All Chapters of 結婚式の二日前、婚約者は初恋と式を挙げた: Chapter 1 - Chapter 10

14 Chapters

第1話

交際して7年、紗世は絶対に自分のパソコンを俺に触らせなかった。だが今回の出張に限って、パソコンの電源を切り忘れていったようだ。書斎を片付けていた時、ふと明るくなった画面が目に入った。【あんた、今日本当にS国で須藤と結婚式を挙げたの?】【籍は入れてないにしても、悠にバレて激怒されるとは思わなかったの?】【あんたたちの式まで、あと3日しかないのよ】【いい加減に目を覚ましなさいよ!】紗世の親友である柳葉晴音(やなぎば はるね)から、LINEで彼女を激しく問い詰めるメッセージが立て続けに届いていた。俺はデスクに手をつき、危うく夢でも見ているのかと錯覚しそうになった。須藤晃(すどう あきら)は、紗世が18歳の時の初恋の相手だ。やがて遠距離恋愛を理由に、二人は別れた。それから、もう8年が経つ。俺たちとの結婚式を目前に控えているというのに、どうして彼とS国で式なんて挙げているんだ?デスクの縁を強く握りしめた手の甲に、青筋が浮かぶ。俺は瞬き一つせずにパソコンの画面を見つめ、紗世が何と返信するのかを待った。すぐに紗世からの返信が来た。【本当よ。私、至って正気だから】【これは私と晃の18歳の時の約束なの。彼にどうしてもって頼まれたから、これだけは絶対に叶えてあげたかったの】【悠のことは――】そこから先、しばらくの間、次のメッセージが送られてくることはなかった。画面の向こうで彼女が言葉を濁しているのが伝わってくるようだった。【どうせ彼にはバレないし、帰ったら今まで通り、何もなかったように振る舞うつもりよ】俺はそのメッセージを信じられない思いで見つめ、やがて自嘲気味な笑みを漏らした。――もう無理だ。紗世、俺はもう知ってしまった。俺は椅子を引き寄せて座り、微かに震える手でマウスを握ると、今度は紗世と晃のトークルームを開き、過去のやり取りをスクロールしていった。交際して7年、俺は全く知らなかった。二人が毎日連絡を取り合っていたことを。晃が今日見かけた子猫の写真を送ると、紗世は【あなたみたいに可愛いね】と返信していた。晃が仕事のプレッシャーや鬱陶しい上司の愚痴をこぼせば、紗世は長文で【プレッシャーは成長の証よ。考えすぎないで、私がついているから】と真剣に励ましていた。晃の住むマンションが停
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第2話

文面から生々しく伝わってくる「愛」を見せつけられ、俺はついに認めざるを得なかった。――俺と紗世の7年間は、何の意味もなかったのだと。俺は書斎に一晩中座り続けた。翌日は仕事を休み、幼なじみの柴田航平(しばた こうへい)に付き添ってもらい、結婚式のキャンセル手続きに向かった。俺の顔を見るなり、航平は尋ねた。「悠、本当にそれでいいのか?」「ああ、決めたんだ」「お前と紗世は7年も付き合ってきたんだぞ。明後日が結婚式じゃないか。あいつが帰ってくるのを待たずに、一人で勝手にキャンセルするなんて」「うん」「紗世は知ってるのか?」「あいつは忙しいんだ」「何でそんなに忙しいんだよ?」俺は答えなかった。航平は数秒間黙り込んだ。「お前が言い出しにくいなら、俺があいつに電話してやる。お前ら7年も一緒にいて、結婚なんて大きなこと、お前一人に抱え込ませるわけにはいかない……」俺は静かにつぶやいた。「あいつは結婚式で忙しいんだよ、俺とのじゃないけどな」航平は呆然とし、納得できないという表情のまま固まった。「お前、今なんて言った?」俺は笑みを浮かべた。昨夜、紗世のパソコンから自分のスマホに転送しておいたトーク履歴を開き、彼に見せた。「あいつは結婚したんだ。昨日、S国でね。相手は初恋の須藤晃だよ」航平は言葉を失った。やがて、その目はじわじわと怒りに血走っていった。「昨日、お前はホテルで照明スタッフとのリハーサルがあって、深夜まで働き詰めだっただろ。途中で胃が痛いから薬を買ってきてくれって俺にLINEしてきたよな。あの時……あの女はS国で別の男と結婚してたってのか?」俺は自嘲気味に口角を上げた。「ああ」航平はそれ以上何も言わず、無言で車を走らせて式場へ連れて行ってくれた。道中、彼は唇を真一文字に結んだまま、俺を引き止める言葉を一言も口にしなかった。……キャンセル手続きを終えて家に帰った俺は、紗世との新居を出るべく、荷造りを始めた。そこへ、彼女からLINEが届いた。空港のラウンジらしき写真とともに、一言だけメッセージが添えられていた。【出張終わったよ。すごく疲れた】俺は返信せず、写真の左下をただじっと見つめた。そこには、骨張った男の手が見切れて写り込んでおり、その薬指には男性用の結
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第3話

