未来を変える恋、はじめます。

未来を変える恋、はじめます。

last updateTerakhir Diperbarui : 2026-08-21
Oleh:  七森香歌Baru saja diperbarui
Bahasa: Japanese
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 高校に入学したばかりの陽生は、ある日の授業中、十年後の自分からのメッセージを受信する。指定された場所へ行くと、同じクラスの茉莉が泣いているところに遭遇する。その日以降も陽生のスマホには未来の自分からのメッセージが届き続け、指定された場所へ行くと常に茉莉がいた。そんなことを繰り返すうち、二人はやがて友人となり、陽生は彼女が恋人である瑠音と歪んだ関係にあることを知るが――

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Bab 1

プロローグ:はじまりの日々に未来からの伝言を

「ふぁぁ……」

 昼休み明けの暖かい日差しに陽生はるきは欠伸を噛み殺した。教壇では黒板の前で頭の薄い男性教師が、公式の使い方についての解説をしているが、耳から耳へと声が素通りして、まるで頭に入ってこない。春の心地よい陽気に誘われて、だんだんと瞼が重たくなってくる。

 うと、うと、と陽生が船を漕ぎ始めたとき、窓から入り込んできた風が頬を撫でた。次の季節に移り変わる前の花風は、まだほんの少しだけ冷たさを帯びている。

(っと、危ねえ)

 板書は途中までしか取れていないというのに、いつの間にか黒板に書かれた内容は別なものへと変わっている。あとで朔也に頼んでノートを見せてもらった方が良さそうだ。代わりにジュースの一本くらいは奢らされそうではあるが。

 机の上に転がったシャーペンを握り直すと、陽生は眠い目を擦りながら、黒板に書かれた内容をノートへと写しとりはじめる。ノートの上にはつい十分くらい前の自分が眠気に抗おうとした形跡がぐにゃぐゃとミミズがのたくったような文字として残されていた。

 のろのろと陽生が例題の解説をノートに記し始めたとき、ネイビーのブレザーのポケットの中でスマホが震えた。なんだろう。教師の注意がこちらに向いていないことを確かめると、陽生はスマホをポケットから引っ張り出し、スポーツブランドのロゴが型押しされたカーキのPUレザーのカバーを開く。

 放課後、体育館裏へ行け。ロック画面の通知にはそう表示されていた。

(一体誰からだ……?)

 陽生は机の下で惰性でスマホの画面に指を滑らせ、画面のロックを解除する。そして、メッセージの差出人の名前を確認して――陽生は思わず目を瞠った。ごくりと喉が鳴った。

 貴嶋陽生きじまはるき。差出人の表示名にはそうあった。それは陽生のフルネームと同じである。貴嶋という名字は全国を探しても珍しいほうだ。この名字にこの名前の組み合わせなど、この世に自分しかいないのではないかと思う。

(あ……れ?)

 メッセージの送信日時に違和感を覚えて、陽生は目を瞬いた。二〇三五年四月十五日、十四時二分。この日時を信じるならば、このメッセージはきっかり十年後の自分から送られてきたことになる。

 一体どんなタチの悪い冗談だろうか。もしかして、スマホがウイルスに感染でもしてしまったのだろうか。そういえば、昨夜、SNSを見ているときに妙な広告を踏んでしまったような覚えがある。

 朔也さくやに相談してみようか。しかし、うっかりしてエロ広告を踏んでしまったなど、いじられる未来しか見えない。

「――ま、貴嶋!」

 うーんと陽生が唸っていると、目の前で教師が自分の顔を覗き込んでいた。「うわっ」思わずのけぞると同時に、手の中のスマホが床の上に放り出される。教師は陽生のスマホを拾い上げると、彼へとこう言った。

「貴嶋、前に出て問四を解け。それと、授業中のスマホは禁止だ。預かっておくから、放課後に職員室に取りに来なさい」

「はーい……」

 陽生は返事をすると、教科書を手にのろのろと立ち上がった。彼が黒板の前に立つと、壁際の席の女子二人がくすくすと笑う声が聞こえた。げんなりとした気分になりながら、陽生は白いチョークを手に取ると、教科書に書かれた公式を使いながら、解答を黒板に書き殴り始めた。

