返っていることに気がつくと、彼女は申し訳なさそうに目を伏せる。 「ごめん、今の流れでバラードはなかったよね。選曲間違えちゃったみたい」 「そんなことないよ。茉莉の歌が上手くてつい聞き入っちゃっただけだよ。ね、さっくん?」 「うん、めっちゃ上手かった。陽生は勉強だけじゃなく、歌も芦屋に教えてもらった方がいいんじゃないか?」 「やかましいわ」 「茉莉、こっちにデンモクちょうだい。次、心羽が歌うー」 「陽生、オレたちは飲み物取りに行こうぜ。心羽ちゃん、芦屋、何か欲しいものある?」 「わたしは大丈夫。心羽は?」 「じゃあ、心羽、オレンジジュース!」  りょーかい、と片目を瞑ると朔也は部屋を出る。陽生は朔也の後に続き、ドリンクバーへと向かった。 「なあ、陽生。芦屋って、自覚
last updateLast Updated : 2026-08-18
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第三章:名前のない距離、夏の夜の誓い③

「はい、貴嶋くん。これ、去年の資料ね」  多目的教室で陽生は向かい合って、茉莉と文化祭実行委員の仕事をしていた。去年、文化祭実行委員が準備に使った資材の洗い出しをしてほしいと茉莉に渡されたのが今しがたの書類の山だった。 「多少は変動があるかもしれないけど、これを見れば、校門や昇降口の看板とか、屋上から吊るす垂れ幕に使う資材の量がわかるはずだから。貴嶋くんがそれ確認している間に、わたしは各クラスや各部活から上がってきた申請の確認をしちゃうね」 「わかった……けど、今日、これおれらだけで無理に進める必要あるのか? 週明けに終わらせることにして、ほどほどで切り上げようぜ。ほら……明日、おれら海、行くし」 「それとこれとは話が別だよ。それに週明けに回したらお盆に入っちゃう。そしたら、資材の発注が遅れて、文化祭の準備に影響が出ちゃうよ。お盆の間って流通が止まるから」  へえ、と相槌を打ちながら、陽生は昨年の資料に目を通していく。段ボールに絵の具、布にガムテープ――資料に出てきた資材を都度申請用紙に陽生は記入していく。必要な数を申請用紙の欄外に正の字を書いてもたもたと陽生が数えているうちに、茉莉は流れるような早さで書類の束を捌いていく。 「あ、貴嶋くん、そこ厚紙が抜けてるよ」 「……」  自分も作業しながらだというのに、微細なミスにすら気づいてしまう茉莉の視野の広さと能力の高さに陽生は舌を巻いた。指摘をした茉莉は右手にシャーペンを握ったまま、左手でぺらぺらと書類を捲り続けている。 「そういやさ、なんで芦屋は文化祭実行委員なんてこんな面倒な仕事を引き受けてるんだ?」 「わたし? わたしは――瑠音のためだよ」  瑠音のため。また出た、と思いながら、陽生は内心で溜息をつく。 「なんで、お前が文化祭実行委員をやることが佐倉のためになるんだ?」 「文化祭でライブをやるから、時間とスペースを融通してほしいって。メディアも入る予定だから、そのための手配もしてほしいって言われて。そのためには、わたしが文化祭実行委員になるしかないかなって」 「有り体に言うと、打算的な思惑があって、文化祭実行委員に立候補したってわけか」 「そういうこと。――ねえ、貴嶋くんは何で文化祭実行委員になったの?」 「……何となく」 「補習であんなに忙しい人が、普通何となくで文化祭実行委
last updateLast Updated : 2026-08-18
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第三章:名前のない距離、夏の夜の誓い④