「そうよ、友達」彼女がそう言った時、傍らから男の声が聞こえてきた。「紗世、僕の結婚指輪、少し緩いみたいなんだけど見てくれないか?」紗世は声のした方へ顔を向けて答えた。「今行くわ」そして再び俺の方に向き直る。「悠、他に用はない?ないならもう切るわね」俺は目を伏せ、画面の中の女を見つめながら、とうとう堪えきれずに尋ねた。「紗世、君は本当に俺と結婚する気があるのか?」紗世は一瞬きょとんとし、それから笑い出した。「何言ってるのよ、当然じゃない。私たち、7年も一緒にいるんでしょう?人生で7年なんて、そう何度もある時間じゃないわ。もちろんあなたと結婚するに決まってるじゃない」「……そうか」俺は静かに頷いた。俺の指先は、スマホに表示された紗世の親族グループLINEの画面で止まっていた。3分前、俺はそこにこう打ち込んでいた。【双方の話し合いの結果、明後日に予定されていた結婚式は中止となりました】あの時はまだ、彼女の体面を保ってやろうと思っていた。だが今は、入力欄の文字を消去していった。……翌日、俺は実家に荷物を送った。紗世の母親、水瀬紀子(みなせ のりこ)から電話がかかってきた。「悠さん、お昼はうちにご飯を食べにいらっしゃい。紗世が帰ってきたから」少し間を置いて、彼女は笑いながら付け加えた。「あの子、お友達も連れてきてるのよ。須藤さんって言うんだけど、せっかくだから悠さんにも紹介するわね」紀子は、一見するととても「優しそう」な人だった。紗世が初めて俺を実家に連れて行った時、彼女は初対面の俺を笑顔でお茶に誘ってくれた。「男前ね」と褒めちぎった後、学歴や実家の環境、現在の月収などを根掘り葉掘り聞いてきた。俺は一つ一つ丁寧に答えながら、卒論の発表よりも緊張していた。彼女が満足するような婿になれないのではないかと、そればかりを恐れていた。彼女も満足そうに頷き、紗世が俺のような恋人を見つけられたのはうちの家族にとっても幸運だわ、とまで言ってくれた。だがその後、彼女が紗世を呼んでキッチンで果物を洗わせていた時のことだ。彼女がため息をつき、ひどく残念そうな声で紗世にこう言うのが聞こえた。「惜しかったわね。やっぱり前の彼の方がよかったわ」前の彼とは、晃のことだ。紗世は何も教えてくれなかったが、後になって俺が自分
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第4話