 午後四時八分。職員室を出ると、陽生は溜息をついた。自分も悪かったとはいえ、入学早々に教師から説教など、とんだ目にあった。

 教室に戻ると、クラスメイトはほとんど部活に行ってしまったか、下校してしまったかした後だった。陽生は机の横に下げていたリュックを背負うと、まだなんとなくよそよそしい感じがする教室を後にする。窓辺から入り込む日差しは夕方の気配を纏い始めていた。

 陽生は廊下を抜け、階段を降りていく。ぺたぺたと真新しい上履きの靴音が響いた。グラウンドからは部活動に精を出す運動部の声が聞こえていた。どこからか、吹奏楽部の楽器の音や合唱部の歌声がうっすらと聞こえてくる。

 昇降口前の壁には新入生に向けた部員募集のポスターがこれでもかというくらいに貼られている。陽生はそれに一瞥をくれると、自分の下駄箱を開ける。すのこの上で上履きを脱いでローファーに履き替えると、下駄箱を閉め、陽生は昇降口を出た。

(そういえば、体育館裏だったっけ……)

 ふいに五限目の途中に受信したメッセージのことが思い出された。未来の自分からの呼び出しだなんて馬鹿らしい。そう思うものの、一抹の好奇心を覚えないでいられない自分がいた。

(行くだけ……行ってみるか? 誰かからの嫌がらせにしては、手が込みすぎてるし……)

 未来の自分からを装ったメッセージを送信するなど、その辺りの高校生にそうそうできることではない。陽生は校門へと向けていたローファーの爪先を体育館の方角へと向け直した。

 体育館からはボールが奏でる重低音が聞こえてくる。植え込みのツツジの間を横切って、体育館裏へと回り込もうとしたとき、陽生は一人の男子生徒とすれ違った。

(あれ、あいつ、確かC組の……)

 金髪のロングヘア。ジャラジャラと鳴る耳のピアス。制服のシャツはズボンからルーズに出され、ネクタイも最大限まで緩められている。影のようにその背中を追いかけていくムスクの香水の残り香。

 彼は何から何まで校則を破っていることで今年の新入生の間で噂になっている男だった。確か、佐倉さくらとかいったはずだ。

 体育館裏の芝生へと足を踏み入れると、一人の女子生徒がそこにいた。夕陽を受けて目元で水の珠がきらりと光る。陽生はその女子生徒に何だか見覚えがあるような気がした。

(……あ)

 ハーフアップにした髪。色素の薄い二重の双眸。色付きリップクリームのコーラルピンクが薄い唇をほのかに染めている。

 彼女は五限の数学の授業のときに陽生のことを笑っていた女子生徒の一人だった。壁際の席ということは、出席番号が若いはずだ。陽生はうろ覚えのクラス名簿を頭から繰っていく。

「ええと……もしかしてお前、芦屋あしや茉莉まつり?」

「貴嶋……くん?」

 声をかけられた茉莉は慌てて制服の袖口で涙を拭った。しかし、夕陽に照らされてなお、わかるほどに彼女の目は赤く、泣き腫らされていた。殴られたのか、熱を帯びたように頬も赤く染まっている。

「お前、何があったの? さっき、C組の佐倉とすれ違ったけど、もしかしてあいつになんかされた?」

「ちょっとね……瑠音りゅうとと喧嘩しちゃって。でも……わたしが悪いの。全部、全部。瑠音が気に入らないことをわたしがしちゃったから。わたしが瑠音の気持ちをちゃんと考えられなかったから」

 瑠音というのが佐倉のことであるのを理解するのに陽生は数秒かかった。しかし、瑠音の側にどんな理由があろうと、女子に暴力を振るうのはいかがなものだろうか。

 陽生はその場にリュックを下ろすと、オフホワイトとグレーのストライプ柄のタオルハンカチを引っ張り出す。そして、彼はほれ、とそれを茉莉のほうへと放った。

「それ使っとけ」

 そう言って、陽生はリュックをそのままに踵を返す。どこへ行くの、という弱々しい茉莉の声が背中を追いかけてきた。

「ちょっと野暮用。すぐ戻るから」

「まさか、瑠音に何かする気じゃ……?」

「そんなんじゃねえよ。心配すんな」

 そう言い置くと、陽生はその場を後にする。体育館の入り口脇の自動販売機まで行くと、陽生はスマホ決済でペットボトルの水を買った。それを手に彼は茉莉の元に戻っていく。

「ほら、その顔。ちゃんと冷やしておけよ。そのままの顔じゃ帰れねえだろ」

 ぶっきらぼうに陽生は茉莉に水のペットボトルを押し付ける。ありがとう、と茉莉はそれを受け取ると淡く微笑んだ。無理をしている笑顔だと陽生は思った。

 自分と茉莉は偶然、今日ここで出会っただけだ。きっとあの謎のメッセージとは何の関係もない。

 明日になれば、茉莉と自分は関わりのないクラスメイトへと戻る。このときの陽生は、自分はこの先の日々を朔也や他の男友達とそれなりに楽しく過ごしていくのだと信じて疑っていなかった。