 白い木造の建物に、淡いターコイズ色の金属屋根。屋根の上では小さな木彫りの鳥が潮風の行方を知らせている。ぱたぱたとはためく幟も都会的に洗練されていて、海の家というよりはカフェといったほうがしっくりくる。 「最近の海の家は洒落てんな……」  思わず陽生がそう口に出すと、朔也はにんまりと笑った。彼はメニュー表を陽生へと差し出す。 「洒落てんのは見た目だけじゃなくて、メニューもだぜ、陽生」  心羽が買っていたガイドブックに載っていた小洒落た食事やスイーツ、ドリンクの数々が洗練されたフォントでメニューに記されていた。先ほど運ばれてきたお冷のグラスも透かし彫りで回遊する魚の柄があしらわれているし、お代わり用の水差しにはレモンが浮いている。何から何までお洒落だ。 「オレは生しらすの冷やしパスタ。心羽ちゃんはどうする?」 「じゃあ心羽は、シーフードトマトリゾット! 茉莉は?」 「わたしはそうだなあ……アボカドシュリンプオープンサンドで! 貴嶋くんはどうするの?」 「うーん……おれは悩み中……でもせっかくだから海鮮食いてえんだよな……。ここは無難に生しらす丼で」 「陽生、お前って本当に冒険しないよな」 「うっせえよ」  先ほどのことといえ、遠回しに意気地なしと言われているようでむっとしながら陽生は言い返した。  子供連れに、陽生たちのような学生の友達同士。混み合う店内を歩く水着の上からエプロンをつけた姿のウェイターを呼び止めると、陽生は四人分の注文を告げる。 「生しらすの冷やしパスタとシーフードトマトリゾット、アボカドシュリンプオープンサンドと生しらす丼で」 「あっ、心羽、カラフルフルーツかき氷も食べる!」 「それじゃあ、わたしは食後にトロピカルティーソーダを」 「オレ、生搾り塩レモネード」  せっかく注文をまとめたというのに、その甲斐なく、心羽たちは追加注文を畳み掛けてくる。陽生は溜息混じりにアイスコーヒーと告げると、注文を打ち切った。  ウェイターが注文を復唱して去っていくと、何か言いたげな視線を朔也が向けてきた。うるさい、と陽生は彼を視線で黙らせる。 「貴嶋くんと氷上くんって面白いよね。言葉にしなくてもわかりあってる感じが、本当に仲良いんだなあって感じする」 「あのな芦屋……おれと朔也はただの腐れ縁ってだけだ」 「貴嶋くんはそんなこ
last updateLast Updated : 2026-08-18
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第四章:踏み出す一歩、重なる心①

 朔也とのメッセージアプリで他愛もないやりとりを終え、アプリを落とそうとした瞬間、陽生は違和感に襲われた。  何かがおかしい。これまであったはずの何かがない。  違和感の輪郭を探ろうと、陽生はベッドに横たわったまま記憶を遡っていく。窓の外ではやけに宵っ張りなセミがまだ鳴き声を奏でている。  四人で海に行ったときのこと。水着や浮き輪を買いに行ったときのこと。四人でカラオケに行き、ファミレスへ行ったときのこと。茉莉と二人で文化祭実行委員の仕事をしたときのこと。夏休み前に、未来の自分から送られてくるメッセージのことを心羽に打ち明けたときのこと。 (――あ)  陽生の中で疑問が氷解し、違和感が確信へと変わっていく。この夏休みの間、一度も未来の自分からのメッセージが届いていない。  夏休み中も、日々忙しくしていることもあって、茉莉は瑠音から距離を置くことができている。それなのに、胸の奥に引っかかるものが消えなかった。――今のままでいい、そうは思えなかったから。 (芦屋……)  ふとした瞬間に、海へ行ったあの日の出来事が思い起こされる。抱き合った身体の温もりが、柔らかさが鮮やかに五感に蘇ってくる。  気がつけば、いつの間にか彼女のことばかり考えている。夏休みの間も文化祭実行委員の仕事で毎日のように顔を合わせているというのに、今彼女はどうしているかだとかそんなことばかり気にしている。恋というのは厄介な病らしいと陽生は十六歳にしてようやく実感していた。  陽生は茉莉とのチャット画面を開くと、何とはなしにログを遡っていく。入学したばかりのただのクラスメイトでしかなかったころの距離感がよそよそしく感じはするものの、どこか懐かしくもあった。――まだ季節がたった一つ巡っただけだというのに。  今何してる? まだ起きてる? そんなことを陽生は入力しては、送るのを思い留まり――消す。馬鹿なことをしているとはわかっていたけれど、数時間前に別れたばかりの彼女の言葉を交わしたくて仕方がなかった。 (朔也なら、こういうとき上手くやるんだろうな)  要領の良いあの親友なら、間違いなくさりげない雑談をスマートに切り出せる。それに対して気の利いた話題の一つも持ち合わせていない自分を陽生は情けなく思った。  はあ、と溜息をつくと、陽生はスマホをベッドの上に投げ出した。結局、今夜も