昼食を終え、俺は立ち上がって帰路についた。紗世は俺を見送るために追いかけてきた。エレベーターの中で、彼女は不意に口を開いた。「お母さん、悪気があってあんなこと言ったわけじゃないのよ」「何のことだ?」彼女は少し言い淀んでから答えた。「晃に『お母さん』って呼ばせたことよ。お母さんも、わざとじゃないの」俺は自嘲気味に笑い、自分の両手を目の前にかざして、手のひらと甲をまじまじと見つめた。「君のお母さんは初めて俺に会った時、俺の人柄を褒めて、『気が利くし、苦労なんてしたことがなさそうね』と言ってくれたよな。でもそれから君の実家に行くたび、俺がソファに座ろうとするだけで、お母さんはすかさず俺をキッチンに呼んで手伝わせた。7年間で、俺は君の家で数え切れないほど食器を洗ってきたんだぞ。なのに晃には、さっきの食事の時、水一杯すら注がせなかったじゃないか」紗世の顔色が変わった。「悠、晃はお客さんよ」「君のお母さんは、『お客さん』に『お母さん』と呼ばせるのか?」紗世は返す言葉を失い、黙り込んだ。俺はさらに追及した。「あの結婚を祝うキャンディを俺に渡すって言い出したのは、どっちだ?」紗世は一瞬言葉に詰まり、やがて視線を逸らした。「……晃のアイデアよ。あなたにも幸せをお裾分けしようって」「君はそれを止めなかったのか?」「そこまで深く考えてなかったから……」俺は再び乾いた笑いを漏らした。交際して7年、そのセリフは紗世の口から数え切れないほど聞いてきた。俺の誕生日をすっぽかした時、彼女は言った。「仕事が忙しくて、そこまで深く考えてなかったわ」記念日に俺と晃にまったく同じモデルの時計を贈った時、彼女は言った。「たまたま同じブランドになっただけで、そこまで深く考えてなかったわ」俺と婚約指輪を交換した時でさえ、俺に渡された指輪はサイズが一つ大きかった。その時の言い訳もこうだった。「そんな細かいこと覚えてないし、そこまで深く考えてなかったわ」本当に何も考えていなかったのかは分からない。今となっては、もう問い詰める気すら起きなかった。俺はただ一言だけ、彼女に静かに問うた。「紗世、もし今、俺との結婚をやめたいと思っているなら、まだ間に合うぞ」紗世はさっと顔色を変え、すぐさま険しい表情になった。そして左手で俺の手首をき
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第5話

翌日の午前10時。紗世は晃と彼女の親戚を引き連れて、新居へと駆けつけた。ドアを押し開けた瞬間、全員が言葉を失って立ち尽くした。ドアの向こう側の新居は、まるで廃墟のように静まり返っていた。結婚祝いの飾りも、風船もない。俺が徹夜で選んだ生花やアロマキャンドルも、すべて消え去っていた。クローゼットの中すらもぬけの殻だった。残っているのは、リビングの中央にあるローテーブルと、その上にぽつんと置かれた婚約指輪だけだ。紗世は入り口に立ち尽くし、手にはウェディングブーケを抱えていた。その顔に浮かんでいた笑みが、少しずつ強張っていく。後ろにいた親族たちが、先に事態の異常さに気づいて騒ぎ始めた。「いったいどういうことだ?」「新郎の悠くんは?」「8時に式場へ出発する手はずじゃなかったのか?もう10時だぞ、どうして誰もいないんだ?」「この部屋、すっかり空っぽじゃないか」友人たちも唖然としていた。誰かが小声で尋ねた。「紗世、悠と喧嘩でもしたの?まさか、急に時間が変更になったとか?ちょっと紗世、何か言いなさいよ」だが、紗世には周囲のざわめきなど何も聞こえていないかのようだった。彼女は呆然としたまま、ゆっくりとリビングに足を踏み入れた。もぬけの殻となった部屋に、ハイヒールの足音がこつこつと響く。その冷たい足音は、一歩ごとに彼女の胸を重く叩くようだった。紗世の親友晴音は、親族たちの人だかりの一番後ろに立っていた。この光景を目にして、彼女の顔色も一瞬で変わった。晴音は早足で紗世のそばに寄り、声を潜めた。「紗世、もしかして、悠にバレたの?」紗世は弾かれたように振り返った。「バレたって、何が?」その声は、見えない手で喉を絞められているかのように、ひどく強張っていた。晴音は彼女を鋭く睨みつけた。「『何が』じゃないでしょ。あなたと晃が、S国で結婚式を挙げたことよ」その言葉が放たれた瞬間、リビングは水を打ったように静まり返った。紗世の顔色は一瞬にして蒼白になった。だが、すぐに首を横に振った。晴音の言葉を否定しているようでもあり、自分自身に言い聞かせているようでもあった。「あり得ないわ。彼が知るはずない。ちゃんと手は打ったはずだもの。ニュース記事だって向こうの国でしか流れないようにしたし
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第6話