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「ふぁぁ……」  昼休み明けの暖かい日差しに陽生は欠伸を噛み殺した。教壇では黒板の前で頭の薄い男性教師が、公式の使い方についての解説をしているが、耳から耳へと声が素通りして、まるで頭に入ってこない。春の心地よい陽気に誘われて、だんだんと瞼が重たくなってくる。  うと、うと、と陽生が船を漕ぎ始めたとき、窓から入り込んできた風が頬を撫でた。次の季節に移り変わる前の花風は、まだほんの少しだけ冷たさを帯びている。 (っと、危ねえ)  板書は途中までしか取れていないというのに、いつの間にか黒板に書かれた内容は別なものへと変わっている。あとで朔也に頼んでノートを見せてもらった方が良さそうだ。代わりにジュースの一本くらいは奢らされそうではあるが。  机の上に転がったシャーペンを握り直すと、陽生は眠い目を擦りながら、黒板に書かれた内容をノートへと写しとりはじめる。ノートの上にはつい十分くらい前の自分が眠気に抗おうとした形跡がぐにゃぐゃとミミズがのたくったような文字として残されていた。  のろのろと陽生が例題の解説をノートに記し始めたとき、ネイビーのブレザーのポケットの中でスマホが震えた。なんだろう。教師の注意がこちらに向いていないことを確かめると、陽生はスマホをポケットから引っ張り出し、スポーツブランドのロゴが型押しされたカーキのPUレザーのカバーを開く。  放課後、体育館裏へ行け。ロック画面の通知にはそう表示されていた。 (一体誰からだ……?)  陽生は机の下で惰性でスマホの画面に指を滑らせ、画面のロックを解除する。そして、メッセージの差出人の名前を確認して――陽生は思わず目を瞠った。ごくりと喉が鳴った。  貴嶋陽生。差出人の表示名にはそうあった。それは陽生のフルネームと同じである。貴嶋という名字は全国を探しても珍しいほうだ。この名字にこの名前の組み合わせなど、この世に自分しかいないのではないかと思う。 (あ……れ?)  メッセージの送信日時に違和感を覚えて、陽生は目を瞬いた。二〇三五年四月十五日、十四時二分。この日時を信じるならば、このメッセージはきっかり十年後の自分から送られてきたことになる。  一体どんなタチの悪い冗談だろうか。もしかして、スマホがウイルスに感染でもしてしまったのだろうか。そういえば、昨夜、SNSを見
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第一章:偶然の紡ぐ絆はシトラスの香り①
――偶然が何度も重なれば、それは必然となる。  あの日、体育館裏で泣いている茉莉と出会ったのは、偶然だと陽生は思っていた。しかし、未来からのメッセージが届いたのはあの日の一度きりではなかった。  あの三日後に届いたメッセージの内容は「傘を持って、いつもより一本早い電車に乗れ」。すると、一日晴れ予報であったにもかかわらず、電車が学校の最寄り駅に着くころには空模様が怪しくなっていた。そして、陽生は改札口で泣き出した空に戸惑っていた茉莉に出会った。  更にその二日後には「午後十三時に市営図書館へ行け」、五日後には「昼休みの終わりに購買へ行け」というメッセージが未来の自分から届いた。指示された場所に行くと、やはりいつも茉莉がいた。  未来の自分からのメッセージと茉莉の存在。それは偶然の一致ではないと、陽生は思い始めていた。ならば、未来の自分は現在の自分に何をさせたいのか。陽生はそれを疑問に思うようになっていた。――茉莉に対して何かしろというシグナルなのだとしても、その理由がわからない。何しろ、彼女とは数週間前に高校に入学して、たまたま同じクラスになっただけの間柄なのだから。 「うーん……」  英語の教科書と睨み合いながら、陽生が難しい顔で唸っていると、どしたん、と朔也が声をかけてきた。彼は前の席の椅子に逆さまに座ると、陽生の手元を覗き込んでくる。 「陽生、入学早々もう躓いてんの? ゴールデンウィーク明けには中間あるのに、それはまずいだろ。あと、そこスペル間違ってる」 「そういうわけじゃねえんだけどさ……なあ、朔也、この後の昼メシ、外行かねえ?」 「別にいいけど、どうしたん? もしかして、教室で聞かれたくない話でもあんの?