last updateLast Updated : 2026-08-18
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第四章:踏み出す一歩、重なる心②

 ショッピングモールのフードコートは喧騒に包まれていた。朔也はずずずっとジンジャーエールを啜ると、口を開く。「それで、陽生。明日のデートプランはどうなってんの? 当然、晩飯の予約くらいしてあるんだろうな?」 え、と陽生はフライドポテトを手にしたまま固まった。普通に夕方に解散するつもりで、茉莉と夕飯を共にするつもりなどなかった。駄目だなあ、と朔也は肩をすくめる。「いいか? 明日は芦屋の誕生日だ。女子っつーのは好きな男にお洒落なレストランで祝ってもらいたいもんなの。それで二軒目にホテルのバーラウンジに行って、その後、事前に予約をとっておいたホテルの部屋で……ってのがテッパンなの」 ホテルの部屋で。夜に男女が二人きりになれば、することなんて知れている。海で抱き合ったときの茉莉の身体の感触が鮮明に蘇ってきて、陽生は顔を紅潮させた。手からぽとりとポテトが落ちる。「陽生ってお子様のくせにむっつりだよな」「……うるせーよ。っていうか、俺ら高校生なんだから、晩飯はともかく、バーラウンジ云々とか無理だろ。ホテルがどうとかも風営法がアウトだろ」「風営法のことまで知ってるとか、お前だいぶ調べただろ」「……べ、別に常識だろ」 まあいいや、と朔也はバッグからスマホを取り出した。「ちょっと見てみ?」彼はそれを陽生のほうへと押しやった。陽生はポテトを拾い上げて口に放り込むと、画面を覗き込む。「最新版ディナーデート名店十選……」「こういうの疎そうな陽生のために調べておいた。和洋中いろいろあるけど、芦屋なら洋食がオレ的にはオススメ」「……なんでわかるんだ?」「だってあいつ、みんなで出かけたとき、大体オープンサンドとかオムライスとかパスタとかばっか食ってんじゃん」「……」 朔也に指摘されてみれば、そんな気もする。彼のほうが彼女の食の好みを熟知していることが、陽生は何だか面白くなかった。「あと、女子相手ならイタリアンにしておけば、余程のことがなければ大外ししたりはしない。これは大マジ」 恋人がいる朔也の言葉には説得力があった。陽生は小さく頷く。「あと、絶対に芦屋に金出させるなよ。誕生日だからな、わかってるな?」「……お、おう」 で、と朔也はポテトを一本摘むと話題を変える。「当然だけど、芦屋へのプレゼントは用意したんだろうな?」「明日買い物行ったときでいいかと
last updateLast Updated : 2026-08-19
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第四章:踏み出す一歩、重なる心③

「貴嶋くん、コーヒーだけでよかったの? パフェも一口食べない?」  琥珀色のピーチティー。バナナの上にキャラメルソースがたっぷりとかかった、甘い匂いのするパフェ。パフェ用の細いスプーンを手に、ショッピングモール内のカフェの真向かいの席に座った茉莉が陽生を見ていた。 「いや、いい。おれ、キャラメルアレルギーだから」 「何それ。この前、実行委員の仕事のときにキャラメルラテ飲んでたよね?」 「じゃあ実はおれ、糖尿病で」 「もう、何いい加減なこと言ってるの」  茉莉は不服そうにパフェを食べ進めていく。スプーンが触れる唇はツヤのあるアプリコットで、陽生は彼女の口元からそっと視線を逸らした。