「紗世の胃が痛んだ時、夜中に3つ先の通りまで薬を買いに走ったのは彼よ。紗世が起業したばかりで資金繰りに苦しんでいた時、自分が3年貯めたお金を差し出したのも彼。紗世のお母さんが入院した時、有給を取って付き添い、自分が熱を出したことすら黙っていたのも彼よ。それであんたはどうなの?」晴音は冷笑した。「のこのこ戻ってくるなり、S国での結婚式に彼女を付き合わせた。挙句の果てに今日は、浮気相手の分際で新郎の席に収まろうって魂胆?寝言は寝て言いなさいよ」リビングは一瞬で、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。「S国の結婚式ってどういうことだ?」「誰と誰が結婚式を挙げたって?」「紗世は今日、結婚するんじゃなかったのか?」「晃はただの同級生だって聞いてたぞ……?」紗世の従妹が真っ先に事態の異様さに気づき、晃の手元を凝視した。「ちょっと、彼が手にはめているその指輪……結婚指輪じゃないの?」晃は咄嗟に手を背後に隠そうとしたが、もう遅かった。その場にいる全員の視線が、彼の手元に突き刺さる。その結婚指輪はあまりにも眩しく――まるでこの場にいる全員の顔を平手打ちするかのように、残酷な光を放っていた。だが、紗世は最後まで晃の方を見ようとはしなかった。彼女の視線は、リビングのローテーブルに釘付けになっていた。俺が残していったあの婚約指輪が、静かにそこに置かれている。指輪の内側には、2つのイニシャルが刻まれていた。【SY&YU】紗世と悠。それは俺が何度も頼み込み、紗世がようやく渋々承諾して刻んでくれたものだった。あの時、彼女はこう言った。「指輪は指輪よ。こんなものを刻んでも意味がないわ」だが俺は真剣に彼女に伝えた。「意味はあるよ。俺たちが本当に一生を共にするという証にしたいんだ」今、その指輪は俺の手でそこに残された。声なき判決書のように。その場にいた紗世はゆっくりと歩み寄り、震える手を伸ばして指輪を手に取った。「どうしてこんなことに……悠が私を捨てるはずないのに……」彼女は慌ててスマホを取り出し、俺の番号へ発信した。1回目は繋がらない。2回目も繋がらない。3回目も、相変わらず冷たいアナウンスが流れるだけだった。彼女は半狂乱で、俺宛てにLINEを送り続けた。【悠、
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第7話

白銀の雪山を背にして、色鮮やかな花々に囲まれて微笑み合う二人は、どこからどう見ても本物の新婚夫婦そのものだった。記事の中で記者が尋ねている。「なぜS国で結婚式を挙げることにしたのですか?」紗世はこう答えていた。「私の夫が、この場所を好きだからです」リビングに、一瞬、死に絶えたような静寂が落ちた。その後、堰を切ったように親族たちからの非難の声が爆発した。「なんてこと!」「これじゃ事実上の重婚じゃないか!」「たとえ籍を入れてないにしても、非常識にもほどがあるわ!」「今日が本番の式だっていうのに、その直前に初恋の相手と式を挙げるなんて信じられない!」「こんなの、悠が知ったら逃げ出して当然よ!」紗世の叔父が額に青筋を立て、彼女を指差して激しく怒鳴りつけた。「馬鹿げている!お前は水瀬家の顔に泥を塗ったんだぞ!悠と結婚したくないなら、最初からそう言えばよかっただろう!あの子はお前と7年も付き合ってきたのに、その誠意をこんな風に踏み躙るなんて!」紗世はわななく唇を動かしたが、弁明の言葉は一言も出てこなかった。晃は真っ青な顔で、なおも見苦しい言い訳を並べ立てた。「違うんです。僕たちはただ、若い頃の約束を果たしただけで……紗世と悠の関係を壊すつもりなんて全くありませんでした。僕はただ……」紗世の従妹が冷笑を浮かべて、その言葉を遮った。「あなたは『ただ』、彼女にウェディングドレスを着せただけ。『ただ』、結婚指輪をはめただけ。『ただ』、他人の婚約者を妻と呼んだだけ。『ただ』、彼女の母親に婿扱いしてもらっただけ。『ただ』、今日新郎の代わりにしゃあしゃあと式に出ようとしただけ……須藤さん、あなたの言う『ただ』って、ずいぶんたくさんあるのね」晃は泣きそうな赤い目をして、紗世にすがりつこうとした。「紗世、君からも何か言ってよ」だが、紗世はすでにテーブルの上の婚約指輪をきつく握りしめ、身を翻して部屋を飛び出していた。一度たりとも、彼を振り返ることすらなかった。……俺は新居での修羅場をこの目で見たわけではない。だが、航平が実況中継を見せてくれた。正確に言えば、彼の彼女がこっそりとビデオ通話を繋いでくれたのだ。彼女もブライズメイドの一人だった。S国での結婚式のことを知った後、
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第8話