――たとえば、女の話とか」 「間違ってはねえかな……たぶん、思ってるのとは違う話だと思うけど」  ほほう、と面白がるように朔也は目元をにやけさせた。陽生は先ほどの授業で出された英語の課題を適当に切り上げると、教科書とノートを机の中にしまう。そして、机の脇に下げたリュックから弁当の包みを取り出し、陽生は席を立った。 「オレ、購買寄ってくー」  わかった、と頷くと陽生は朔也とともに教室を出た。教室からは女子たちが流行りのショート動画の話題で盛り上がっているのが聞こえてくる。  昼の購買は生徒でごった返していた。あちらこちらでパンの取
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-08-17
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第一章:偶然の紡ぐ絆はシトラスの香り②
 カフェからの帰り道。すっかり日は沈み、残照が空の果てに色づくのみとなっていた。  茉莉の主だった話題は二つ。高校に入ってから仲良くなったという天沢心羽のことと、幼馴染で彼氏の佐倉瑠音のことだ。前者は甘ったるい茶を飲みながらやり過ごしていたが、後者については内心、陽生は面白くなかった。そんなに彼氏のことが好きなら、他の男と茶なんて飲んでるなよ、と。  駅の改札を通り抜け、ホームに立つと夕方の風が電車とともに駆け抜けていった。次の電車は十分後だ。陽生は茉莉とともにベンチに腰を下ろす。 「貴嶋くんは、ゴールデンウィーク何して過ごすの?」 「勉強だよ。ゴールデンウィーク明けたら中間テストだろ」 「ふうん。どこかわからないところとかあるの?」 「まあまあ全体的に。朔也と同じ高校入ろうとして、偏差値的にちょっと背伸びしたところ入っちゃったから、そのツケが今回ってきてるところ」 「朔也って、氷上くん? よく貴嶋くんといる、ちょっと軽そうな」  そう、とため息混じりに陽生は頷いた。すると、いいこと考えた、と茉莉は口元に笑みを乗せる。 「わたしが勉強教えてあげる。明日から、放課後図書室ね。うちの学校、ゴールデンウィークも図書室開放するらしいから、みっちりやろう」 「お手柔らかに頼む……。というか、お前自身の勉強はいいのか?」 「定期試験くらい、教科書に目を通しておけばわたしは余裕だよ? それに、誰かにものを教えるのって、相手の十倍理解していないとできないっていうから、わたしが貴嶋くんに勉強を教えるのはわたしの勉強にもなる」 「さいですか」 「それで、貴嶋くんは何がわからないの?」 「ええと――」  陽生は自分がだんだんと情けなくなりながらも、自分が勉強で詰まっているところを列挙していく。茉莉の笑顔がだんだんと呆れ顔に変わっていくのを陽生は直視できなかった。 「……失礼だけど、貴嶋くんってよくそれで入試通ったね」 「わからないところは全部鉛筆転がしてた……」  何それ古典的、と茉莉は吹き出した。彼女は笑いながら目元を指先で拭う。 「やだもう、ここ最近で一番笑った。とりあえず、聞いた感じだと貴嶋くんは基礎からしっかりやり直した方が良さそうだね。今やってる部分って、中学の内容とかぶってるところもあるし。重くなければ、中学の教科書も持って
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第一章:偶然の紡ぐ絆はシトラスの香り③
「あーあ……」  茉莉は自分の荷物の惨状を見ながら苦笑した。雑に破られたノートが辺りに散乱している。彼女が財布の中を確認すると、千円札が何枚か抜き取られていた。――しかし、これもいつものことだ。慣れている。 「芦屋……お前、もしかして誰かにいじめられてんのか?」  そんなんじゃないよ、と茉莉は否定する。しかし、陽生はその言葉に説得力が感じられなかった。 「けど、そんな嫌がらせされてるのって、普通じゃねえだろ。自分で言いたくねえって言うなら、おれから先生に――」 「そんなんじゃないって言ってるでしょ!」  不意に茉莉が大声を上げた。耳を劈くその声に、陽生は何も言えなかった。――茉莉のその言葉は、まるで彼女自身にそう言い聞かせているようで。  