茉莉からパフェを分けてもらうということは、間接キスをするということなわけで。茉莉が相手なら嫌とかではないが、そんなことを公衆の面前でするのは気恥ずかしさが勝つ。 「それはそうと、わたしこの後、買いたいものがあるんだけどいいかな?」 「いいけど……買いたいものって?」 「ほら、来週みんなで花火大会行くでしょ? せっかくだから浴衣着て行きたいねって心羽と話してて」 「それなら天沢と買いに来たらよかったんじゃないか……?」 「心羽は氷上くんと買いに行くって言ってたよ。だから、貴嶋くん、一緒にわたしの浴衣選んでよ」 「おれが選ぶと目ん玉柄とかQRコード柄になるぞ……」 「そんなの売ってるのみたことないけど……貴嶋くんってなんかすごく心配になるセンスしてるよね。その割に、服のセンスはいいしよくわかんない……」 「だって、服は昨日、朔也に見立ててもらったからな」  言ってしまってから、しまったと陽生は思った。これでは茉莉と出かけるために思いっきり気合いを入れてきたと自白してしまったも同義だ。ダサいことの上ない。なるほどね、と微笑ましいものを見るかのように茉莉は目尻を下げる。 「おかしいなあと思ってたんだよね。でも、全部氷上くんが選んでたんだったら納得。氷上くん、センスいいもんね」 「どうせおれはセンスの悪い男だよ……」 「もう、拗ねないで。ほら、それ飲み終わったら浴衣見るの付き合ってよ」  はいはい、とやけくそ混じりに陽生は残っていたアイスコーヒーを一気に飲み干した。そして、空になった茉莉のグラスとパフェグラスをトレイの上に乗せると、陽生は席を立った。からりとグラ
last updateLast Updated : 2026-08-19
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第四章:踏み出す一歩、重なる心④

 空は紺色に覆われ、西の端の残照が昼から夜へと移り変わりつつあることを知らせていた。灼き殺すような暑さもほんの少し和らぎ、汗ばんだ肌を撫でる夕風がわずかな涼しさを与えてくれる。 「何で、陽生だけ浴衣じゃないわけ?」  待ち合わせをしていた駅前で顔を合わせるなり、朔也は開口一番に文句を言った。朔也は水色に白の縞模様の浴衣に身を包んでいる。去年まではTシャツにデニムだったくせに、何だか裏切られた気分だ。 「逆に何で朔也は浴衣なんだよ……」 「オレ? オレは心羽ちゃんと浴衣買いに行ったときに買っちゃった。これリンクコーデっぽくてよくない?」  対する心羽の出立ちは鮮やかな赤い金魚が泳ぐ水色の浴衣だ。柔らかな黄色の帯が彼女の元気な印象を引き立てている。 「茉莉も今日めっちゃかわいいねー! いつもと違う感じで新鮮!」  茉莉は先週買った浴衣に身を包んでいた。普段はハーフアップにされている髪は今日はシニヨンにまとめられ、陽生が贈った簪が添えられている。  お、と朔也は茉莉の簪に目をとめると、陽生へと擦り寄ってきた。そして、にやにやとしながら彼は陽生へと囁いた。 「あの簪、お前が芦屋にあげたんだろ。やるじゃん」 「和服屋の店員に押し売りされただけだ」 「知ってるか? 簪を贈る意味は”守りたい”らしいぜ」 「お前は無駄にそういうことに詳しいのな……」  陽生は溜息をついた。茉莉のことは守ってやりたいとは思っているが、意図せずにそんな意味を持つものを贈っていたとは思わなかった。彼女は簪の持つ意味に気がついているのだろうか。 「ねえ、さっくん、貴嶋くんー! 花火始まるまで屋台見て回ろうよー! この通り沿い全部屋台なんでしょー?」 「そうするか。陽生と芦屋もそれでいいよな?」 うん、と茉莉は頷いた。好きにしろよと陽生は肩をすくめた。  心羽は両腕を朔也の腕に絡める。二人の背を追って、陽生と茉莉も歩き出した。 「芦屋、それいいじゃん」  ぼそりと陽生がそう呟くと、茉莉ははにかんだように微笑んだ。 「ねえ、茉莉ー、貴嶋くんー! これ一緒に食べよー! っていうか持ちきれないから引き取ってー!」  心羽の声が響いた。前を歩いていたはずの水色の浴衣の二人組の姿を探すと、少し先のチョコバナナの屋台で足を止めていた。「おう、今行く」叫び返すと、陽生は茉莉
