直紀は、あゆみの顔より先にバッグを見た。 「スマホは外へ置いてきたか」 公開実証の前夜。ネクサス・メディカルの社長室には、明日の進行表と広報用の映像が並んでいた。 あゆみは「置いてきた」と答えた。 嘘だった。 スマートフォンはバッグの内ポケットにあり、録音開始から3分17秒が過ぎていた。赤い表示を見えないよう画面を伏せ、ファスナーも閉じてある。 「急にどうしたの。前は会社で写真を撮っても気にしなかったでしょう」 「今は状況が違う」 直紀は扉を閉めたが、自分の机には戻らなかった。あゆみから手の届かない窓際へ立ち、腕を組む。 録音を疑っている人間の距離だった。 ここで事故の全容を尋ねても、直紀は話さない。あゆみは用意してきた紙を、机の端へ滑らせた。 【事故対応整理・草案】 【提案者Aへ全責任を帰属】 直紀は一行目を見ただけで、視線を上げた。 「会社の資料を持ち出したのか」 「私の名前を隠した資料でしょう」 「提案者Aが君だとは書いていない」 「事故前の連絡先も、三浦さんの治療費を受け取った窓口も、私のアドレスだけ残してある。あなたの名前は最後の承認欄にしかない」 「だから何だ」 「私が勝手に計画して、勝手に三浦さんへ頼んだ形にするつもりだったの?」 直紀の左の親指が、結婚指輪の縁へ触れた。 回さない
Última atualização : 2026-09-12 Ler mais