周囲の注意が自分に向いたことに気がついた茉莉ははっとしたような顔をした。そして、彼女は小声でこう言った。――その顔はどこか悲しそうに陽生の目には映った。 「わたしが悪いの。こんなところに場所取りみたいに荷物置きっぱなしにしたのもよくなかったし……荒らされたりとかしたって文句は言えないよ」 「それは……」  陽生が二の句を継げずにいるうちに、茉莉は破られたノートをかき集めてバッグへとしまっていく。そそくさと帰り支度を済ますと、彼女は陽生にこう言った。 「勉強教えるって約束だったのにごめんね。わたし、今日はもう帰るね。今日教えたところ、ちゃんと復習しておいて」  そう言い置くと、彼女は陽生に背を向けた。今、彼女を一人にしたくない気がするのに、陽生はその背中を追いかけることができなかった。――今の彼女に、何て言葉をかけてあげればいいのかわからなくて。 どうしてあげるのが正解だったんだろう。その日の晩、夕飯を済ませた後の陽生はベッドに横になりながら、図書室での一件に思いを馳せていた。  茉莉の見せたあの表情。あれは決して大丈夫といっていいものではなかったように思う。  せめて、彼女を気遣う言葉をかけてあげたいと、陽生はずっとメッセージアプリのチャット画面を開いたり閉じたりしていた。何を言ってもきっと、茉莉は「ありがとう。大丈夫」としか言わないだろう。それを言わせるために、何か言葉をかけるのは偽善でしかないような気がしていた。  ふいにスマホがぶうんと唸った。ちょうど茉莉とのチャット画面を開いていたせいで、
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第一章:偶然の紡ぐ絆はシトラスの香り④
 陽生はパニーニを食べ切ると、紙ナプキンで口元の照り焼きソースを拭った。茉莉の言っていた通り、見た目に反して意外とボリュームがある。  目の前に座る茉莉はグレープフルーツとキウイが沈んだティーソーダなるものを機嫌良さげに啜っていた。今日の茉莉はうっすらとメイクをしているようで、陽生は彼女を直視できないでいた。――ともすれば、丁寧にマスカラを塗られた長い睫毛も、瞼を彩るシャンパンベージュのアイシャドウも、まるで陽生自身のためであるかのように錯覚してしまいそうで。  どうしたの、とストローから唇を離すと茉莉は小首を傾げてそう問うた。その仕草がいちいち可愛らしくて、恋愛耐性のない陽生は悶絶してしまいそうになる。――茉莉は他人の彼女だと理解しているのに。 「べ、別に……それよりさ、一個頼みがあんだけど。おれのってわけじゃねえんだけどさ……」 「なあに?」 「芦屋も朔也って知ってるだろ? 氷上朔也」 「貴嶋くんの友達だよね。よく一緒にいる。氷上くんがどうかしたの?」 「朔也が天沢を紹介してほしいってうるせえんだよ」 「心羽を氷上くんにねえ……」  茉莉は逡巡した様子を見せる。一見軽そうに見える朔也に友人を紹介していいか迷っているのだろう。そう察した陽生は朔也のための援護射撃を試みる。そのくらいの借りはある。 「ちょっと軽そうに見えるけど、別に悪い奴じゃねえよ。十年来の付き合いのおれが保証する。何やかんやで友達思いだし、おれも何かとあいつには世話になってる」  ふうん、と茉莉は長いスプーンでグラスの中からキウイを掬い出した。フレッシュな味わいのそれを思いとともに咀嚼すると、彼女はこう言った。 「いいよ。氷上くんが心羽のこと、泣かしたりしないなら」 ――泣かしたりしないなら。  その何気ない一言が陽生の胸にはやけに重く響いた。きっと、茉莉が瑠音に泣かされたのは体育館裏で出会ったあのときだけじゃない。だからこそ、出た言葉なのだろうと思った。――せめて、友人には幸せな恋愛をしてほしくて。 「……わかった。朔也にそう伝えとく」  うん、と茉莉は頷く。彼女の目には羨望と諦観が入り混ざって浮かんでいた。その目を見ていられなくて、陽生は咄嗟に話題を逸らした。 「それより、それ飲んだらさっさと行くぞ。何か、買い物したいんだろ?」 「うん、夏物見たいなって思
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-08-17