last updateLast Updated : 2026-08-19
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第五章:晩い夏に蝶は目覚める①

 陽生が扉を潜ると、夏休み明けの朝の教室はどよめきに包まれた。ヤクザとやりあって負けたとか、ネコと喧嘩してずたぼろにされたらしいだとか、根も葉もない噂がひそひそとクラスメイトたちの間で囁き交わされる。前者はともかく、後者は一体どこからでてきたんだ。 「よっ、スズメに負けた勇者くん」  クラスメイトたちの何の根拠もない話に陽生が辟易していると、先に登校していた朔也がにやにやとしながら声をかけてきた。確かにあの夜、瑠音に一方的に嬲られた覚えはあるが、スズメと喧嘩した事実などない。 「何なんだよ……ネコと喧嘩とかスズメと喧嘩とか……。おれってそんなに弱そうに見えんのか?」 「まあ、普段目立たないくせにその出で立ちだからな……いろんな憶測も飛び交いもするだろ」  朔也が指摘した通り、陽生は顔中に青黒い痣ができ、頭には包帯が巻かれた状態だった。 「朔也、変な噂振り撒いてるの、お前じゃねえだろうな」 「そんなまさか」 「じゃあ小動物と喧嘩して負けたとかダサいから、おれはチャリでドブに落ちたらしいってことにしておいてくれ」 「……そっちのほうがダサくないか?」  朔也は一瞬、呆れたような顔を見せる。そして、彼は真顔に戻るとこう聞いた。 「メッセージアプリでも聞いた通り、お前、佐倉とやりあったんだよな。お前さ……あれから、芦屋と連絡取れてるか?」 「取れてねえ。っていうか取ってねえ。どのツラ下げて、連絡取ればいいのかわかんねえよ」 「お前なあ……。お前と佐倉の殴り合いなんて、芦屋からしたら一番見たくないものだろ。ちゃんとアフターケアしないでどうすんの」 「おれはどうせ気が回らねえよ……どうせ頭五針縫われて気が動転してた雑魚野郎だよ……」 「そんなふうに卑下しろとは言ってないだろ。それにしても、花火大会の日から芦屋がどうしてるのか気になるな。グルチャに反応ないどころか、心羽ちゃんがメッセージ送ってもまったく既読がつかないって言ってた。オレもメッセージ送ってみたけど、何も反応なかった」 「もしかして、佐倉にスマホを取られてるのか? あいつ、警察が来たせいで消化不良みたいな顔してたからな……」  うーんと陽生と朔也は顔を見合わせる。なぜか嫌な予感がする。  予鈴が鳴る五分前になって、心羽が登校してきた。彼女は自分の席へは向かわず、陽生たちのもとへと
last updateLast Updated : 2026-08-19
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第五章:晩い夏に蝶は目覚める②

 朝のホームルームが始まる前、やり忘れた宿題を朔也のノートを借りて写させてもらっているときに陽生は妙なことに気がついた。前の席の椅子に後ろ向きに座って陽生のノートを覗き込んでいた朔也に、彼はそっと耳打ちをする。 「なあ、芦屋と天沢ってここ何日かずっと一緒に登校してきてるよな。あいつらって家同じ方面だっけ」 「あれ……もしかして、陽生、芦屋から何も聞いてないの?」 「何も……って何の話だ?」  陽生は怪訝そうに眉を顰める。何って、と朔也は茉莉と心羽にちらりと一瞥をくれるとこう言った。 「芦屋、今、心羽ちゃんちに居候してるんだよ」 「は? 何で?」 「始業式の日に、花火大会の日からの一連の話を知った心羽ちゃんが激ギレしてさ。もう佐倉の近くに芦屋を置いておけないって、心羽ちゃんが強制的に芦屋を連れ帰ったんだよ」 「でも何で、天沢んちに?」 「たとえば、芦屋がお前を頼ったとしても、年ごろの女子が付き合ってもいない男子の家に居候とか外聞が悪いだろ」 「それは……まあ、そうだな。だけど、そういうの、芦屋の親は反対しねえのか?」  