「元々彼の実家は遠いから、こちらから式場までのハイヤーを手配してあげたっていうのに。いざ結婚する段になって意地を張るなんて、本当に呆れちゃうわ。うちだって、別に彼じゃなきゃダメってわけじゃないのに」紀子がそう言い終えた直後、紗世の車が門の前に停まった。紀子は目を輝かせ、すぐに出迎えた。「紗世、悠は?どうして一人で帰ってきたの?」紗世は聞こえないふりをして、彼女を押し除け、そのまま二階へ上がろうとした。母親は追いすがった。「紗世、聞いてる?悠はどこ?」紗世は足を止め、ひどくしゃがれた声で言った。「悠は、出て行ったわ」母親はきょとんとした。「出て行ったって、どういうこと?」「彼が出て行ったのよ。全部、知られてしまったの」リビングにいた全員の視線が一斉にこちらに向いた。母親の顔色が変わる。「知られたって、何を?」紗世は痛ましげに目を閉じた。「私と晃が、S国で結婚式を挙げたことよ」その瞬間、水瀬家全体が爆発したような騒ぎになった。「なんだって?」「紗世が晃くんと先に結婚式を挙げていただと?」「じゃあ、今日の悠くんの立場はどうなるんだ?」「これじゃあ、彼に対する侮辱じゃないか」母親はひどく狼狽し、慌てて釈明した。「あなたたちが思っているようなことじゃないのよ。晃くんと紗世は、18歳の頃の約束を果たしただけ。籍も入れてないし、こんなの、なかったことと同じよ」「『なかったこと』だと?」紗世の叔父が激怒してテーブルを叩いた。「結婚式を挙げておいて、何が『なかったこと』だ!この前、お前が須藤晃に自分を『お母さん』と呼ばせていた。それに今日、彼を平然と親族の顔をして新居へ同行させていたとは!お前は一体何を考えているんだ」叔父に面と向かって怒鳴りつけられ、母親の顔は赤くなったり青くなったりした。彼女は普段から誰よりも世間体を気にするタチだった。今日実家に招かれているのは親戚や友人、それに紗世のビジネスパートナーたちだ。今、その全員が、軽蔑の混じった異様な目で彼女を見ている。自分が念入りに用意した完璧な体裁が、見事に粉々になったことを、彼女はついに悟った。やがて、新居の様子を見に行っていた面々も次々と実家に戻ってきた。誰もが酷い顔色をしていた。誰か
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第9話