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第二章:青い春と早い夏のあいだで①
――今日の放課後、教卓にある進路調査票の余りを持って、屋上近くの階段へ行け。白ブドウのジャスミンスパークリングティーを買っていくのを忘れずに。  昼休みに教室で朔也と昼食を摂っていた陽生は受信したメッセージの内容に箸を止めた。進路調査票の余りを持っていくのはまだいい。しかし、後半の白ブドウがどうとかという飲み物の指定がやけに具体的にすぎやしないか。 「陽生、どうかしたのか?」  食事の手を止めている陽生に気がついた朔也はそう聞いた。彼は陽生の手元のスマホを覗き込むと、ああ、と得心したように頷く。 「例の未来のお前からとかいうメッセージか。……ところで、それってお前から送ったメッセージには一向に既読がつかないのな」  朔也の指摘通り、陽生は未来への自分に何度かメッセージを送り返していた。しかし、陽生が送った内容に既読がつくことはなく、一方通行のやりとりが続くばかりであった。 「お前の推測だと、未来のお前は芦屋と佐倉を引き離そうとしてるんだよな? 優等生の芦屋はともかく、佐倉ってヤバいやつなのか? 見た目が派手なことと十四歳にしてメジャーデビューしたバンドの天才ボーカルらしいってくらいしか知らないんだけど」 「あいつ、もしかしたら、モラハラ彼氏ってやつかもしんねえ。この前、芦屋を送っていったときに出くわしたんだけど……とにかく、芦屋にキツく当たるし、最悪なやつだった」 「芦屋はどうしてそんなやつと付き合ってるんだろうな。あいつの見た目なら、もう少し男選べただろ」  朔也に言われて、陽生は自席で心羽と話している茉莉へと一瞥をくれた。テレビで見る芸能人のような絶世の美少女というわけではないが、茉莉はこの年齢の少女として充分すぎるくらいには可愛らしく、魅力的だ。これは陽生の意見ではなく、あくまで一般論としてだが。あくまで。 「なんか、芦屋がいうには佐倉とは幼馴染らしい。……けど、芦屋があれを普通だと受け入れているのはおれは異常だと思う」  わたしが悪いの。あのときの茉莉の言葉が耳の奥に蘇る。瑠音に向かって土下座をしていた茉莉の姿は今も網膜に焼きついて消えてくれない。 「共依存、って言葉がある。オレが思うに芦屋と佐倉の関係はそれなんじゃないかな。何にしても、芦屋が自分の状況に疑問を覚えない限りは、あの二人を引き離すのは苦労すると思うぜ」  だなあ、
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-08-17
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第二章:青い春と早い夏のあいだで②
 翌朝、登校すると、昇降口の下駄箱の前で陽生は女子に声をかけられた。靴を履き替えながら誰かと背後を振り返ると、そこには茉莉が立っていた。 「おはよう、貴嶋くん」 「……うす」 「昨日は進路調査票の件、ありがとね。貴嶋くんには何かお礼しないと」 「別に礼とかしてほしくてやったんじゃねえし。……けどまあそうだな、どうしてもっていうなら、さっさと朔也に天沢のこと紹介してやってくんねえか。いつ紹介してもらえんの、って朔也のやつ毎日うるせえから」 「わかった」  何とはなしに二人は並んだまま、階段を上り、教室へと足を踏み入れた。先に登校していたらしい朔也は二人に気づくと目元をにやつかせる。陽生は嘆息すると、じっとりとした視線を朔也へと向けて黙らせた。 「茉莉ぃ、おはよー」  陽生が座席でリュックの中身を整理していると、髪を頭のてっぺんで大きなお団子に結った女子が教室に入ってきた。ブレザーの下の校則違反のピンク色のニットカーディガン。ネクタイはなぜか他校の臙脂のリボンに変えられている。彼女こそが茉莉の友人で、朔也の想い人――天沢心羽天沢心羽だった。 「心羽、おはよ。ねえ、ちょっといい? 心羽に紹介したい人がいるんだけど……」 「えっ、だれだれ? 彼氏……ではないよね?」  茉莉は陽生へと視線を向ける。陽生は頷き返すと、「朔也、ちょっと」朔也を伴って、廊下へと出る。  朝の廊下で、茉莉と陽生、心羽と朔也は顔を合わせた。茉莉は陽生を手で指し示すと、彼のことを心羽へと紹介する。 