それが、と朔也は言いづらそうな顔をした。彼は周囲を見回すと、陽生に耳打ちをした。 「芦屋んち、中学のときに離婚してて父親しかいないんだよ。で、その父親っていうのが忙しくてほとんど家に帰ってこないらしいんだ。だから、芦屋のことも昔から付き合いのある佐倉に任せきりらしいぜ」  陽生は自分が茉莉について知った気になっていたことを痛感させられた。しかし、彼女の家庭環境を知ったことで、どうして彼女と瑠音の関係性があんなにも歪んでしまったのか垣間見えた気がした。 「それにしても大変だったぜ。心羽ちゃんとオレで、芦屋んちに当面の荷物取りに行ったんだけど、運悪く佐倉と出くわしちゃってさ。心羽ちゃんが荷物まとめて持ち出してる間、ずーっとあいつの相手する羽目になってさすがにしんどいのなんの。手加減なんてしないで、指の数本くらいへし折ってやるべきだったかもしれないな。あいつ、ギタボだろ?」 「朔也、お前、傷害罪とか過剰防衛とかって知ってるか……?」 「芦屋を巡って佐倉と殴り合いになったやつにいわれてもなあ……」  そんな話をしていると、席に荷物を置いた茉莉と心羽が近づいてきた。茉莉の顔に残る痣はまだ痛々しげだが、始業式の日に保健室で会った
last updateLast Updated : 2026-08-20
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第五章:晩い夏に蝶は目覚める③

「茉莉ー、また糸からまっちゃったあ」  人気のない多目的室に心羽の情けない声が響いた。見せて、と茉莉は作業の手を止めると、心羽の手元を覗き込む。  多目的室にいるのは文化祭実行委員の陽生と茉莉、陽生たちのクラスの出し物係である朔也と心羽だけだった。朔也と心羽は新学期になってから陽生たちの手伝いとして多目的室に入り浸るようになっていたが、気がつけば半分自分たちのクラスの作業部屋と化していた。他の実行委員たちが陽生と茉莉に準備を押し付けて、ろくに顔を出さないからこそ成し得たことだった。  陽生はぺたぺたとハケでベニヤ板にペンキを塗っていく。朔也は陽生の作業を横から覗き込むと、うわっと声を上げた。 「何お前その超前衛的なカラーリング」 「洒落ていると言えよ」 「いやでも、その蛍光ピンクはマジでないわ。何で蛍光ピンク?」 「今年のテーマに沿って、桜姫のイメージで……」  陽生がそう答えると、朔也は芦屋ー! と叫んだ。 「芦屋、陽生ほったらかしにしたらやばいって! 看板すげーことになりかけてるから! 早く止めてこい!」  心羽の代わりに魔法少女の衣装を縫っていた茉莉は布と針をその場に置くと、陽生のそばへと戻る。あの形のまま、茉莉の口が固まる。 「……貴嶋くん、ちょっとこれ、真っ白に塗りつぶしてやり直そう?」 「芦屋、何でだ? 今年のテーマに沿ったカラーリングだと思ったんだけど……」 「なんていうか……ちょっと独特すぎるかな。文化祭には地域の人とかもたくさん来るんだから、もう少し万人受けする感じにしないと」 「……」  憮然として陽生は黙り込んだ。そんな彼をよそに、茉莉は塗り掛けのベニヤ板とペンキの缶をどけて、作業スペースを確保していく。ついでに窓を開けるとペンキの匂いが充満した部屋を彼女は換気する。 「看板の塗り直しはペンキが乾いてからじゃないとできないから、今日はきらりん作りしよう。校内のいろんなところに飾るから、量が必要なの」  そう言うと、茉莉は積まれた段ボールの中から、黄色の画用紙の束を取り出した。床に転がっていたハサミを拾い上げると、茉莉はそれを陽生に渡す。 「……なあ、芦屋」  教卓の中から出してきたハサミで画用紙を切る茉莉へと、陽生は話しかける。何、と彼女は作業の手を止めないまま応じた。 「お前、大変じゃねえの? 実行委
last updateLast Updated : 2026-08-20
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