彼女は手の中の婚約指輪を見下ろし、途切れ途切れの声で言った。「彼、指輪を返してきたわ……私、捨てられたのよ」動画はここで途切れた。航平からLINEが届いた。【超スッキリしたぜ】【でも悠、本当にあいつに何も言わなくていいのか?】俺は長いことスマホの画面を見つめた後、返信した。【その必要はない】7年も一緒にいたのだから、言いたいことがないわけじゃない。ただ、言うべきことはすべて、数え切れないほどの失望の中でとうに言い尽くしてしまった。彼女は聞いてくれなかった。だから俺も、もう何も言わない。……結婚式がキャンセルされた1日目、俺は10時間眠り続けた。目を覚ますと、ベッドの足元に柔らかな陽の光が差していた。母さんが枕元に座って、リンゴの皮を剥いてくれていた。彼女は、なぜ俺が突然帰ってきたのか問いたださなかった。結婚式がなぜ中止になったのかも聞かなかった。ただリンゴを小さく一口大に切って、俺に差し出した。「甘いものでも食べなさい」俺は鼻の奥がツンとして、危うく泣き出しそうになった。ここ数年、俺は何よりも紗世を優先し、自分を後回しにしてきた。年末年始の帰省でもまず彼女の都合を優先し、給料が入れば真っ先に彼女へのプレゼントを考え、彼女の母親が不満を一つこぼしただけで、俺は三日三晩自分の行いを反省した。人を愛するというのは、自分を少しずつ低くしていくことだと思っていた。塵のように小さくなるまで自分を低くすれば、いつかそこにも花が咲くのだと。だが、塵の中に花など咲きはしない。ただ全身が埃まみれになり、むせ返るだけだったのだ。結婚式がキャンセルされた2日目、俺は証拠の整理を始めた。LINEのトーク履歴。S国のニュースのスクリーンショット。紗世が晃のためにウェディングドレスや結婚指輪を購入し、ホテル代を支払った記録。晃が彼女に送ってきた、思わせぶりな音声メッセージの数々。そして、ビデオ通話で「ただの友達の結婚式の引き出物」だと嘘をつき通した時の録画データ。俺はそれらを項目ごとにエクセルで分類した。日付。金額。出来事。ダメージ値。航平は俺が作成したそのリストを見て、しばらくの間、無言になった。「悠、これって……」「後になって、あいつ
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第10話

「これからはあなただけを大切にするわ。予定通り籍を入れて、普通に暮らしましょう。これまでのこと、ちゃんと償うから」俺は彼女を見つめ、不意に滑稽に思えてきた。「紗世、君は今でも、俺が気にしてるのは最終的に籍を入れるかどうかってことだと思ってるのか?」彼女はきょとんとした。「違うの?」俺は軽く笑った。「もちろん違う」ポケットからスマホを取り出し、あのリストの画面を開いた。「いくつか質問がある」紗世は俺のスマホの画面に目を落とし、次第に顔色を変えていった。俺は静かに口を開いた。「俺の25歳の誕生日、俺は一晩中家で君を待っていた。君は急な残業だと言った。だが、本当はどこに行っていたんだ?」紗世は唇をわななかせた。「私……」「正直に言え」やがて、彼女は観念したように俯いた。「晃と映画を見に行ってたの」「なぜだ?」「彼、その日すごく落ち込んでたから」俺はただ頷き、リストの該当項目にチェックを入れた。「7周年の記念日、君は俺にブランドの時計を贈ってくれた。だが後になって、晃もまったく同じものを持っていることに気づいた。あの時、君はどう思ってあの時計を買ったんだ?」紗世は痛ましげに視線を逸らした。「そこまで深く考えてなかったわ」俺は顔を上げて彼女を見た。「そうか?なら、どうして彼のは限定のギフトボックスで、俺のは店員が適当に包んだ通常版のパッケージだったんだ?」紗世の顔が青ざめた。彼女は長い沈黙の後、しゃがれた声で絞り出した。「彼が、あのパッケージがいいって言ったから……だから……」「一番いいものを彼にあげた、ってわけだな」俺は彼女の言葉を遮り、結論を突きつけた。彼女は平手打ちを食らったかのように、ひどく顔を歪ませた。俺はさらに追及した。「俺が熱を出し、偏頭痛で転げ回っていた夜、君は会社で急用があると言った。本当は彼に付き添っていたんだろう?」紗世は苦しげに目を閉じた。「ええ。彼のマンションが停電して、暗いのが怖いって言うから……」俺は自嘲するような笑みを浮かべた。「俺だって、痛いのは怖い。でも君は、俺の苦しみなんて微塵も気に留めなかったよな」紗世は目元を真っ赤に腫らした。「悠、あなたがそんなに酷い状態だなんて知らなかったのよ」「メッセ
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