「えっと、心羽。クラスメイトだから知ってると思うけど、わたしの友達の貴嶋くん」 「どうも、貴嶋です。それで、こっちがおれの友達の」 「氷上朔也でっす! オレ、入学当初から、天沢ちゃんのこといいなーって思ってたんだよね」  よく言えばフレンドリー、悪く言えば軽い態度の朔也に陽生は内心で溜息をついた。嫌そうな顔で、心羽は茉莉の後ろへと隠れる。 「あっ、天沢ちゃん、そんなに警戒しないで! すぐ付き合おうとかそういう話じゃないから! とりあえず、友達にならない? お近づきの印にまずは連絡先の交換とか」 「……その、天沢ちゃんっていうのやめてくれるなら」 「えっと、じゃあ心羽ちゃん! 心羽ちゃんで!」 「……」  馴れ馴れしい朔也の態度に心羽は何か言いたそう
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第二章:青い春と早い夏のあいだで③
――檸檬バタフライピーソーダを持って、体育倉庫裏へ行け  体育祭の当日、開会式の後にメッセージを受信した陽生は深々と溜息を吐いた。一人になるなとこの前念押ししたにもかかわらず、彼女にはどうやらいまいち響いていないようだ。  それにこの謎の飲み物指定は一体何なのだろう。茉莉の飲み物の嗜好を熟知している辺り、未来の自分は本当に彼女とどういう関係なんだ。 (謎ドリンクは大体美術室の前の自販機って相場が決まってるよな)  自分が出る競技まではまだ時間がある。陽生は一度、校舎内に戻ると、美術室へと向かった。  体育祭で全員が出払っていることもあって、校舎内は驚くほど静まり返っていた。くるぶしソックスの裏がリノリウムの廊下に触れる音がやけに大きく聞こえる気がする。 (うっわ……マジであった。っていうか、あいつ、こんなまずそうな色の飲み物マジで飲むの?)  美術室前の自動販売機前で青紫色のドリンクを見つけると、陽生は思わず顔を顰めた。どんな味がするのか見当もつかないし、そもそも美味しそうに見えない。女心はわからないなあと思いながら、陽生は自動販売機のボタンを押すと、スマホで決済をする。  不可思議な色をしたドリンクのペットボトルを手に、陽生は踵を返した。昇降口まで戻ると、下駄箱で靴を履き替え、陽生は体育倉庫裏へと足を向けた。  グラウンドからは百メートル走で盛り上がる声が聞こえてくる。競技の邪魔をしないように、トラックを大きく回り込んで、体育倉庫へと行くと屋根の影になる場所に体操服姿の茉莉が座り込んでいた。 「おい、芦屋、どうした? また、何か佐倉とあったのか?」 「あ、貴嶋くん……」  そう言って茉莉は顔を上げる。彼女の顔からは血の気が引き、真っ青だった。赤色のハチマキで前髪を上げた額には冷や汗が伝い、声が震えている。 「どうした、お前もしかして、体調悪いのか?」 「うーん、何か眩暈がして、ちょっと気分悪いかも……」 「熱中症か? とりあえず、これ飲んどけ。……っていうかスポドリのほうが良かったな」  陽生は檸檬バタフライピーソーダなる謎のドリンクのペットボトルを茉莉に渡してやる。ありがと、と彼女は青白い顔で儚げに微笑んだ。 「大丈夫、わたしこれ好きだから。貴嶋くんって、よくわたしの好みわかるよね」 「まあ、普段何飲んでるか見てたら、普通に
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第二章:青い春と早い夏のあいだで④
「いやー、スウェーデンリレーのときの陽生すごかったなー!」  午前の部が終わり、グラウンドで四人で弁当を食べていると、朔也がそう言った。彼は陽生に耳を寄せるとこんなことを宣った。 「何ー、陽生は芦屋のために本気出しちゃった感じ?」 「そんなんじゃねえよ。くっつくな。汗臭い」 「えー、さっき制汗剤したのに?」  えーじゃねえ、と陽生は嫌そうに朔也を引き剥がす。何で男にくっつかれなければいけないんだ。別に茉莉ならいいとかそんなことは考えていないけれども。それにしても、と心羽は陽生を見る。 「貴嶋くん、普段から体育の授業でも本気出せばいいのに。もったいなあい」 「あのな、天沢、さっきみたいに運動部の勧誘が死ぬほど来るのわかってるから、おれは普段は適当にやりすごしてんの。せっかくの高校生活、汗まみれの泥まみれになるくらいなら、悠々自適にだらだら過ごしてえの、おれは」 「貴嶋くん、何その高校生っぽくない台詞」  茉莉がくすっと笑った。午前中よりはだいぶ顔色が良くなり、箸の進みは良くないとはいえ食事も取れている。 「あ、そういえば、芦屋に渡すもんがあるんだった」  陽生は箸を置くと、リュックの中から近くのコンビニのロゴが入ったビニール袋を取り出した。ほら、と明後日の方向に視線を逸らしながら、陽生はそれを茉莉に押し付ける。 「あ……貴嶋くん、ありがとう。……これは?」  茉莉は袋の中身をレジャーシートの上へと広げていく。塩飴に一リットルのスポドリのペットボトル。冷却シートに冷感タオル。ネッククーラーに冷感スプレー。 「陽生……芦屋の体調が心配なのはわかるけど、お前は芦屋のオカンか」  呆れたように朔也は肩をすくめた。オカンじゃねえよ、とぶっきらぼうに陽生は反論する。 「貴嶋くん、こんなにどうしたの? それにこんなにもらえないよ、お金払うよ」 「さっき、学校抜け出してそこのコンビニ行ってきた。それにまあ……これは要するにおれの自己満足だ、黙って受け取っととけ」 「何ていうか、貴嶋くんって素直じゃないよねえ。普通に茉莉が心配だって言えばよくない?」 「心羽ちゃん、そこは陽生も思春期だから……素直になれないお年頃っていうのがあるんだよ」 「うるせえぞそこ二人」  こそこそと話す心羽と朔也に半眼で陽生は突っ込んだ。善意の押し売りをしておいて、心
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第三章:名前のない距離、夏の夜の誓い①
「なあ、陽生。オレ、考えたんだけどさ……未来のお前からのメッセージの件、心羽ちゃんに話しちゃダメか?」 「天沢に?」  夏休みまで一週間を切ったある日の昼休み、朔也と弁当を食べていた陽生は箸を止めた。自分で眉間に皺が寄るのを感じる。彼女も今や、自分にとって友達と言って差し支えのない相手ではあるが、こんな荒唐無稽な話を信じるだろうか。 「心羽ちゃんがさ、芦屋と佐倉のこと気にしてるんだよ。どうしても芦屋が幸せに見えない。どうにかしてあげたいって」  心羽の目にも彼らの関係性は異常に映っているということか。確かに茉莉を瑠音から守るためなら、心羽にも事情を打ち明けてしまったほうがいいのかもしれない。 「心羽ちゃんだけじゃなく、オレもあの二人はおかしいって思ってるよ。……それでさ、心羽ちゃんにも協力してもらって、四人でいる時間を増やさないか? もうすぐ夏休みだ、どうにかして芦屋を佐倉から引き剥がす口実を作らないと」  そういうことなら、と躊躇いながらも陽生は頷いた。一ヶ月以上もある夏休みの間に茉莉が瑠音に傷つけられるような機会は少しでも減らすべきだ。  じゃあ決まりな、とにっと笑うと朔也はじゃれ合う茉莉と心羽のほうへと視線を向ける。朔也の視線に気づいた心羽はふいにこちらを振り返ると、小さく頷いた。「ごめん茉莉ー、心羽、先生に呼ばれてるの忘れてたあ」心羽は茉莉の身体から腕を解くと、踵を返して教室を出ていった。 「そういうわけだから、さっさと心羽ちゃん追いかけて話してきてくれ。お前の弁当はオレが食っとくから安心しろ。……お、今日、生姜焼きじゃんラッキー」 「勝手に食うな、っていうかお前さっきパン三つ食ってただろ。――それより、おれが外している間、芦屋を頼む」 「卵焼きひとつで承った。何か適当に駄弁っとく」  頼んだ、と念を押すと、陽生は席を立ち、先に教室を出ていった心羽を追った。一年生の教室の前を順に通り過ぎ、視聴覚室に差し掛かったとき、見慣れたお団子ヘアの女子の姿が見えた。――心羽だ。 「――天沢」  視聴覚室に足を踏み入れると、陽生は彼女に声をかけた。貴嶋くん、と彼女は振り返ると陽生の名を呼ぶ。 「何か話があるらしいって、さっくんから聞いてるんだけど。――茉莉に関することで」 「ああ……うん」  本当に心羽はこんな話を信じるだろうか。言葉を濁
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-08-18
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